第四十章 6

 夜、踊る心臓の本部にて、そろそろ仕事を切り上げて自室に戻ろうと考えていたランディに、電話がかかってきた。相手は幹部の春日だ。


『ごめんボス。反物質爆弾奪われちゃった。テヘペロ』


 緊張感の無い声での春日の報告を受け、同室にいた幹部や構成員達に緊張が走る。


「わからないように超常の力でガードしていたんじゃないのか?」


 慌てることなく、冷静に確認するランディ。


『予知能力には無力だって最初に言いましたよねー? 完璧ではないですよっと』

「すぐに奪い返す。そして奪い返したらばらばらに移動して、誰がブツを持っているのかわからなくする」


 反物質爆弾の在処を突き止められて奪われる事も、ランディは想定していた。奪還する際の動きも予め練ってある。


「人工衛星やドローンからのチェックを避けるために、移動しながらブツを隠す。隠したブツを別の班に回収させろ。俺の言いたいこと、理解できたか?」

「はい。理解しました。すぐに手配します」


 六十近い年配の幹部が、十二歳のボスに向かってかしこまって頭を下げる。踊る心臓組織内ではもう見慣れた光景だ。


「龍雲は引き取り先に、早く引き取り準備をするよう催促しろ。このままではもたないと伝えろ」

「我々の組織が見くびられるが、いいのか?」

「失敗するよりは、見くびられる方がマシだろう。文句や皮肉の類を言われたら、この状況でキープし続けるなど、他にどこの組織ができるんだと、言っておけよ。そもそもこんなハードな状況を作り上げたのは、そちらの失策だとも言っておけ」


 龍雲が確認するが、ランディは眉一つ動かさずにすらすらと答える。


「了解」

 ランディの指示に従い、龍雲は早速依頼者に連絡をする。


『おーい、ボスー、オイラはどうしたらいいの?』

 春日が軽い声で指示を仰ぐ。


「超常の力への対処は引き続き春日に一任――いや、ブツを奪還したら、引き続きブツを守れ」

『オイラはディフェンスね。昔サッカーでもいつもキーパーとかディフェンダーやらされてたし、こういう運命なのかねー』

「サッカーには不快な思い出しかない。二度とサッカーの例えをするな。フォワードをやりたがっていたのは、目立ちたがりの糞野郎ばかりだった」


 学校に通っていた時代を思い出し、珍しく声に怒気を込めるランディ。


「その糞野郎共は皆俺が殺したけどな」

『おー、そりゃよかった。ひょっとしてオイラとボス、似たような思い出あるんじゃないかなー。ああ、ごめんよ。もう二度とこの例えはしませーん。にゃははは。でもいいこと聞いたー。ボスとオイラの距離が縮まったのは間違い無いね。じゃあねー』


 上機嫌にまくしたてると、春日は電話を切った。


「ミルメコレオと蹴導けりどうを向かわせろ」

 ランディが命ずる。


「その二人だけで大丈夫か? ここは肝だぞ」

 いつものように龍雲が確認する。


「外部から雇った始末屋五人も向かわせる。全員名の知れた腕利きだ。この五人でチームを組ませて、妨害してくる連中の対処に当たらせる」


 ランディが言った。抗争で外部から人を雇うなどという事は、踊る心臓では今までになかったが、不服を訴える者や異議を唱える者はいなかった。今回ばかりは仕方がない。どうしても駒が欲しい状況だ。これまでの抗争とは次元が違う。


***


 反物質とは、電気的な性質が逆の物質である。

 反物質は自然界において、その存在を長らく留めておくことがなく、例え生成されても一瞬で対消滅を起こして消滅してしまう。それ故、自然界では滅多に存在が確認されていない。

 二十一世紀前半に、雷によって大量の反物質が生成され、対消滅を起こしてガンマ線が放射されている事が発見されたので、まだ人類が確認できていないだけという可能性もある。


 反物質は物質と衝突すると対消滅を起こして消えてしまう。その対消滅の際に、物質が存在する質量に相当するエネルギーを発生させる。

 これは莫大なエネルギーであり、利用できれば人類の技術は飛躍的に進歩し、エネルギー問題の多くも解決できるとされている。だがいかんせん、反物質を生みだすために必要なエネルギーが、反物質によって生み出すエネルギーより大きいという問題や、反物質を長時間維持することが出来ないという問題があったため、現実的な利用は長らくできないままであった。


 しかし三十年前の米中大戦勃発直前には、そのコストの問題も大分クリアーされてきた。生成にも維持にも相変わらず莫大なコストはかかるが、ただの消費物として使うことには――つまり兵器として利用するには、かろうじて可能なレベルに作成が可能となっていたのである。

 米中大戦時に反物質爆弾が実際に使用され、大陸弾道ミサイルで互いの領土へと撃ちこまれた。互いに片手で数える程度しか着弾していないにも関わらず、中国は億単位の人間が光の中で消滅し、アメリカは大戦以後の地図の海岸線の形を変えるに至り、広島長崎の原爆投下が比較にならないほどの超絶惨事として、人類史に刻まれることとなった。


 もちろんその後も反物質の研究はこっそりと進められ、より低コストで作成や維持が可能となっていった。科学文明の発展が悪とされて停滞気味になっていなければ、さらなる低コスト化ができたと思われる。

 しかし現時点では、爆弾以外に利用法が無く、生成と維持を低コストで可能な国も限られている。中国に至っては技術不足で、コスト度外視で生成しているという説が強い。


「小さいんだねえ……」


 十夜が感想を口にする。ケースの中に入っているそれは、難なく両手で抱えることが出来る程度のサイズだ。重さも大したものではないように思える。


「10Kg級だね。でもこの小さいのが、人類史上最大の水爆ツァーリ・ボンバの、八倍の威力を持つと言われている。東日本大震災で放出されたエネルギーの約80%のエネルギー量だけど、それでも一発で日本の三分の一近くが壊滅するらしい。弾道ミサイルに積み込んで飛ばさなくても、個人で敵国に持ち運んで起爆することもできるのが、強みと言われているな」


 晃がネットで得た知識をそのまま口にしてひけらかし、その場にいた何人かが息を飲む。そんなヤバいものが目の前にあるのだ。裏通りの強者とて、どうしても恐怖は感じてしまう。


 ケースはトラックに固定されていて、簡単に外すことはできない。無理矢理外して変な刺激を与えても困るので、迂闊に手が出せない。いや、困るどころではない。うっかり爆発させたらその時点で関東一帯消滅である。


「トラックごと動かしたら?」

 晃が言う。


「トラックのキーも無いけどね。まあそれはどうにかなるかもだけど、問題は反物質爆弾に付けられたこの爆弾よ」


 凜がケースの横につけられた小さな装置を指した。


「爆弾に爆弾がつけられているとはな!」

 美香が叫ぶ。


 凜がしゃがみこみ、小さな爆弾を調べ始める。恐怖しつつ見守る一同。


「どうやらこれ、解除しないと、トラックを動かしても爆発するみたいね。念入りなことで」


 爆弾や爆破装置に多少の知識がある凜が告げる。


「そうとわからずに動かされる可能性とか、考えなかったのかな……」

 恐々と呟く十夜。


「あっさりゲットできたと思って喜んでいたら、そうでもないみたいだねえ。ここで時間をかけているうちに、踊る心臓が手勢を率いて奪還しにくるって寸法かー。よく考えてあるわ」

 晃が感心する。


「私も一応爆弾の解除できるけど、正直不安ね。失敗したら……と考えると、もっと安全に解除する方法を探った方がいいと思うのよ」


 凜の話を聞くに、今いるメンツではどうにもできないので、より安全に解除できる技術を持つ者か、あるいは能力を持つ者を呼んだ方がいいという結論であると、一同は受け取った。


「誰か来た。多い」


 表を見張っていた瞬一が報告し、一同、トラックの外へと向かう。


 トラックの周囲にぞくぞくと集まってくる者達は言うまでもなく、反物質爆弾の奪還にきた、踊る心臓の構成員達だ。

 先程の抗戦よりさらに人数が多い。二倍以上はいると思われる。そして先頭を歩く男女二人は、格別の戦闘力があると見てとれる。


 そのうち一人は目立つ格好であった。全身を黒のラバータイツで包み、獅子の仮面を被った女である。スタイルは非常にいい。

 もう一人は二十代と思われる男性で、容姿や服装にこれといった特徴は無い中肉中背の男だが、放つオーラが周囲の兵達とまるで違う。

 男の方の名は蹴導高けりどうたかしといい、女の方はミルメコレオと呼ばれている。踊る心臓に所属する構成員の中でも、指折りの戦闘力を持つ二人だ。


「あの女は近接戦闘っぽい? 全身タイツ同士で十夜が相手するのがいいのかな」

「全身タイツどうこうで言われてもなあ……」


 晃の言葉に苦笑する十夜。


「凜さんが負傷して本調子でもないし、私があの男を担当しよう!」

「お願い。私は今回支援に回る」


 美香が申し出て、凜が頷く。


「メジロエメラルダー参上!」


 十夜が荷台から飛び出てポーズをつけながら名乗りをあげ、踊る心臓の構成員は呆気に取られた。


 その虚を突いて、晃が銃を撃つ。一人倒れる。この流れはもう、ほころびレジスタンスの定番となっていた。


 たちまち銃撃戦が始まった。反物質爆弾のあるトラックの荷台に向かって、踊る心臓の構成員達は平然と撃ってくる。おそらくケースも、ケースの脇に備えられた爆弾も、銃弾の刺激程度では爆発しないようだ。そうでなければ撃ってくるはずもない。


 銃弾が飛び交う中、十夜とミルメコレオが向かい合う。晃が見たとおり、ミルメコレオは近接戦闘タイプのようで、銃を抜かず、ファイティングポーズを取っている。

 そのミルメコレオに向かって、凜が亜空間の扉越しに銃を撃つ。ミルメコレオは慌てる事無く回避したが、その回避のタイミングを狙って、十夜が一気に間合いを詰めて襲いかかった。


「メジロ張り……」


 技の名前も最後まで言えず、技も出せない十夜。ミルメコレオのカウンターの爪先蹴りが、鮮やかに十夜の喉元に決まっていた。しかもブーツの爪先から、円錐状の太い針が飛び出ている。


 スーツを着てなかったら致命傷であったろうが、スーツのおかげで無傷で済んだ。しかし衝撃はしっかり食らい、十夜は咳き込みながら二歩後退する。

 十夜を仕留められなかったのは、ミルメコレオからしてみても計算違いであり、追撃が一瞬遅れた。そこにまた、頭上に開いた亜空間の扉から凜が撃った銃弾が二発飛来し、ミルメコレオは勘だけでこれを回避する。


(この人……相当なもんだぞ。体術だけなら俺なんかよりずっと上だ)


 ミルメコレオの動きを見て、十夜は思う。


 凜の銃撃の支援もものともせず、ミネメコレオはさらに果敢に十夜へと迫り、手刀を振るう。狙いはスーツで覆っていない顔だ。

 十夜は避けようとせずそれを腕で受けた。いや、ただ受けただけではない。今度は十夜がカウンターを見舞った。


 肉体強化型のマウスであり、ヒーロー系マウス用のスーツを着ている分、膂力と速度と耐久性に関しては、自分の方が上だと十夜は考えていた。しかし――その考えは崩れ去った。腕に受けた手刀の一撃が、とんでもなく重い。そして硬い。

 この黒ラバースーツ女のパワーは、人のそれを大きく上回っている。マウスか、それとも何かしら超常の力を身につけているかのどちらかだと、十夜は判断する。


 凜の支援による攻撃が繰り出される。今度は黒鎌による斬撃だ。しかも亜空間越しのうえに、途中で液状化して、後ろから縦向きに現れたと思ったら、ミルメコレオの前方に鎌の刃が横向きに現れたので、ミルメコレオはぎょっとした。


 しかしそれでもミルメコレオは、黒鎌の刃を回避した。かなりギリギリのうえに、体勢を完全に崩しての回避。

 そのチャンスを逃さず十夜が、体勢の崩れたミルメコレオを攻撃する。


「メジロ体当たり!」


 十夜の体当たりを食らい、ミルメコレオの体がノーバウンドで5メートル以上は吹っ飛び、街灯に背中を打ちつけて空中で体を半回転させてから、地面に落下した。

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