第三十九章 9
星一郎が体勢を立て直し、果敢にバイパーへと向かっていく。
まともに攻撃が決まれば人体を容易く破壊するバイパーの膂力を知ってなお、星一郎は近接戦闘を挑む。死の恐怖はあるが、逆にその恐怖をスリルとして、楽しんですらいた。
「強欲なる王剣!」
星一郎の手から青い光の刃が生じたのを見て、バイパーは首筋の毛が立つのを感じた。
(あれは不味い奴だ)
最初の交戦で腕を切断されている事を、バイパーの体が覚えている。そして認めたくないが、恐怖を覚えている。体が拒んでいる。逃げたがっている。あの異常な速度と正確さで振るわれる剣への良い対処方法は、未だに思いついていない。
良い対処方法は無いが、一応対処する方法はある。しかし正直やりたいものではない。
(また腕一本犠牲にする。そして……斬られた直後を狙って、今度こそ確実にブチ壊す一発をくらわしてやる)
それぐらいしか手は無い。逃げ回って物を飛ばすという手もあるが、この狭い空間でそれは困難だ。
「行くな。斬った直後に殺される」
踏み出そうとした星一郎を、幸司が制した。
幸司には予知能力がある。予知の範囲は数秒から十数秒後のランダム。予知した内容は何もしなければ実現してしまうが、行動次第では予知した未来を変える事ができる。
「腕一本犠牲にして剣で斬らせるつもりなんだ」
「腕以外を狙ったら?」
インカムから聞こえてくる幸司の指示に対し、星一郎が問う。
「駄目。何をやっても殺される未来しか出てこない。その能力を使っている際、敵が身構えている状態では、どうにもならない」
「そっか……まあ時間切れ」
幸司の回答を聞き、小さく息を吐く星一郎。手にした青い光の剣が消失した。
(何だ? 何を躊躇ってやがった……。しかも誰かと喋ってた)
星一郎がインカム越しに会話をしていたのは、バイパーにもわかった。
(ふわぁ、そういうことか……)
みどりは気付いた。弥生子を警戒する一方で、笠原と幸司にも時折視線を向けていたが、幸司が何か喋っていたので、読唇術で発言内容を読み取った。
「へーい、バイパー。奥の子は予知が使えやがるんだ。そんで、未来の動きを予知して伝えてる」
「なるほど……」
みどりに報告され、バイパーは納得し、当の幸司はぎょっとする。
(つーかそれがわかっても、俺にはどうにもしがたいし、みどりの方で何とかしてほしいもんだが、そうもいかないか……)
みどりが弥生子の動きを警戒して動かないでいるのは、バイパーにもわかっている。
そのみどりがようやく動く。何かを幸司めがけて投げつける。この程度なら弥生子の動きを警戒しつつも出来ると踏んだ。
幸司の姿が消える。笠原の転移の力が働いた。
(ふえぇ~、マジで厄介だなあ……。いい連携しやがるぜィ。そのうえ、ここが戦うには狭すぎるのとか、こっちは守らなくちゃならない対象がいるとか、いろいろ悪条件揃いすぎ~。戦えるのはあたしとバイパーだけだし。早く純姉に戻ってきてほしいんだけど)
みどりがそう思った矢先、弥生子が動いた。
弥生子がバイパーめがけてあっという間に詰め寄る。その弥生子の動きに、星一郎が戸惑う。
「あばばばっ、さ、せ、なぁいっ!」
みどりが薙刀の木刀をアポートで呼び出し、弥生子へと迫る。
バイパーの正面にまで向かった矢先、みどりがすぐ横に迫ったのを確認して、弥生子は能力を発動させる。全身から咲が尖った無数の枝が大量に伸び、バイパーとみどりの双方を同時に突き刺さんとする。
みどりが薙刀で枝を払う。バイパーは素直に後方に下がってかわす。
「うおっ!?」
みどりも慌てて後ろに跳んだ。砕いた枝から、大量の怪しい液体が噴き出たのだ。
液体が床に撒き散らされると、床のあちこちから煙が噴出し、腐れていく。
「今のをよくかわしたものだね」
弥生子の口から、老婆に似つかわしくない高い女性の声が発せられ、みどりを称賛する。
(尖ってるし、ヤバそうな気配したから、手で払ったり防いだりしなくてよかった……)
床が腐蝕していく様を見て、バイパーは冷や汗を垂らしながら、垂れてきた前髪を後ろに払う。
弥生子は邪魔者が退いたと見なし、アンジェリーナへと向かっていく。
「ジャッ……」
真っ直ぐ自分に向かってくる老婆に、狼狽するアンジェリーナ。
バイパーが舌打ちし、みどりが背後から弥生子めがけて何かを投げるが、当たらなかった。さっきから投げているのは、噛神という術のための触媒だ。まず触媒を敵に当てないと、術の発動の条件が整わない。
アンジェリーナの前に、弥生子が迫る。弥生子の手が、アンジェリーナに伸びる。
その両者の間に、静かに――ごく自然に、しかし素早く、上美の小さな体が滑り込んだ。
(へえ……)
上美のすり足の見事さに、みどりは感心する。
弥生子が反射的に手を引っ込め、足を止める。そのまま突っ込めば、上美が攻撃してくる気配を察したからだ。
止まってから、改めて腐蝕枝を突き出す弥生子。攻撃というより、上美と後ろから来るみどりへの、威嚇のニュアンスだった。
しかし上美は全く臆することなく、先端の尖った――しかも腐蝕液を出す枝めがけて右手で攻撃した。
「馬鹿っ」
それを見て思わずバイパーが小さく叫ぶ。上美の右腕が腐蝕液で腐れ落ちると思った。
しかし――上美の右腕は何の影響も無い。枝の多くは粉砕され、液が飛び散りはしたが、上美は冷静に飛び散る液を見極めて、身を引いてかわす。
(腕を高速スクリュー状にして放ったせいか、あの不気味な液体は一切かからず弾き飛ばしたわけかー。この子、とんでもなく修行積んでやがんなあ。多分、液体に濡れることなく弾くような修行もしているから、無事だと確信していたってわけか~)
みどりが上美を見て推測する。その推測は当たっていた。上美は曾祖母の梅子より、水の中の腕を突きいれ、水に濡れずに引き抜くという訓練をみっちりと叩き込まれていた。水に慣れた後は、煮えたぎる油で同じ訓練を行っていたし、最終的には濃硫酸で行うようになった。
「ジャ……」
目の前に立つ上美に、アンジェリーナが心配そうな声をかける。
「大丈夫。今度は私が守――」
上美の台詞は最後まで続かなかった。
「喝!」
叫び声と共に、弥生子より至近距離から全方位に放たれた気孔塊が、上美とアンジェリーナの体をまとめて吹き飛ばしていた。
後方から弥生子を薙刀で打ち据えようとしていたみどりも、この攻撃を浴びていたが、吹き飛ばされることはなく踏みとどまった。ただ、攻撃の手は止まってしまう。
「強欲に踊る奴隷商人!」
星一郎が好機と見て、バイパーに赤黒く光る太い鎖を放つ。
バイパーは難無く鎖をかわしたが、鎖はそのまま伸びていき、弧を描いたかと思うと、別の標的を捕えた。
「ジャプ!?」
倒れたアンジェリーナの胴体に、思わぬ所から飛んできた鎖が、まるで生き物のような動きで絡みつき、両腕ごと束縛する。
「そっちか」
バイパーが舌打ちして、星一郎の方に駆けださんとした刹那、鎖が収縮する。先に巻きついたアンジェリーナごと。
「ジャアアッ!?」
後方からアンジェリーナが物凄い勢いで飛んできたので、バイパーは足を止めて、反射的にかわしてしまう。後で、振り向いてキャッチしておけばよかったと、後悔する事になる。
「よくやった」
星一郎の手元に手繰り寄せられた鎖と、鎖に絡められたアンジェリーナを見て、弥生子が称賛し、星一郎達のいる方へと向かう。
「黒蜜蝋」
みどりが術を唱えると、みどりの長い黒髪から黒いタール状のものが溢れて床にこぼれ、まるで影が這うかのように、平面状になって、弥生子と星一郎へと向かっていく。
弥生子が指を鳴らすと、空中に水の塊が発生し、接近してくる影の塊に降り注いだ。すると水が床で弾けた状態で、真っ黒い蝋のようになって固まる。黒い影はそれで消える。
「引き上げよう」
星一郎の肩に右手を置いて、弥生子が静かに告げる。笠原と幸司が手を伸ばし、弥生子が伸ばした左手に触る。
すると弥生子、星一郎、笠原、幸司、そしてアンジェリーナの五人が、床に溶けて沈むかのように、下へとすり抜けていった。
「やられたか……」
バイパーが苦虫を噛み潰したかのような声で呻く。流石にこれは追っても無駄だと判断できた。
「ふえぇ~……敵の方が一枚上手だったわ。ごめん……」
「ううん……私も力が及ばなかった」
みどりの謝罪を受け、上美は床にへたりこんだまま、口惜しげに唇を噛み締めた。
(あのイルカがさらわれちゃった今、言うことじゃないけど、家の中が無茶苦茶に……)
藍が呆然と室内の惨状を見渡す。特に床が腐蝕液であちこち腐れて酷い事になっていた。
「あ……遅かった?」
そこに純子が空間の扉を開けて姿を現し、みどりとバイパーに白い目で見られる。
「遅いよォ~。せめて純姉がもう少し早く来れば、アンジェリーナもさらわれなくて済んだかもなのに」
「あれま。アンジェリーナさんがさらわれちゃったのかー。私はマンションの周囲に、伏兵が潜んでいないか、チェックしてて遅れたんだけどねえ。それが仇になるとは……すまんこ」
みどりに文句を言われ、純子は申し訳無さそうに謝罪する。
「この間と……逆になっちゃったね、アンジェリーナさん……」
自然と笑みがこぼれる上美。笑えない事態にも関わらず、笑ってしまう。しかしその胸の内では闘志が漲っている。
「皆さん。アンジェリーナさんを助けたいので、私に力を貸してください」
一同を見渡してから、上美が深く頭を下げ、凛然たる口調でお願いした。
「俺からもお願い」
惣介も頭を下げる。
「ああ、任せろ」
バイパーが下げた惣介の頭に手をやり、力強い口調で告げた。
「おっしゃ、任せた」
「お願いねー」
「お前らもだよ」
みどりが親指を立て、純子が笑顔で頷き、バイパーがつまらなそうに言った。
***
星一郎達はアンジェリーナを拘束したまま下水道まですり抜け、しばらく地下を通った後、止めてある車へと乗り込んだ。
「ふう……ミッション達成だ」
バックミラーで、後部座席真ん中にいる眠らされたアンジェリーナを見やりつつ、運転席の笠原が一息ついて呟いた。
「途中で撤退して、また決着つけられなかった。もう少しで憤怒まで辿りつけたのに」
アンジェリーナの隣に座った星一郎が不満げに呟く。
「また援軍要請よ。しかも星一郎君を指名。人気者ね」
助手席の弥生子がバーチャフォンからディスプレイを投影しつつ言う。
「人気者は辛いね。すぐに行くよ」
「キツくないのか?」
喜んで引き受ける星一郎に、笠原が尋ねる。
「戦うことそのものが嬉しいから、別に構わないさ」
朗らかな笑みをたたえて答える星一郎を、バックミラー越しに、異次元生物がいるかのような目で見る笠原であった。
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