第三十八章 37

B月8日 14:36


 安楽市民球場から人が去りつつある。救急車も何台も呼ばれ、巻き添えを食らった怪我人達が運ばれていく。いずれ警察も来ると思われる。

 目の前で超常の力を怒涛の如く展開したうえに、本当に殺し合いが行われた。そして今、崩れた舞台に中心には、教祖を名乗っていた僧が、血を吐いて死んだままの姿を晒している。死体を撮影する者もいたが、そうした者には、佐胸が手加減抜きで鉄拳を振るったので、今は撮影がしづらい状況だ。


「久美って子がさらわれちゃったよ。弥生子って人は死んじゃったけど、中のアルラウネが今、死体を動かしている」


 純子が来夢達に報告する。オリジナル・アルラウネがどういうつもりか、純子はわかっているが、口にしないでおいた。


「ま、この件は……俺はもういいわ。アルラウネのオリジナルが元凶だってわかったが、この先は……機会があったらでいい。お前ら、おつかれさままま。そしてありがとさままま」


 プルトニウム・ダンディーの面々四名に向かって、犬飼が礼を述べた。


「これにて一件落着ですかー? 来夢と克彦もやっと戻ってきますねー」

「ああ、我等が天使長の帰還だな」


 怜奈とエンジェルが嬉しそうに微笑みながら言ったが――


「何が一件落着だ!」


 怒号が響く。声のした方を向くと、憤然とした形相で睨む憲三の姿があった。


「久美の努力をめちゃくちゃにして、おまけに漸浄斎さんも殺して、よく平気でいられるな! お前達のこと、心から軽蔑する!」

「頑張ってた久美には悪いことをしたと思うけど、仕方ないよ。あいつは悪徳坊主なんだ。そして俺も立派な悪人。軽蔑は心地よいよ?」


 激昂する憲三に対し、口では悪ぶっている来夢であるが、その表情は物憂げである。


 憲三の肩に佐胸が後ろから手を置く。


「漸浄斎も何人も殺してるんだ。俺もな……。きっといつかは報いを受けるだろうと、漠然と思っていた。憲三とアンナは……そうならなくてよかった」


 自分でも下手ななだめ方だと思ったが、佐胸には他に言葉が思いつかない。


「私も直接は殺してないけど、殺しの手伝いはしたよ」

 アンナもやってきて言う。


「俺は裏切り者だし、さっきも言ったとおり、ここを潰しにきたようなもんだから、ここでお別れだよ。皆と一緒にいて楽しかった。元気でね」


 残った享命会の三名に向かって、来夢が別れを告げる。


「よくもいけしゃあしゃあとそんなことを! さっさと消えろ!」


 怒りが収まらぬ憲三が吐き捨てる。こんなに怒ったのは、家を滅茶苦茶にした時以来だ。ある意味あの時より怒りが激しかったかもしれないと、後になって憲三は思う。


「ごめんね」

「ごめん……」


 来夢と克彦が申し訳無さそうに謝った。


「俺も楽しかった。お前らのおかげで、俺は変われた気がする。お前達は……不思議な奴等だな」


 沈みかけた来夢と克彦に、佐胸が笑いながら告げる。いつもこの男がこんな顔をできたのかというくらい、明るい笑顔だった。佐胸の笑顔を見て、言葉を聞いて、二人の顔にも明るさが戻る。


「佐胸さんとはまた会いたいな。また絵も描いてほしい」

「ああ、いいぞ。累によろしくな」


 来夢と佐胸が笑顔で爽やかに別れをかわすのを見て、憲三はまるで自分がウザい悪者になったような気がして、さらに不機嫌になった。


「これからどうするの?」


 来夢達が離れたのを見計らい、アンナが佐胸に声をかける。


「とりあえず久美を探そう。教団は……どうしたもんかな。解散したいと望む奴はいないだろうから、久美を教祖にするとかでもいいかな。久美が乗り気ならだが」


 と、佐胸。久美がいなかったら、強制解散の流れにしかならないであろう。他に牽引力のある人間はいない。

 来夢達四名プラス純子は、入り口で待っていた睦月、咲、亜希子、葉山、百合、白金太郎の六名と合流する。


「弥生子さんがアルラウネ本体だという事も驚いたけど、どうしてこっちの蛆虫のキモ男さんを襲ったの?」

「相変わらず子供は冷酷なまでに正直っ。ううう……」


 自分を指して疑問を口にする来夢に、葉山は己の顔を両手で横から押さえて、ムンクの叫びのポーズになって嘆く。


「わかりませんわ。葉山に何か謎があるのかもしれませんけど、葉山自身に心当たりはなくて?」


 百合も葉山の方を向いて問う。


「心当たりですか……? 恨まれる覚えは沢山ありますよ」

「そうではなくて、アルラウネに襲われる覚えでしてよ。純子曰く、あれは地球外生命体の可能性が高いとのことですのよ」


 言いつつ純子を一瞥する百合。


「蛆虫と宇宙人は語呂が似ていますし……でも僕は断じて地球人ですよ。UFOに連れ去られた記憶もありません」

「出生や病気などは?」

「ああ、それなら不思議な体験がありますね……」


 ぽんと手を叩く葉山。


「幼稚園の頃、母方の田舎の山の中で、すごくキラキラした綺麗な、オレンジのスライムみたいなものを見つけたんです。大人がすっぽりと入るくらいの大きさでした。触ってみたら急にスライムの中に引っ張り込まれて、僕はスライムの中に閉じ込められてしまいました。息ができないということもなく、とても気持ちよくて、ずっとその中にいたかったのですが、真夜中になって大人達が僕のことを見つけて、僕をオレンジスライムの中から引っ張り出しました。あれは確かに夢ではなく現実ですよ。あの時から僕は蛆虫になった気がします」

「最後の言葉がイミフっ」


 話の切れ目を見計らい、白金太郎が突っ込み、全員声に出さず同意した。


「純子、アルウラネの件は、葉山や睦月、それに睦月の友人の咲にも関わりがありますし、貴女がどんなに嫌がろうと、私も踏み込ませていただきますわよ」

「どーぞどーぞ。別に嫌がらないよー」


 何故か挑戦的な口調で宣言する百合に、純子は半笑いで言った。


「あ、ブルー・ハシビロ子さん、格好良かったですねっ。必殺のハシビロつっつきが炸裂できなかったのは残念ですがっ」


 白金太郎が敬語で怜奈に声をかける。未だにブルー・ハシビロ子のスーツ姿のままだ。


「そ、そうですかー? 何か今回はあまり役に立っていなかったような……って、いつぞやの刹那生物研究所で共闘した、いがぐり頭君じゃないですかー」

「おおっ、覚えていてくれましたかっ。光栄ですっ。一緒に戦えたことも光栄ですっ」

「ねーねー、聞きましたー、来夢ー。私にもこうしてファンがついてくれていたんですよー。いやー、実に嬉しいことですね。しかも来夢が否定したハシビロつっつきにも、理解を示していただきましたしっ、来夢ももう少し考えなおしてあの技の有用性を――」

「俺は禁止したからもう禁止」


 自慢げに主張する怜奈を、来夢はつれなく一蹴した。


「なるほど、白金太郎はあの人とタイプ似てるから……」

「あはっ、そういうことだろうねえ」


 その様子を見て、亜希子と睦月がひそひそと囁きあっていた。


***


B月8日 14:28


 久美は弥生子に連れ去られている途中に意識を取り戻したが、抗おうとはしなかった。抗っても無駄と思えたからだ。

 何しろ相手は、首の骨が折れたまま、車より早く街中を駆けていたのだから。これは絶対に下手に抵抗しない方がいいと判断した。


 木々の多い公園の中に入り、人目のつかない場所で、弥生子は久美をそっと下ろした。


「混乱と落胆と恐怖――か。それは私のせいでもあるようだね。すまなかった」


 首を傾けたまま、弥生子とは異なる音声が発せられる。弥生子の口は半開きのまま動いてすらいない。


「弥生子にもすまないことをしたよ。あまり過度の肉体の強化はなされていなかった。弥生子はそういうことを望まなかったし、弥生子の体には再生能力が適合しなかった。彼女はただ、病に犯された孫娘を救いたいだけだった。彼女は進化して、病を癒す力を身につけた」

「すまないことをしたよって……死ぬとわかってて戦ったんじゃないの?」


 今喋っているのが弥生子ではなく、弥生子に取り憑いたものだと見抜いたうえで、久美は問いかける。


「本能に突き動かされていた。私にとっての敵を見つけてしまった。私にとっても初めての体験だ。次からは制御しないと。この言い訳では理解してもらえないかもしれないけど、私は断じて宿主をないがしろにするような真似はしないよ」

「でも……信じられない」


 少しも衰えぬ疑いの眼差しを向け続け、久美はきっぱりと言った。


「まあな。他にも悪いことはいっぱいしている。自分の目的のために、私の分身を用いて、大勢の人間を手下にして、人を殺させた」


 弥生子に取り憑いた者が、己の所業を全て正直に語るので、久美は戦慄した。それは自分がどういう者か明かした後で、今度は――


「今度は私に取り憑こうっていうの?」

「私は悪霊ではないんだよ。そもそも無理矢理寄生はできない。合意のうえでないと寄生できない生き物なんだよ」


 恐怖と嫌悪に満ちた久美の問いに対し、弥生子に憑いたオリジナル・アルラウネは、苦笑気味に答えた。


「だから君にも契約を持ちかける。私の宿主になってほしい」


 お断り――と言いかけて、しかし久美は口をつぐんだ。感情面だけでは、断りたいところである。しかし久美は非常に利発だった。そこで計算をいろいろと働かせてしまうし、様々なことを見抜いてしまう。


「普通なら断るよね?」

「でも君は普通ではないし、とても頭がいい。感情よりも理性を優先させるタイプでもある。力の意義もきっと知っているだろう」

「デメリットは? 弥生子さんみたいに殺されること以外は?」


 この問いの時点で、久美の心はほぼ決まっていた。


 新たな世界を覗きたいという欲求が、久美の中で鎌首をもたげている。先程、漸浄斎と来夢によって繰り広げられた超常の戦いは、正に知らない世界そのものだった。そして目の前にいる得体の知れない存在もだ。


「私のおかげで災厄を呼び寄せる可能性は有るが、肉体的なデメリットとして、君の心が弱くなると、私の心にも悪影響を及ぼし、その結果として体に影響を及ぼすこともある」

「常に強く心を持てとか無理じゃない?」

「難しいだろうね。でも相当弱らなければ平気だろうし、心が弱ったからといってすぐ致命的な事態になるわけでもない。考え付くかぎりでは、心身に影響するデメリットはそのくらいだね。さて……契約内容に入ろう。君は生物としてさらなる進化を遂げたいと思うか? その欲求があるか? あるのなら、私を受け入れてほしい。君に進化をさせよう」


 答えはすでに決まっていた。


「わかった……私を新しい世界へと連れて行って」


 久美が真剣な眼差しで手を差し伸べる。


「切り開くのはあくまで君自身、君が歩いていくんだよ。私はただの寄生植物だからね。力を貸すだけだ」


 そう言うと、弥生子も手を伸ばし、手から何かがすり抜けるようして出てきた。


 赤い花を頭頂に咲かせ、背中から翼のように双葉を生やした、真っ白な小人が見えたかと思うと、それは久美の手へと移り、まるで魔法のように久美の体の中に溶けこみ、消えた。


***


B月8日 18:00


 今は亡き弥生子の家――享命会の根城。


「久美さんが帰ってきました!」


 新米信者の報告に、佐胸、アンナ、憲三の三名は喜んで出迎えに行った。


「久美、大丈夫なのか?」


 まず声をかけたのは佐胸だった。佐胸だけは、帰宅した久美から、微かではあるが確かに異様な雰囲気が感じられた。一目見ただけで、以前の久美ではないような、そんな気がした。


「私は大丈夫よ。でも……弥生子さんは死んじゃった……」

「漸浄斎さんも死んだよ。来夢と克彦に殺された」


 怒りと悔しさを込めて憲三が報告し、久美は驚いた。


「そんな……」

「あいつらは初めからその目的でここに潜入した。でもな、仕方の無い事だ。漸浄斎は……」

「知ってる。漸浄斎さんや佐胸さん達がしてきた事は……」


 佐胸が説明しようとしたが、久美は悲しげな顔で遮り、佐胸を驚かせた。


「まず私の方から伝えたいことがあるから、皆を呼んで」


 久美の呼びかけに応じ、信者を全員居間に集める。


 それから久美は、自分がアルラウネのオリジナルの宿主となった事を伝え、アルラウネが漸浄斎や佐胸達を動かしていた事も、全て伝えた。


「弥生子さんの記憶もアルラウネが保持しているし、彼女の資産は……悪いけど私が使わせてもらうね。教団再建のために」


 そしてアルラウネの力も借りて――と、これは口に出さずに付け加えた。


「つまり、貴女が教祖を引き継いでくれるのね」


 少し安堵したように、アンナが確認する。


「ええ、私が漸浄斎さんの跡を継ぐ。ここの新たな教祖になる」


 決意の眼差しで信者一同を見渡し、久美は厳かに告げた。無論、反対する者はいなかった。

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