第三十七章 16

 香苗は安楽警察署に赴任し、裏通り課に入ってすぐに重傷を負い、マッドサイエテンィスト霧崎剣の世話になった。

 サイボーグ力学の権威である彼の技術によって、体の欠損した部分を補い、そのうえ強力無比な力を得たおかげで、香苗は安楽警察署でも戦闘力ランキング五位という実力者になることができた。体の七割以上が人工物になるという、決して軽くは無い代償と引き換えに。

 有機物で補助された部位については、体にしっかり馴染んでいるが、無機物に関しては定期的なメンテナンスが必要となる。後者はわかりやすい機械化である。


「まだメンテナンスには早いのではないかね。もしや、私の家で働きたくなったのか?」


 半裸の美少女を椅子に座らせてさらにそのうえに座り、足元にも半裸の美少女を寝かせてそのうえに足を置いた、燕尾服姿の痩せ細った男が、香苗を見てにやにや笑いながらからかう。


「冗談やめてよ。こんな綺麗な子達ばかりの中に、私みたいな頭くしゃくしゃもじゃもじゃで、とうとう三十路になっちゃったクリーチャーが混じったら、浮きまくるっての」

「拒絶の理由はそっちかね。いや、別に容姿はそう悪くなかろうに。もっと自信を持ってよいぞ。うん。自信が女性の魅力をさらに引き立てるというもの。恋の一つでもすれば尚更――」

「うっさい。私には一生関係無い話だ」


 燕尾服姿の変人――マッドサイエンティスト霧崎剣の言葉を、険悪な響きの声を発して遮る香苗。


「ちょっと私の戦闘力を向上させてほしいのよ」

「ふむ、バージョンアップがお望みかね。多少の強化程度ならリスク無しでもいけると思うが、ちょっと程度では、わざわざ強化を望みに来るはずもないな」


 香苗の要求を聞き、霧崎は顎に手を当てて、気色の悪いニタニタ笑いを浮かべ、嬉しそうに喋る。


「女の勘ていうのかなあ。凄く嫌な予感がしてね。今回は負けるわけには……後悔する結果には絶対させたくないから」


 自分の組織を乗っ取った剣持に負けることも、かつての部下達を助けられない結末も、香苗は受け入れられない。そうならないようにするには、自分が出来うる事を全てし尽くす。そのために香苗は霧崎研究所を訪れた。


「万全を期して臨む戦か。よいな。実によい。そうこなくてはな」


 霧崎が満足げに頷いて立ち上がると、部屋の中にいた少女達が一斉に床に寝て、霧崎のための道を作り出す。


「ついて来たまえ。今の君の覚悟に相応しいものを思いついた」


 霧崎が歩いた後の少女は、すぐに立ち上がり、また霧崎の前へと滑り込むようにして寝て、霧崎の踏み台となる。香苗も何度も見た光景であるが、慣れることはなかった。


***


 一方その頃安楽警察署では、梅津と李磊が肉塊の尊厳アジトが判明した事を報告していた。香苗が旧アジトで見つけた銀二からの手紙には、現在のアジトの場所も書かれていた。


「今、奴等の拠点は確認した。遠張りしてある。確かに人の出入りがあるし、出入りしている奴の顔を竹田にも確認させたが、かつての肉塊の尊厳のメンバーが出入りしているとよ」


 梅津が報告する遠張りとは文字通り、遠くから張り込むことだ。


「肉塊の尊厳のアジトの場所がわかっているのに、何で動かないわけ?」


 李磊が疑問を口にする。


「竹田のお願いでな、自分のかつての仲間は殺してほしくないとよ。その辺の事情があって動きづらい」

「うへえ。一警官の私情を優先させるとか、凄い組織だね」

「優先させたわけでもないぞ。あくまであいつの気持ちを酌んでやってるだけだ。いよいよどうしょうもなくなった場合は、どうにもならないな」


 呆れと感心が混ざった声を出す李磊に、梅津は煙草をふかし、渋面で言った。


「元裏通り課刑事が悪事の首魁だ。そいつだけに的を絞れば済む話だからな」

「他は無罪放免で済ませられるの?」

「裏通り課が済ますと決めたら、それで済ますさ」


 肩をすくめ、不敵な笑みと共に答える梅津。


「そんなんがまかり通るのがすごいよね」


 こんな無茶苦茶かつアバウトで、しかも強引に我を通せる組織に、自分も一度でいいから属してみたいと、李磊は思ってしまう。今の煉瓦でも結構好き勝手やらせてもらっているが、ここまでではない。


「まかり通るからこそ、俺達は命がけの仕事も引き受けてる。腐れマスゴミや阿呆な民衆の目を意識して、お行儀よくルールなんか守っていられるか。こちとら、そいつらのために命を張っているんだぞ。そのうえでやり方まであーだこーだ指図されるとか、文句言われるとか、辛抱ならねーよ」

「日本は人権思想を蔓延らせすぎたからな。いや、甘やかしすぎたと言ってもいいか。うちの国みたいに人権踏みにじりまくりも駄目だけど」


 日本と中国を足して割れば丁度よくなるのではないかと、李磊は真面目に考える。


「人権なんていう綺麗事のせいで、犯罪者を増長させる。皮肉だね」


 李磊が言うと、梅津は不機嫌そうに煙草を揉み消した。


「民衆ってのは、そりゃもうびっくりするくらい、見え透いた綺麗事が大好きだからな。で、こいつら幼稚園児かと思うくらい、ころっと騙される。そしてその綺麗事を口にしたペテン師と、そいつらを支持した奴等を、異論許さずの空気にもめげずに批判すると、物凄い勢いでふるぼっこにされて、悪者扱いでレッテル張りだ。綺麗な言葉も、綺麗な心の持ち主も、揃って腐りきっている」


 不満を口にする梅津は、今まで何度も苦渋を飲まされたのだろうと、李磊は察する。おそらく裏通り課に来る前に何かあったのだろうと。

 そして梅津が口にすることに、李磊も大体同意であった。綺麗事を口にするタイプ、公明正大を押しつけてくるタイプは、一番信用してはいけない。糞より汚らしい心を見せないように、糞よりひどい臭いを嗅がせないために、それらを必死に隠すためのカーテンであり、香水なのだ。


「まあ、その話はおいておくとして。李磊よ。今からうちらのために役立ってくれるのなら、マフィアの頭をあんたに引き渡してもいい」

「剣持を暗殺してこいってんじゃないだろうね?」


 冗談めかして笑う李磊だったが、梅津は真顔だった。


「わかってるじゃねーか。竹田の元部下は殺さないでやってくれ。剣持だけを狙ってな」

「警察が動かず、何で俺にやらせる? 警察だって剣持だけ暗殺することはできるだろう? 構成員だって殺さず鎮圧ができるはずだ。こっちにも命を張らせるんなら、隠し事をして人を動かそうとはしないでほしいね。俺にお遣いをさせる、本当の狙いは何だ?」

「そんな大した理由でもないぞ」


 あっさりと見抜かれて、梅津は苦笑いをこぼす。


「そっちの顔を立てるためだ。あっさりとマフィアのボスをお前さんに引渡したんじゃあ、裏通り課内部に不服を抱く者が出るだろう。安楽警察署内にもな。引き渡すことを納得させるには、相応の働きも必要だ」

「意外だね。あんた、そんな親切な気遣いをしてくれるタマか?」

「うん、それだけが理由じゃあない」


 胡散臭そうに問う李磊に、梅津は再び苦笑いをこぼした。


「実は真に頼まれてな。お前さんにできるだけ協力してやってほしいと」

「え……?」

「あいつには貸しもあれば借りもあるし、長い付き合いだから、断りづらい」

「何か条件というか特殊な事情があるかと思いきや、そういう話とはね」


 全く予想外――というか方向性の違う台詞を口にした梅津に、李磊も苦笑する。


「わかった。引き受けるよ。肉塊の尊厳のアジトの場所を教えて」

「ああ」


 梅津からアジトの場所を聞き、地図サイトで周辺の様子を探る。どのような物が立っているか、どのような道が伸びているか、もちろんアジトそのものの建物も見る。


「見張りの警察官はどの辺りに隠れてる?」

「ちょっと待て。聞いてみる」


 梅津が電話で潜伏場所を聞き、李磊に教える。


「人の出入りも一応あるんだよな?」

「ああ」


 李磊の問いに、梅津が頷く。


「なるほど。ここなら狙撃が出来そうだな」

 地図に目を落として李磊が言った。


「狙撃? 対象の剣持らしい人物の出入りは確認されてないぞ」

 不思議そうに梅津。


「そりゃそいつ自身出入りはしてないだろうね。でも剣持って奴が以前と同じ顔とも限らないし、整形していたら、超常の力を持つ者でも用意しないかぎり、判別できない」

「そりゃまあ確かに……」

「聞く所によると、肉塊の尊厳には剣持に反感を抱いている者もいるらしいじゃないか。そいつと接触して、味方に引き入れて、剣持の容姿を確認したい。もちろん他にも協力してもらう」


 李磊の提案に、梅津は難しい顔になった。


「それは難しいだろう。竹田も連絡が取れるわけではないんだ」

「取れなくていい。そいつの容姿だけわかればいいんだ。できれば俺達がアジトに侵入する前に接触して、剣持の容姿を確認する。それからアジト内への手引きも、できればお願いしたいわけで」

「なるほど……後で竹田にそいつの顔を聞いて、似顔絵スケッチしてもらうわ。そいつも外に出るかどうかわからんけどな。それに、構成員はGPSと盗聴器で皆監視されているしらいから、会話は音声使わず、文字でやってくれ」

「了解」


 梅津の指示に頷く李磊。


「で、狙撃とか何とか言ってたのは何だ?」

 梅津が問う。


「脱出の際の援護だよ。警察がしてくれるのが一番嬉しいけどね。当てなくてもいい。狙撃されるとさえわかれば、敵さんも容易に動けないだろう」

「なるほど……用心深いな」

「俺はいつも守りに徹した戦いを意識するからね」


 用心深いと言われて嬉しく思い、李磊は歯を見せて笑った。

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