第三十六章 32

 牛村姉妹の魔術は決して万能ではない。致命傷を受けて、はいそれも治して終わりというわけにはいかない。そもそも魔術なのだから精神集中も必要であるし、致命傷を負った状態で、己の致命傷を癒すということなど不可能だ。


「ブルーブレード!」


 兄弟弟子が操られているのは明白だが、どうにもできないと判断し、俊三は片腕で姉妹を抱きかかえたまま立ち上がると、羊マスクの首を手刀ではねた。直後、羊頭のクリーチャーも消える。


 俊三はその場にしゃがみこんでヘルムを脱ぐと、姉妹を抱えたまま、二つの顔を見下ろす。


「嘘」「赤い雪でも降る?」


 俊三の行動に驚く伽耶と麻耶。


 鋭一は一部始終を見ていたが、穴から頭を出した優は、現在の惨状を見て何が起こったかをすぐには理解できず、数秒考えてから察した。

 優が穴から這い出たのを見て、鋭一も身を起こす。しかし俊三にも姉妹にも攻撃しようとはしない。今の状況で、攻撃する気にはなれない。


「悪くない」「まんざらでもない」


 四つの瞳が俊三を見上げて、二つの口から血を吐きながら、二つの顔が笑う。

 まさか俊三が自分達を気遣って、倒れる前に抱きとめてくれるなど、姉妹からすると思ってもみない行動だった。俊三の行動が、今のこの感触が、嬉しくて仕方ない。


「後悔はしていない」「好きになった人のために死ぬのもまたよし」


 致命傷のせいで痛覚も麻痺し、それどころか脳内麻薬が溢れて肉体的にも心地好さを覚え、二人の顔は同じ形の笑みを浮かべていた。


「私なんかに命がけになる価値が……あったのか? 私は君を利用していただけだというのに」


 命の灯が消えかけている麻耶と伽耶を見下ろして、俊三が微笑みながら問う。


「俊三には何も期待していない」「俊三は悪だけど、それでも私が一方的に好きだったから」

「私のどこが気にいったんだ?」

『初めて会った時、私を見て目を輝かせたから』


 姉妹の手を握り、俊三がなおも問うと、二人は声をそろえて即答した。


「他の人は初対面で化け物を見る目で見る」「他の人は皆引いてた」

「ああ……確かに私は、すごく面白い子がいるなと思って、わくわくしてたよ。しかも可愛いしさ」

「それが私にはどれだけ嬉しかったか」「面と向かって可愛いって言うな……。照れる」

「たったそれだけのことで、君は自分の人生をこんな所で終わらす形にしたのか?」

「残念だけど仕方ない」「それもまたよし。悔いは無い」

「いや、私は悔いいっぱいあるけど……」


 麻耶の台詞に、伽耶が突っ込んだ。


「私は君達のことなんて、利用できるだけの道具としか思ってないのに。哀れだな」

「年齢は上でも精神的にお子様な俊三に言われても、ふーんて感じ」「殴ってやりたいけど、その力も無い……」

「そういう感じで、二人の台詞がズレてる時がまた面白いよ」


 俊三がおかしそうにくすくすと笑い、握っていた手を離すと、手を手刀の形にした。


「ブルーブレード」


 静かに技名を呟くと、俊三は手刀を胸に突き刺した。

 自分の胸に。


 伽耶、麻耶、鋭一、優の四名が驚いている最中、俊三は痛みに耐えながら己の胸の中をほじくり、再生装置を探り当てると、外へと引き出した。


(もってくれよ……)


 痛みとショックに耐えながら、俊三は祈る。牛村姉妹に、再生装置の移植を済ますまでは、死ぬわけにはいかない。

 掌に収まる、血にまみれた銀色に輝く謎の臓器を、問答無用で姉妹の傷口へと押し込む。


 これで都合よく姉妹に再生能力が宿ってくれるという保障など無い。しかし今はこれに賭けるしかない。


 姉妹の胸の傷から流れる血液が逆流し、血液に混じった異物も排除され、傷口が閉じていくのを見て、俊三は安堵しながら、ゆっくりと後ろに倒れた。

 何が起こったのか、伽耶と麻耶は理解した。自分の傷が癒えて、俊三は倒れた。つまり彼が雪岡研究所で得た再生機能を、自分に譲りわたしたのだと。


「治す」「死ぬの死ぬのとんでけーっ」


 牛村姉妹が即興で編み出した呪文を唱え、俊三の傷口を塞いだが、俊三は倒れたままだ。


「無駄だよ。今君に入れたのは、私のもう一つの心臓みたいなもんだ。私はもうそれがないと、生きていけない体だ」


 純子に言われた説明を思い出し、俊三は語る。

 俊三はさっきと同じ感覚を思い出していた。優に消滅の視線を食らった時、自分が消えていくという感覚があった。そして今もそれがある。


 先程とは逆に、今度は牛村姉妹が俊三を抱き起こし、四つの瞳で見下ろす。


「ど……どうして?」「貴方、そんなキャラ?」

「私は天邪鬼だから……ね。君達があまりにも幸せそうだから……私も味わってみたくなったんだ。好きな者のために死ぬ気持ちがどんなかものかをさ……」


 それは本心であるが、本心の一部でしかなかった。


「うん……なるほどな。確かに、思った以上にいい気分だ……。ふふふ……このうえなく幸福な死だ……」


 世の中に散々悪を振りまき、たっぷりと悲劇を作りまくってやった自分が、幸福に死ねる。こんな愉快で爽快で痛快なことがあろうかと意識し、俊三は胸が晴れ渡る気分だった。


(私はもうこれで終わりだ。でもね、この意志はきっと消えない。同じ心を持つ者達がすぐに現れる。あるいは、すでにいるに違いない。その種は撒いた。必ず芽が出る。そして殺意の花が開く)


 世界を憎む者、世界を呪う者、世界を嘲る者が、どこかで目を覚まして、殺して殺して殺しまくってくれるに違いないと、俊三は信じる。自分も世に名を知らしめたから、その覚醒を促す役に立てたはずだ。

 自分がここで朽ち果てても、誰かが意志を引き継ぐようにこの世界は出来ている。誰かが自分の影響を受けて、自分と同じ心になる。自分と同じ心の者が一線を踏み越える。自分と同じことをする。そうして意志は引き継がれていく。そういうものだと、俊三は知っている。


「世界中のくそったれにざまあみろ……だな」


 薄れゆく意識の中、全世界にあっかんべーをしてやる自分をイメージしながら、俊三は逝った。


「最期まで馬鹿」「今際の際の台詞まで馬鹿」


 涙声で言うと、姉妹は俊三の体を抱きしめ、嗚咽しだした。


「後味の悪い終わり方だ」

 鋭一がぽつりと呟く。隣には優が来ている。


「現実は、正義の味方が悪い人達をやっつけてめでたしめでたしと、そんな終わり方ばかりじゃないですしねえ」


 鋭一と並んで、泣き崩れる牛村姉妹を見ながら、優がしみじみと言った。


「そんな終わり方の方がすっきりする。散々悪事を働いた敵役が、いきなりいい奴になって、戦闘放棄して愛する者のために命を断つとか、美談のようでいて、全然美談ではない。殺された人間や遺族の立場からすると、ただの悪人が無惨に殺されて終わりの方がいいに決まっている」

「そうでしょうかあ? 私は今の方がいいと思いますけどお」

「お前は親しい人を殺されても、その考えのままでいられるか?」


 異を挟む優に、鋭一はちょっとだけむっとした顔になる。


「誰かを救って死んだなら、その方がまだましだと思います」

「……」


 見ればわかる現状を改めて口にされ、鋭一はますます憮然とした。

 それは確かにましだろう。しかし鋭一としては、そのましな死に方をしたことが気に入らない。


 やがて伽耶と麻耶は泣くのをやめ、涙を拭いて立ち上がり、鋭一と優の方を見る。


『そんな顔しないで』


 鋭一と優に向かって、姉妹は口を揃えて告げた。そんな台詞を口にされるとは、自分はどんな顔をしていたのだろうと、鋭一は思う。


「私達は貴方達を恨むことはない」

「俊三は破滅するしかない運命だとわかっていた」

「そういう運命。それでも私達は守りたかった。例えわかっていても。彼の心を変えたかった」

「俊三をかばったことが罪なら、私達は償うつもり」


 今回は麻耶から伽耶という順番に喋る。


「いや、私は償わない。伽耶、勝手なことを言わないで。罪扱いされたら逃げよう」

「え? ここでそういうこと言うの?」


 顔をしかめて否定する麻耶に、伽耶が微苦笑をこぼす。


(お二人が、墨田さんの心を変えたんじゃないですか? だから墨田さんは、牛村さん達に命を譲り渡した……)


 優はそう思ったが、それを口にするのは残酷なような気がして、言えなかった。


「俺がお前らと同じ立場だったとしたら、きっと同じことをした。正義や倫理なんかかなぐり捨てて、親しい者を取る。俺は……もう普通じゃないからな。普通の人間は、自首を勧めるとか、そんなんだろうけど、俺は絶対そんなことしない」

「あ、私もしませんねえ」


 鋭一が静かに語り、優はあっけらかんと鋭一に同意する。


「ターゲットをかばった人達は不問にするよう、頼んでみます。多分大丈夫だと思いますよう」

『ありがとう』


 優の言葉を聞いて、伽耶と麻耶は力なく微笑むと、再び俊三に視線を落とす。


 優と鋭一は示し合わせたように、無言で牛村姉妹の脇を抜け、家の外へと向かう。

 後には姉妹だけが残された。


***


 館の地下にある儀式用の広間に、俊三と羊マスクの遺体が運ばれ、並べて寝かされた。

 遺体の前には、牛村姉妹とシャーリーと豚マスクが並んで立っている。


「弟子を三人も失っちゃった」


 二人の亡骸を見つめ、シャーリーが寂しげな顔で呟く。


「皆納得済み」「皆自分で選択した」

「そうね」


 伽耶と麻耶の言葉に、シャーリーは小さく頷く。


「例の術の完成を、俊三も含めて皆で達成して喜びたかったのにね……」


 シャーリーとその弟子達が一年以上かけて開発研究中だった、大掛かりな術がある。最近は行き詰って中断していたが。


「宇宙の彼方への門を開けるあの術、研究を再開してほしい」

「伽耶に賛成。俊三達の死のせいで、余計に意欲が沸いた」

「わかったわ。頑張りましょう」


 麻耶と伽耶の要望を受け、シャーリーはにっこりと笑い、再び俊三達の亡骸に目を落とした。


「魔術師の亡骸は良い触媒にも魔道具にも利用できる。彼等の亡骸は私達で有効活用させてもらいましょう」

「使い捨て触媒は嫌だ。勿体無くて使えなさそう」「永続して使える触媒か魔道具で」

「麻耶に賛成」「部位は早い者勝ち」

「じゃあ私は俊三の心臓で」「じゃあ私は俊三の脊髄と目玉と脳と性器と全身の皮」

「麻耶、欲張りすぎ……」


 同時にぺちゃくちゃ喋る姉妹の会話を聞いて、おかしそうに笑うシャーリー。一方、豚マスクは無言のまま佇んでいる。


「今夜は彼等を偲びつつ、盛大にお別れの儀式をしましょう」


 シャーリーがそう言って、早速準備に取り掛かろうと、部屋の棚を開いて、中にある様々な魔道具を取り出していく。


「魔術師のお葬式」「俊三は地獄に落ちるから冥福を祈るのは無意味」


 俊三の死に顔に目を落とし、伽耶と麻耶はこれから俊三の体を切り刻んで解体していくことに、ちょっとだけわくわくしていた。


***


 殺人倶楽部三名と星炭の二名は隠れ家の前にて、それぞれの戦闘結果を報告しあっていた。特に重要なのは、ターゲットの最期を看取った鋭一と優の報告だ。


「そんな結末だったんですかー」


 俊三の最期を聞く一方で、優が穴に落とされてしまった事の方に関心がいく竜二郎。もし玉夫に操られた羊マスクが来なかったら、どう対処したのだろうと。


「私の術が決め手となったとはなあ。ふふふ」

 玉夫が得意満面になって笑う。


「あんた……得意そうにしているが、呪術の類は禁止されているんじゃなかったのか?」

「いやいや、呪術といっても、生霊化とか、怨霊作りとか、そういう悪質なのは駄目と言われてるだけだし、全部禁止されたら私は何の力も無いぞ。呪術しか知らんのだし」


 善治に突っ込まれ、玉夫は肩をすくめる。


「しまらない形だが、任務は何とか達成した。それでいいだろう」


 眼鏡に手をかけて鋭一が言うが、本心ではない。大悪党が幸せそうな最期を迎えた事に、いまだに釈然としない。


「そうですねえ。皆さんおつかれさまままあ」

「よーし、じゃあ皆で勝利を祝って、一本締めでもしようか」


 リーダーである優がねぎらった直後、玉夫が両手を胸の前に上げて促したが――


「それはちょっと……遠慮したい……」

「断る」

「おじんくさいから嫌ですー」

「はあい。やりまあす」


 善治、鋭一、竜二郎の男子三人は即座に拒み、優だけ応じ、玉夫と優の二人だけで十拍の手拍子をした。


「ううう……。優ちゃんがいなかったら、私はきっとすごーく惨めな想いを味わう所だったよ……」

「そう思って合わせましたあ」


 若者の中に混じって浮く年配の悲哀を味わい、むせび泣く玉夫は、優に菩薩の心を見た。

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