第三十五章 4

 瑞穂と宏は、一人の少女を連れて歩いていた。

 少女の歳は十二か十三といったところ。その目は閉じられていて、瑞穂と手を繋いで歩いている。


「あんたまで来ることないのに……。これは私的な用事で、仕事じゃないのに」


 歩きながら、宏を意識して呟く瑞穂。


「つれないこと言うなよ。仕事じゃなくても、どう考えても最近の瑞穂は、厄介事に首突っ込んでるし、助力はいるだろ?」


 宏が明るい声と表情で言った。


「助力ねえ……。足手まといになる可能性大なのに」

「あ、そういうこと言っちゃうんだ。いじけよっと」


 瑞穂の言葉を受けて、宏はおどけてみせる。


 やがて三人はとある邸宅の門をくぐった。雨岸百合の家だ。

 出迎えた百合はまず、瑞穂と手を繋いだ少女に注目した。


「まあ……由紀枝」


 かつて陸と共にいた少女の双眸が閉じているのを見て、百合は彼女に何が起こったのか、大体察した。


「陸の知り合いの……ええと雨岸さんだっけ? 確かに声は覚えてる。耳に心地好い声だったから」


 百合の見えぬ目で見上げる由紀枝。


「その眼……陸の模倣をして、貴女自身が?」


 わかっていることをあえて訊ねる百合。


「うん、陸と同じになりたくて。陸と同じになって、陸がクリアーできなかったこのゲームを、クリアーしたいの」


 淀みない口調で告げる由紀枝に、百合は視線を瑞穂へと向ける。


(かつて私が陸を利用していたように、今度は瑞穂が由紀枝を利用しようということかしら)


 そう考えるのが妥当だと百合は思う。


「花野に、月那美香へ依頼させてきたわ。この子がさらわれたから、見つけ出して探して欲しいとね。花野は捕まっちゃったから、任務をちゃんと果たしたかどうか疑わしいけど」

 瑞穂が報告する。


「なるほど、いろいろと応用できそうですわね」


 応用ではなく利用だが、由紀枝の手前、そう言っておく百合。


「純子が絡めば興味を抱いて首を突っ込んでくるでしょうが、この子の扱いはもう考えていらっしゃるの?」

「一応は。ほら、由紀枝」


 百合に問われ、瑞穂は言葉すくなに答えてから、由紀枝に何かを促す。


「力が欲しい。いや……まずは陸と同じになりたい。雨岸さん、力を貸してください。お願いします」


 要望を述べ、ぺこりと頭を下げる由紀枝。


 純子を頼れと言いかけて、百合は思い留まる。


(今は少し様子を見ましょう。この子が力を得るのは、もう少し後回しでもよろしいでしょう)


 由紀枝だけならともかく、何やら画策している瑞穂のことを警戒し、少し焦らしてみることを考える百合であった。


「百合でいいですわ。陸とは私も友人関係でしたし、一応……考えておきますわ」

「せっかく来たのにそんな曖昧な答えなの?」


 どうでもよさそうに言う瑞穂に、百合は小さく笑う。


「そうね、お茶くらいはいれてさしあげますわ。もっと話を聞きたいことですし」

「話すことは特にないの。この子の要望を今聞いてくれるかどうなのよ。どうなの?」


 中に促そうとする百合だが、瑞穂は玄関から動こうとする気配をみせず、アンニュイな口調でしつこく訊ねる。


「考えておくと言ったのが聞こえないつんぼさんですの? それとも頭の方が悪いのでしょうか?」

「あっそ。じゃあ、考えが決まったら教えてね」


 嫌味を口にする百合と、素っ気無く告げて踵を返す瑞穂。


「あの……何か条件が無いとだめなのかな?」


 瑞穂に手を引っ張られても、由紀枝は動こうとせず、見えぬ目で百合を見上げて訊ねる。


「そうではなくて……陸と同じようにするというのは、私の力では中々難しいのですよ。できるかどうか、調べものも必要ですし、実験も要しますから」


 溜息混じりに言う百合。純子を頼るわけではないのだから、これは本当のことだ。


「だったら……お願いします」


 深く頭を下げて、由紀枝は瑞穂に従って背を向け、家を出ていった。


 再度溜息をつく百合。純子を頼るよう言っておけばよかったと、後悔していた。


***


 花野は美香の事務所に一日拘束されていた。


 美香はすぐに帰宅途中の純子に電話を入れていたのだが、みどりから真が重傷で帰宅したと聞いたので、研究所へと戻り、美香の方へは行けなかった。


 そして一日経ってから、純子は真と共に美香の事務所に訪れる。


「これ、花野さんの仕業?」

 破壊された応接間を見て純子が訊ねる。


「そうらしい! この男のことを知っているなら詳しく教えろ!」


 リビングにいる花野に視線を向け、美香が叫んだ。花野の周囲には、美香のクローン四名が取り囲んでいる。


「ラットの一人だよー。あれは皆で何してるの? 儀式?」


 花野を囲むクローン四名を見て訊ねる純子。


「ベントラベントラベントラ……」

「UFOを呼ぶな!」


 両手を掲げてくねくねと動かして怪しげな呪文を唱える二号と、それを一喝する美香。


「手錠で拘束していたが、いつの間にか手錠を破壊していたから、ああして皆で囲んで見張っている!」

「花野さんの能力は『呑気なテロリスト』。半径10メートル以内の任意の場所を念動力で、時間をかけて少しずつ、小さな範囲で亀裂を入れて破壊していくんだ。亀裂が生じる速度も範囲も、初めは遅く狭いけど、亀裂が大きくなっていくと、徐々に速度が増して範囲も拡がっていくよ。あ、無生物限定ね」

「使い方によっては中々恐ろしい力だな!」


 純子の話を聞いて、それは本気でテロリストにうってつけの能力だと思い、ぞっとしない美香であった。


「ううう、純子ちゃん、やっと会えて嬉しいよぉ」


 純子の方を見て、半べそ顔で訴える花野。


「毎日毎日純子ちゃんのことばかり考えていたよ。どうして私に声をかけてくれなかったんだい? 純子ちゃんが私と結ばれたなら、私の体なんて毎日のように実験台にしてあげるっていうのにさ。どうしてだい? 何か深い事情でもあったのかい? それなら私も力になるよ?」


 愛想よく笑いかけながら、猫撫で声を話しかけてくる花野に対し、純子は体ごと顔をそらして必死で無視していた。純子がこんな態度を人前で見せるのは珍しいと、真も美香も思う。


「お前ってストーカー気質の人間が惹かれやすいのかな? この前のネトゲの金髪もそうだったけど」

「んー……否定しきれない。だからそういう人達をラットってことで、敬遠していたんだけど」


 真に指摘され、純子は頬をかきながら言う。


「まあ、全部が全部ストーカー気質というわけではないと思うよ。熱をあげたり、崇拝したりしている点に関しては同じだけど」


 それでも自分とは付き合ってくれたんだと、特別に意識してしまう真であったが、もちろんこの場で口にはできない。


「ラットの連中をないがしろにしすぎている事も、おかしいな。そういう意識を持つ奴に対して、雪岡は徹底的に冷遇するのは何でだ?」

「んー……自分でもよくわからない。どうしても避けたくなっちゃうし、冷めちゃうんだ。そういうタチとしか……」


 これは本当に純子自身にもわからなかった。自分がどうしてそんな性質を持っているのか、理由がわからない。しかしこれまで、深く考えこともない。


「こいつはどうする!? 敵のようだが、拘束しておくのも一苦労だ!」


 美香が親指で花野を指して叫ぶ。


「私の方で引き取るよー。私ルールだと、私に敵意を向けてないから改造できないけど、どうしようかなあ」

「私の敵だ! 友の敵は己の敵! 違うのか!?」

「んー……だからこそ引き取るわけだけどね。まあ適度に拷問して、何が目的で誰が意図を引いているのか、話してもらうよ。どう考えても花野さんが計画したとは思えないしねえ」


 美香に問われ、苦しそうに答える純子。


「計画したのはラット・コミュニティのリーダー、瑞穂ちゃんですよ」


 花野が笑顔で告げる。


「ラット・コミュニティ……」


 真がその名を呟く。言葉からしてどのようなものかは理解できるが、ラット同士でそんな集団が作られていることは知らなかった。


「それはそうと、私の依頼は受けていただけませんか? 純子ちゃん達によって大事な人を奪われ、自ら光を奪った由紀枝ちゃんが行方不明なのは事実。探して保護してやってくれませんかね? もちろん、それも罠だと思って無視するのも自由ですが」

「んー、罠なら罠で、かかってみるのも面白いと思うなー」


 穏やかな口調で述べるに花野に、純子は花野からは顔を背けたまま、小さく微笑む。


「その子が利用されているのかもしれない! あるいは利用されていると見せかけてグルで、復讐しようとしているのかもしれない! どっちだかわからんが、前者であると困る!」

「引き受けてくれるということですね。では……お金の方ですが……」

「ちゃんと金も払うのか!?」


 意外そうに花野を見る美香。


「貴女達と違い、私は表通りの社会人ですからね」

「関係無い! それにもうお前はこっち側だ!」


 笑顔で皮肉を口にする花野に、美香が苛立たしげに断言する。


「ちょっと行ってくる」

 真が事務所を出ようとする。


「どこへだ!?」

「野暮用だよ。まだ時間があるけどな」


 美香の問いに曖昧に答える真。


 行くのは深夜が望ましいと真は思う。まだ夕方であるし、その間に研究所に戻って準備を整える事に決めた。

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