第三十三章 11

「そっかー……あまり学校にも通ってないのか」


 千晶の身の上話を聞いて、義久は憐憫の視線を向けていた。


「仕方ないよ。でもそれはそれでいいって、私、前向きに思ってる。神様は私にこういう人生をくれたんだってさ。貧乏でも楽しいこともいっぱいあるし。バイト先の人達、皆優しいんだよ。でも……父さんは貧乏だからってことで、神様を恨んでる……。それで、私の知らない所で……あんなことを……」


 途中まで明るく喋っていた千晶だが、そのトーンが急に沈む。


 千晶の父親が、裏通りでも禁止されている違法ドラッグの運び屋をしていた事は、義久も千晶から聞いていた。脚が悪いという理由で、運び屋だと疑われにくいという理由で、マフィアに雇われたらしい。

 頻繁にその仕事をしていたわけではないが、執念深くケイトの身辺や関係者を探っていた烏腹に証拠を押さえられてしまい、脅迫のネタとして使われているという。


「あのさ、千晶ちゃん。俺のことをひどい奴だと思うかもしれないけど、落ち着いて聞いてくれ」


 真剣な顔になり、義久は話しだした。千晶も真顔で義久を見上げる。


「俺もジャーナリストだ。でも烏腹という悪い記者とは違うし、あいつのしたことは許せないし、許しておけない。でもあいつを許しておけないということは、あいつの犯した罪をバラすってことで、その際には、君と君のお父さんが嘘をついていたという事も、言わなくちゃならなくなる」


 なるべく子供にもわかる言葉を選んで喋る義久。


「それはどうにもできないことだと覚悟しておいてくれ。でも俺は、できるだけ君が傷つかずに済む方法をとりたい。それが何かは……まだ思いついてないから、これから考えるけどさ。うん」


 義久の話を聞いて、やはりそうなるのかと沈んだ顔になる千晶だったが、最後に照れくさそうに笑って言う義久を見て、少し気持が楽になる。


(本当にいい人なんだ……この人)


 義久の言葉遣いや声音や表情や自分を見る眼差しなどから、千晶の中ではそういう結論に至った。

 しかしそのいい人を完全に信用できるわけでもない。やはりどうしても不安だ。いい人であろうと、目の前にいるのは破壊者だ。自分達がついた嘘を白日の下に晒す断罪人だ。


「な、何ですか貴方は!?」


 スハルトが真と共に自宅アパートに帰ると、家の中に見慣れぬ巨漢が胡坐をかいて座っているのを見て、仰天した。


「父さん、大丈夫。この人、いい人だから」


 自分が口を開くよりも前に、千晶が気を回してフォローしてくれたのが、義久はありがたいと感じた。


(よく気が利くし、きっと本来は明るいいい子なんだろうな)


 そう思った直後、スハルトの後ろから、義久の知る少年が姿を見せる。


「へ? 真?」

「高田か。あんたもこの件で動いているのか。しかも赤村親子に接触か」

「そっちもってことか……。ちょっと情報の整理がいるな」


 義久の存在に驚いたスハルトであったが、真と知り合いのようなので、害は無さそうだとしてほっとする。何より娘が落ち着き払っているので、安心できた。


 情報交換をする真と義久。その話をスハルトと千晶も聞いていた。千晶は父親がこの件で、烏腹と戦う姿勢を示した事に、嬉しく思う一方で怖くもなった。


「よーするに共闘できるってわけだ。こりゃ頼もしいね。よろしくな」


 話を聞き終え、義久がにやりと笑ってウィンクする。真はもうある程度見慣れたので免疫があるが、スハルトは変にツボにハマって、吹きだしそうになって、口元を押さえて顔を背ける。


 ふと、義久は気がついたことがあった。千晶の肌の色は、単に父親の血だけではなく、外で仕事をしているせいで、その日焼けも手伝っていた。明らかに父親より濃い褐色だ。


「探っていた記者を殺害するとか、随分と剣呑ですね」


 義久から安瀬の件を聞き、ぞっとしない顔でスハルトが言う。


「ただの見せしめもかもしれないが、探られて都合の悪いものもあるのかもね」

「知られて困るようなものと想像して真っ先に思いつくのは、国境イラネ記者団の中に、銃を携帯した筋者がいるということじゃないかな」


 神妙な顔で言う義久に、真が見解を述べる。


「実際、ペンで攻撃するだけではなく、邪魔者を殺害する事も前提にしているからこそ、安瀬さんも殺されたと見ていいな」


 顔をしかめて言う義久。報道の正義を謳って暴力を忌避する者達が、見えない所ではその手段を平然と行使するということを意識して、嫌悪感でいっぱいになる。


「つまり、何か暴力的手段を行使する予定があるわけだ。ケイトか、ヴァンダムを殺そうとしている? もちろんここも油断できない」

「おいおい……そういうのは堂々と口にするなよ。少しは気遣えって」


 千晶とスハルトのいる前で堂々と危険を示唆する真に、義久が呆れて注意する。


「もうとっくに危険であると見なしているからこそ、僕がボディーガードしにきたんだ」

「そっか……」


 真の言葉を受けて、義久は納得して微笑む。


 千晶がテレビをつけると、ワイドショーでは相変わらずケイトの話題が取り上げられていた。


「ケイトさん、この件で未だ何も反論しないし、夫のヴァンダムも今の所は黙ったままだな」


 スハルトがテレビを見て呟く。


「あの人がこのまま黙っててるとは思えない」


 ヴァンダムを直接知る義久が、確信をこめて言った。


「でも前回のケイトさんへのバッシングでは、コルネリス・ヴァンダムはずーっと口出しせずだったんでしょう? 理由は、奥さんに釘をさされたからって、後述してるけど」

 と、スハルト。


「二回目ともなれば、もう黙ってはいられないだろうし、あの時以上に奥さんがピンチだからさ」

 と、義久。


「なるほど。正直ヴァンダムと共闘という流れだけは御免被りたいけどな。理屈じゃなくて、気持ち的に」 


 以前純子を晒し者にしているため、真はヴァンダムのことを快く思っていない。機会があったら殺してやりたいとすら思っている。


「さて、俺はそろそろお暇するよ。ああ、犬飼さんもこの件には関わってるから」


 義久が立ち上がり、真を見下ろして報告する。


「あの胡散臭い犬飼も絡んでいるのか」

「胡散臭いけど毒は無いと思うけどなあ」

「毒は相当あると思うぞ……。まあ憎めない男ではあるけどさ」


 毒のない人間が殺人倶楽部の創設などに関わるはずがないと思う真だが、その件は黙っておいた。


***


 貸切油田屋日本支部。今やすっかり互いに暇な時の雑談相手となってしまったラファエルとビトンが、今日もテレビを見ながら喋っている。


「いろんな方面からケイト・ヴァンダムへのバッシングが一斉に起こっているが、これも全て裏では我々の組織が動いているのか?」


 レイシスト達が暴れてケイトの写真を踏みつけたりチェーンソーで切ったり、ケイト象に火をつけて喚いている映像を見つつ、ビトンが疑問を口にする。


「全てがどうかはともかく、関与はしているだろう。そうでないと不自然だ。そして貸切油田屋がどこまで関与したかは不明だな。テオドールの直属の部下である、国境イラネ記者団の者も動いていると、私は見るけどね」


 ラファエルが言う。テオドールは貸切油田屋よりも、己が代表を務める国境イラネ記者団を身の置き場としている傾向が強い。それでいて国境イラネ記者団は自分の道具として扱い、デーモン一族内での地位の向上に必死という有様に、滑稽な矛盾を感じていた。


「常識的に考えればおかしい展開だが、世間はこれにあっさりとのせられてしまうのかな?」

「何をもって常識というのか、線引きも曖昧だな、それは。そもそもマスコミは常識など一切弁えないタチの悪い連中だというのが、世間での常識である一方で、一部の大衆はそれでいてなお、あっさりとその非常識でタチの悪い連中に踊らされてしまう」


 続けて疑問を口にしたビトンに、淡々と語るラファエル。


「テオドールが国境イラネ記者団の方に依存しているなら、こちらに救援を望むということもないか」


 ビトンにしてみれば、こんな汚い真似をする輩に力など貸したくないという心情であったので、ラファエルの話を聞いて少し安堵していた。


***


 一夜が明けた。


 昨日の夕刊にケイトの書評を載せた新聞社のサイトを見ると、昨日の夕刊のケイトの著書への書評に、事実とは異なる内容があったと謝罪文が載っている。


「たった一晩で撤回ですか。偽りであると読者さん達が指摘してくれたのでしょうか」


 ヴァンダム夫妻を前にして、勝浦が不思議そうに言う。


「それもあろうが、新聞社内のまともな人間が、実際に本を読んで偽りだらけと知り、裁判になったら勝てないと見て、早々に謝罪をしたのだろうな」


 そう言ってヴァンダムは新聞から目を離し、妻の方を見る。


「君はこうなることを読んでいたわけか」

「エエ。以前にも似たような事がありマシタ。日本デハなく、イギリスでの話ですケド」


 感心するヴァンダムに、小さく微笑むケイト。


「そろそろこちらも動くぞ。明日、私が記者会見を行う予定だ」


 表情を引き締めて告げるヴァンダムの言葉を聞いて、ケイトの顔が曇った。


「貴方ニ迷惑をかけたくはアリません。私のタメには戦わないでクダさいと、言ったデハありませんか……。あまり大きな騒ぎにしなイデくだサイ」

「言ったはずだ。我慢の限界がきたら、いくら君が止めようと、私は戦うとな。前は君の気持ちを尊重して我慢した。だが今回はもう我慢の限界は過ぎた」


 夫を止めようとするケイトだが、ヴァンダムは聞かなかった。


 止めても、今回は聞いてくれないであろうという予感はケイトの中にあった。そして自分のせいで、ヴァンダムに危険が及ぶやもしれないという、悪い予感も……

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