第三十二章 2

 少女の中で、世界は夜しかない。

 忌まわしい昼の存在など認めない。太陽などというおぞましいものが下品な光を放ち、空を穢れた青色で染める時間帯。そして人々がやかましく活動する、落ち着きのない腐った時間帯。あんなものは認めない。


 別に少女は吸血鬼というわけではない。しかし何も処置しないままで、日の下に出ることはできない。紫外線に弱い皮膚。色素性乾皮症。XPと略される疾患。

 彼女は遺伝性であるはずのその病を、後天的にその身に得た。言葉の言い間違いではない。彼女は呪いという形で、その病をその身に得たのだ。宿したと表現してもいい。


 彼女が己の身に宿した呪いはこれだけではない。両手を使っても数え切れぬ呪いを、幼い頃からその身に得て、様々な病や異常性を宿している。同性愛者になったのも呪いの影響であり、最初からそうだったわけではない。


 とはいえ、少女がその気になれば、魔術を己の身にかけて、紫外線から薄い魔力の幕で肌を守り、昼の太陽の下でも外を出歩くことはできる。


 薄汚れたエプロンをかけ、同様に汚れた作業着姿の少女は、今年で十七歳になる。実年齢に比べて、少し幼い顔立ちをしており、背も低い。顔は小作りでまあまあ整っているが、目つきは悪く、三白眼である。

 少し癖のある淡い赤毛の髪を、肩まで伸ばしている。肌は病的な白さだ。陽に当たることがない故でもあるが、それ以外の理由も幾つかある。コーカソイドの血が入っている事もあるし、他の呪いの影響もある。


 来客があり、赤毛の少女は玄関へと向かう。


「いらっしゃあい。幾夜の館にようこそぉ」


 少女が住む洋館に、客が訪れた。少女――幾夜ルキャネンコは目だけで客を見上げ、笑顔で出迎える。


 幾夜はあるものを売買している。今回の客は、売り手だ。幾夜はこの客に金を払い、あるものを買い取ろうとしている。

 顔に包帯を巻いたその女性客は、館の庭の異様な光景を目の当たりにして、恐々とした眼差しで、庭と幾夜を交互に見ている。


「綺麗な花達でしょう?」


 女性の後方の庭園を指し、幾夜は得意気ににたにたと笑う。


 庭園には無数の花が咲き誇っていなかった。花壇には花が沢山植えられている。しかし、大半が枯れている。枯れた花がそのままになっている。枯れかけている花やまだ枯れてない花も多少はあったが、おそらくすぐ枯れる。土はかさかさだし、水も肥料も全く与えられていない。花壇の上には屋根が備えられ、陽の光も雨も遮るようにできている。

 わざと枯らした花を敷き詰めた花壇。この異常なセンスだけで、館の主がおかしいことは理解できた。


 幾夜は女性を部屋に通す。苦しみや怒りや悲しみといった表情の絵ばかりが壁に飾られた、異様な部屋だ。棚には無数のフラスコが入っていて、棚の横には額のついた画板が大量に置かれている。


「さぁて、見せてぇ。貴女が受けた呪いを」


 椅子に座って向かい合い、赤毛の少女がねっとりとした口調で促す。

 女性が包帯を解くと、整った顔のあちこちに醜い痣が拡がっていた。


「あははは、これは傑作ねぇ。あははは、どうせ誰かの嫉妬とか、そんな類ぃ?」


 おかしそうに笑う幾夜に、女性は腹が立ったが、我慢する。今からこの少女が、この忌まわしくおぞましい呪いを解いてくれるのだ。


「悪いけどぉ、この呪いは大したもんじゃないし、私も欲しいものじゃないから、安く買い取らせてもらうわ」

「はい」


 途端に笑いをやめてつまらなさそうな顔になって告げる幾夜に、女性は神妙に頷く。


「五万円でいい~? 文句言うなら買わないけどぉ?」

「結構です」


 こちらが金を払ってでも呪いを解いて欲しいくらいであるが、彼女は呪いを買うと言う。

 幾夜ルキャネンコにとって、呪いは商売品なのだ。買い取りもするし、売りもする。何より、造ったものに呪いを込めて、そしてまた売る。そういう商売をずっと営む一族の、最後の一人である。


 ルキャネンコ家の本業は、銃の製造である。ルーツは十八世紀のロシアにまで遡る。先祖が少しでも威力のある銃を繕うと模索した結果、怪しい魔術に手を出し始め、銃に呪いを込めるという結論に至り、以後それを継承し続けている。

 呪いはルキャネンコの者が直接かけるのではなく、他より仕入れるという形を取った。ルキャネンコ家の者は、呪いを解くのではなく、呪いそのものを抽出して保管する事ができる。抽出した呪いを変質させる術すら心得ている。

 その結果、呪いそのものも売買するようになり、銃以外にも呪いを込めるようになった。


 非常に因果な商売。おぞましい生業。しかし幾夜はそんなルキャネンコ家に生まれてきたことを全く悲嘆していない。それどころか誇りにすらしている。


「こんな醜い痣、私にはつけたくないしね。そのままじゃ使えなさそうだから、一応ストックしておくわ」


 幾夜はそう言って、大きなフラスコと、額がついた何も描かれていない画板を、それぞれの手に取る。

 扱いづらい呪いはストックしておき、術で変質させて呪いのエネルギーだけを抽出し、別の呪いと混ぜ合わせるという事も、ルキャネンコ家の者には可能だ。


「ふむ。こっちかな」


 フラスコを見て、画板は無造作に放り投げる。


 幾夜が呪文を唱え始める。女性は胡散臭げに少女を見ていたが、わかりやすい変化が起こり、驚愕する。

 自分の顔から何かが抜け出ていくのがわかる。水色の靄のようなものが。それはフラスコの口の中へと吸い込まれ、やがて、フラスコの中で人の顔の形を作り、女性はぞっとする。


「やっぱり嫉妬の呪いね。無様な顔してるわ」


 フラスコの中に浮かび上がった顔の靄を見て、幾夜がにたりと笑う。確かに幾夜の言うとおり、妬ましげな顔をしている。


「鏡、見てごらんなさいな」


 幾夜に促され、鏡を取り出して見て、さらに女性は驚愕する。痣が綺麗さっぱり消えているのだ。


「あ、ありがとうございますっ。ありが――」

「はい、お金」


 女性が礼を述べるのを遮って、幾夜が紙幣を突きつける。五万円だ。


「そんな……私の呪いを解いていただいて、それでお金を払うんではなくて貰うなんて……」

「あ~、もうさぁ、その反応、飽きてるのよねぇ。私はねぇ、買ったのぉ。貴女の呪いをね。正直チンケな呪いだから用途も価値も低いけど、これは商売なんだから、しっかりお金払わさせてねぇ。私はねぇ、金を出してでも、呪いが欲しいのよ。その買い取った呪いで、もっと儲けることができるしねぇ」


 幾夜の説明に女性は何となく納得し、無言で頭を下げて金を受け取り、館を去った。


 幾夜がフラスコに蓋を絞めて棚に置くと、フラスコの中の靄が消える。見えなくなっただけで、中に封じられて保管された呪いが消えたわけではない。

 呪いはフラスコか絵の中に封じて保管する。呪いのタイブによって封じる器が異なる。


「んん?」


 怪訝な声をあげる幾夜。館の庭の仕掛けが、幾夜に警戒を促していた。


「ふぅむ……こぉれは珍し~。招かれざる客とはねえ」


 館の敷地内に侵入者があったことを察知し、幾夜が楽しげに微笑み、呟く。侵入者があれば察知できる術を、庭に施してある。

 過去に同様の事が無かったわけでもない。心当たりは幾つも有る。何しろこんな商売だ。人から恨まれずに済むわけもない。


 幾夜が懐から銃を抜く。何百年も前に使われていたような極めて古めかしいデザインのその銃は、水平二連式マスケトン短銃だ。海賊が使っているあの銃である。銃身が水平に二つ、引き金も二つ有る。マスケット銃より銃身が短く、片手で扱える。

 このマスケトン短銃は、ライフリング(弾丸をスピンさせて飛ばし、弾道を安定させるために、銃身内に螺旋状に刻んだ溝)も施されている現代仕様だ。もちろん幾夜が自ら工具で、直接施した。銃弾も雷管を使用している。銃口から直接弾を入れる先込め式ではなく、銃身を垂直に回転させて手前側から弾を込める元折式にしてある。見た目はレトロだが、実際の性能はレトロとモダンがごちゃ混ぜになった代物である。

 見た目も性能も改造も、面白半分による趣味であるが、引き金を撃てば弾は出るし、撃てば人を傷つけるし殺すこともできる。そして何より決定的なのは、銃に呪いがかかっているということである。


 幾夜は銃を引っさげて、足早に館内を歩き、玄関へと向かう。

 玄関に丁度着いたところで扉が蹴り開けられる。二人の男が飛び込んできて銃口を向けてきた。


「ようこそぉ、ルキャネンコ邸へ」


 笑顔で告げながら、幾夜は引き金を引く。呪いは銃弾に込められて撃ち出される。

 銃弾に宿りし呪いの矛先は、引き金を引く前から、照準の先にいる者へと向けられていた。


 一人はそれで片付けた。頭部を正確に撃ちぬかれて果てる。


 もう一人の刺客に銃口を向けるまでの間に、刺客も引き金を引く余裕があった。

 刺客の銃弾が幾夜の左肩をえぐり、幾夜の弾丸は刺客の頭部を見事に撃ちぬいた。


 幾夜の銃の腕など大したことは無い。並か、下手すればそれ以下だ。だが呪いの弾丸は、適当に撃っても概ね当たる。呪うが故に当たる。銃に宿った呪いが、勝手に弾道の修正をしてくれる。幾夜が殺意を向ければ、呪いが幾夜の手を動かして銃口の位置を定め、呪いが幾夜の指を引かせる。


 すぐ隣の扉を開き、部屋の中で身を潜めて、銃を折って開放し、排莢とリロードを行う。


 敵はまだいる。あと二人いる。裏口に回ったことを把握している。


 幾夜が銃を構えたまま歩く。少し歩いただけで、すぐに残りの二人とも遭遇した。


 先に敵から撃ってきたが、壁の陰に隠れて何とかやり過ごす。

 銃だけ出して二発撃つ。一発は当たったが、もう一発は外れた。


「痛っ!」


 己の身に衝撃と痛みが走り、幾夜は思わず叫ぶ。

 二発しか撃てない銃であるが、適当に撃っても高確率で当たる呪いの銃。しかし呪いは使用者も蝕む。高確率ではあるが、必ず当たるというわけでもないので、外れた際には銃弾の痛みと衝撃が使用者に降りかかる。ダメージにはならないが、痛みと衝撃はしばらく残る。戦闘中には大きなリスクとなる。


 銃を折り、薬莢が飛び出る。


「あー、気持ちいい……」


 歪んだ笑みを浮かべてそんなことを口走りながら、リロードする。別に幾夜はマゾヒストではない。ただの痩せ我慢だ。


 体を倒し、低位置から撃つ。残った最後の一人の喉が撃ちぬかれ、刺客は全て退けた。


「きっとまた来るよねぇ。さぁて、対処する最善の策は一つ……」


 呟きつつ、幾夜の脳裏にある人物の顔がよぎる。


 刺客から自分を守ってくれる、最も優秀な護衛組織。しかも刺客の雇い主の始末まで行ってくれるあの組織への依頼。これが最善の手だ。幾夜は以前にも依頼しているし、また、幾夜の方が依頼をされてもいた。

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