第二十七章 18
一夜明けた朝、胡偉はマードックに電話をかけた。
「マードック、お前が昨夜ボス殺したロシアの組織もな、一緒に戦ってくれるとさ。副首領が喜んでたよ。先代の跡継ぎの生意気な若造をよく殺してくれたってな」
『そりゃ重畳。警察が動く前に、うちらと抗争していた残り四つの組織を、一気に潰すとしよう』
「ああ、朝飯食ったら出陣だな」
スムーズに方針と予定を決め、電話を切る。
「俺がこんな無謀な戦いを挑もうとしていること、どう思う?」
「……」
同室にいた黄強に話しかける胡偉。黄強は答えに困り、黙ったままだ。
「質問の意味、わからんか? あるいは答えにくいだけか? もっと具体的に言おう。手下の前で散々、生きのびることが第一みたいなこと言っておきながら、そいつをのたまった御当人は、生存確率も低い戦いを挑もうとしているってことをどう思っているのか、聞いているのさ。言うことやることばらばらの糞爺とか、思ってねーか?」
「いや……そんなことは……」
黄強がつまらない反応しかし無いのを見て、胡偉は面白く無さそうに溜息をつく。
「自分でも戸惑ってる感はある。警察が絡んできて、カッとなってる部分もあるが」
「警察が?」
怪訝な声をあげる一方で、黄強は理解もしていた。
「知っての通り、俺は警察が大嫌いだからな。四十年もの間薬仏市で、悪党にやりたい放題させて、我が身可愛さに知らんぷり。そして市民には横柄な態度の税金泥棒ときた。マフィアなんかよりずっと悪党だろ。俺達はちゃんとリスクも犯して稼いでいるだけ、警察よりははるかにマシだ」
喋りながら胡偉はふと思う。警察が警察として機能しなかったことに腹を立てていたというのに、警察が今更機能しようとしている事の方に今また、腹を立てているという事に。
「痛っ……」
筋肉痛にさいなまれ、胡偉は顔をしかめた。一昨日の激しい訓練の疲れと痛みがまだ残っている。急にはりきりすぎた。
昔見た映画の1シーンを思い出す。体の自由が利かなくなった年寄りが、己が老いた事を哀しみ、人前でおいおいと号泣するシーン。あの時は年寄りという生き物の哀れさ惨めさに、嘲りや侮蔑の感情が沸いたものだが、今はあの年寄りの気持ちの方がわかってしまう。
(そうか……。俺はもう年寄りになっちまったんだなあ……。あまり意識してなかったのに、今更意識しちまった)
せめて日々の鍛錬を続けていれば、違っていたであろうにと悔やむ。体の衰えをもっと抑えられたに違いないと。
***
魂魄ゼリー本部ビル内にある食堂にて、異形なる者がイスに座っていた。
しかし魂魄ゼリーの構成員達は、すでにその異形を見慣れていた。毎日姿を見せていれば嫌でも慣れるし、風景の一つとして受け入れてしまう。
「ジャップップッ、ジャップップッ、ジャップップップッジャップップッ」
上機嫌に三三七拍子を口ずさみつつ、声に合わせてフォークでテーブルを軽く叩き続ける、人の手足が生えた小さなイルカ――アンジェリーナ。
「こらこら、お行儀が悪いですよ、アンジェリーナ」
そこに、皿を二つ両手に持った葉山がやってきて注意する。
「ジャァ~っプ」
しかしアンジェリーナはフォークを叩く行為をやめようとはせず、ますます面白がって連打する。
「ほーら、アンジェリーナ、今朝はスパゲティーですよー」
「ジャアァァップ!」
皿を差し出され、フォークを持った手を頭上に突き出して、歓声をあげるアンジェリーナ。
この姿になってから、アンジェリーナの性格はかなり変わった。感情がストレートになり、人目を憚る事無く豊かな自己表現を行えるようになった。大好きなイルカの姿となったが故に、思う存分自分を解放する事ができるのだ。
アンジェリーナには最早、人間に戻りたいという気持ちは微塵も無い。今の自分こそ理想系である。
この姿での生活もほとんど不自由は無い。葉山が大抵の面倒は見てくれる。イルカの形状では、トイレが少々厄介であるが、それももう大分慣れてきた。
「魚ではなく、パスタを食うとは、見上げたイルカだな。しかもその口で器用に食べるものだ」
食事を始めた所で、アドニスがやってきて同じテーブルにつく。彼の朝食は、各種サブリと日本食という、異質な組み合わせだった。
「アンジェリーナは見た目こそイルカですが、中味は人間ですし。あ、僕は見た目が人間で中味が蛆虫ですけどね」
「ジャップゥッ!」
葉山が説明し、アンジェリーナが嫌そうな声をあげる。
「そうか。仕事にも連れ回しているが、危険ではないのか?」
流れ弾に当たるという可能性もあることを示唆するアドニス。
「大丈夫です。アンジェリーナはとあるマッドサイエンティストに改造され、強力な再生能力を付与されていますから、ちょっとやそっとのことでは死にません。むしろ彼女を一人で放っておくと、何をするかわからなくて、気が気でなくなっちゃいます」
「ジャップゥッ!」
葉山が解説し、アンジェリーナが不服げな声をあげる。
「そうか。そもそも何でお前はそのイルカを連れているんだ?」
「えっとですね。僕は成り行きで、とある研究所の実験台として高額で雇われていたんですが、そこでこのアンジェリーナと会ったんです。彼女はそこで蛆虫以下の酷い扱いを受けていたので、可哀想なので、ギャラはいらないから僕が引き取ると訴えたんです。そしたらわりとすんなり研究所の人が了承してくれて、ギャラもある程度もらったうえで、アンジェリーナも解放できたという運びです」
「ジャァァァ~ップ……」
葉山が述懐し、アンジェリーナが切なげな声をあげる。
「そうか。お似合いのカップルだな」
「そうですね。蛆虫とイルカ。とても良い組み合わせです」
「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ、ジャアアアァァァァップ!」
アドニスの言葉に対し、葉山が照れくさそうに賛同する一方、アンジェリーナは断固として否定といった感じの声をあげていた。
***
見ろ苦慕殺の本部に、意外な人物が訪れた。
「お前がここに来るとはな」
応接間に通された身長2メートル越えの美女を見て、バイパーが意外そうに言う。部屋には真と阿久津と毒嫁もいる。
「まあ、あまりゆっくりもしていられないし、打ち合わせは手短に行おう」
警察の最終兵器――芦屋黒斗は言った。
「薬仏警察署の署員にも全員出動させた。非番の奴も引っ張り出してな。で、真っ先に最前線でマフィアと戦ってもらうよ。その背後にSATが着く予定だ。あ、俺はSATの中にいるかね」
黒斗の報告を聞いて、毒嫁は細い目を丸くして絶句する。
「おいおい……随分な英断というか……」
阿久津も驚きのあまり、言葉が上手く出ない。置物警察が無理矢理特攻隊へと仕立てあげられたのだから、無理も無い。
「今まで金だけもらってろくに仕事をしなかった罪深い奴等だからなー。代償として、一番危険な役目を担ってもらうさ。逃げる奴がいたら俺が撲殺する」
「最近の警察は過激だな」
バイパーが苦笑いを浮かべて茶化す。
「ああ、それと言っておくよ。警察にも面子があるから、裏通りと協力しあって戦うというのは中々難しい。こちらはこちらで勝手に戦うという形になるぞ。仮に連携するなら即興のみだ。それを報せに来たんだ」
「わはははは、ありがとうよ。それを教えてくれただけでも感謝するよ」
黒斗の言葉に、阿久津はかんらかんらと笑い、礼を述べた。黒斗は現時点で十分すぎるほど、裏通りである自分達に協力してくれているのにこの言い草が、阿久津にはおかしく感じられた。
「薬仏市の裏通りの組織にも、片っ端から声をかけておいたわ。魂魄ゼリーと事を構えていたわけじゃない組織ばかりだから、あまり期待はできないが、一応、な」
阿久津の方も報告する。
(同じことを向こうもしている可能性もあるな。でもそんなことをすれば、警察辺りは情報を掴んでいそうだが……)
真が疑うが、黒斗が何も言ってこない時点で、その可能性は低いのではないかと判断する。後に、疑念の方が正しかったと知る事になるが。
「警察が戦闘している場所には、お前達は組織を動かさないでくれ。ややこしいことになる」
「それは警察が不利になっても、助けには入らなくていいということですか?」
黒斗の言葉を受けて、毒嫁が問う。
「不利になるような事態があるのかねえ」
バイパーが皮肉げに呟く。黒斗が出てきた時点で、最早魂魄ゼリーの命運は決まったとさえ、見ている。
「助けに来なくていい。警察ってのは、民間人の命より警察官の命を重んじ、警察官の命より警察のメンツの方を重んじる組織だからな。裏通りの住人に助けられるくらいなら、きっと喜んで死を選ぶさ」
他人事のように、しかし痛烈な毒を込めて黒斗は吐き捨てた。己が所属する警察組織に対して忸怩たる思いも込めたうえで、苛立ちも混ぜていた。
「組織で同じ現場に駆けつけるのは駄目でも、個人レベルなら構わないだろ?」
「ん……まあな。それなら大目に見るよ。誤魔化しが効くし」
真の確認に対し、黒斗は微笑んで認可した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます