第二十四章 17

 翌朝。東京市内で起こった惨殺事件の報告を受けて、弦螺と志乃介は現場へと向かった。

 警官達が現場検証をしている最中、警官の一人が弦螺へと近づいてくる。


「先月と合わせて七件目。共通するのは獣にかきむしられ、食われたような痕跡。そして現場に落ちている猫科動物と思われる体毛です」


 警官は白狐家お抱えの妖術師であった。弦螺に事件のあらましを報告する。

 白狐に仕える妖術師達は、人外の事件が発生した場合に素早く察知して対処しやすいように、様々な役職についている。警官、軍人、政治家、実業家、果ては華族や皇族の中にすら存在する。


「さらに、ここを含めて自分が担当した二箇所で、妖気の残留も確認しました」

「うん、それは僕にもわかるよう」


 警官の報告に、場違いな明るい笑顔を見せて、弦螺は死体にかけられたシーツをめくり、原型を留めぬほど切り裂かれた血塗られた肉塊を見下ろした。


「相手は超常の領域にいる者と断定していいな」


 無惨極まりない屍を見下ろし、眉をひそめる志乃介。一方で弦螺は少しも顔色を変えていない。


「ところで志乃介さあ。僕に言わなくちゃならないこと、言い忘れてない?」


 笑顔で尋ねる弦螺に、志乃介が目を丸くする。志乃介の答えを待たず、弦螺は言葉を続けた。


「高尾山の麓で、女の子を一人保護した話、何で僕に報告しないのかなあ? 朽縄、働かなさすぎっ。妖怪にさらわれたけど、命からがら逃げてきた子の話だよう」

「かなわないな、お前には」


 志乃介が微苦笑をこぼす。この情報は朽縄の中でも、ごく一部にだけ知らされているものだ。


(その気になれば、白狐の間者が誰なのかも絞り込めそうなほどにな。やらないけど)


 堂々と間者がいることも示したうえで、その情報を開示しろと要求している弦螺に、その気も起きない志乃介であった。


「現時点で、大したことはわかっていない。背が低く青い肌の妖怪にさらわれた娘が、妖怪の中の地位の高い者に、生贄だか貢物にされかけたが、逃れることができたという話だ。話が聞けたのは現時点ではそれだけで、すぐに疲れて眠ってしまったらしい。娘が起きないことには詳しい話も聞けない。もう起きてるかもしれんが」

「国を乗っ取ろうとしている妖怪の一団とも、関係あるのかなあ~?」

「わからんが、関係が有るのなら、手がかりになるかもな」


 妖怪の中の地位どうこうという話の時点で、現状からはその可能性が極めて高いと、志乃介は見ている。もちろん断定するには早いが。


***


「灰龍よ、不味いことになった」


 獣之帝の側で、帝の世話と運命操作術の発動に専念しているはずの左京が、わざわざ灰龍の元に足を運んで、沈鬱な面持ちで報告する。


「どうした?」

「帝へ献上した娘の一人が脱走した」

「貴様の手落ちか? 左京」


 左京の報告を受け、灰龍は冷たい口調で問いただす。


「正確には逃がされた。他の娘に聞いた話によると、献上した娘はまだ幼かったが故に、帝の前で散々泣き喚き、哀れんだ陛下は、娘をわざわざ人里まで送り届けたというのだ」

「つまり貴様の手落ちだ、左京。帝に捧げる前に、娘の調教も済ませて然るべきであろう」


 冷たく言い放つ灰龍に、左京は言葉を失くす。


「思わぬ所から、我等の企みが露見するかもな。いや、柘榴豆腐売りが殺された時点で、もう見抜かれていると見た方がよいかもしれぬ」

「ならば柘榴豆腐売りが再び活動を行うのを止めなかった灰龍も、失態を犯していると言えるな」

「それは意趣返しのつもりかね? それとも揚げ足取りか?」


 左京の言葉に対し、表面上は全く感情を見せる事無く尋ねる灰龍。

 一方の左京はというと、灰龍にじっと見つめられ、明らかにひるんでいた。妖としての格が違う。相手は名の知れた大妖怪であるし、その気になれば自分など簡単に消し飛ばすほどの実力を秘めていることも、左京は知っている。


「私の失態だけをあげつらわれて、胸が悪くなっただけだ。こちらはこちらで必死に務めを果たしている。そのうえで気が回らない部分もどうしても出てくる。そのうえでの失態だ」


 それでも己の本心ははっきりと口にする左京。


「そうか。すまなかった」


 目を伏せ、頭を下げる灰龍。それを見て、左京も落ち着きを取り戻す。


「しばらくは帝に娘を捧げるのも控えた方がよい。もう十分にいるだろう。取って食うわけでもないのだし」

「承知した」

「それと、一応報告しておく。青葉が木島一族を連れて帝に会いに向かった」

「帝と戦わせるのか」


 灰龍の報告に、左京は内心残念に思う。久しぶりに獣之帝が戦う場面を見てみたかったが、丁度留守にしてしまった。


***


 腕斬り童子の長である青葉の案内に従い、十数人の屈強な体格の男達が、山の中を歩く。

 ここは高尾山。山中を歩く腕斬り童子の後ろにいるのは、木島一族と呼ばれる、名の知れた妖である。もっとも、青葉とは異なり、彼等は普段は人の姿をしているし、人の名を持ち、人の世に溶けこんで生活している。


「いくら人目につかぬ場所に潜むとはいえ、もう少し場所を選べなかったのか?」


 登山道から外れた山中を延々と歩くこと二時間、木島蝶治が文句を口にする。


「帝はこの地より離れようとせぬのでな。私に文句を言われても困る」


 木島一族の長、木島蝶冶の方に振り返り、苦笑いを浮かべて青葉が言った。


「いちいち会いに行くだけでこれでは、お前達も大変であろうに」

「一度会えば、その苦も喜びに変わる」


 確信を込めて言い切る青葉に、蝶治は鼻を鳴らす。


 蝶治達は、灰龍や青葉が頭と仰ぐ獣之帝の傘下に入る条件として、獣之帝が如何なる妖か見極めるため、まず獣之帝に会わせろと要求した。これに対し、灰龍は自信有りげに承諾し、手合わせをして見極めろとまで口にしたため、蝶治達は最初からそのつもりで、獣之帝の元へ赴かんとしている。


(あの灰龍が崇拝しているのだから、只者ではないことは確かであろうが……)


 蝶治とて、それくらいは察している。それでも直に会ってその力を計らねば、自分も一族の者達も、納得がいかない。


「着いたぞ」

 険しい斜面に開いた穴の前で、青葉が立ち止まった。


(洞窟……?)


 一見して洞窟に見えるが、どうも自然に出来たものではないように、蝶治達の目には映った。掘り返した横穴のようだ。実際、穴の中の地面は土であるが、明らかに舗装された跡が見受けられる。

 穴の中は明るい。どういう仕掛けか不明だが、壁がほのかに発光しているうえに、ほんのりと暖かい。


「この光る壁も帝の御業だ。太陽の光をここまで洞窟の中にまで運んでいる。夜になると月や星の明かりを運ぶが、雲に覆われている日は暗くなる」

「ふむ……」


 青葉の説明を受けながら、蝶治は内心舌を巻いていた。術がかかっているとして、その術が永続して洞窟内全てに作動しているとすれば、相当な力が必要と思えたからだ。

 通路を奥に進むにつれ、妖気が色濃くなってくるのを感じる。


(この気は……ただごとではないぞ)


 強烈な妖気にあてられ、蝶治は息を飲む。


 やがて通路を抜け、一向は巨大な広間へと出た。妖気が一際濃くなる。


 目の前に出現した広間を見て、木島一族は全員絶句した。山の穴の中に、光と緑に照らされた、楽園があったからだ。

 地面は色とりどりの草花で覆い尽くされ、所々に木までもが生えている。広間のあちこちには様々な種類の動物がいる。サル、リス、イノシシ、タヌキ、アナグマ、ムササビ、イタチ、ツキノワグマ、そして様々な鳥。驚いたことは、他の鳥や小動物を食うタカなどの猛禽類や、他の鳥やリスと同じ空間に共存していることだ。もちろんクマに関しても同様のことが言える。


 広間はかなりの広さがあり、天井も極めて高い。天井も光っている。


 奥には、複数の人間の姿があった。全員若く美しい娘だ。しかも半裸もしくは全裸の者が多い。

 娘のうちの一人が、異形と目合い、喘ぎ声を漏らしている。


「あれが……獣之帝か?」


 交合の真っ最中である、桃色の肌の妖に視線を向け、蝶治が青葉に問うと、青葉は無言で頷いた。


「くぅぅ……」


 奇妙な声と共に、妖は娘から離れて立ち上がり、木島一族へと向かい合った。


 肌は薄い桃色で、艶っぽく光っている。目と頭髪は赤く、頭からは桃色の角が二本生え、背中からは虫のそれを思わせる翅が生えていた。あどけなさを残した少年のような顔立ちは、極めて美しい。体の大きさや体つきも、人間の少年のそれで、大きいとは言えない。

 だがその体から放たれる膨大な妖気は、木島一族を一人残らずひるませていた。


「何という……」


 蝶治は震える声で呻いた。これから目の前の妖と戦うことを考えただけで、全身が恐怖に支配された。

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