第十九章 32
「これはどういうことですか? 自分達が何をしているか承知しているのか?」
防衛事務次官朱堂春道は、純子とヴァンダムの会談がモロにテレビで流れているのを見て、テレビ局に電話を入れ、冷たい声で問うた。
カンドービルでのグリムペニス学生メンバーデモ隊の放射線被爆は、特級報道規制案件である。もちろん雪岡純子に関わる事も。それらは全てのメディアにおいて、口を閉ざしてペンを置かなければならない事であるにも関わらず、そのテレビ局は堂々と生放送の電波で流している。
「全ての関係者の首が、文字通り胴から切断されかねない放送をしているのですよ?」
『しかるべき機関の許可は取っています。そうでなければ、この放送も即座に中止でしょう』
相手の返答には余裕が伺われた。虚勢を張っているわけでは無さそうだ。
さらに朱堂は安楽警察署にも電話をかける。
『貴方よりさらに上から要請があり、すでに動いています』
返ってきた奇妙な答えに訝る朱堂。
そこに電話がかかってきた。
『やあやあ、白狐眩羅(はくこげんら)だよう。おっひさしぶりぶり~』
相手はこの国の実質的支配者の一人であった。この国の霊的国防の一翼を担う大家である白狐家の当主でもあり、裏通りの管理者『悦楽の十三階段』のメンバーの一人でもある。そんな重鎮が電話をかけてきた用件といえば、このタイミングだと、この放送に関することしか有り得ない。
『えっとね、余計なことをしなくていいよう』
白狐弦螺は――まるで朱堂が何をしていたか見透かしていたかのように、そんな第一声を告げた。声は少年のそれだ。
『今日だけはやりたいようにやらせて、おっけー。ヨブの報酬他、複数のフィクサーがこの放送に予めお墨付きを与えているんだ。つまり、そういうこと』
「雪岡純子の方を切り捨てたと? 彼女を排除する方針が決定したのですか?」
雪岡純子を社会的に吊るしげたあげく、物理的暴力でも全力で抹殺しにいくのだろうかと勘繰る朱堂。
それはそれで危険な事態になる。実際デモの際にやった事は核テロと言ってもいい、恐るべき行為であったが、それすら黙認が必要だった。本気で事を構えるなら、もっと恐ろしいことをしでかすのは、目に見えている。
『そうじゃない。これは調教なんだ。悪戯の過ぎるロリババアへのお仕置きっ』
「ろ……ろりばばあですか」
予想外の表現を出され、朱堂は戸惑いの声をあげた
『あれえ? 純子の見た目年齢では、ロリというには歳が過ぎるかな? 見た目は十五歳前後といった所だから、その辺は意見が分かれる微妙なラインかなあ。もう少し見た目が若ければロリ確定……いや、そんなことどうでもいいか。えっとね、調教であり、牽制っ。まあ、朱堂さんは何もせず見守っていればいいよう。コルネリス・ヴァンダムと雪岡純子の戦いが、コルネリス・ヴァンダムの勝利で幕を閉じるのをねっ』
「わかりました」
声だけではなく喋り方も過度に子供っぽく、性格もお茶目でフランクな、この国のフィクサーの一人である人物の言葉に、朱堂は承服した。承服するしかなかった。
***
黒斗と向かい合ったまま、真はその場に佇んでいた。
戦って勝てる相手ではない事くらい、真にもわかっている。だが何もせず後ろを向くのは癪だし、できれば出し抜きたい。
(谷口陸って奴は、どうやってこんな奴からいつもいつも逃げおおせていたんだ……)
かつて斃した相手のことを思う。
「大丈夫だ。多分悪いようにはならない」
真の気持ちを察して、なだめる黒斗。
「現時点ですでに大丈夫じゃない」
真が言い、黒斗に向かって駆け出した。
(あいつが勝手に晒し者にされている事そのものが、許せない)
怒りは声に出すことなく、誰とも無く告げる。
黒斗が腕を動かす。真とは距離が離れていたが、真の腹部に向けて拳の衝撃が放たれる。
黒斗の能力の正体を知っている真は、際どい所でそれをかわすことが出来たが、そう何度もかわせるものではない。銃口と弾道を読むよりはるかにシビアだ。
(こいつ、何も考え無しで突っこんできているのか? それとも何か策があるのか?)
訝りながら、黒斗は二撃目を放つ。
真の鳩尾に黒斗の拳がめりこみ、真の体がくの字に折れて、前のめりに崩れ落ちた。特に策など無かった。
「糞……恨むぞ」
「いや、恨まないでよ」
毒づく真の傍らに移動し、黒斗はしゃがみこんで真の手に手錠をかけながら言った。
「しばらくしたら外す」
「しばらく恨む」
「そっちのしばらくはどのくらいだよ」
真の言葉に、微苦笑をこぼす黒斗だった。
***
(へーい、純姉。今やってるヴァンダムとのやりとり、テレビで全部放送されてるよ)
精神分裂体が純子のいる場所まで到着するなり、みどりはその事実を告げた。
純子の表情が変わり、目が驚きに見開かれる。
(こいつだよ。よいしょっと)
みどりが隠れて撮影するテレビ局のカメラマンを探り当て、その精神に干渉する。
「ひとつ出たホイのよさほいのほーい! ひとーりむすめとやる時にゃーっ!」
カメラマンが突然奇声をあげ、変顔でカメラを振り回して踊りだす。さらに放送禁止用語満載なヨサホイ節の春歌を歌いだしたので、隠れた他のスタッフが、カメラマンを止めに入ったが、押さえられる直前に、カメラを純子の方へと放り投げる。
純子は無言でカメラをキャッチし、次の瞬間、カメラが砂粒となって崩れ、砂粒は霧となって、跡形もなく消えた。
「ふむ。何故かわからないが、バレてしまったか。何をしたのかよくわからないが、ここまでか。まだ放送したいことはあったが、予定より早かったな」
目の前で起こった事態を目の当たりにし、ヴァンダムはそれでも満足げな表情で言った。
「ふーん……こういう手を使ってくるとはねえ」
無表情になる純子。ヴァンダムの狙いは大体理解した。怒っているわけでも、感心しているわけでもない。若干呆れ、興醒めしている。
純子が予想しえなかった手段だ。強引で、そして純子の趣味には合わない方法。馬鹿馬鹿しいとも感じるが、純子にとって全く打撃にならないわけでもない。
「放射線テロという空前絶後の暴挙が発生したにも関わらず、マスコミも報道を抑えられ、警察も逮捕できずにいて、不服だったようで、あっさりとこの騙まし討ちに協力してくれたよ」
さらに言えば、国内の内外問わず、オーバーライフのフィクサー達にも声をかけているが、そのことには触れないでおくヴァンダムであった。ひょっとしたらカメラは二台用意されているかもしれないし、今現在、この会話がお茶の間にも伝わっている事を考えれば、口にすることはできない領域だ。
「貴女が権力に根回しできるように、私にも同じことができる。もっと大きな権力を動かす説得ができるかどうか、これはそういう単純な話だ」
「こう言っちゃなんだけど、その説得がヴァンダムさんに可能だなんて、私は全く思っていなかったなー」
「それが慢心なのだよ。貴女のね」
ニヤリと笑うヴァンダム。
「しかし、貴女も驚いただろう? 失敗し、無理筋だとわかった手をまさかもう一度しつこく使うとは思わなかっただろう? 実際私は別の手段にシフトしてみせた。その手段そのものが、念入りすぎるほどのデコイでもあった。暴力に暴力で勝てる確証など無い。だがこの手段なら、勝てると思っていたよ」
最初にヴァンダムは、デモ隊を使って表から純子を攻めた。それが無理だと理解した後、ヴァンダムは裏から――暴力によって攻めると純子は見ていたし、実際にそうなった。しかしその暴力は純子の気を逸らすための囮であった。
「そんな囮が無くても、私は気付かなかったかもね」
「それはどうかな? 私が何もしなかったら、いくら何でも怪しんだろう。貴女の読み通りに合わせるのがベターだと踏んだ」
放送が中断されたのを機と見て、喫茶店内に警察官が何人も入ってくる。その中には純子の見知った顔も多い。先頭には梅津の姿がある。安楽市警察署の名だたる猛者達の姿が勢ぞろいしていた。
暴力禁止と謳われた場所だが、それは裏通りの住人に限ってのことであり、警察までそれに従う謂われはない。
「やりすぎだ、馬鹿。俺も今のお前さんの肩を持つ気にはなれないわ」
梅津が純子の側に寄り、不機嫌そうに告げる。手錠を取り出す梅津を、ヴァンダムが手を上げてやんわりと制止し、さらに言葉を続けた。
「この国のお役人さんは、こうして貴女を無理矢理世間に晒し、逮捕すれば、もっと危険なカウンターが待っていると言っていた。だからこそ動けないとね。しかし、だ。果たして貴女は本当に暴走するのかな? 手当たり次第に無差別テロでも行うか? そんなことをしたら、次はこの国の国民全てが敵に回り、さらには世界中の人間が敵に回るかもしれないぞ? 貴女の存在、貴女の悪行が、白日に晒される――これが最も重要なのだ。晒されたら報復されるから晒せないと怯える者達もいたが、一度人前に晒してしまえば、それも通じまい。今、貴女は社会の敵として認知された。そうだろう?」
(次は――か)
ヴァンダムの言葉に、純子は小さく微笑む。
まだ機能しているかもしれない隠れたカメラを意識し、ヴァンダムは一つ嘘を口にしている。純子もそれを見抜いた。『次は』という台詞を意識して口にした事から見ても、それが嘘である事は明らかだ。ヴァンダムは心にも思っていない。
純子の悪行が表通りに暴露されたとしても、これまで通り、公的機関と報道機関の動きを封じることはできる。だからこそ、次がある。
(でもその台詞をこの場面で口にしちゃっていいのかな? 私を意識した言葉みたいだけど)
と、疑問に覚える純子。
ちなみにヴァンダムは、テレビの放映が邪魔された際の保険として、ホルマリン漬け大統領にも撮影するように促していた。こちらは純子の許可もとってあるとはいえ、所詮は純子と敵対する組織であるし、映像を流出させる事もできるだろうと考えて。
「こんな方法に引っかかるとはねえ……」
肩を落とす純子だが、その表情は別段悔しがってもいないようだ。
「うむ、単純でくだらない手だ。しかし有効だった。私が現時点で思いついた唯一の、実行できうる有効と思える手だ。好奇心は猫をも殺す。君は好奇心に釣られるタイプだと思っていたから、私は利用した。それだけだ。合理的にカタをつけた」
最初のプランは違った。勝浦を利用して誘き出し、うまいこと会話を誘導して悪行を暴露させる計画だったが、それができなくなったので、堂々と話し合おうと呼びかけてみたら、あっさりと純子が乗ってきたのである。
梅津によって、純子の手に手錠をはめられたが、それでもなお、ヴァンダムは話しかける。
「しかしあっさりとかかったのは、傲慢が招いた油断だろう。君が私を見くびっていたおかげによる勝利だな。自分は絶対に暴力でも権力でも、負けないという自信があったか? 確かにそれはそうだろうが、まさか同じ手を諦めずに二度使うとは思わなかったか? あるいは私がそこまでやるとは思っていなかった? 取るに足らぬ愚物だと軽く見ていたのかな? いずれにせよ、千年以上生きた魔女とやらも、たかが知れているな」
「でもさ、口で言うだけなら簡単だし、単純なハメ方には見えるけど、実際ここまで実行できる力を持つ人は、そうそういないと思うよ。予め根回しするのだって大変だったでしょー? 恐らくは、相当な力を持った秘密結社にも呼びかけしただろうし。例えば『ヨブの報酬』とか」
純子の読みは当たっていたが、ヴァンダムは触れることは無かった。
***
逮捕され、警官隊に脇を固められ、カンドービルの外へと連行される純子。
「そのさあ、手錠を隠すのはいいよー。拘束しているのが人権無視の構図だからとでも言うのかな?」
手の周りにコートをかけられた状態な事に対し、純子は軽く不服を口にする。
「でもやらないと、うちらが非難されるんだよなあ」
梅津が渋い顔で言う。
いつの間にやってきたのか、複数のテレビカメラが回っている。
(うわー、すっごーい、ニュースで散々見た連行される犯人になっちゃってるよ、私。こんな貴重な体験できるなんて)
そのテレビカメラに向かってにこにこと愛想よく笑いかけながら、浮かれている純子だった。
***
斉藤白金太郎の淹れた茶を飲み、雨岸百合は満足そうに吐息をつく。
「良い茶ですこと、白金太郎」
「勿体無きお言葉ですっ」
称賛する百合に、白金太郎は背筋をぴっと伸ばし、深々と頭を垂れる。
『臨時ニュースをお伝えします』
同じリビングで睦月と亜希子が、テレビ番組の幼児向けアニメを見ていたが、突然ニュースへと切り替わった。
『先程、国内で放射性物質を用いたテロを行い、環境保護団体グリムペニスのメンバーを被爆させた容疑で、雪岡純子容疑者を逮捕しました』
「ぶっ!」
百合のよく知る顔がテレビに映ったのを見て、しかも逮捕されてカメラに向かって笑顔を振りまいていたので、百合は驚きのあまり盛大に茶を噴出した。
「見たか!? 睦月! 亜希子! 百合様が茶を吹く貴重なシーン! 俺はしかとこの目に焼き付けたぞ!」
それを見て、白金太郎が喚きたてる。
「何で純子、逮捕されちゃってるのよ……。ていうか、何で逮捕されてるのに、あんなに嬉しそうな顔してるのよ……」
「まあ純子だし……」
唖然とした表情で亜希子が言い、睦月が自分でもよくわからない台詞を口走る。
「あの子……一体何をやっているのかしら……」
口元の茶をハンカチでぬぐいながら、百合も亜希子同様に唖然とした顔で呟いた。
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