第十八章 30
遊技場とやらはガラス張りの球状のホールとなっていて、そのガラス球を縦横に取り囲むようにして客席が並んでいた。
球の中には、何本もの幅の狭い橋がかかっている。橋は同じ高さに同じ角度でかけられているのではなく、それぞれ異なる高さ、異なる方角へと、ばらばらにかけられている。
球の中の闘技場にて、塩田、紺太郎、零の三人はすでに待機している。三人とも異なる橋にいる。
「なるほど。一対一を三つという組み合わせか」
真が零を見据えて呟くと、扉の前へと移動する。
扉が開く。零が真に向かって、人差し指で自分の方へ来るよう合図をする。
階段を上り、最も高い橋の上にいる零の元へと向かう真。
睦月と亜希子も中へと入る。
「睦月は俺の方だ」
紺太郎が睦月を睨み、声をかけた。最も低い場所の位置する橋にいる。そして睦月と亜希子は気がついた。球体闘技場の底は、液体が湛えられている事に。
(酸なんだろうねえ。やっぱり)
不敵な笑みを浮かべながら、睦月は紺太郎の指定に素直に従い、同じ橋へと移動する。
「じゃあ私はあのおじさんね」
球体闘技場の中に、十本以上かかっている橋の中でもほぼ真ん中の高さの橋にいる塩田を見上げ、亜希子は言った。亜希子は階段を上がっていくと、塩田とは同じ橋には上がらず、塩田の橋とほぼ同じ高さで、向きが異なる橋を選んで上がる。
***
「すんなり指名に従ってくれたなあ。じゃあ始めようぜ」
ジャケットのポケットの中から、水風船を幾つも取り出す紺太郎。
「あはっ。逃げ場が無いし、すぐ終わるんじゃない?」
睦月が蛭鞭と蜘蛛を同時に出す。単に挑発しているだけではない。この狭い足場では、前後に下がるしか回避ができない。上の橋にいる者は下に降りて来る事もできるかもしれないが、睦月と紺太郎のいる橋に、下は無い。
(俺は鞭で上がる事もできるけど……ねっ!)
睦月が鞭を振るい、紺太郎との戦いの火蓋が落とされた。
鞭が唸り、紺太郎の顔面を直撃するかと思われたが――
見えない何かに阻まれ――いや、絡まって、鞭の動きが鈍り、紺太郎のいる場所まで届かず、あらぬ軌道へと逸れる。
さらに思いもかけぬ事態が起こる。睦月の頭上から大量の水が降ってきたのだ。睦月のいる場所だけではなく、その周囲一面に。
「塩田のおっさんから借りてきたんだ。貴重な髪の毛をさ」
紺太郎が笑う。
(なるほど。上下に鋼線化した髪の毛を張り巡らしていたわけか。それが引っかかると、上の橋の底に仕込んだ水が振ってくる仕組みで)
見上げると、橋の底に無数の水風船が取り付けられていて、その一部が破裂している。
紺太郎が笑いながら指を鳴らすと、睦月に降りかかった水が酸へと変わり、睦月の服と体を溶かした。
***
「下は酸だから落ちないように気をつけろよ」
注意しながら塩田がバーコード状になった髪を伸ばし、亜希子に仕掛けた。
亜希子は小太刀を抜き様に振るい、自分に向かって降り注いだ全ての髪を切り払った。
「禿げる前に死ぬか、禿げた後に死ぬか、どちらかなァ?」
にやにやと笑い、小太刀を構える亜希子。
「殺す気は無いよ。ここでしばらく足止めだけしておけばいいだけだ。八つ裂き魔以外を手にかけたいとも思わないしね」
真顔で言い放つ塩田。
「私はおじさんのことを言ったつもりだったんだけどね」
亜希子の顔から笑みが消える。同時に亜希子の殺気も消失する。確かに相手から殺気も感じられないし、相手に殺す意志が無いとまで言われると、自分もその気は無くなってしまう。
「でもこんな場所で戦って、下が酸だっていうのなら、お互い殺す気が無くてもうっかり死にそうよね~」
言いつつ亜希子がすり足で少しずつ塩田と距離を詰めていく。
「はあああああっ!」
やにわに塩田が腰を落とし、両手の拳を腰の横で握り締めて叫んだ。
「最終奥義! リーンカーネーション・ヘアー!」
技名を叫んだ直後、塩田のバーコード状だった頭部に、驚異の変化が見受けられた。
「嘘っ!? ふさふさ!」
塩田の頭部が黒々とした頭髪で覆われたのを目の当たりにして、亜希子が驚愕の叫びをあげる。
「まさか……あの髪全てが……」
バーコード状になった薄い髪だけでも手強かったのに、一気にふさふさになった髪の全てが、伸縮硬化して襲い掛かってくることを考えると、戦慄を禁じえない亜希子であった。
***
睦月と亜希子が戦闘状態に移った一方で、真と零は戦おうという気配が互いに見受けられなかった。
かつて一度戦ったことのある間柄であり、途中で零が逃亡したとはいえ、明らかに勝負はついているが故、真の方がかなり精神的優位にある。
「お前まだ女専門の殺しとか、屈折したことしてるのか?」
いつも通りの淡々とした口調で話しかける真。
「女を殺した時の罪悪感はひどいものだ。そして罪悪感にうちひしがれる感覚は、快楽の一つだ。まあ、男はいくら殺しても罪悪感は無いから、お前を殺してもその感覚は無い。だが真、お前を殺せば、それとは違う快感が得られるのは間違いない」
嬉しそうな笑顔で、零は語る。真が零のこんな爽やかな笑顔を見るのは、これで二度目だ。一度目も、真と戦う前に見せていた。
「どうせ危なくなったらすぐ逃げるんだろう? この間のように」
「それは誰でも同じことだ。退く時には退いて、次の機会を伺う。臆病者と罵られても、生き延びる事の方が重要だ。維持を張って死んだらそれまでだ。とはいえ、ここから逃げるのは難しいが」
この狭い足場では、難しいどころか不可能に近いと、真は感じた。橋から階段へと移動してからも、扉までは、狭い階段と通りを抜けねばならない。
「話が噛み合ってないな。僕はお前が負けて逃げ出すと見切っているから、どんなに大口叩いても、滑稽だと言ってるんだ」
不可能に近いと感じつつも、あえて逃げる前提で煽る真。
「口の達者な餓鬼が、大人に噛み付く構図の方が、第三者の目から見ると滑稽だぞ」
「くぐってきた修羅場の数も質も僕の方が上だと思うぞ? 年齢だけ無駄に重ねた方が偉いのなら、さっさとそれを証明してみるといい」
挑発合戦は真の方に分が上がった。零の顔から笑みが消え、視線に明らかな怒気が宿る。
横には避ける事は全く出来ない狭い足場。互いに得物は銃。単純に早撃ちだけで勝負が決まるかもしれないし、あるいは同士討ちの可能性もある勝負となる。
真と零、ほぼ同じタイミングで銃を抜き、撃つ前に二人して同じ方向へと動いた。即ち、橋の下へと。
***
真達三名が闘技場の球体の中へと入って行くのを確認してから、犬飼は移動した。
犬飼が向かったのは、遊技場のコントロールルームだ。中からでも扉の開閉くらいの操作はできるが、この施設の仕掛けをもっと動かすには、コントロールルームで行う必要がある。
この施設自体おんぼろで、いつ崩れるかわからないという理由で廃棄されたものだが、施設のシステム自体はまだ生きている事は、球体の中に入る扉が動いた事でも、照明がついている事でも、証明されている。
「やっぱりここは手つかずか」
コントロールルームに着いた犬飼が呟き、虹彩認証を行い、扉を開く。
「ホルマリン漬け大統領の施設には必ず自爆装置がついているからな」
呟きながら、犬飼は中に置かれた機材を弄り回す。
「えーっと、これかな? 時限式だが、うまく作動するかな? 作動するかどうかも運次第。作動して、ちゃんと脱出できるかどうかも運次第。さて、どうなることやら」
自爆装置をタイマーでセットし、一人ほくそ笑む犬飼であった。
***
ホルマリン漬け大統領の施設の前で止めた車の中にて、純子はみどりに投影してもらっている映像を見て、思案する。
(百合ちゃん何考えてるのかなあ。ただ数字合わせでバランス取ろうとしているだけなのかな)
百合の子飼いとなっている零がこの場にいることに、純子は若干気にかかった。
(零君も百合ちゃんにとっては、使い捨ての駒って認識なのかなあ)
純子にとってはどうでもいいことだが、零は零で、それなりに高い能力を持つし、それをあっさり使い捨てるからには、百合はそれ以上の手駒を多く揃えていると見なせる。
(んん? 犬飼さんがいなくなっちゃったわ)
純子の隣の席で目を瞑って、中の様子を映像化して純子の前に映しているみどりが、不審がる。
(探しに行こうにも、精神分裂体は一つしか放ってないし、この術行使しながら追加ってのも面倒なんだよね)
そう思い、犬飼の行方を知るのは諦める。
「ていうか、一対一の三人分だから、カメラ一つじゃ足りないねえ」
と、純子。
「へーい、今から追加するの面倒だから我慢して~」
「うん」
みどりに言われて純子が頷いたその時、二人は何者かの気配を感じた。
「咲ちゃん」
純子の言葉に、みどりが目を開く。咲が建物に入っていくのを二人は目撃する。
「へーい、純姉。あの人明らかに普通じゃねーよォ。憑依されてるわけじゃないけど、近くに力霊っぽいのがいて、超常の力で精神干渉されてるんだわさ」
「んー、残念だけど、ここで黙って見物していないで、追いかけていった方がいいかなあ。みどりちゃん、咲ちゃんを操っている霊の除霊、お願ーい」
「オッケイ、純姉」
二人の少女は、車から降りて建物へと向かった。
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