第十八章 28
朝。ホテルワラビー。
咲が借りた部屋は、ドアが開けっ放しになっていて、中には誰もいなかった。ホテル内を探してもおらず、犬飼で電話をかけてもでない。
ロビーにて四人で向かい合い、失踪した咲について語り合う。
「このタイミングで何も言わず突然いなくなるってのは、どう考えてもおかしい」
神妙な面持ちになる亜希子。
「電話にも出ないし、さらわれたのかもな」
指先サイズの携帯電話を弄びながら、犬飼が緊張感に欠ける声と面持ちで言う。
「昨夜、ホテル中の部屋でノックしまくって、その子の名を呼んでいた子がいたそうですよ」
ロビーにいたホテルの従業員が声をかける。
「どんな奴?」
睦月が尋ねる。
「坊主頭ということぐらいしか。昨夜苦情が入って、様子を見に行った頃にはいなかったようで」
坊主頭という単語を聞いて、睦月と亜希子が顔を見合わせる。白金太郎のことが嫌でも思い浮かぶ。
「心当たりがあるのか?」
二人の様子を見た真が問う。
「一応……。でも彼が人さらいとか、何かキャラが違うというか……」
口では否定気味な亜希子だが、内心、百合の命令とあれば、白金太郎は何でもやりかねないとも思っていた。
「ああ、そうだ。追加で行方不明とか拉致監禁されたら困るから、犬飼さんも番号教えてよ」
亜希子が犬飼に向かって要求した。
「俺までさらわれるのか? そもそも咲がさらわれたとも決まってないし、さらわれるにしてもどういう理由だよ」
一応亜希子の番号交換に応じる犬飼。
「真面目な話、非戦闘員のあんたが一番危ない気もする。人質にされる可能性はあるだろう」
犬飼の方を向いて真が言った。
「おっさんが人質に取られて、若者勢に助けられるシチェーションも、悪くないな」
犬飼が微笑み、肩をすくめてみせる。
「あ、零からメール」
亜希子がディスプレイを空中に映し、メール内容を確認する。
『睦月を狙う木村と塩田の二人と共にいる。俺も暫定的に睦月の敵側に着く。指定する場所に来い』
書かれていた内容を見て驚き、亜希子はディスプレイを反転させ、他の三人にも見せた。
「何これ……。どうして零が敵に回るのよ」
「あはっ、バランスを取るためだろ。百合の差し金だよ」
百合の采配であろうと察する睦月。
「ちょっと睦月……真の前でママの名前……」
「もう全部教えたよ。隠しておくのも面倒だしさあ」
さらに驚く亜希子に、睦月はさらっと告げる。
「早坂が敵に回るのか」
ようするに零もまた、雨岸百合とやらと繋がっているのだろうと、真は見てとる。
「しかしよりにもよって、決闘場所がそことはね」
指定場所を見て、犬飼が何故か皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
「この指定場所って有名な所?」
「その昔『ホルマリン漬け大統領』が作った殺人遊技場の一つだ。あ、ゆーぎのギは技の字な。昔の映画のあれは戯言の戯であったが、こっちは商売も絡んでいるせいで、こっちの字が適切じゃないかってことで、こう名づけたんだそうだ」
亜希子に尋ねられ、犬飼が笑みを張り付かせたまま、解説する。
「詳しいようだが、あの下衆組織の会員か?」
「んー、まあ……小説のネタに……ちょっとね」
鋭い視線を向けられて真に問われ、言葉を濁す犬飼。
(組織の一員という可能性もあるか。あるいは客か)
疑念を抱きつつも、真は犬飼のことをあまり警戒していなかった。一応みどりが気を許している人物だ。
「私、零とは戦いたくない」
亜希子が躊躇いがちに言う。
「あいつは僕とやりあいたいんだろうし、遊んでやるさ」
と、真。
「二人に殺し合いもしてほしくないけど、どうにもできないのかなあ。どっちも私の友達だし」
「危険と判断したら無理せずに引く奴だ。しかし手加減できるような相手でもないし、手加減する気も無い」
真にきっぱりと言われ、亜希子は諦めた。こういう世界だと、心の中で割り切っている。ともすると、真と自分が殺し合いになることもあるだろう。
***
ネットカフェの一室で、咲は机の上にそれを置いて、ぶつぶつと独り言を呟いていた。
否――独り言ではない。咲は会話していた。机の上に置かれた鯖島の生首と。
「そうよね。どっちつかずが一番苦しい。一つの考えに振り切るのが一番楽でいいよね。姉さんは間違ってる」
かつて華は咲にこう述べた。一方の考えに極端に偏るのはよくないと。咲もその時は同意していたが、今ではそうは思わない。
「許すか、憎むか……。許すことはできそうになかった。憎しみに染まるのは、こんなにも楽だった。解放された。あははは」
それは鯖島の憎悪の共有の効果を受けたからこそであるが、咲にはわからない。
鯖島の霊に憑依されたわけではないので、一見理性を失ったかに見える咲であるが、実の所理性も自我も残っている。単に感情が憎しみ一色で染まっただけだ。もちろんそれは人として正常な状態とは言い難いが。
咲は睦月を殺すことに、もう躊躇いも無い。法も倫理も、どうでもいい。睦月の事情など最もどうでもいい。殺人鬼の分際で同情できるはずもなく、情状酌量など与えようがない。
『俺の無念、晴らしてくれ』
鯖島の生首が口を開く。
「ええ、ちゃんと貴方の前で殺してあげる。私を楽にしてくれた御礼にね」
咲が笑顔でそう告げたその時、電話が鳴る。
『睦月とケリをつける舞台が整いましてよ』
聞き覚えのある声がする。頭の中で六枚翅の紫の蝶が舞う。
『時間と場所は――』
「早く教えて」
百合と咲の言葉がかぶり、はやる咲の声を聞いて、百合は電話の向こうでおかしそうに笑った。
***
塩田は常日頃から、一人娘に鬱陶しがられていた。
「父さんてさあ、本当見た目がまんま親父なんだよね。頭バーコードだし、短足小太りで腹出てるし、眼鏡かけてるし。何より許せないのが『よいしょー』とか言う所っ。トモちゃんの父さんなんか、父さんより年上なのに、どう見ても三十台くらいに見えて、背高くて、ファッションにも気遣ってるし。父さんもちょっとは見習ってよっ」
ある時娘にそんなことを言われて、一体どう見習えばいいのかと、真剣に困ったものである。そこで真面目に困って、どうにかしようと考えるあたりが、塩田の人間性でもあった。
あれこれ努力はしたが、どうにもならなかった。眼鏡をコンタンクトにしようとしたが違和感がありすぎてやめた。カツラは今更感がありすぎる。職場の同僚に『塩田さんカツラにしたんですか?』と言われることを考えると、嫌すぎる。背を伸ばすために毎日牛乳を飲み続けたが、もちろん足は短いままだった。
唯一どうにかなったのがダイエットだったが、脂肪が筋肉に変わった程度で、体型の変化は無かった。腹だけは引っ込んだが、スポーツジムに通い、筋トレに打ち込みすぎた結果、筋肉太りしてしまった。
「ごめん、父さん……頑張らなくていいから。『よいしょ』言わなくなっただけで十分だから」
眼鏡バーコード頭短足のまま、日に日に筋肉だけが無意味に逞しくなっていく塩田を見て、娘は申し訳無さそうにそういった。
「父さんのその生真面目な所だけはちゃんと尊敬してるからさ」
そう言ってフォローした娘の笑顔が、今も塩田の脳裏に焼きついている。
(復讐など愚かな行為かもしれないが……)
トレーニングもやめて、再びぼよんぼよんになった腹の脂肪を掴み、塩田は微笑む。
(真面目だけが取り得のおっさんの意地を見せて、天国のあいつを見返してやろう)
復讐を果たしたら、塩田は出頭するつもりでいた。妻は二ヶ月前に他界しているし、失うものも守るものも無い。
「何ニヤニヤしてんだよ、塩田さんよー」
打ち合わせの最中、一人上の空でにやついている塩田を、紺太郎が気色悪そうに見ながら声をかける。
「おっと、失礼」
謝るものの、にやけ顔はそのままで打ち合わせに臨む塩田であった。
「戦う場所がこのように狭い足場だし、一対一を三つの組み合わせにして行う」
零が提案する。
「でも敵は五人もいるんだろ?」
「決闘場の扉を開け、三人だけ入るように宣告する。扉は中から操作できるようだからな」
尋ねる紺太郎に、零が答える。
「組み合わせは、俺が相沢真。これは譲れん。能力的な相性の問題を考慮し、睦月は紺太郎。済まないが塩田氏は残りの一人を担当してもらおう」
「あんたにダメ出しされても、俺は睦月を相手にするつもりだがね」
「私はそれでも構わんよ」
零に仕切られているのが気に入らない紺太郎が吐き捨てるのを見て、塩田は小さく微笑んで頷く。
「何がおかしいんだよ、おっさん」
それを見てさらに噛み付く紺太郎。
「おかしくて笑われている自覚くらいはあるのか」
余裕を持ってさらに笑う塩田を見て、紺太郎はむくれてそっぽを向く。
「別に馬鹿にしたつもりはないよ。ただ、可愛いなと思ってね」
「いや……それ馬鹿にしてるだろ」
「殺された私の娘もね、君みたいにやたら粋がるし、目上の者を目上と思わず言いたい放題言う子だったから、少し懐かしい気持ちもあった」
「……」
塩田の言葉に、紺太郎ははっとする。
「ちっ……これだから辛気臭いおっさんは……」
「娘にも同じことをよく言われたよ」
決まり悪そうにそっぽを向く紺太郎に、塩田は微笑んだまま言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます