第十五章 30

 移動中、俺はほのかが口にしていた上っ面に惑わされるな論が、ずっとひっかかっていた。


 人が人を傷つける行為そのものに、俺は昔から腹を立てていた。そんなことをするような世界を作り上げた神様に腹が立っていた。

 人を傷つける糞野郎共、全部俺の前に来い。全部俺が殺してやる。そんなことをいつも考えていた、すげえ馬鹿で青臭い俺。


 結局上っ面に振り回されるせいで、人は余計な苦労をし、差別し、傷つけなくてもいいのに傷つけ、傷つかなくてもいいのに傷つくのではないかと、俺はタクシーの中でそんなことを考えていた。

 神様はあえて人間を愚かに創った。何でだろうな。それが神様にとって楽しいからか? そうなんだろうな。悪趣味な神様。心底軽蔑に値する。


 タクシーは住宅街の中で停車した。こんな所に奴等が潜んでいるのか?


「ここだ」


 少し歩いた所でシルヴィアが指したのは、住宅街の中にある六階建ての薄汚い雑居ビル。俺とほのかが襲撃した放たれ小象のアジトも古い雑居ビルだったが、こっちはさらに古めかしい。


「へえ、ここにいるんだ」

「知っている場所なのですか?」


 意外そうな声をあげる純子に、ほのかが尋ねる。


「掃き溜めバカンスのアジトだった場所だねえ。一度来たことあるよー」


 懐かしい名だ。掃き溜めバカンス――殺し専門の組織ということで、裏通りでも恐れられていた存在だが、雪岡純子の殺人人形と呼ばれる殺し屋――相沢真一人の手によって壊滅させられたという話は有名だ。

 放たれ小象がライバル組織の肉殻貝塚を潰す際に依頼した組織でもある。その跡地に潜むとはね。

 余談だが、掃き溜めバカンスの構成員には知り合いが一人いた。田沢という名の博徒だ。何度もギャンブルをやりあった仲で、一緒に飲んだことも有る。年齢差はあったが、気は合った。おっさん同様に、気さくで豪放磊落な御仁だった。


 これで最後にしたいもんだ。立川と、残りマウス一匹と、そして蛆虫男の葉山と、雑魚も何匹かまだいるか?


「誰一人死なせたくない」


 俺は思わず声に出して呟いていた。女共三人もしっかりと耳に入ったはずだ。

 恥ずかしいな。俺のキャラじゃないだろ、こんなこと口走るのは。くさいくさい。実にくさ台詞。だが本心だ。


「私も?」

 冗談めかして純子が聞いてくる。


「お前のことは忌々しい奴だとは思っているが、助けてももらっているからな。死んでほしいとまでは思ってない」


 純子の方を向く事無く、俺は言う。

 ここにいる三人の女とは、特に深い付き合いでも長い付き合いではない。会ったばかりだ。しかし仲間として戦う間柄なら、死なせたくないのは当たり前だろ。わざわざ声に出して確認することでもないし、考えるまでもないはずなのに、何故か俺は、すげえ気合い入れちまってる。

 俺ってこんなに青臭い奴だったか? そういうキャラだったか?


『遼二さんはやっぱり凄く優しい人なんですね。自分より他人の痛みに敏感で――』


 昨夜の戯言を思い出し、俺はほのかを一瞥する。

 ほのかは――嬉しそうに微笑みながら俺を見てやがった。糞っ……。


「行こうぜ」

 俺が声をかけ、歩き出す。


「ああ、でも先頭は俺だ。俺はそういう役割だからな」


 不敵な笑みを浮かべたシルヴィアが、肩に担いだ古臭いデザインのライフルを肩にぽんぽんと叩いて弄びながら、俺を押しのけて前を歩く。

 護衛屋としてのいつもの立ち位置ってわけか。別に今日は誰を護衛するわけでもないだろうに。


***


 雑居ビルの中へと入り、狭苦しく急な階段を上る四人。

 先頭はシルヴィア、最後尾は純子だ。純子は放たれ小象との争いには手出ししないと言っていたから、後ろから奇襲された時は、純子の前を歩いている俺が真っ先に対応するよう、身構えてかないといけない。


 裏通りの組織のアジトに攻め込む際は常識だが、エレベーターはあっても使わない。当たり前だ。出てきた瞬間蜂の巣だしな。このビルには、エレベーターそのものが備わっていないようだがね。


 二階へと上がったところで、階段の上から殺気が漂ってくる。お出ましだ。


 階段が狭いので、銃撃されたら回避は非常に困難だ。なのに、ぞろぞろと集団で上るのもどうかと思う。間隔くらいは開けて上った方がいいんじゃないかと。

 しかしほのかは、シルヴィアのすぐ後ろをぴったりとくっついていく。あれじゃシルヴィアが後ろに飛んで避けられないじゃないか。


「おい、どうしたんだ?」

 シルヴィアが足を止めて振り返り、距離を置く俺を怪訝な目で見る。


「いや、どうしたも何も……」


 俺が口を開いた直後、殺気が膨れ上がり、階段の上から銃声が立て続けに響いた。


 敵の数その他、俺には全くわからなかった。離れていたせいもあるが、それよりも、シルヴィアの前方に突然現れた物体のせいで、階段の上の視界が完全に遮られたからだ。


 突然テレポートでもしてきたかのように現れた、銀色に輝くそれは、狭い階段を覆い尽くすどころか、収まりきらず、階段の壁の両側の壁を一部分粉砕していた。階段そのものも壊してめりこんでいる。

 それが何なのか、ぱっと見ではわからないが、シルヴィアの背よりも高く、高さ2メートル以上、横幅も明らかに1メートル以上はあって、人が二人は余裕ですっぽりと隠れる巨大な壁のような代物だ。

 取っ手のようなものがあって、シルヴィアはそれを握って支えている。平らな壁でもなく、端側が内側に向かってゆるやかにカーブし、中央はへこんでいる。


 そこでようやく俺はそれが何であるか気がついた。それは巨大な盾だ。


「サイズ小さくしたつもりだったが、見誤ったか。まあいい」


 シルヴィアが呟くと、彼女の身から殺気が放たれ、同時に彼女の体に変化が起こる。盾を持つ細い腕が膨張し、服の上からでも明らかに筋肉がもりあがっているのが見える。腕だけではなく肩もだ。胸筋もか?


「逝けいっ!」


 裂帛の気合いと共に、シルヴィアは片手で盾を前へと突き出した。

 あの巨大さと重さからすると、いくら筋肉ムキムキになったとはいえ、片手どころか両手でもびくともしそうにない巨大盾が、凄まじい勢いで前方へと吹っ飛んでいった。


 銃声が止む。盾は――おそらく上から銃を撃っていた連中へとぶち当たった。盾がそのまま敵数人を壁へと押し付け――いや、壁をも砕いてぽっかりと大きな穴を開けた。ぺちゃんこに押し潰した何人かを引っ付けたまま、巨大盾が外へと飛んでいくのが見えた。

 ――が、直後すぐにまた同じ巨大盾が、シルヴィアの前に現れる。今度は先程よりは小さく、階段のスペース内に収まっている。何なんだ、これは……


「銀嵐館の当主に代々伝わる秘宝――銀嵐之盾です。当主の意思によって手元に現れ、当主の意思によってサイズも可変し、動く武器ともなる、攻防一体の愉快で豪快な武具です」


 ほのかが解説する。確かに豪快だが、愉快かどうかは人によって感じ方が異なるだろうな……


 盾のぶちかましを運よくまぬがれた奴が、恐る恐る顔を出した所を、シルヴィアのライフルが火を噴き、頭を撃ちぬかれてくたばった。

 その直後、手榴弾が降り注ぐ。やばい。


「ふんっ」


 シルヴィアが片手で巨大盾を抱え上げる。どんな怪力だ。いや、あの盾が見た目ほど重くないとかか?

 爆発が起こったが爆風は全くこちらにと届いていない。盾からはみ出た部分から漏れた爆風がきてもよさそうなものだが、それもない。


「盾からバリアーみたいなものが張られているのか?」

「御名答。おらアァァッ!」


 俺の問いに、シルヴィアが明るい声で答えると、雄叫びと共に再び盾を吹っ飛ばした。階段の影に隠れている残った連中を、轟音と共に階段ごと押し潰し、またもやそのままビルの外まで吹き飛ばしていく。先程開いた大穴が、もう一つ分の穴と連なってさらに大きな穴となっている。


「そこにいた奴は全員片付けたみてーだ。行くぞ」


 言うなり、長く細く伸びた後ろ髪をなびかせ、シルヴィアは先陣を切って階段を駆け上がった。


「すげえとしか言いようがないな……」


 シルヴィアの力に舌を巻く俺。世界一の情報機関の最高幹部は、伊達じゃないってことか。


「いや、そのような単純な例えだけで収めてしまうには、勿体無い女性です。シルヴィアさんは。私はあの人を題材にして、何作も詩を綴っているほどです」


 うっとりとした顔で語るほのか。シルヴィアはそんなことされて嬉しいんだろうか。

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