第十四章 5

 ホルマリン漬け大統領の幹部は、表通りでもそれなりの高い地位についている者が多い。彼等は元々組織の上客であるが、様々な動機で組織の一員となることを望み、幹部となった者達である。

 幹部になるには企画テストを行う。下っ端の構成員であろうが、面接を受けに来た段階であろうが、これさえ通れば幹部になれる。よって、入っていきなり幹部になる者も多い。


 井土ヶ谷浩三もそうした幹部の一人だ。元々は実業家で、組織の客の一人であったが、企画書を出したらあっさり通って速攻で幹部になった。

 組織の一員となり、何といい加減な組織だと井土ヶ谷は正直呆れた。いくら企画が秀逸でも、新規でどこの馬の骨ともわからぬ者に、管理職を任せていいものかと。もっとも井土ヶ谷自身には実績があるので、その辺は申し分無かったが。


 二束の草鞋を履いている状態の幹部が多い中、井土ヶ谷は経営していた表通りの会社をあっさりと辞め、ホルマリン漬け大統領の幹部としての役目に従事していた。


 井土ヶ谷はできるだけ過去を忘れたかった。忘れられるわけがないが、消し去りたいという願望が強く、だからこそ表通りの顔も捨ててしまったという面もある。自身でもそれは自覚している。


 例えば井土ヶ谷には既婚暦が有る。相手は美人アナウンサーというステータスの持ち主だった。それによって、美人アナウンサーの妻を持つというステータスを自分も得るし、相手は実業家の妻というステータスを得る。

 互いにステータス代わり、アクセサリー代わりの、愛の無い結婚。しかし井土ヶ谷の妻は、自分がそういう意識で結婚していたにも関わらず、井土ヶ谷もそういう意識だけで自分を選んだことが許せず、井土ヶ谷に対して罵声と暴力を繰り返したうえで、離婚に至った。その際に慰謝料をたっぷり毟り取られた。


 ホルマリン漬け大統領の幹部となって裏通りに堕ちてから、井土ヶ谷はその復讐を果たす。元妻は拉致してシャブ漬けにし、韓国の売春宿に売り飛ばした。あの高慢ちきな女だったくだらない女が、今も正気を失った状態で底辺の客をとっているかと思うと胸がスッとする。


 そんなこともあって、井土ヶ谷は芸能人や有名人を目の仇にするようになり、思いついたのが、クローンスレイブ販売である。

 いや、それだけではない。思いつくにも実行するにも、至った経緯は他にも多々ある。


 例えば井土ヶ谷の容姿はお世辞にも美男子と呼べない。それどころかはっきりと不細工だ。鼻は低く潰れ、目は細く小さく間隔が広がりすぎていて、下唇だけが異様に大きなたらこ唇で、顔のパーツそれぞれもおかしければ、それぞれの大きさや配置も歪だ。

 それ故に、容姿の整った者には男女問わず激しいコンプレックスがあるし、支配への欲求があった。そこから思いついたという部分もある。

 もし記憶の操作もできれば、クローンとすげかえて本人に客をとらせてやるのにと思う。離婚した元妻との件と、井土ヶ谷が子供の頃から抱く深刻なコンプレックスが相まって、有名人女性への憎悪は並々ならぬものになっていた。


 有名人女性のクローンを作り、ペットやスレイブとして扱えるようにうまく調教して販売するこの企画は大当たりし、組織に多大な利益をもたらした。多くの資産家の客が群がり、金に糸目をつけずにクローンアイドル達を次々と買っていった。

 最初は作ってから売っていたが、需要に対してクローンの生産数がまるで間に合わないがため、大金を詰まれてから希望のクローンを造る予約制や、オークション制での販売へと切り替えた。


 しかし派手にやりすぎたおかげで、最近では表通りのメディアでも噂が流れ始めた。組織は必死に隠蔽しているが、最早隠し通せる問題でもない。警察への圧力も限界があるのではないかと、組織内でも噂されている。また、組織内でも井土ヶ谷の商売に否定的な声が多々あった。


 その日、井土ヶ谷が管理する施設の一つ――製作したクローンに言語や最低限の知識と常識、そしてペットやスレイブとしての躾を行う調教施設に、井土ヶ谷の直属の上司たる大幹部が視察に訪れた。


「この子は見たことがあるかな。テレビなどほとんど見てないので、雑誌のグラビアに出ていた記憶がある――程度だが」


 鳥の仮面を被った男が、茶を淹れて差し出すクローンを一瞥して言った。


 この鳥仮面の男は大幹部の一人であり、井土ヶ谷の直属の上司でもあった。極めて冷淡かつ事務的な人物で、人の下につくのが耐えられない性分の井土ヶ谷はもちろんのこと、ほとんどの幹部から、あまりよい印象を持たれていない人物である。

 幹部の中でも特に目覚しい業績をあげ、なおかつ大幹部達からも気に入られた者は大幹部へと昇格できるが、組織発足以来、発足メンバー以外で、幹部から大幹部へと昇格した者は十人もいない。


「単刀直入に言うが、そろそろ潮時だと私は思っている」


 鳥仮面の言葉に対し、井土ヶ谷は無言無表情無反応のまま、ただじっと上司を見ている。ふ

てぶてしいともとれる反応だが、鳥仮面もまた、特に不快になった様子も見せず、事務的に淡々と話を進めていく。


「君の企画を受け入れて幹部に取り立てたのは私であるが故、あまり否定的なことを言いたくも無いが、手広くやりすぎだ。警察やマスコミを抑えておくのも限度がある。秘密の会場でこっそりレンタルするならともかく、クローンそのものを客に売り渡してしまっているので、売られた側でずさんな管理が行われ、客経由で話が広まってしまっている」


 改めて言われるまでもなく、井土ヶ谷も承知している話であった。承知しつつ、だからどうしたと思いながら聞いている。


「最近は警察の現場組も、上層部の圧力を無視して動くようになっているぞ。薄幸のメガロドンやグリムペニスの例を見てもわかるだろう。あれらも上層部の圧力で動かなかったが、現場組が無視して踏み切った。我々は純粋な暴力においては、警察に太刀打ちできる組織ではないぞ」


 鳥仮面の言葉が何を暗示しているか、わからぬ井土ヶ谷ではなかった。警察が強制捜査をした場合、組織は井土ヶ谷のビジネスを守れないし、守ろうともしないということだ。


(十分美味い思いをしたし、あとは厄介になる前にさっさと切り捨てたいというわけか。さっさと帰れ)


 上司の意図を読み、心の中で何度も毒づく井土ヶ谷。


「そのうえあの雪岡純子にも目をつけられ、何度もオークションを妨害されているだろう。そろそろ苦しい時期にきているな」

「仰ることはわかりましたが、すぐにでも止めた方がいいですかね? もう少しくらいはいけませんか?」


 不遜な口調で井土ヶ谷が問う。当然のことだが、組織の決定となれば、不服であろうと従うしかない。しかしせめてもう少し粘りたい。


 やはり自分は誰かの部下につくなど合わないと、井土ヶ谷はつくづく思う。井土ヶ谷自身もロイヤリティで十分に稼いだし、組織を抜けて海外へ飛び、組織で稼いだ金を資金にあてて、独立してこのクローンスレイブ販売を続けようと企んでいた。だがそのためには、こちらもできる限り組織から金を搾り取っておきたい。


「決定したわけではないから、しばらくは構わんさ。ただ忠告しにきただけだ。いずれこの事業を畳むことになるのは、目に見えている。それを承知しておいてほしいという事と、畳んだ後に次は何をするか、今のうちに考えておいた方がよいとね」


 大きなお世話だと、井土ヶ谷は口の中で毒づいた。この組織にい続けるつもりはないのだから、関係の無い話だと。

 組織から抜けて、それまで行っていた商売を別口で続けることを、ホルマリン漬け大統領という組織が許すかどうかで言えば、許さない組織だ。だが井土ヶ谷は危険を承知で組織を抜け、この商売を独自に続ける気でいた。


「わざわざどうも」

 端的に礼を述べる井土ヶ谷。全くへりくだる様子の無い、不遜な口ぶりだ。


「あるいは――いや、何でもない。後は適当に視察して帰るとしよう。付き添いもいらない。では」


 何かを言いかけて、こちらもあくまで事務的な口調を貫き、鳥仮面は退室した。


「私が案内をしてきましょうか?」


 室内にいたクローンアイドルが申し出る。


「今、奴が案内はいらないと言っていたのが聞こえなかったのか!」

 カッとなり、怒鳴る井土ヶ谷。


「も、申し訳ありません。それは聞こえていましたが、それでも一緒に行って、あの方がどこを回ったか、何を申していたか、御主人様に報告した方がよいのではないかと思いまして……。余計なことを言って申しわけありません」


 脅えた表情で謝罪するクローンを見て、井土ヶ谷は冷水をかけられた気分になり、急速に怒りが冷める。


「あ……いや、すまん。また怒鳴ってしまって悪かった」


 奴隷の身である歪な命に対して、心から謝罪をする井土ヶ谷。

 癇癪持ちの井土ヶ谷は、周囲に言葉で当り散らす事がわりとある。だが自分に忠実なクローン達に八つ当たり的に怒りをぶつける度に、自己嫌悪を覚えてしまう。自分を軽蔑していた元妻に対しては、怒鳴っても何とも思わなかったが。


「すまない……本当にすまない。気遣ってくれたのに……すまない」


 苦しげな表情でクローンを抱きしめ、井土ヶ谷は何度も謝罪する。

 彼は何人ものクローンをはべらせていたが、自分を心から慕う彼女ら全員を、なるべく大事に扱おうと心がけている。

 たまにカッとしてなじることはあっても、それ以外は概ね大事に扱ってきた。主を喜ばせるためだけに生まれてきた彼女達を、愛おしい存在と見なしていた。

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