第十四章 3
背広の下の懐のふくらみを、義久は意識する。
銃を買い、三日ほど射撃訓練や回避訓練も積んだ。コンセントなる薬品も仕入れた。裏通りの情報も集めている最中だ。それなりに知識も得た。
思いつく限りの準備を整えつつ、義久は本格的に行動に出る決意もした。
義久が敵視する組織――ホルマリン漬け大統領。妹を殺したこの組織は、警察の動きをも封じるほどの巨大な力を持つ。普通に考えて、個人でどうこうできるものではないことは、義久にもわかっている。
しかしだからといって何もせず、ただ涙を呑んでいるということもできない。虫一匹の一噛みの反撃でも、悪い毒を回らせて命取りということもある。その一撃に賭けて、やれることは全てやってやると、義久は決意していた。
取りあえずは敵の情報が欲しいと考え、義久は裏通りの情報組織から情報を買うことを考えた。
一番質の高い情報を売ってくれるのは、表通りでも名の知られた、国際規模で有名な『オーマイレイプ』という情報組織であるが、財布の都合で断念。
義久が選んだのは、表通りの住人にも商売をし、裏通りに堕ちたばかりの者へのアフターケアも整っているという、『凍結の太陽』という組織であった。
凍結の太陽に、現在話題になっているクローンアイドル販売事業に関して、ホルマリン漬け大統領の情報を欲しいと要求した所、裏通り新規コースに回したうえで話を直接聞くという運びになり、義久は組織の者と待ち合わせを行うこととなった。
裏通りの住人が多く住み、裏の商いも抗争も盛んと言われる『暗黒都市』に指定された都市――安楽市。
その中心にある絶好町の繁華街の、そのまた中心にあるカンドービルなる建物の中の、ファミリーレストラン『ウォンバット』が、待ち合わせの指定場所だ。ファミレスで裏の住人と待ち合わせなどイメージに合わないと、義久はおかしく感じる。
すでに相手はいた。黒いコートに身を包んだ、癖の多い金髪ロンゲに痩身の白人。やたら量の多い横髪を胸元にまだ垂らしている。年齢はまだ若いと思われる。白人にしては掘りの浅い顔をした、優しそうな風貌の美男子だ。
「初めまして。凍結の太陽の首領を務める、グレゴール・ヴォルフ・晴野と申します。ヴォルフと呼んでください」
「は?」
立ち上がって手を差し伸べ、にこやかに微笑みながら、全く訛りを感じさせない日本語で挨拶をする白人の言葉に、義久は訝かる。
「ボス自ら来るものなの?」
「うちは少数精鋭でしてね。別名、人手不足とも言いますが」
握手を返して尋ねる義久に、ヴォルフは答えた。
「依頼内容を拝見しましたが、中々ハードですね。新規の貴方が、いきなりホルマリン漬け大統領のような組織を相手取るとは」
向かい合って腰かけ、早速本題に入る。
「しかも個人で、だろ。無謀なのはわかっているよ」
「有名人のクローンを作り、調教して人身売買するという商いに興味がおありとは、表通りから堕ちてきたばかりにしては、良い所に目をつけていますよ」
空中にディスプレイを開きながら、ヴォルフが言った。
「彼の組織の商いは、裏通りはおろか、ホルマリン漬け大統領の組織内ですら賛否が出ているほどです。儲かりはするでしょうが、表通りへの影響が大きすぎます。倫理的な問題もありますし、中枢も快く思っていないようですし、いくら上層部から抑えられているとはいえ、警察もきっかけさえあれば動くでしょう。組織にとってもアキレス腱となりかねない所と思われます」
「倫理の問題なんてあるのかい? 裏通りなのに?」
意外な言葉がヴォルフの口から出て、義久は思わず笑みをこぼす。
「裏通りだからといって完全な無法地帯というわけではありませんよ。人道に反するビジネスは多いですが、そこにいるのは人間ですからね。あまり行き過ぎると、不快感を抱く人も出てきますよ。これは正にそのケースでしょう」
裏通りにも良識ある人がいて、悪事に糾弾することがあるのだろうかと、義久は思ったが、これまで裏通りに対して抱いてきたイメージからすると、想像しづらい。義久の中で裏通りという存在は、限りなく悪しきものであったから。
「失礼ですが、高田さんの素性も調べさせていただきました。朝糞新聞社の記者とありますが、裏通りに堕ちた動機は、表通りでは真実の追究がままならいなのでこちらへ来たのですか?」
「そういうことだね。裏通りが絡むと、中々扱ってくれないんだ。この件だって、全く記事として取り扱ってもらえなかった」
素性を調べられていても、特に脅威にも不快にも感じなかった。むしろ話が早いとすら義久は思う。
「では裏通りに堕ちても、ジャーナリストとしての活躍がお望みなのでしょうか?」
「もちろんだよ。裏通りには、裏通りの報道機関があるんだろう? どうやって利用できるかとか、そういうのは知らないけどさ」
「情報組織が扱っていますね。また、裏通りにもフリージャーナリストもいますし、情報屋や脅迫屋の類が、裏通りの報道機関に取材記事を作って持ち込んだり、単発のネタも買い取ったりしています。高田さんはもちろん前者でしょうが」
その辺の話も義久は前もって調べて知っていた。こちらにもペンの力が存在すると知ったからこそ、裏通りの道を進むことを選んだのだ。
「しかし我々凍結の太陽は残念ながら、その辺に関してはあまり力を注いでいません。人手も回りませんしね。情報の手助けはできても、報道という面での助力は難しいので、記事の持込に関しては別の組織を利用した方が良いですね。オーマイレイプや、『鞭打ち症梟』などが特に有力です」
「なるほど……だが当面は、情報が欲しい。記事を作れないようでは、持込もままならないだろう?」
義久の言葉に、ヴォルフに満足そうに微笑むと、己の目の前に浮かべていたディスプレイを反転させ、義久の方へと飛ばす。
ディスプレイに映っていたのは、雪岡研究所と書かれたサイトだった。
「その研究所と、主は御存知ですか?」
「いいや」
「その研究所の主である雪岡純子という方は、個人でありながら、ホルマリン漬け大統領とずっと敵対し、抗争している方です。表通りでもそれなりに名が知られているので、調べてみるとよいですよ。我々の組織を御贔屓していただいている方なので、私の紹介とあれば、協力していただけるでしょう」
「むう……個人で大組織に楯突くとか、にわかに信じがたい話ではあるな。俺も同じことやろうとしていたとはいえ」
サイトに書かれている内容を見ながら、義久は唸る。
「これ、協力してもらう代わりに実験台になるとか、そういう話はちょっと困るんだが……」
ディスプレイを指して義久が言った。研究の実験台になる代わりに願いをかなえるなど、怪しさぷんぷんすぎて、気乗りしない。
「取材という名目があれば、そのような運びにはならずに済むでしょう。ホルマリン漬け大統領は雪岡さんからしても敵ですので、その敵組織をスクープしてダメージに繋がる話とあれば、協力してくれそうなものです。当の雪岡さんも、クローン販売は快く思っていないようですし、その妨害も頻繁に行っているということですから、高田さんがその話を持ち込めば、渡りに船とするかもしれません」
「なるほど。じゃあ紹介をお願いしていただこうかな」
「わかりました。彼の組織のクローン販売にまつわる情報は、まとめて高田さんに送っておきますね」
にっこりと笑うヴォルフを見て、いい笑顔をするなあと義久は思う。風貌はやや派手で特徴的ではあるが、喋っていると朗らかな好青年という感じで、とても裏の組織の長というイメージではない。
「それで情報料の方はいくらくらいするのかな……? その……雪岡研究所への紹介料もかかるのかな?」
肝心な話に触れようとする義久。銃を買ったり、防弾防刃仕様の衣服を買ったり、訓練施設を使ったり、コンセントを買ったり、パチもんの情報を掴まされたり、凍結の太陽という組織を知ること自体の情報でボッタくられたりと、裏通りに堕ちる準備で金銭の出が激しく、いまやすっかり懐が寂しくなっている。借金の覚悟もしている。
「いりません」
「は?」
笑顔のまま言い放ったヴォルフの言葉に、再び怪訝な声をあげる義久。
「情報にもよりますが、うちの組織は新規の方にケアする際は、金銭はいただかない事にしております。新規サービスです。相当難易度の高い情報となると、ただとはいきませんが」
「そいつはありがたい。今財布が軽くなっていた所だからね」
義久も笑みをこぼす。
礼を告げ、義久は先に席を立つ。ヴォルフが目の前で雪岡研究所とやらに取り次いでくれたので、早速向かってみることにする。同じカンドービルの地下にあるという話だ。
(何だか調子狂っちゃうなあ)
歩きながら義久は思う。初めて裏通りの住人と会話を交わしたが、あまりにもイメージが違いすぎた。いかにも腹に一物ある、魂が腐敗臭を漂わせているような人間が現れるかと思いきや、親切で明朗快活な好青年が出てきて、正直面食らっている。
義久からすれば、裏通りそのものに負のイメージしか無かったし、いずれペンの力で裏通りの全てを暴いて、裏通りそのものをブチ壊して考えていたが、今のヴォルフとの会話だけで、負のイメージが大きく薄れてしまった。
「裏通りも一概に悪人ばかりってわけじゃなさそうだな。少し考えを改めるか」
ぼりぼりと頭をかきながら、義久は呟いた。
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