第十一章 23

 真と宗徳が仁の家に着いた時は、夜九時近くになっていた。


 インターホンを何度押しても、誰かが出る気配はない。それ以前に、家に明かりがついていない。いくらなんでも寝るには早い時間だ。稀に九時前には就寝する家もあるという話だが、仁がそんなに早寝するとは思えない。


「窓を割って家の中に入って様子を確かめるか……」


 真が言ったが、これは二重の意味で気が進まない。仁が無事でもあとで言い訳が面倒だし、無事でないなら悲劇の確認にしかならない。


「やめとけよ。余計話がややこしくなる。そもそも仁の家って監視カメラもついてるぞ」


 宗徳に制され、真も家宅無断侵入は思い留まった。


「どうしたんだろうな。仁だけではなく、あいつの母親もいないなんて」


 顎に手をあててうつむき加減になり、いろいろと考える真。仁も真同様に母子家庭であり、他に家族はいない。

 単純に外食しているだけかもしれないし、あるいは他に何か緊急事態があって外に出ているのかもしれない。あるいは親族か、母親の友人宅に呼ばれているのかも。

 だがこちらがいくら連絡しようとしても電話に出ないとなると、悪い想像の方が、可能性が高く感じられてならない。


「鹿山も危ないんだろう?」


 宗徳の言葉に真は顔を上げる。


「あいつの家に行くのは、仁の無事を確認してからだ」


 真の中での優先順位は決まっていた。まずは仁を守らないといけない。何故計一が担任教師でしかない鹿山由美までターゲットに加えたのか、そもそも謎である。


(梅宮からすると、親しく見えたのか? あるいは鹿山のセクハラまがいの行動を見て、誤解したのかな。ひょっとして鹿山に気があって、それで嫉妬して僕を……いや、それなら鹿山まで殺すわけがないか)


 自分に対する計一の憎悪の理由が、いくら考えても真にはわからない。


「何だよ、やっぱりこいつと一緒にいたのか。ひょっとしたらと思って来てみたら」


 聞き覚えのある声がかかり、真は振り返る。


「梅宮……」


 歪んだ笑みを張り付かせた計一の顔を見て、宗徳は驚いた。いつもおどおどした顔でいた梅宮計一とはまるで別人だ。


 宗徳が鉄パイプを構える。真も鞄の中の包丁を掴んで、抜き様に計一の喉を斬りつけることを意識する。


「大地の家行ってもいなくてよ。とんだ無駄足だった……ぜ!」


 計一が地面を蹴る。人間離れした速度で二人めがけて駆けだす。

 真はすでに一度動きを見ているので、ひるむことなく包丁を抜いて振るう。


「あぶねっ!」


 包丁をすんでの所で避ける計一。真の反撃が思わぬ鋭さだったので、最初の銃撃同様に冷や汗をかき、生意気にも二度に渡って反撃した真にムカっ腹が立つ。


 真の横をそのまま駆け抜け、後方にいる宗徳へと迫る。宗徳は計一の動きに全く反応できず、鉄パイプを構えたまま固まっていた。


 聞き覚えのある嫌な音が聞こえ、真は振り返る。

 視界に入ったのは、母親同様に、一撃の元に首の骨をへし折られた宗徳の姿だった。


(嘘だろ……。こんなあっけなく、あっさりと……)


 崩れ落ちる宗徳の姿を目にし、真の顔に絶望の表情が浮かぶ。


 母親に続き親友までもが殺される所を目の当たりにし、真の頭の中が真っ白になる。


(これ、悪い夢なんだろ……現実じゃないんだろ……)


 自分の置かれた状況で目の前で起こった現実を受け入れ難く、心の中で誰ともなしに呟く。

 その時、真の携帯電話が鳴ったが、真は全くの無反応だった。膝をつき、倒れた宗徳のことを呆然と見下ろしていた。


 計一が歩み寄ってきて、真の手から包丁を取り上げた所で、ようやく真は我に返る。


「これで三人目と。何だよ、おめー弱すぎてつまんねー」


 包丁を刃ごと握りしめて容易く破壊し、渋面で吐き捨てる計一。真が思わぬ抵抗したのにも腹が立ったが、その後あっさり戦意喪失した事にも苛立ちを覚えた。


(三人目?)

 その言葉が何を意味するか、真にはすぐにわかった。


「ハンデやるよ。いや、ゲーム自体少し変更しよう。鹿山と一緒に逃げろ。俺がそれを追いかける鬼ごっこだ。明日の夜十二時まで逃げ切ったら見逃してやるよ」

(鹿山はまだ生きているってことは……つまり……)


 認めがたい事実、そこから導き出される答えと絶望が、真の心を黒く染め上げる。


「じゃーな。せいぜい頑張れよ。お前のそんな顔見る事できただけで、俺はすげー胸がスッとしてるよ。最後の最期は、もっとぐちゃぐちゃの泣き顔見せてくれよ」

(どんな顔しているってんだ……ちゃんと表情が……感情が表に出ているっていうのか?)


 計一の台詞に、真はすぐにでも鏡で自分の『そんな顔』とやらを確認したい気分になった。


 さらに電話が鳴る。相手は仁だ。着信履歴を見ると、その前の電話は純子だった。彼女の声を聴きたいという強い衝動に駆られたが、まずは仁と連絡を取らねばと思い、電話に出る。


(まだ生きてたのか。よかった)

 と、胸を撫で下ろしたが……


『真ちゃん……』

 声の主は、仁の母親であった。


『仁ちゃんが死んだわ。殺されたの』


 冷静な声で告げられた内容が、安堵して撫で下ろした真の胸を引き裂いた。


***


 宗徳の亡骸を路上に放置したまま、真は重い足取りで安楽市立中央病院へと向かった。


 一晩で、それもわずか三時間にも満たない時間内に、身近な人間が三人も死んだ。殺された。まるで悪夢。いや、ただの悪夢であってほしい現実。


 病院に着き、霊安室へと入ると、そこには田代麻子が椅子に腰かけてうなだれていた。そして寝台の上には、体にシーツ、顔に布をかけられた遺体が寝かされている。それが誰であるかは問うまでもない。

 しかし、誰なのか問うまでもなくわかっているが、確認して知りたくはないという気持ちと、確認しなくてはならないという、義務感のような奇妙な気持ちが同時に存在している。


 麻子に視線を向けると、麻子は小さく頷いた。すでにもうふっきれたような表情だった。自分が来るまでの間、そう大して時間は経っていないはずなのに、その間に気持ちの整理がついたのだろうかと真は訝る。


 顔の布をめくる。眠るように穏やかな顔かと思ったら、そんなことはなかった。苦悶の形相で死んでいる仁の顔を見て、真の中で何かが荒れ狂った。

 母親、宗徳と立て続けに失い、悲しみの感覚も麻痺してしまっているかと思ったら、そんなことは全然無かった。それどころか悲痛は失った者の数だけ確実に蓄積され、真の心を斬りつけ、突き刺し、打ち据えていた。

 よろけて倒れそうになった真を、慌てて椅子から立ち上がった麻子が慌てて支える。


(この人の方がもっとずっと悲しいだろうに、僕がその人に支えてもらうとか……)


 麻子の体に身を任せたまま、そんなことを漠然と思う真。


「この子は幸せだったわ。小さい頃からずっと」

 静かな口調で麻子は語り出す。


「毎日帰ってきては、真ちゃんと宗徳ちゃんの話ばかりしていたのよ。そりゃあもう楽しそうにね。貴方達二人がよい友達でいてくれたおかげで、仁ちゃんはずっと幸せだったのよ」


 麻子のその言葉を耳にして、真の目から涙があふれ出す。


(僕のせいで死んだのに、あいつに殺されたのに、幸せなわけがあるか……)


 口には出さず、力なく吐き捨てる。


「何かものすごく悪い事態に巻き込まれたのね」


 続けて口にして麻子の言葉に、真は微かに怯えて身を震わせた。この人に、仁が殺されたのが自分のせいだとは知られたくはなかった。

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