第十一章 9
土曜日の午後。純子とのデートの約束の時間。真は紺のベレー帽を後ろ斜めに被り、黄土色のTシャツに、青と濃紺と水色の迷彩柄の半袖ジャケット及び同じ迷彩柄のカーゴパンツという、取りあえず自分では気に入っている格好で、待ち合わせ場所へ訪れた。
待ち合わせ場所に先に待っていた純子は、いつも通りの白衣姿だった。
「すまんこ。やっぱ白衣脱ぐの抵抗あって駄目だった……。本当すまんこ」
「いや、僕も無理強い言っちゃったのかな? だとしたらごめん」
申し訳なさそうに謝罪する純子に、真も謝罪し返す。
「いやいやいや、いつでもどこでもこんな格好している私の方こそおかしいんだし。君が謝ることなんてないよ。でもその分、下はこれでも精一杯お洒落しているつもりだから」
そう言って自信ありげに微笑む純子の今日の白衣の下の服装は、真っ白なブラウス、いつものように足が大きく露出して見える薄茶色のショートパンツ、緑の目玉つきの頭蓋骨が何個も縦に連なって下から槍で貫かれて口や目から血を流している絵柄の黒く細いネクタイという出で立ちだった。
(頑張ったのはネクタイかな……。目立っていいんじゃないかな――と言うのも褒め言葉に聞こえないな)
白衣には触れても、それ以外の純子のファッションセンスには、できるだけ触れないようにしている真である。どんな台詞が地雷になるかも判別しづらい。
「じゃあ行こう」
真が純子の方に手をさしだす。自分からこんな風に誘ったのは初めてだが、これまでわりと受け身な方が多かったので、そろそろ自分もこれくらい積極的になった方がいいと思っていた。
「うん」
純子が嬉しそうに真の手を握る。
純子の服装の奇抜さに加えて美男美女のカップルなので、かなり人目につく。すれ違う人達から、結構な確率でチラ見されているのを真は感じ取っていた。
「何かさ、こうして一緒に手繋いで歩いてるだけで、十分幸せなんだけど。自然に顔がにやけてきちゃうし」
純子が照れくさそうに顔を伏せて言った。にやけていると言われても、いつもにこにこと愛想のいい笑顔なので、普段と変わらなく見える純子であるが、その言葉には真も同意だった。こうしているだけでも、十分すぎる。
「僕も同じ気持ちだよ。いつも会うの楽しみにしているし、会っている時が一番楽しいし」
もっと気の利いた言葉を思いつくようにならないものかと思いつつも、自分の正直な気持ちをストレートに口にする真。
まずは予定通り、安楽市民球場の特撮ショーへと向かった真と純子であったが……
(これは大失敗したかもなあ……)
客席は半分も埋まっていないが、ガラガラという事もなく、それなりに人は来ている。
だがその客層はといえば、親子連ればかり。子供は全て幼稚園児かそれより年下。そして数名の特撮オタクのおっきなお友達くらいだ。
カップルなど自分達以外は皆無。中学生くらいの年齢の子も見当たらない。自分達が凄まじく浮いている気がして、真は猛烈に帰りたくなった。何よりも、純子に嫌な想いをさせていやしないかとヒヤヒヤである。
特撮ショーが始まってから、真の中の帰りたい願望はさらにピークに達したが、隣を見ると、表情を輝かせて明らかに楽しんでいる純子の姿が見てとれたので、心底ホッとする。もちろん真自身には何が楽しいのかさっぱりわからないが。
「いやー、映像じゃなくてナマで見るのは素晴らしいねー」
ショーが終わってから、純子が満足げに発した言葉に真は救われた。純子が楽しんでくれているなら、またこういうイベントを見つけたら誘おうかという気持ちにもなる。
「でも真君、すごく居づらそうだったし、私に合わせてあんな無理しなくてもよかったんじゃないかなあ」
(うーん……見抜かれていたか……)
例え終始無表情でも、隣にいる真から凄まじい量の帰りたいオーラが放出されていた事に、純子はちゃんと気づいていた。言葉に詰まる真。
「おっと、すまんこ。せっかく真君頑張ってくれたのにね。でも無理しなくていいよってこと、伝えたかったんだよー」
「いや、また何度でも連れていくよ」
気遣う純子に向かって、何故か意地になって豪語する真。今度は純子の方がリアクションに困る番だった。
その後は、喫茶店に入ったり何件か古本屋を梯子したり市民センターでスポーツチャンバラしたりして、時間が過ぎていく。共通する趣味として古本屋巡りがあるため、そこだけ二人のテンションが同時に上がる。互いに珍しい本を発掘し、報告して見せ合う。
純子にエスコートされた時も古本屋巡りはあったが、これだけはどちらにしても外せない。スポーツチャンバラは真の全敗だった。互いに初めてだというのに、自他共に運動神経に優れていると認める真が、手も足も出なくて舌を巻く結果となった。以前もバトミントンをして負けまくり、純子の運動神経が自分を大きく凌駕する代物だという事は知っていたが。
予定していたデートコースを一通り巡り終えると、丁度夕方となった。
繁華街から少し外れた住宅街を繋いで歩きながら、真はとある場所へと向かっている。最後はここに来ると決めていた場所がある。
やってきたのは安楽大将の森と呼ばれる公園の、遊歩道の裏口だった。公園内部はデートスポットにもなっている場所だが、裏口辺りは静かで人通りも無く、そのうえ向かい側が坂になっていて、坂の下の夕日に照らされた街の風景を一望できる。
デートの締めくくりには良い場所ではないかと、真は考えた。ありがちな選択なので、変わり者な純子には合わないかもしれないという、一抹の不安はあったが。
「楽しかったねー。いやー、もうあっという間だったよー」
「うん。まだ遊びたりない気がする」
肩を並べてオレンジ色に染まった住宅街を見下ろし、純子と真は感慨に耽る。
「来週の土曜か日曜も……って言いたい所だけど、私、来週末は日本離れるんだよねー」
「どこに何しに行くんだ?」
純子の素性はよく知らないし、あまり触れようともしなかった真であったが、思わず訊ねてしまった。
「第875回国際マッドサイエン……いや、フランスで遺伝子工学フォーラムがあるから、それに出席する予定でねー」
遺伝子工学フォーラムだのフランスに行くだの、意外すぎる返答が返ってきた。見た目の年齢はともかく、純子はやはり中身は大人で、ちゃんと仕事もしているのだろうなと真は思う。
「ま、再来週の月曜には帰国してるから、再来週の土日どっちかにまたデート行こー」
「今度は雪岡がエスコートしてくれる番かな?」
「うん、それでいいよー。交互にエスコートてな感じで」
嬉しそうに純子が言うと、真の手を掴んだまま、安楽大将の森の方へ向かって歩き出した。
訝しげに着いていく真。純子に連れて行かれる形で、そのまま裏口から公園の中に入る。
人気の無い公園裏口をくぐり抜けた直後、思わぬ力強さで純子が真の体を引き寄せて抱きしめ、唇を重ねる。
真の脳が一瞬停止する。キスしているという認識はあったが、何の感触も無く、感慨も無い。突然すぎて頭の中が真っ白になってしまった。唇が離れた後も、唇の感触がどんなものだったのかよく覚えていない程だ。
むしろそれよりも、抱きしめられて味わった純子の体温や、柔らかくもしっかりとした存在感の伴った肉の感触の方が、鮮明に真の記憶に焼きついた。
純子が離れようとしたが、それを拒むかのように、真が純子の背と腰に手を回し、力を込める。いや――力を込めたつもりで、力があまり入らない。純子の体温と感触よりもたらされる快い気分が、真の体から力を抜いてしまっている。
「私の体……硬くない?」
甘美な感触に蕩けていた真の魂であったが、純子がおもむろに放った一言によって、四分の一ほど思考回路が復活した。
「いや、そんなことは……」
真面目に柔らかいとか気持ちいいとか答えるのも恥ずかしく、言葉を濁す。
「んー、私毎日筋トレとかしてるし、普通の女の子と比べると体固いんじゃかなーと思ってさあ。腕もわりと筋肉ついちゃってて普通の女の子より太めだろうし。あはは……」
「それでいつも長袖なのか」
「うん、実はそれも理由の一つ」
「そもそも比べる対象が他に無いから、比べてと言われても困るな」
言いつつ真は純子から離れ、腕を取って手で掴んでみる。真の露骨な行動に、純子は顔を赤らめる。
「ちょっ……!」
それだけに留まらず、真が白衣の袖をまくり出したので、純子は思わず声をあげた。
「確かに細くはないけど、そんなムキムキってわけじゃないし、これはこれでいいバランスというか……。うまいこと言えないけど、気にしなくてもいいんじゃないかな」
素直に思ったままの感想を述べる真。
「んー、そう言われるとありがたいけれど、それでもコンプレックスになっちゃってるというか、手や足の細い女の子が羨ましいというか」
内心の動揺を必死に抑えようとして、失敗して顔を引きつらせまくりながら純子が言う。
「僕は細い女より、ある程度肉がついてる方が好みだから丁度いいよ。ていうか、男は大抵がそうだと思うけど」
何故女性が体の細さやら体重に異様にこだわるのか、真にはよくわからない。
「んー、それってフォローなのかなあ……。いや、本当に気にしてくれてなければ、それはそれでいいんだけどさあ。うん、それでも私の方が気になるっていうか……」
「僕が気にしなくていいと言ってるから、気にしなくていい」
そう言いながら、真が再び純子の体を抱き寄せる。そしてつま先で立って背を伸ばし、純子がしたような不意をつく形ではなく、互いに意識してわかるように、無言で、静かに顔を寄せていく。
純子もそれに合わせて、目を閉じ、そっともう一度キスをかわした。
今度はしっかりと感触を意識する真。むしろそのためのもう一度のキスだった。
唇を離し、純子は目を開いて驚いた。恐らく無意識のうちに零れたものであろう、真の嬉しそうな微笑みが、すぐ間近にあった。
真自身は、自分が自然に微笑んでいる事に気が付いていないが、真の笑顔を見て、純子の胸のときめきはさらに勢いが増し、思わず反射的に真の頭を抱え込み、胸に押し当てる。
「ねね、そろそろ互いに名前で呼び合わない?」
顔を胸に挟まれた感触にどぎまぎしている真に、純子が提案する。
「いいよ。純子」
照れくさいし恥ずかしいと思いつつも、それが彼女の望みであり、それで相手が喜んでくれるならと思い、真は即答と同時に対応した。
「今日はありがと。真君。って、あはは、自分で提案としいてこりゃ照れるねー」
「君はいらないよ」
「んー、なんか呼び捨てするのはちょっとねえ。相手が動物とか妖か……人間じゃなければともかくさあ」
「じゃあそれでもいい」
これ以上はないというくらい柔らかく心地好い感触に身も心もゆだねながら、それが彼女の望みであるならと思い、真は了承した。
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