第十一章 3
梅宮計一の最も嫌いな時間がやってきた。
体育の授業――それは超格差の時間。生まれついて運動神経と体力が優れた者だけが優越に浸り、劣る者は惨めさ全開で大勢の前でその低能ぶりを見せつけて、道化と化す時間。
こんなことを学校教育の中で行う事自体、計一には信じられない。悪意の賜物としか思えない。格差の惨めさとコンプレックスを精神に染みこませるために、こんなことをしているのだろうかとすら考える。
「はい、次。梅宮と相沢」
計一のクラスの担任であり体育教師の鹿山由美に名を呼ばれ、計一は暗澹たる思いで立ち上がり、鉄棒へと懸垂をしに向かう。
(何でよりによってまた、俺の名を相沢と一緒に呼ぶんだよ……)
計一はこの担任教師のことを嫌ってはいない。それどころか、自分のような目立たない根暗生徒のこともいろいろ気遣って声をかけてくれるため、良い教師としての印象があったが、今回ばかりは呪わずにはいられない。
鉄棒に手を伸ばし、ぶらさがるだけという無様な醜態を晒す計一。必死の形相で腕に力を込めて体を鉄棒の上に上げようとするが、ぴくりともしない。
一方、横では真が大車輪を披露してみせている。
「こら相沢、誰がそんな余計なことしろっつった」
微笑みながら注意する由美。
計一は真を横目で見ながら、悔しい想いでいっぱいだった。
必死な形相で鉄棒にぶら下がるだけの自分と、余裕でフィジカルエリートぶりを見せつけるチビっ子。クラスの生徒達にはさぞかし滑稽な構図として映っているだろうと意識して、劣等感と屈辱でいっぱいになる。きっと腹の底で自分を嘲笑っているのだろうと思い、歯ぎしりする。
実際には、ほとんどの生徒達は、こんな露骨な組み合わせにされた計一に対して同情していたが、コンプレックスの塊である計一は、自分が同情されているなどと思いもよらなかった。それどころか、自分など彼等に腹の中で馬鹿にされているに違いないと決めつけている。
真と計一が終わった後は仁の番だった。
「うおりゃーっ」
勢いよく鉄棒の上まで上がる仁であったが――
「ぼげぇあ!」
下がる時に顎を鉄棒に強打し、落下する。
「おい、大丈夫か? 田代」
「ぢだがんだー」
尻もちをつき、顎を切って血を噴き出しながらも愛想よく笑ってみせる仁。
「あいつの親が来そうだな。大地、保健室へ連れていってやれ」
怪我をした仁を見て苦笑する由美。
「ちょっといいか、相沢」
体育の授業が終わった後、真は由美に呼び止められた。
「お前、学校の外で女子と歩いていたという噂があるんだが」
「それが何か悪いのか?」
否定せず問い返す。心当たりはもちろんある。付き合っている相手がいるのだし、それを生徒の誰かが見たのだろう。
「悪くは無いが気にはなるな。うちの生徒ではないのだろう? 相手は中学生か? それとも高校生か? どういう素性の子だ?」
「いや……」
正直な所、相手の素性をよくは知らない。年齢的には自分とそう大差無い。一つか二つ上くらいに見えたが。
真自体がアバウトな性格という事もあるが、それ以上に、見た目の年齢云々や、どこの学校の生徒だとか、そんなことはいちいち気にさせないような、神秘的な印象をその相手から感じていた。相手の素性を聞きだそうという気も無い。
「悪い女に引っかかったのではないかと心配ではあるな。そしてどこまで進んだのかとかな」
「そんなこと干渉されるいわれは無いだろ」
いささかむっとして、真は由美に背を向ける。
「気にならなければ聞きもしないな。もうこんなことをしてるんじゃないかと、想像してしまうよ」
いつの間にか真のすぐ真後ろまで接近した由美が、真を後ろから羽交い絞めにして背中に胸を押し当て、股間を軽く手で擦る。
全く予期しなかった由美の行動に、真は驚愕と共に強烈な怖気が走った。
由美の軽い拘束を振りほどき、振り返る。由美は口元に微笑をたたえ、悠然と佇んでいる。
「何を……」
引き気味になる真。
「冗談だ。その反応ならまだ童貞のようだな」
校舎へと向かう由美。冗談とはいえやりすぎな気がした。誰かに見られたら、そしてPTAにでも報告されたらどうするつもりなんだろうと、由美の神経を疑う。
突然すぎる性的なアプローチのせいで、真の動悸は早まっていたが、嬉しさや戸惑いや興奮よりも、嫌悪感に似た感情の方が強い。
美人教師にエロいことをされても、エロマンガのように興奮したりはしなかった。何故か拒否反応の方が先に出ていた。どうしてそのような拒否反応が出たのか、真自身にもわからない。
***
五時間目の授業。
真、宗徳、仁の三人は、嫌いな教師の授業なので、エスケープして屋上でたむろしていた。
「おい、煙草やめろって言ってるだろ。お前が不良だと見られると、お前とつるんでる僕まで不良扱いされる」
煙草に火をつけようとした宗徳を制する真。
「授業さぼったり喧嘩ばかりしたり、とっくにお前は不良だよ」
「違う。不良ってのは髪染めたり制服だらしなく着たり弱い者いじめしたりかつあげしたり煙草ふかして粋がっている半端者だ。僕は違う。ああいうのと同列は御免だ」
からかう宗徳に、真面目に反論する真。
「見て見てー、学校のゴミ箱でエロ本拾ったよー」
仁が鞄の中からくしゃくしゃのエロ本を取りだし、二人の前に見せた。
「こんなもん学校に持ってきてる奴いるのかよ。つーか使用済みっぽくて汚くね?」
顔をしかめる宗徳。
「使用済みって何のことだー?」
無邪気に訊ねる仁に、宗徳は言葉に詰まる。
「そのエロ本使ってぬいたかどーかって事だろ」
あっさりと答える真。
「ぬいたってどういうことだー?」
さらに質問の追撃を浴びせる仁。
「自慰行為。所謂オナニー。保健体育でもう習っただろ。ていうか仁はエロい想像してぬいたことないのか?」
「無いー。わからないー」
逆に真に問われるも、仁は笑顔のままあっさりとそう答える。
「全て夢精なのか」
頭の中で感心する自分を思い浮かべる真。
「夢精だけとかありえねー。二日に一回くらいはするだろー、普通」
宗徳が突っ込む。
「二日に一回……」
真が珍しく表情をあらわにした。呆れとも驚きともつかない、そんな顔だ。
「え? え? 俺おかしなこと言ったか? 多いか?」
何の気無しに言った台詞だが、真が引いているようなので、不安になってしまう宗徳。
「いや、別に……二日に一回は多くは無いだろ」
先に自分の回数を言わなくてよかったと、心底思う真。二日に一回が多いのなら、一日に四回している自分はどうなのかと。
(やっぱり僕は異常なのかな……。いや、薄々感づいてはいるけど)
自分が普通の人間に比べて相当性欲が強いではないかと、常々疑って悩んでいた真である。そのうえで、エロの嗜好にもうるさく神経質な一面もある。先程の由美のセクハラじみた行動でも、全く性的な興奮が無かったのもそのせいだろうかと、考えてしまう。
「オカズはどんなのだ? 巨乳? 俺はスレンダーと美脚好きだが」
「そこまで喋るのはちょっと……」
宗徳の問いに口を濁す真。
これまた人には言いづらい事だが、真が最も好むエロジャンルは、強姦ものであった。自分でも見ていて最悪な嗜好だと、理性ではわかっているが、生まれ持った性のようなもので、嫌がる女が男に無理矢理組み敷かれる様を見ると、どうしても強烈に心がときめいてしまう。
もちろん本当にやりたいとは思わない。あくまでフィクションだから、妄想だからいいのだ。
それらの画像や動画で、もしくは妄想で性欲を処理した後に、激しい嫌悪感に襲われる。特に妄想内では、今付き合っている彼女をオカズにすることがしょっちゅうであり、その後は嫌悪感どころか嘔吐感すらこみあげてくる。困った性癖だと、自分でも悩んでいる。
「なんだよお前、俺にだけオナネタ喋らせて、自分のことはだんまりっでどうなんだよ」
宗徳が口をとがらせる。
「自分で勝手に言ったんだろうに……」
「話振ったんだからお前も言わないと、俺だけピエロじゃんかよ」
「きっと真は宗徳よりも凄くエロいから、言い出せないんだとオイラ思うぞー」
唐突な仁の指摘に、図星をつかれた真はギクリとする。
「ああ、そういうことなのか」
にやりと笑う宗徳。
「真はいつでもエロいんだ~♪ むっつりすけべなんだ~♪」
おかしな歌を歌いだす仁を、真は軽く小突いた。
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