第十章 20
一夜明け、陸は由紀枝を伴い、再び百合の隠れ家へと向かった。
正確には隠れ家の一つであるという話であり、百合は数ある隠れ家を転々としているらしいので、前もって連絡しなければ会う事はかなわぬが、陸の目当ては百合ではない。その隠れ家に居候しているという人物の方だ。
「昨日はどーも。あんたに助けられるとはね」
リビングでテレビを見ていた葉山に、陸が声をかける。
「助けた……? 確かに助けましたね。しかし……仕損じた」
陸を一瞥すると再びテレビの方に視線を戻し、口惜しげな口調で葉山は言う。テレビは幼児向けの教育番組のようで、画面の中では、ゲジゲジを模したパペットが、ゴキブリを模したパペットに馬乗りになって、滅多打ちにしていた。
「それ、面白い?」
由紀枝が訊ねると、葉山が由紀枝の方に顔を向ける。この世の終わりでも見て来たかのような、悲しみと絶望に彩られた葉山の顔を見て、由紀枝は引き気味になりつつも、自分がひどく悪いことをしたような気分になった。
「助けろって百合に言われたの?」
ソファーに腰を下ろし、陸もテレビの画面を覗き込んでみたが、仕草だけだ。平面上のものは何も見えない。光の識別も不可能だ。
「百合には雪岡純子に手を出すなと言われてましたが、手を出してしまった。百合には貴方が危なくなったら助けろと言われていましたが、助ける代わりに命令違反。嗚呼……」
どこか芝居がかった言い回しの葉山。
「これこそ僕が蛆虫であるが所以……否、僕の殺し屋としてのプライドも軋んでいる。頭を撃ち抜いたのに死なないとか、どうかしている。今後こそ……殺さないと……」
「手を出すなって言われているのに、また手を出すのか?」
「はい。命令違反ですが、納得できないんです。もう手は出してしまいましたし、命令には背いてしまったのですから、このまま背きっぱなしで構いません。僕が蛆虫から脱皮して蠅になるためには、ちゃんと殺しきらないと駄目だと思います。このまま放ってはおけません」
静かだが、覚悟が漲る口調で語る葉山。彼のことをただの変人かと思っていた由紀枝は、少しだけ見直した。殺し屋としての矜持をちゃんと持っている。しかし――
(ある意味、陸よりもこの人の方がずっと危ないし、百合にとって扱いづらい人なんじゃないかな。陸はゲームにかこつければ、わりと操縦しやすいし)
一方でそう分析する。主たる人物よりも己の想いを優先する人物なのか、それとも百合への忠誠など元々大した事が無いのか、あるいはその両方か。
「ところで何用です? 百合は今留守ですが」
「俺は葉山に用があって来たんだよ。ここにいるかなと思ってさ。次の月那美香のライブ、葉山にも一緒に来てほしいんだ。しんどい頼みかもしれないが、俺が月那美香を狙っている間、芦屋黒斗の足止めをしてほしい。もちろん依頼料だって払うよ」
陸の要望を受け、いつも陰鬱たる面持ちの葉山の顔が輝く。
「僕の力が……必要ですか。嬉しいです。蛆虫である僕なんかが誰かの役に立てるなんて、こんなに嬉しいことは無い。頑張ります」
(ひょっとしてこの人すごく純粋なのかな? そのせいで殺し屋になっちゃって、百合に利用されちゃっているとか?)
本当に嬉しそうににこにこ微笑む葉山を見て、由紀枝はそう勘繰る。
「ていうか、蛆虫って何のこと?」
突っ込みたくてどうしょうもなかったことをとうとう突っ込む由紀枝。葉山の顔から笑みが消える。
「僕の事です……。何度も言ってるでしょ? 僕は姿形こそ人間ですし、人の言語を喋ってはいますが、魂は蛆虫なんです。本当は畜生道に堕ち、蛆虫に生まれるはずだったのが、うっかり間違えて人間の胎児に受肉してしまった、うっかり卑しい存在なのです」
「どうして魂が違うってわかるの? それに、もし間違えて人間として生まれたなら、それはもう人間でいいんじゃない?」
さらに由紀枝は問い詰める。面白いので相手の世界に合わせて、どんどん突っ込んでみることにした。
「うーん、どうしてわかるかと問われれば、それを説明するのは難しいし面倒ですね。本能がそう直感しているとも言えますし、僕の中でいろいろロジカルに組み立てられた根拠に基づいたうえでの結論でもありますので」
「よくわからないけど、自分は蛆虫だーって言って、その蛆虫が人間に劣る存在だーって言って、文字通りうじうじしているのよね? 別にうじうじすること無くない? 葉山さん以外は誰も葉山さんのこと蛆虫と思ってないし、葉山さんが勝手にそう思い込んで、勝手にうじうじして重くて暗い空気作ってるだけじゃん」
「ぐぬっ……。うじうじしているだけではないですよ。こんな僕にも希望があります」
一瞬ひるみながらも、毅然たる口調で葉山は言った。
「いつか僕は蠅になって、あの大空を自由に飛び回るんです。その時はもう、僕はうじうじなんてしていません。ぶんぶんしてます。間違いありません」
「人間になりたいとは思わないの?」
「物事には順序というものがあるでしょう? まずは蠅ですね」
葉山が微笑みをこぼし、虚空を見上げ、遠くを見るかのような面持ちになる。
「最近飛べる気がしてならないんですよ。そろそろいいんじゃないかなと」
おもむろに立ち上がると、葉山はその場で何度もぴょんぴょんと飛びあがり、手をばたつかせた。
「こうしてジャンプして羽ばたいていれば、僕の背が割れて、中から立派な蠅となった僕が空を悠然と舞うヴィジョンが、時折頭の中に浮かぶんです」
「蠅になった後はどうするの?」
由紀枝がさらに訊ねた直後。
「由紀枝、そろそろ帰ろう」
葉山の異次元のノリにげんなりしつつあった陸が、話を切り上げにかかった。由紀枝は軽く会釈し、先にリビングを出た陸の後を追う。
「本トにあの人もゲームプレイヤーなの? 陸とは全く違う感覚ぽいよ?」
陸の世界に話を合わせつつ、陸がどんな解釈で答えを出すかを期待し、由紀枝は訊ねてみた。
「うん、由紀枝の言う通り、ゲームの認識の仕方が俺とは違うんだ。もちろんここがゲームの世界だと言う事に気が付いてない」
「陸の受け取り方だって、必ずしも正しいっていう保障は無いんじゃない? これがどういうゲームかもよくわかってないんでしょ?」
こうして陸の思い込みに話を合わせて会話をする事が、由紀枝は楽しい。陸はいつも真面目に答えてくる。だから由紀枝も真面目に話に合わせる。
「基本的なシステムはわかってるよ。忠実すぎるくらい忠実にリアルを反映したゲーム。でも、何度も言うけど最終目的がわからない。ゲームクリアしようにも、その目的がわからないことにはどうしょうもないし。導き手である百合と遭遇したのはラッキーだったけど、彼女も全ての謎を教えてくれず、クエストを出すだけに留まってるしさ」
百合の名が出て、由紀枝の表情に陰りがさす。あの女は明らかに陸を利用しているだけだが、陸は信用してしまっている。
「あの百合って人は信じられない」
今までどう伝えたらいいかわからない由紀枝であったが、意を決しストレートに思うままの気持ちを口にした。
「何か絶対よくない企みがあるよ。で、陸を利用していると思う」
「だろうね」
由紀枝の警告に、陸は一瞬だけ苦笑を浮かべて、あっさりそれを認めた。
「俺も何となくそれは感じてるさ。でも手かがりが他に無くてゲームが進行しないんだもんよ。しばらくは百合をあてにするしかない」
陸の理屈を聞いて、いっそ自分もゲームの運営サイドだと名乗りでればいいんじゃないかと、由紀枝は思ったが、今更すぎるし、百合のようにうまく言い含められる自信も無い。
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