第九章 26

 唸るような声で術を瞬時に形成する。

 長い呪文も、極度の精神集中も不要で、短時間で完成する術。それでいて殺傷力は極めて高く、雫野の代名詞とも言える妖術。悪臭によって精神集中が妨げられる状態になってなお、その影響は受けなかった。


 至近距離で大量の光の点滅が乱舞するのを目の当りにする真だが、全く冷静だった。すでにこの術も、累と何度もシミュレーションを重ねている。だが近距離で使われるのは少々計算違いであった。近距離であればみどりも武術のみで応じると思っていたからだ。


 真からすると、できればみどりと距離を取りたくはない。悪臭による術封じなどそう長くはもたないので、接近戦だけでたたみかけたい。それに加え、近距離なら術を用いるみどり本人もダメージを受けかねないために、用いる術も限られてくる。


「あの術をあの距離で……」


 悪臭に鼻を抑えて歪んだ表情の幸子が呻く。術者本人に全く当てる事なくコントロールしきれるものか疑問であった。あるいは、自身もダメージを受ける事を覚悟で用いているのか。


 みどりと真の周囲を取り囲むようにして現れた、点滅する三日月状の光が一斉に動いた。

 猛スピードで全方位から真に向かって殺到する光の点滅に対して、真はブレザーの内側から大きな赤茶色の布を引っ張りだし、まるで火を服ではたいて消すかのように、光を払い落としていく。


 その光景を見てみどりは目を剥いた。布で払い落とせるようなものではない。何かギミックがあるはずだ。それを確認する事はかなわず、みどりも乱舞する光の攻撃から逃れるべく、身をかがめて床を蹴る。真に気をとられたせいで動きが鈍り、自らの術を手足に三発ほど食らって、血飛沫が上がる。


「あれって……」


 幸子が思わず声を発し、傍らにいる累を一瞥する。幸子はその布に見覚えがあった。かつて累が羽織っていた、幸子の術を無効化したマントだ。


(すげー邪悪で強いパワー感じるなァ、あれ。御先祖様から借りたわけだ)


 みどりも真の手にあるマントが、累の所有物である強力な魔道具である事を一目で看破する。


「累――」


 再び真が累の名を呼び、累の方に手を出して、何かを投げてよこすよう促す。


「ふぇ……いや、ちょっと待ってよォ~……それって……」


 その光景を見てみどりは抗議しようとしたが、それより早く累からまた水筒を投げてよこされ、真がそれを受け取る。今度はさっきより大きい。


 水筒の中身をまたみどりの方に向かって投げ、床にぶちまける真。先程とは違った悪臭が漂う。同じ悪臭で慣れさせないつもりかと思ったみどりであったが、今回はそれだけに留まらなかった。


「ふわああっ、何これ! 目が~っ」


 床の液体に含まれた何らかの物質が揮発化し、みどりの目に焼けつくような痛みを与えた。あまりの痛みに戦闘中だというにも関わらず目を開いていられなくなり、両目を閉じて両手でこする。

 同時に、異なる悪臭によってさらに気分を悪くもされている。嗅覚に対する度重なるダメージに加え、今度は視覚にまで痛みを与えられ、神経的にかなり参らされている。集中力はどんどん鈍っていき、闘争心も萎えかけている。


 よろめくみどりに、再び攻撃を仕掛ける真。今度は突きではなく、胴を横薙ぎに切り払おうと試みたが。


「糞餓鬼が。調子にのんなよ」


 今までのノリから一変した、凄みのきいた響きの声がみどりから発せられた。

 痛みをこらえて無理に目を開き、強烈な怒気を孕んだ視線が真に浴びせられる。老齢した者だけが持ち得るその声の響きと視線は、見た目が少女であるみどりの魂を一瞬透かしたかのように感じさせた。

 萎えかけた闘争心を逆に奮い起したみどりは、薙刀で難なく真の刀を受けとめる。


「累――」

「いやいや、ちょっと待った~っ!」


 刀と薙刀を交差させたままの恰好の真に呼び掛けられ、再び累が何か投げようとした矢先、みどりが大声でそれを制した。


「サシでの勝負とか言いつつご先祖様の力借りまくってんじゃんよォ。あらかじめアイテム用意するだけならまだしも、途中で投げ入れられるってどうなのぉ~?」

「別にこのくらいはいいだろ。ボクシングだって合間の休憩に、セコンドが選手にワセリンをぬったり水飲ませたりしてるじゃないか。あれと同じだ。そう解釈して納得しろ」


 みどりの抗議に、真顔で滅茶苦茶な屁理屈を返す真。


「ふわぁ……じゃあ、あたしのセコンドはどこにいるってのさぁ~」

「知るか」


 躊躇っていた累が、真へまた何かを放り投げてよこす。

 痛む目でみどりがその動きを追い、真の手が掴む直前に、薙刀の石突でもって下から弾き飛ばした。


(今の手ごたえは何? 柔らかかったけど)


 不審に思い、弾いたそれを一瞥するみどり。今度は水筒では無く、サッカーボール大くらいの大きさの、ふさふさの毛玉のようなものだった。


「手間が省けた」


 みどり同様に床に落ちたそれに一瞥をくれ、真が言った。

 毛玉が崩れてばらばらになり、ふさふさした毛が大量に宙を漂う。一見して獣の毛に見えるそれだが、ただの毛がこんな不自然な動きをするはずもない。

 真の発言から察するに、刺激に反応して毛が撒き散らされる仕組みなのであろう。だがそれがいかなる効果を及ぼすかはわからない。これまでのパターンからすると、五感への攻撃であると思われるが。


(術封じのために感覚への攻撃か……単純だけど、すげー効果的だよォ……。漫画みたいに、気合いやら凄味やらキャラの格付けによる不思議パワーでどーこーできるもんじゃないし。超常の力を持たぬ身で、あたしに勝つための算段を練りに練ってきたってわけだ……)


 そこまでして仇討ちをしたいものなのかと、みどりは考える。

 先程も思ったが、そうではないと改めて思う。それは口実にすぎず、真には何か別の狙いがあると。


 漂う毛に触れまいと、そして真から距離を置かんとして、毛が漂う場所とか逆方向へと移動するみどり。真もそれに合わせ、ぴったりと追ってくる。


(臭いはもう慣れてきたし、所詮一時しのぎよね~。その慣れるまでにけりをつけておくべきだったのになァ)


 ほくそ笑み、呪文を唱え始めるみどり。みどりの詠唱を確認した真が、させまいと大きく踏み込んで突くが、みどりは詠唱と集中を行いながら、あっけなく体を翻してその攻撃をかわす。


「黒蜜蝋」


 術が完成し、みどりの髪から黒い液状のものが流れだし、床へとこぼれ落ちる。床が一気に黒ずむ。この術が如何なる代物であるか、すでに累に聞いて確認済みの真であるが、至近距離で発動されて戸惑い、対処の反応が遅れた。

 床の黒ずみが広がっていく。触れないように後方へ跳躍した真だが、右足が服ごと真っ黒な蝋へと変わった。


「へーい、どうよこれ。厄介な術でしょ~」

 片足を封じたのを確認して、みどりが歯をみせて笑う。


「昔、人間を蝋人形にしていたサイコな芸術家がいてね~。そいつの霊魂を利用した術なんだけど、みどりの力っつーよりも、そいつの創作にかける情熱のパワーの方が、術の威力を強める作用にでかく影響している感じだわさ」


 真の動きが止まったのを見て、喋って時間稼ぎをするみどり。視覚と嗅覚の回復が未だ完全ではない。


(これ、もう勝負決まったんじゃない?)


 幸子は思った。格上の相手に対して小賢しく策を弄して相手の攻撃を封じ続け、食らいついていただけの状態であったのに、逆に片足を封じられて動きをほぼ止められたとあっては、どうにもならないように見える。


「ま、よく頑張ったよぉ~。御褒美にとっておきを見せてやんよ。凌げるもんなら凌いでみ?」


 呪文を唱え始めるみどり。真はそれを見て懐から携帯電話を取りだす。


 何をしたのか、幸子にはわからなかった。携帯電話から強烈なモスキート音を発して術を乱す試みであり、幸子には肉体年齢的に聞こえない領域の音だった。累は隣で耳を抑えている。

 しかしみどりは平然としている。音による攻撃を予期し、すでに耳には術で細工していた。


「黒髑髏の舞踏」


 みどりが術名を告げる。辺りにたちこめる濃い妖気で、かなり強い術が完成した事を幸子は察知し、術の正体を知っている累は真を案じて慄いた。


 何も無い空間から、突然無数の骸骨が沸いて出た。骸骨は全身が黒く、漆でも塗ったかのように黒光りしている。

 そのうち訓練場全体が、夥しい数の黒い骸骨で埋め尽くされた。真の周囲も、累と幸子の周囲も、骸骨がいる。それらは全てぼろぼろの服を着ていて、服装は様々だ。スーツ、僧衣、黒ずんだボロ、王冠を被った豪奢な衣、着物、中にはコスプレとしか思えないものもある。そして骸骨達は皆激しく踊っていた。髑髏は笑うように歯を打ち鳴らしていた。


「何かの本で見た事があるな。この光景」


 真が呟く。いつもと変わらぬ無表情なので、見た目は平然としているかのようにも見える。


 何十人もの信者を収容できるほどのスペースがある訓練場を覆い尽くすほどの骸骨。これらが襲いかかってきたとなると、ただでは済まない事は当然わかっている。しかし――


「ダンスマカブルって奴よォ~」


 みどりが指を鳴らす。直後、骸骨らが一斉に真へと殺到した。

 後ろの骨が前にいる骨を押し潰すかの勢いで、骸骨達は真へと群がる。噛みつき、殴り、殴って砕けた骨が真の体に突き刺さる。自分で自分の骨を折って、ナイフのように真へと突き刺す者もいる。


(いくらなんでもやりすぎでしょ……。これでは殺してしまいます)


 狼狽する累。骨の波にのまれて真の姿はもう見えないが、深刻なダメージを負うのはわかりきっている。そしてこの術に真が対抗できない事も。


(使う術を間違ったんじゃないか?)


 しかし真は、頭の中で微笑む自分の顔を思い浮かべていた。

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