第八章 22

 朝の訓練を終えてグエンや真達と別れた幸子は、みどりの隙を伺いに、立ち入り禁止区域近くへとやってきた。

 監視カメラが多くて迂闊に近づけない場所であるが、空間を歪めてカメラに自分の姿を映さなくする事はできる。だが監視カメラ抜きにしても、警戒が必要な場所である。一人でこんな場所をうろついて、みどりをガードしているバイパーや麗魅と鉢合わせする危険性があるからだ。


 稀にではあるが、みどりは一切護衛をつけずに一人で歩いている事がある。幸子は今まで二度ほど、みどりが単独で行動しているのを見かけた。ただし信者の多い場所に限っての話であり、手出しはできなかった。

 単独行動をする際、人気の無い立ち入り禁止区域周辺ではどうしているのか? もしそこでも一人でいるのであれば、その時こそ狙い目になると幸子は考えた。


(今ならだれもいないし、結界を築くこともできる)


 幸子は周囲を見回しつつ、呪文の描かれた小石を床と壁の継ぎ目に置く。さらに術を唱えて空間を歪め、小石の存在が視覚的に察知されないようにする。

 同じ行為を迎いの壁で二回行い、三角形の簡易結界が完成する。外からは見えず、幸子以外は容易に入る事ができない亜空間。その中にするりと潜り込み、みどりが来るのをじっと待つ。

 同じような待ち伏せをかつて二度行ったものの、一度は一日中誰も通らず、一度は護衛つきで通ったため手出しが出来なかった幸子である。


 二時間程経過した後、幸子は結界の外で誰かが接近してくる気配を感じ取る。

 現れたのはみどりとバイパーの二人だった。廊下を歩いてくる二人を見て、幸子は落胆する。また護衛がいる状態だ。


(いっそのこと、護衛を先に無力化してその隙に一気に倒しにかかってもいいわね)


 慎重を期して、人気の無い場所で単独になる機会を伺い続けていた幸子だったが、これではいつまで経ってもミッションを達成できない。


(よし、今のうちに盲霊を呼び出して、真横に来た所で結界を飛び出して霊を仕掛ける)


 幸子が腹を決めたその時、こちらに向かってくるみどりの足が止まった。


「ん?」


 バイパーもつられて足を止め、怪訝な顔でみどりを見る。


(殺気が結界の外まで漏れた?)


 警戒する幸子。殺気を完全に消すなど不可能ではあるが、ぎりぎりまで抑える事はできるし、何より結界越しであれば、そうそう察知できないはずではあるが。


「ふわぁ、すっごくうまく気配隠しているのが、すぐ側まで来ちゃっているんですけれど、毒蛇ちゃんは気づかないんですかーい?」


 幸子の潜んでいる場所を真っ直ぐ見つめて言うと、みどりは歯を見せて笑った。


「わからなかった。よーするに、すぐ側の空間のポケットの中に隠れてやがるわけか」


 バイパーも幸子の方に視線を向ける。何故突然バレたのかわからない。以前は気づいていなかったし、本院のあちこちにこしらえた結界も、バレなかったからこそ自分はこうして無事でいられたはずだ。


「亜空間結界をそこら中に作ってる事は知ってたからさァ、空間の歪みには特に気を付けながら歩いてたんだな、これが。幾つかは見つけたんで、どんな術法で結界を築いたかも把握済みだよぉ~。で、昨日辺りから注意深く警戒しながら歩いてたってわけ」


 まるで戸惑う幸子の疑問に答えるかのように、みどりは空間の壁越しにじっと幸子を見つめて喋っている。

 もはや隠れている意味は無いと悟り、幸子は意を決し、術を発動させると同時に結界を解いた。幸子の姿が通常空間に現れると同時に、六体の盲霊が呼び出されて一斉に喚いた。


「何だこりゃ、目が見えねー!」


 盲霊の叫び声を聞いたバイパーは全身総毛立つ感覚を覚えたかと思うと、視覚を失い、前かがみになり狼狽気味に叫んだ。


「へーい、さっちゃん、いらっしゃーい。ちょろちょろ動いていたのは知ってたけど~、結界の中にすぐ隠れちゃうし、こっちから探すの面倒くさいから、そっちから仕掛けてくるのずっと待ってたんだよォ?」


 一方でみどりは平然とした様子で、幸子に語りかける。

 幸子はみどりを無視してまずバイパーを仕留めにかかった。銃を抜き、頭部と胸部を狙って二発撃つ。


「いってー。かなりの貫通力ある弾だな、こりゃ」


 頭部に銃弾が直撃したにも関わらず、顔を歪めただけで血の一滴も出さないバイパーを見て、目を剥く幸子。警察署に殴り込みをかけて皆殺しにするような人物とは知っていたが、銃弾も通さぬ化け物だとは思わなかった。


「この人はみどり向きだね~。こないだ遊ぶ約束もしていたし、ほれほれ、脳筋はひっこんでなさーい」

「ふざけんな。見えないくらいでどーにかなる俺だと思ってんのか」


 意地を張るバイパーの頭部めがけて、再び銃が撃たれる。大きくよろめくバイパー。


「あばばばば、強がった直後にいい一発もらってるし~、うける~。無理せず引っ込んだ方がいいって。この人はバイパーと相性悪いよォ。この人はあたし向きだぜィ」

「守ってやってんのにこの態度だ。ムカつくなー、もう」


 舌打ちしつつも、バイパーは後方へと下がっていった。この展開は幸子からすると意外というか、願ったりかなったりであるが、これでは護衛の意味などまるで無いのではないかと訝る。


「イェアー、解放の日が終わるまでは生きていたいから、ありがたいと思ってまーす」

「それ何度も聞いた。その後死ぬつもりでいる奴を守る意味があるのか、正直疑問だがな」


(死ぬつもり?)


 バイパーが口にしたその言葉が、幸子は引っかかった。そのままの意味で取れば、それがどういう事なのかは容易に想像できる。


 盲霊達が再び喚く。直接憑依に比べて威力は低いとはいえ、それでも抵抗力を持たない常人であれば、盲目状態にするには十分であるはずだが、みどりは平然としていた。


(憑依能力に抵抗力を持つ術師でも、この数の霊を直接当てればどうかしらね)


 六体の盲霊が様々な角度からみどりに襲いかかる。それと同時に幸子自身もみどりめがけて発砲しようとしたが――


「あばばばばっ! さ、せ、なぁい!」


 みどりが笑いながら一喝すると、六体の霊が床から噴き出た鮮やかな緑の炎に包まれて、一瞬にして浄化された。


(これは……!)


 幸子はその光景を見て目を剥いた。かつて一度その術を見た事がある。


(雫野流妖術!?)


「あばばば、雫野の術師相手に操霊術とか悪手すぎだぜィ。へーい、次の手次の手。さっさとおいで~。かっもぉぉ~ん」


 挑発するみどりに、やけくそ気味に銃を二発撃つ幸子。


 銃弾はみどりに当たらなかった。みどりは動いていない。みどりの胸元から何かが伸びて猛スピードで動いた事だけが、幸子の目にもわかった。おそらくそれによって、銃弾が弾かれたのであろう。

 それが何であるかはすぐに判明した。みどりの襟元から黒いリボンが伸び、幸子めがけて襲いかかってきたのだ。


 回避を試みて横に跳んだ幸子だが、リボンは幸子の手ごと銃を絡め取り、血が噴き出すほど肉に食い込んで、締め上げる。


「んで、次は? 早くして~。ほらはやくー。あんた何しに来たのぉ~。あのヨブの報酬の刺客なんでしょーがよ。もう少し楽しませてくだちゃいませー」


 リボンを襟元から外して手に持ち替えたみどりが、片手ごと銃を封じられた幸子をなおも挑発する。

 幸子は自由の利くもう片方の手で、亜空間ポケットから刀を抜き様にリボンを切断せんと試みたが、刀がリボンに届く直前に手と銃から離れ、瞬時にして縮んでみどりの手元へと戻っていった。


(盲霊が効かないとなると、剣と銃でやりあうしかないけど、あのリボンは曲者ね)


 一瞬にして距離を詰めて伸び、こちらの動きを絡め封じてくるリボン。その動きにも速度にも、幸子は追いついていない。


(今すぐに対処する手段を思いつかないと。あちらはロングレンジなうえに、こっちより格段に速いし)


 自分の攻撃が届かぬまま一方的に蹂躙されるビジョンが、幸子の脳裏をよぎる。


「ふえぇ……駄目だこりゃー。この人さァ~、弱すぎるよォ。何しに来たの? こんなもん? ヨブの報酬のエージェントってこんなもんなのでちゅかあー? こないだ来た雫野の術師のが余程強くて楽しかったよぉ~?」


 挑発した後、口をひろげてにっと歯を見せるみどり。毎度おなじみの、見る者の心を和ませる効果のある笑みだが、この時ばかりは幸子の目にはとんでもなく憎らしく映った。


「ふわあ、まあ仕方ないですかねー。何しろみどりより強い人って今まで見たことないしー。控えめに言っても世界最強ぽいからー。あぶあぶあぶ」

「こんなのが最強とか、締まりが無さすぎだろ……」


 おどけた口調で言うみどりに、視力を取り戻しつつあるバイパーが溜息交じりに呟く。


「雫野の術であっさり潰しちゃってもいいんだけど、ここはあえて、こいつで勝負してあげましょーかね~」


 長い棒がみどりの両手に握られた状態で出現する。何も無い空間からアポートによって取り寄せられたその得物は、薙刀の木刀だった。

 幸子としては初めて対峙する武器であった。単純にリーチだけでも不利であるうえに、中段に構えたみどりに、全く隙が見受けられない。初めて対峙する武器であっても、みどりが相当熟練した使い手である事は一目でわかった。

 みどりは半身で幸子と向き合い、自分からは攻めようとはせず、明らかに幸子からの攻撃を受けようという構えだ。


(最初の一撃をやりすごして一気に懐に飛び込むしかないか)


 幸子のその判断は、薙刀という武器と武術を知らぬが故であった。もし少しでも知識があれば――薙刀という武器が、懐に入った相手にも対応できる代物であると知っていれば、間合いを一気に詰めるにせよ、より警戒して行ったであろう。


 徒手空拳でみどりめがけて幸子が駆けだす。みどりの薙刀の間合いに入ったその時、亜空間ポケットから刀剣を取りだし、斬りかかる所存だった。

 明らかにみどりの攻撃が届く間合いに入っても、みどりは動く気配が無かった。一瞬戸惑った幸子だったが、相手が受けに徹するならこちらも攻めぬくまでと決め、亜空間より刀を抜き、横薙ぎに斬りつける。


 みどりはすり足で半歩後ろに下がり、薙刀の切っ先を上げ、幸子の動きに合わせて、無駄の無い最小限の動きで、刀身めがけて薙刀を振り下ろし、薙刀の刃に当たる部分で幸子の刀を打ち落とした。

 幸子の刀を打ち落とした直後、間髪置かずにみどりは一歩前に踏み込み、その踏み込みと同時に、薙刀の石突(刃の反対、柄の一番下にある部分)を振り上げる。体勢の崩れた幸子の喉に、薙刀の石突による突きが直撃した。


 白目を剥いて崩れ落ちる幸子。口笛を吹くバイパー。傍目から見て、みどりの動きはほんの一瞬の間に行われていた。まさしく瞬きする間に勝負は決まっていた。

 幸子は刀が打ち落とされた後に何が起こったのか、理解する事も無く意識を失う。


「殺さないのか?」

 失神した幸子を見下ろし、バイパーが問う。


「うん、生かしといてー。犯すのも禁止ねー。おっぱい揉むくらいなら許す。んで、もしヨブの報酬から新たに刺客が送られてきたら、その時に利用するかもだわさ。もしかしたらシスターそのものが来たりするかも」

「そのシスターってのはオーバーライフなんじゃねえか?」


 バイパーも主人経由の情報で、その名だけは知っていた。


「イェアー、間違いなくそーでしょーよ。二千年もの間、歴史の裏で暗躍し続けた秘密結社の棟梁だもん。てなわけで、閉じ込められそうな部屋に運んでおいて~。こっそりおっぱい揉んでいいから」

「気絶している便器いじるとか、そんなセコい助平心はねーよ」


 つまらなそうに言い返すと、バイパーは幸子を抱きかかえ、自室へと向かうみどりとは逆方向へと歩き出した。

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