第二章 19

 アジトの奥へと進んだ弓男達は敵の第二陣と遭遇し、再び激しい撃ち合いとなったが、入り口での撃ち合いとは異なり、すぐさま決着がつくような事はなかった。

 破竹の憩いの構成員達は、工房前の通路にバリケードを築いて、工房を出入りしながら強力な火器を用いて激しく抵抗している。

 ありったけの銃弾をかき集め、近寄らせまいと弾幕を張り続ける彼等に、弓男達は手のうちようがなくなっていた。


「時間稼ぎをしているな」


 通路の曲がり角の壁に背を預けた真がぽつりと呟く。真のみ、最初に少し撃ってから、あとは一向に撃ちにいこうとはしない。流石の真も、先程とは段違いの銃弾の雨あられの中に、躍り出ることはない。


「何のための時間稼ぎだ! 裏口からここの連中を逃がすためかよ!?」

 角から銃だけ出して応戦する鷹彦が、叫ぶように問う。


「玩具が出来上がるまでの時間稼ぎだろうな。まあ、あれだけ守りを固められたら、膠着状態だ。向こうも積極的に討って出るつもりもなさそうだし」

「玩具? 前にもそんな言葉を聞いた覚えがありますが?」


 弓男が真に尋ねた丁度その時、相手からの銃声がやんだ。


「来たな」

 真が一言呟くと、曲がり角から無造作に身を投げ出す。


「もしかしたらフェイントかもしれねーってのによ。いい度胸してるわ」


 そう言いつつも鷹彦も真の後を追って、それまで銃弾が無数に飛んでいた空間へと歩を進ませる。


「はい、御苦労様―。思ったより早く完成しちゃったからさー。じゃ、皆は裏口から逃げておいてねー」


(この声は……)


 聞き覚えのある耳に心地好い弾んだ声。だがその声を耳にして、弓男の背筋には冷たいものが駆け抜けていた。


「どうした!?」


 一人、その場に残ったまま動こうとしない弓男を見て、美香が不審そうな面持ちになる。


「私にもわかりませんけど、ビビっちゃってますね、これ」


 真が語ったように、自分が未だ実験台のままであり、これからまたサンプルにされるということが真実であれば、純子と一戦交えるつもりであったが、当の純子が現れ、姿を見る前に声を聞いただけで、弓男は臆してしまった。本能が大声で告げている。戦ってはいけないと。

 恐怖を必死で押し殺しながら、弓男は曲がり角から身を乗り出す。通路を塞ぐバリケードを取り除く鷹彦と真の姿。心配そうにこちらを見る美香。肝心の人物の姿は無い。


(ここまで恐怖を感じたのは久し振りですね……裏通りに堕ちて、初めて命がけの戦闘をした時以来です。でも、あの恐怖とは根本的に質が違いますが)


 弓男の背には大きな背負い袋があった。それを床に置き、口を大きく開けておく。中には先程の入り口での攻防の際に死んだ、ここの構成員の手にしていた銃器の数々が詰まっていた。サブマシンガンやアサルトライフルの類だ。


「お前も手伝えよっと」


 弓男に声をかけて、鷹彦が通路に置かれた箱を横に放り投げ、開通させる。


 真が一番先に、崩されたバリケードを抜けて、工房へと入っていった。鷹彦と美香がそれに続き、最後に弓男が工房に入る。


「やあやあ、いらっしゃーい。ラスボス戦、はーじまーるよーっ」


 両手を大きく広げて、屈託の無い笑みを広げて迎える純子。


「おいィ? 何だ、あの変態っぽいのは……。柿だし」


 純子よりも、背後にいる怪人に改造された柿沼の方に、鷹彦の目がいった。


「おやおや、相変わらず可愛いですね。これ」


 呼吸を整え、何年かぶりに再開した純子に、こちらもにっこりと微笑みながら声をかける弓男。何年経っても愛らしく美しい少女の姿のままであることに、改めて人間離れした存在であると再認識する。


「あ、ありがとさままま……」

 真に受けて照れまくり、頬をかく純子。


「弓男君はすごく雰囲気が変わったよー。顔は子供っぽいままだけど、オーラはちゃんと歴戦の兵って感じだしさー」

「あははは、人畜無害を絵に描いたみたいだと、人からはよく言われます。ええ」


 軽口を叩いている一方で、弓男は己の脚が未だ小刻みに震えていることに気づく。本能が再び警告を発している。それ以上前に出るなと。それ以上目の前の少女に関わるなと。

 十年間、修羅場を潜り抜けてきた自分が、目の前にいる真紅の瞳の少女に対して、かつてないほど恐怖している。希代の革命家と言われ、世界規模でメジャーな英雄と化した自分が、無様にも脅えきって震えているというこの現実。

 いや、修羅場を潜り抜けてきたからこそ、生命の危険に過敏になっているのだ。命の危険は常に纏わりついているが、ここまで危険信号のブザーが大きく鳴ったことはない。


(でもね、私がこれからこの子と戦う意志もあるからこそ、この恐怖もあるわけですよ。できれば戦わずに済ませたいですが)


 恐怖を超克する術はすでに十年前より知っている。この世界に生きている者は、誰であろうと恐怖を持ち合わせているし、恐怖と折り合いをつけられるからこそ、死と隣り合わせの世界で生きていられる。


「そこにいる真君からね、話は全て聞いちゃいましたよっと。私が破竹の憩いを潰そうとしたのは君の手引きによるものだってね。それ、本当ですか?」

「うん。本当だよー」


 弓男の問いかけに、純子は笑顔のままあっさりと肯定する。


「ふむふむ。で、何の目的でそんなことをするんでしょ?」

「マッドサイエンティストに対してそんな質問されてもなぁ。ただの研究欲と遊び心だし。その研究目的自体を話せばいいのかなあ?」


 純子が後ろ向きに跳びあがり、コンテナの一つに腰かける。助走も無しに軽く2メートル以上跳んでいる。


「科学者とかより、オリンピック選手した方がいいんじゃね」

 鷹彦が呟く。


「私はもう何百年も昔から、超常の領域の研究をしていたの。どうしてごく一部の人しか超常の力に触れられないのか。その力に、領域に、もっと多くの人が気づいてもいいはずなのに、どうして気づかないのかもね。まあ十年前まではどこの国でも情報操作されて、それらが空想妄想の類ということにされていたからっいう理由もあったけれどね」

「まさか裏通りにおける超常の能力者は、全部君が作ったとか?」

「あはは、いくらなんでもそれはないよー」


 弓男の問いをおかしそうに否定する純子。


「神様とか幽霊とか魔法とか魔物とか悪魔とか死後の世界とか異世界とか転生とか、そういった目に見えない超常の領域をさ、何で人間は頭の中に思い浮かべるんだと思う? ただの願望とか空想ではなくて、それらが有るということを、遺伝子か、魂か、さもなければその両方が知っているからこそ思い浮かべるんじゃない? 神に祈る本能、死者を恐れる本能、幻想に憧れる本能、これらは全部人間という生き物に備わった本能であり、人間の中に眠る力への扉を開く鍵なんじゃないかって、私は思うんだ。私がとった統計によると、その鍵を回したいと願う人ほど、その眠れる力への扉は開きやすいんだよね」

「ふむふむ。大きな力を欲する者、生きることに絶望した者を、都市伝説のような噂で集めて、実験台にしているという話にも繋がるわけですね」


 純子の話が長くて、弓男は助かった。その間に弓男は気持ちを落ち着かせる事ができる。


「だねー。生まれついて特殊な能力を備えていたり、何かのきっかけで目覚めたり、修行して術という形態を会得して力を引き出したりする人達はいるけれど、そういうのはごく一部に限られちゃっている。私はねえ、人の中で眠っている力をもっと自由にお手軽に呼び覚まして、誰でも簡単に身につけられる方法はないかと、ずっと探っているんだよ」

「ふむむむ、それがお前の目的ってわけか。何かすげーな」


 感心したように鷹彦。純子が何故そんなことを望むかは理解も共感もできないが、目的のスケールだけは感心できる。


「まあ、目的の一つかなあ……」

 足をぱたぱたと動かし、何故か曖昧な笑みをこぼす純子。


「でも、もしその研究が実を結んだら、世界はとってもカオスになっちゃいそうですねえ……」

 と、弓男。


「面白そうでしょー。でもさー、何百年もかけて研究し続けているわりには、うまくいってないんだよねー、これが」


 微笑みを張り付かせたまま、純子は小さく嘆息する。


「君達と同じように、超常の力の付与を何万人と試してみたけれど、確実にうまくいく方法は、あまりわかっていないんだよねー。いや、確実な方法もちょっとくらいは、確立しているけれどね。でも大抵おかしな副作用が出て死んじゃったり、寿命が凄く縮んじゃったりとかしてさー。さもなきゃ大したことの無い力だったりとかね。んで、前にも言ったけれど、君や美香ちゃんは、偶然の産物か、元々の素質が芽生えただけなんだよ。解明されていない何かが、あるはずなんだよね。私はそれを解き明かしたいんだー。はっきりとした科学的根拠を突きとめたいの」

「純子ちゃんの人生目的はわかりましたが、私達や破竹の憩いを噛み合わせる理由がわかりませんね。真君から聞いた話では、私の力を計るための舞台だそうですが、こんなまわりくどい形にしなくてもよかったのでは?」


 本気で自分を再び研究材料にするのなら、もっとてっとり早く捕獲して、強制的に実験を行えば済む話である。


「わざとまわりくどくするからこそいいんだよー。思い通りに簡単に物事を運ばせるよりも、予測不可能な状態の方がいいって感じかなあ。舞台を用意して、主役にだけは台本は渡さずにアドリブで劇を演じてもらうのって、面白いと思わない? それが私の趣味かな。でもこの遊びだって、私には理念も信念もあってのことなんだよお。生き残った人には鮮烈な思い出になるじゃなーい。もちろん私にとってもね。私はね、その思い出作りをしているんだよー」


(思い出作り……)


 純子の話を聞いて弓男は一瞬眩暈を覚えてしまった。大勢の命を巻き込み、他人の人生を弄んでおきながら、舞台、劇、楽しい思い出作りなどという言葉を本気で口にしている。


(悪だ。倒すべき悪以外の何者でもない。私に……力を、新しい生き方を授けてくれた子なのに。感謝も尊敬もしていたのに……)


 怒りもあったが、それ以上に悔しさと悲しさとやるせなさの方が大きく、弓男の中で渦巻いていた。


「そうですか。よ~くわかりました」

 弓男は腹を決めた。


「そこにいる真君は、私が純子ちゃんの研究材料になるのが気に食わないので、私を助けてくれると述べていました。そんな真君にはとってもとっても悪いと思いますが、私は私の手で、呪縛を断ち切らせていただきますよ」


 弓男が銃を抜き、コンテナの上に腰かける純子に向ける。


 大恩がある純子と争う展開にしたくなかったのも本音だ。だが純子の口から出た内容は、弓男の想像の斜め下をいく最悪な代物だった。弓男の中で決して認められない、許しがたい存在だ。どう考えても悪だ。見過ごすことはできない。


「そっかー、やっぱりそうなると思ったんだー。で、どうするう? 真君」


 コンテナの上に立ち上がり、純子は微笑んだまま真の方に視線を向ける。


「これって、真君にとって一番嫌な展開になったんじゃなかいなあ?」

「問題無い。こうなることも予想していた。想像しうるあらゆる展開を予想しておけと僕に教えたのは、お前だろ」


 真が弓男の前に素早く躍り出て、純子との間に割って入る形になる。それを見て鷹彦も銃を構える。銃口の先はもちろん真だ。


「なるほどねー。やっぱ、君は純子ちゃんの味方をしますかー」


 真に向かって微笑む弓男。この展開も想定していたので、驚くことは何も無い。


「一応僕の役目はこいつを守ることも含まれるからな。危害を加えようとする者を黙って見過ごすわけにはいかないらしいんだ」

 他人事のような口ぶりの真。


「それじゃ残念ですがね、一緒に始末しちゃうしかないってことで」


 卓越した戦闘力を持つ真と、人智を超越した力を持つ純子、さらには純子が連れてきた未知数の力を持つ怪人を敵に回して、果たして勝てるのかどうか。そんな現状を弓男は計算していない。とにかく純子を倒さずにはいられないという気持ちだけに、とらわれている。


「珍しいねー。真君が私にすんなり協力してくれるなんて」


 純子が言った直後、真が振り返り、純子めがけてショットガンを発砲する。撃った時にはもう純子はコンテナの端へ移動していた。

 その動きを弓男も鷹彦も目で追えなかった。テレポートでもしたかのように、気がついたら居場所が変わっていたかのように見えた。


「おいおい? 何してんのよ、こいつ。敵になったり味方になったり、忙しい奴だなあ」


 真に向かって銃を向けていた鷹彦が唖然とする。今もまた敵になったかと思ったら、純子に向かって撃つし、真を撃っていいのかどうか、鷹彦は判断できずにいた。


「誰も協力するなんて言ってない。お前の玩具にするにはもったいない男だ。それも邪魔させてもらう」


 真が弓男と純子の間に立って両手を上げ、弓男の方にサブマシンガン、純子にはショットガンの銃口を向ける。


「えっと、あのー……つまりあれですか? 私が純子ちゃんを殺すのも防ぎつつ、純子ちゃんが私を捕獲するのも防ぐのを、一人で同時にやっちゃおうと? えっと……もしかしなくても、とっても難しいことじゃありませんかね? それ」

「ああ、大変だよ。馬鹿二人分の面倒を見なくちゃならないからな」


 面白そうに笑いながら尋ねる弓男に、真はいつもの抑揚に乏しい声ではなく、明確に苛立ちを込めてそう返した。


「むー、どうしたらいいかわかんねえなあ。あいつは弓男の味方もしてくれているわけだし、それを殺すってのも……」


 逡巡しながら横目で美香に一瞥をくれる鷹彦。美香は凛然たる面持ちで、純子を凝視している。


「成長したねぇ、真君。うん、いいねいいねえ。素晴らしく面白い判断だよー。んじゃ、改めてラストゲームといこっかー」


 嬉しそうな笑みをひろげ、コンテナから飛び降りる純子。


「不運の譲渡!」


 が、純子が飛び降りた瞬間に、美香の叫び声があがり、純子は着地の時点で片足を滑らせて、盛大に尻餅をつく。先程の不運の後払いによってストックしていた不運を、今の運命操作によって純子に移し変えたのだ。


「あれま」


 尻餅をついた格好のまま、意外そうに美香を見て、一言発する純子。


「いくら真でも二人のお守は重荷! 洒落ではない! 純子! 君の相手は私がしよう!」


 転倒した純子を指差して言い放つ美香。


「真! 殺さない程度に体に説得するんだ! もう一度言う! 殺すなよ!」

「僕も殺したくは無いが、完全な保証はできないな」


 サブマシンガンを捨て、ショットガンだけを弓男に向けて構える真。これでどうやって殺さない程度で済ますのだろうと思い、おかしくてまた笑ってしまう弓男。


「体に説得って、何かいやらしいですね、これ」

 弓男が言う。


「そう考える方がいやらしい! このセクハラ革命家め! さっさと真にのされてしまえ!」


 弓男に一瞥をくれて叫ぶと、美香は銃を抜き、銃口を純子に向けた。


「あいたたた……美香ちゃーん、私の依頼した仕事、放棄しちゃうのー? それでいいのかなあ?」

 起き上がって白衣をはたきながら、笑い声で問う純子。


「ノープロブレム! これが君の望みだろう! 純子!」

「んー? 私の望み?」

「君は私に力を与えた! そのうえで私に正義の味方になることを勧めた! 私は見込みがある! 他とは違って特別だからと言ってな! 私もその気になって、正義の味方と呼べる仕事をしている! この先もこの生き方を続ける気でいるし、それは私の望みであり君の望みでもある! そして正義の味方の仕事は……!」


 話している途中で純子に向かって二発撃つ美香。


「悪人の邪魔をすることだ!」

「それと私の依頼の放棄とは、関係無いと思うんだけどなあ」


 わずかに体を揺らしただけで銃弾二発を回避する純子。笑顔もそのままで、余裕たっぷりという風に弓男の目には映った。


「特別とか見込みありとか、私にも言っていたじゃないですか……それ。何かあれですよね。スケコマシが毎回同じ口説き文句で、別の女の子口説いてまわっているみたいですね」


 間違いなく他のマウスにも同じことを言っているのであろうと、弓男は確信した。自分もそれを言われた時は正直嬉しかったものだが、今の美香の言葉を聞いてがっかりしてしまった。


「君達みたいな子をその気にさせるには、一番強力で効果的な言霊だしねえ。でもねえ、そのおだて文句でその気になっていい成果あげるってことは、やっぱり見込み通りってことだよ」


 純子が右手を後ろに向かって軽く払う。右後方にいた柿沼がそれに反応して動き出す。


「一対一をかける三ってところで、丁度いいかなあ」

「えー? まさか俺がその怪人柿男の相手かよ~」


 鷹彦がとても嫌そうな声をあげ、顔をしかめる。


「怪人ナンバー77377、カキヌマン。そこそこ強いから、頑張ってねー」

「あれ? それって俺のこと応援してくれてんの? 敵なのに?」


 自分に向かってにっこりと微笑みかける純子に、鷹彦は嬉しそうに笑顔を返しながら、柿沼に銃口を向けた。

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