第一章 22

 十夜は重体であったが、純子の非現実的レベルな医療技術でもって、四日で完治した。


 治ってからすぐに、十夜は学校に通いだした。

 晃にはすでに別れを告げてある。

 晃は驚いていたし、寂しそうではあったが、十夜を引きとめようとはしなかった。それどころか、どこか後ろめたそうな顔をしていたのが、十夜は気になった。


 三年前に交わしたあの会話――その際に十夜が思った事が現実となってしまった。しかもその引き金を引いたのは他ならぬ十夜の側だ。晃とは別の道を歩む事を決めた。

 本当にこれでよかったのかと、今でも迷ってはいる。


 その一方で、純子の言葉を思い出す。迷っているならやめた方がいいと彼女は言っていた。

 そして十夜は死の淵を覗きこみ、裏通りに堕ちた事を心底後悔していた。あれがきっと自分の本心なのだろうと十夜は受け止め、平凡で平和で退屈な日常に一人で戻る事を決断したのである。


 別に晃は完全に一人ぼっちになったわけでもない。中学にあがってからは、異性ともよくつきあっていたようだし、人間不信は改善されているように見えた。とはいっても、異性とは上辺だけの付き合い、エロ目当てだけのように見えなくもなかったが……

 何より晃は、十夜以外にも認められる人物というものを見つけていた。相沢真という、安楽二中に伝わる伝説の生徒。実物を見る前にその逸話を聞いただけで、晃はその人物に憧れていたようだし、実物を目の当たりにしてからはなお、心酔しきっている。

 雪岡研究所での晃のあの真への懐きっぷりは、傍で見ていて十夜としては気にくわないことしきりであったが、今となっては少し安心している。


「おーい柴谷ィ、裏通りに堕ちたんじゃなかったのかよ~?」


 以前晃をからかって撃たれて半ベソかいていた不良が、今度は休み時間に一人で暇をもてあましていた十夜をからかってきた。相変わらずちょっかいをかけずにいられない性格らしいうえに、学習能力が無いらしい。

 まるであの刃みたいな奴だと、十夜は思い出したくも無い馬鹿のことを思いだして、息を吐く。


 不良の不細工な顔に何の躊躇いもなく、しかし十分に手加減したつもりでパンチする。

 骨が割れる感触の後、顔から噴水のように血を撒き散らして相手は倒れた。


「あっちゃー……」

 明らかに加減を誤った事に、思いっきり顔をしかめる十夜。


 教師が駆けつけてきて何やら喚いていたが、十夜は興味無さそうに一瞥しただけだった。あまりにふてぶてしい十夜の態度に気圧されたのか、あるいは何か危険な気配を本能的に察したのか、教師はひとしきり喚いた後、渋面になって教室からそそくさと退散した。

 馬鹿な不良も、それを撃退した事に恐れおののく同級生達も、それを叱る教師も、全てがくだらないと十夜の目には映る。


 裏通りは自分には合わないとして足を洗った十夜だったが、日常に戻った瞬間、言いようが無い倦怠感と虚無感に襲われていた。息苦しく、退屈だ。純子や真と過ごしたあの非日常な数日間が鮮烈に十夜の脳に焼き付いているせいで、余計にそう感じられる。

 元々晃しか友人のいなかった十夜なので、昼休みも放課後もこれからは一人ぼっちだと思うと、それも気が重い。


 凛が口にしていた言葉を思い出す。黒い光が輝いていただの、それが消えただのというあれだ。確かに自分の中にはもう憎悪も絶望も無いが、黒い火に心を焦がしていた頃とは別に、黒い渇望が自分の中で揺らめいているのが確かに感じられる。

 自分には合わない。自分が望んだわけではない。それならやめた方がいいと純子に言われ、自分でもそう思ってこちら側に戻ってきたというのに、十夜の心は揺らいでいた。


「何しょぼくれた顔してんだよ」

「おわあああああぁっ!」


 いつの間にかすぐ隣にいた制服姿の晃に声をかけられ、驚きのあまり叫んでしまう十夜。


「ななな何で! もう学校やめたんじゃないのか!?」

「いやあ、一応フリーの始末屋ってことで裏通りのサイトで売り出してみたけれど、どういうわけか全然依頼来ないし、暇すぎるから学校通っててもいいかなーと思ってさ」


 いつもの朗らかなで快活な晃。数日会ってなかっただけなのに、ひどく長い間離れていたような気がして、十夜は胸に何か熱いものがこみあげてくる感触を覚えた。


(俺としては心苦しい決断の末に、行く道を別れたつもりだったのに、こんなんでいいの?)


 あっさりと再会したうえに、また元の鞘という展開に、何だか馬鹿馬鹿しくもおかしい気分になってしまった十夜である。


「全然依頼こないって、まだ四日しか経ってないだろ……」

「それでも一人で暇だったし。学校来れば十夜だっているしさ。ああ、もし仕事が来て僕一人で大変だと思ったら、十夜手伝ってね。たまに手伝うくらいならいいだろ?」


 そこまで喋ったところで、晃は訝しげに十夜の顔を覗き込む。


「何? ひょっとして十夜泣いてんの? 僕がいなくなって寂しかった?」

「な、泣いてねーよ……」


 晃から顔を背けて言う十夜の口元は笑っていたが、その双眸は今にも決壊しそうなほど潤み、頬は紅潮していた。


***


「まだ駆け出しだし、ほとんど無名だし、一応依頼料は最安値にしてあるんだけどさー」


 放課後、十夜と晃は肩を並べて帰路につく。

 十夜からすると、平穏な日々が戻ってきた感じで、数日前の出来事が嘘のようだ。

 自分の体が普通でないことも、晃が裏家業に身を堕とした事も、こうして日常に戻ると、すでに懐かしく思えてしまう。


「依頼料最安値だと、どういう人が依頼してくるのかなーとか、仕事こなしてもちゃんと名声が得られるのかなーとか、いろいろ先が心配なんだよねー。ま、こつこつやっていくつもりだけどさー」

「そもそも始末屋って探偵みたいな真似もすることあるんだろ? 晃、そんなことできるの?」

「うーん……ちょっと面倒かもしれない。いろんな資格やら専門技能とかもいろいろ習得した方がよさそうだねえ。せっかく今は暇なんだし。十夜も一緒に頼むよ」


 にっこりと笑う晃。学校に通う傍らで、裏通りで役立つスキルを身に着けるなど、正直面倒極まりない。いや、それ以前に、たまに手伝うという話ではなかったのかと。晃の話を聞いている限り、完全に自分を引き込んで一緒に始末屋稼業をやるつもりでいるようだ。


「ていうかさ、相手が子供の時点で依頼しづらいんじゃない?」

「そんなことないってー。前にも言ったけれど裏通りは十代が――」


 言葉途中に晃の表情が険しくなった。晃よりワンテンポ遅れて十夜も気が付いた。何度か命がけの戦闘をした結果、二人共自然と敏感になっていた。


 複数の人物が、明らかにこちらに意識を向けている。

 殺気は無いが、周囲を取り囲むような形でそこかしこから気配が接近してくるのが異様に感じられる。見渡しても下校途中の生徒や通行人がまばらにいるだけで、それらしき人影は今のところ見えない。しかし確かに迫ってきている。


「晃、また何かしでかしたの?」

「またって何だよ。まだヤバい連中に恨まれるようなことした覚えは無いよ」


 言いつつ懐の銃を握る晃。

 そこでようやく二人の前に、数人の男達が姿を現した。

 服装はばらばらだが、その雰囲気だけで一目でわかる。裏通りの住人だと。電信柱の陰やら塀の向こうから、ぞくぞくと集まって二人を取り囲む。その数は八人。


「どうか抵抗する事なく来ていただけないでしょうか。それが一番両者にとってよい選択だと思われます」


 正面に立った男が、慇懃無礼な態度でそう述べた。

 十夜は晃の判断を仰ぐようにして晃に視線を向ける。晃はあっさりと懐の銃を手放し、軽く両手を上げてみせた。まるで降参のポーズのように。いや、実際その通りなのだろう。


「今は抵抗するより、どういう奴等で、どんな思惑があるかだけでも確かめてみよう」


 訝る十夜が何か言おうと口を開きかけた時、晃が不敵な笑みを浮かべてそう提案した。


 二人の横に車が止められる。正面に立った男が恭しい動作で後部座席に乗るよう促す。

 車の移動の間に目隠しでもされるかと思ったが、そういったことは無かった。拘束すらされていない。


「隣のエルドラドじゃないかな? 借金踏み倒した」


 十夜が言う。純子の庇護下より離れたと見るや、報復へと乗り出してもおかしくはない。


「ホルマリン漬け大統領ですよ」

 答えたのは運転手だった。十夜と晃は驚いて顔を見合わせる。


 かの組織は陰で純子とは繋がっており、先日の抗争でも互いに利益を貪りあい、頃合の所で一時休戦になったと聞いたが、一体どうして自分達を拉致するというのか。


「僕達に何の用があるのさ」

「それは私共の上司の口から聞いてくださいませ」


 尋ねる晃に、運転席の男は嘲笑まじりの声で言った。何がおかしいのかわからないが、十夜も晃も、男の態度に気分を害する。

 同時に十夜は不安になった。今、傍には純子も真もいない。自分と晃だけだ。一体これからどうなるのかわからないが、危険に晒されたとあれば、自分達の力だけで切り抜けなければならない。


「なーんて顔してんだよ」

 そんな十夜に、やんちゃな笑顔を見せる晃。


「次にどうなるかわからないこの状況、ちゃんと楽しまないとね。相沢先輩も言ってたさ。まず楽しめって」

「まーた相沢先輩かよ」


 小さく溜息をつく十夜。晃の真への懐きっぷりは気に入らなかったし、自分とは相性の悪い人物ではあったが、ずっと十夜と晃のことを支えて助けてくれた。今度もまた助けに来てくれないかという期待が、十夜の脳裏をよぎった。

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