030_1910 兄の戦った昨日、妹の戦う明日Ⅹ~【盃】子虎の血と涙~
相手も自分もフルフェイスのヘルメットを被っているから、お互い顔色など知れようはずはない。
しかし気配や気色というのは、意外と漏れる。
(アイツが着てるのはライダースーツか……
ヘルメットの中でも、
そして振り返ると、赤いボロ雑巾が立っているのかと錯覚する。
「あ、にき……」
緊張の糸が切れたのか、単に耐えられなくなっただけなのか、崩れようとする
南十星の体を
「……捕まえたら、殴ってやろうと思ってたけどな」
十路は怒っていた。
誰にも、自分にもなにも言わずに独断で戦っていた、南十星に。
南十星をここまでの姿にさせることになった、不甲斐ない自分に。
「でも、よく頑張ったな」
子供のような小柄さながらも力強さを発揮していた体は、か弱く頼りなく、今にも折れそうだった。
それでも彼女は生きていた。行動が遅れはしたが、致命的なまでには遅れなかったことに安堵した
「……なとせ。お前、五年前のことは、自分が悪いと思ってるだろ」
説教は後回しにするとしても、これだけは今ここで言っておかないと、南十星の上体を支えながら、耳元で
根本の原因は、五年前のあの日――南十星がオーストラリアに旅立とうとした時、彼女を行かせまいとする公安警察と防衛省の職員を叩きのめし、十路は日本という国に喧嘩を売ったこと。
結果、南十星の平穏と引き換えに、彼は非公式の特殊隊員となって、危険な任務を遂行した。
いわば人質にされ、十路を苦境に立たせたことに、南十星は大きな後悔を抱えている。
「結局は守りきることはできなかったけど……」
そんなことができたのは、南十星がハーフで、二重国籍の持ち主だから。二二歳の誕生日まで、どちらの国籍を取るか選ばなくてはならないタイムリミットまで、あと八年続けなければならなかったが、できなかった。
それは十路の心に
兄は、妹は、その時から続く日々に、それぞれに苦い感情を抱いている。
それでも。
「五年前、お前を守れたことを、俺は今でも誇りに思ってる」
突然できて、会うことも
短い間だったが、猫に長靴を履かせて旅立たせたことに。
「だからそれを否定するのは、お前であっても絶対に許さない」
「ご、め……」
彼女は自覚していないかもしれない。南十星は涙をこぼし、血涙を洗い流す。
服が血で塗れるのも構わず、十路は彼女を抱きしめる。ボロボロの体に負担をかけないよう気をつけて、固い
「なとせ。お前の望みはなんだ?」
そして意図した平静な声で問う。
「こんなになるまで戦った理由は、なんだ?」
「あ、たし、は……あにきに……もう、戦って欲しくない……」
そして涙混じりに
「ふつうに生きて……あたしのせいで、あにきが戦って、傷つくの……イヤだよ……」
「……俺はおとぎ話の『魔法使い』じゃない」
《魔法使い》などと呼ばれていても、その正体は、脳内に生体コンピュータを生まれながらに内蔵した、超最先端の科学技術を用いる特殊能力者でしかない。
その能力には限界があり、願いを何でも叶えてやれる不思議な存在などではない。
「だから半分だけ、その願いを叶えてやる」
「ごめ……ん……」
十路が叶えられない願い。それを理解したから、南十星は再度謝る。
「
「はい」
警戒を残し、すり足で下がった樹里に、南十星を
「家族の話し合いを優先させて、悪かったな?」
だから代わりに十路が振り返る。
『いや。お役所は民事不介入ってのが相場だから、気にするな』
隣家の屋根で、だらしなく槍を肩にしゃがんでいた市ヶ谷が、姿勢を正す。
『初めまして、だな。堤十路。色々あるんで本名は名乗れないが、市ヶ谷とでも呼んでくれ』
「防衛省らしい偽名だな」
防衛省本庁の住所は、東京都新宿区市ヶ谷。安直な偽名だと十路は薄く笑う。しかし内心では、記憶を検索して厄介だと考えていた。
十路は自衛隊の非公式特殊隊員だったのだから、一般人は当然、関係省庁の職員よりも、遥かに機密情報に触れる立場にあった。だから政府機関で《
しかし自国内の《
理由は簡単で、権力を
そんな心もとない知識では当然かもしれないが、ライダースーツとヘルメットで面体を隠した男の正体が予測もつかない。相手は自分の情報を持っていて、しかし自分は持っていない不利を感じたが、顔には出さず十路は語りかける。
「で。市ヶ谷さんよ。
『あぁ。堤南十星が使いものになるか、調べてこいって言われてな』
「見極めは終わったか?」
『あぁ』
事態を改めて確認し、十路は小さく頷くと、アッサリした声で提案した。
「それじゃ、帰ってくれないか?」
「え……?」
緊迫した場面に間の抜けた声が背後から聞こえたが、十路は振り返らない。
南十星が彼の言葉に、裏切られたの感じたのか、彼の気性を知っているから意外と感じたのか、理由などは知らないが、構わない。
「俺としてはトラブルはご免したいから、アンタとなとせの
『つれないこと言うなよ』
『今回の任務、お前が絡むだろうと思ったから、俺は引き受けたんだ』
「俺?」
『あぁ……《
市ヶ谷は闘志をむき出しにして、十路に――正確には背負う小銃に、槍の穂先を向ける。
『《
「……やる気なようで安心したよ」
暗く、細く、喉の奥で笑いながら、学校指定のネクタイを片手で外す。
十路の中で、獣の凶暴性が首をもたげる。
「俺たちの立場上、そう言っておかきゃならないからな……」
『民間主導による超法規的準軍事組織ってのも、色々しがらみがあって、楽じゃないようだな』
「まぁな。あと防衛省としても、これ以上の戦闘続行は、望むものじゃないだろう……」
『多分な。だけど俺の知ったことじゃない』
「そうか……このままお前に帰られたら、どうしようかと思ってた……」
スラックスのポケットから、ゆっくりと腕章を取り出す。修交館学院の校章と、Social influence of Sorcerer field demonstration Team――《
それを、投げ捨てる。ここから先は部活動とは関係ない、私闘だと示すように。
「妹を可愛がってくれた落とし前、つけてもらおうか」
十路は背負っていた小銃を手にし、安全装置を解除する。コッキングレバーを引いて、初弾を薬室に送る。
応じて市ヶ谷も半身になって、右手を後ろに、左手を穂先側に槍を構える。
二人の《
先じて離れた場所から、地響きを促す爆発と、散発的な銃声が連続発生した。
『アイツ……!』
市ヶ谷の作戦の一部かと十路は思ったが、音の方角へ振り向いた彼が、ヘルメットの中で行った舌打ちに嘘は感じられない。
こんな民間人も巻き込むような大規模な作戦を、彼ひとりで行っているとは思っていなかったが、『アイツ』と称した市ヶ谷の協力者が、彼にとっても想定していなかった行動を取ったらしい。
そうなると十路が思いつく音の原因は、ひとつしか思いつかない。
「先輩、イクセスが交戦してます」
だから十路は《魔法》による無線を開き、呼びかけた。
「おい、イクセス」
【いまクソ野郎の相手に忙しいので後にしてください!】
キツい言葉の多い十路相手でも使わない罵声の後、また新たな爆発音と共に、夜の住宅地に一瞬火柱が上がった。
『堤十路。場所を移すぞ』
返事も聞かず市ヶ谷は、屋根の上から飛び降りる。三階相当からの落下衝撃を、着地と同時に前転する高度な受身を取り、彼は音の現況の方に駆け出す。
十路も追いかけようとして、足を一歩踏み出してから、思い直して一声かける。
「
「先輩……本当にひとりで戦う気ですか?」
移動中にその話は終わったはずなのに、《魔法》で南十星の応急処置をしながら、チラリと顔を上げて樹里は尚も問う。
彼女にどう返そうか、十路は少しだけ悩んだ。
あんなヤツ、俺一人で充分だ。
必ず勝つから心配するな。
勝っても死ぬパターンであり、そんなセリフは
誰かがやらなきゃいけないんだ。
実際そうであるが、事を成し遂げた後には確実に死亡する展開だ。
死亡フラグを立てまくる、自分の
「あー……木次? 悪い。先に謝っておくな?」
一応は空気は読んだ。読んだがどうしようもない。不思議そうな顔をする樹里に、十路は気まずそうに前置きして、言い放った。
「すっこんでろ」
そして、逃げるように駆け出した。
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