060_0100 その島、異境Ⅰ ~旅立~


 この世界には、《魔法使いの杖》を手に、《マナ》を操り《魔法》を扱う《魔法使い》が存在する。


 しかし秘術ではない。

 誤解と偏見があったとしても、その存在は広く知られたもの。

 そしていにしえよりのものではない。

 たった三〇年前に発見され、未だそのあり方を模索している新技術。

 なによりもオカルトではない。

 その仕組みの詳細は明確になっていないものの、証明が可能な理論と法則。


 《魔法使いの杖》とは、思考で操作可能なインターフェースデバイス。

 《マナ》とは、力学制御を行う万能のナノテクノロジー。

 《魔法使い》とは、大脳の一部が生体コンピューターと化した人間。

 《魔法》とは、エネルギーと物質を操作する科学技術。


 それがこの世界に存在するもの。知識と経験から作られる異能力。

 その在り方は一般的でありながら、普通の人々が考える存在とは異なる。


 政治家にとっての《魔法使い》とは、外交・内政の駆け引きの手札。

 企業人にとっての《魔法使い》とは、新たな可能性を持つ金の成る木。

 軍事家にとっての《魔法使い》とは、自然発生した生体兵器。


 国家に管理されて、誰かの道具となるべき、社会に混乱を招く異物。

 ゆえに二一世紀の《魔法使い》とされる彼らは、『邪術師ソーサラー』と呼ばれる。


 しかし、そんな国の管理を離れたワケありの人材が、神戸にある一貫校・修交館学院に学生として生活し、とある部活動に参加している。

 魔法使いソーサラー》の社会的影響実証実験チーム。学校内でのなんでも屋を行うことで、一般社会の中に特殊な人材である彼らを溶け込ませ、その影響を調査する。

 そして有事の際には警察・消防・自衛隊などに協力し事態の解決を図る、国家に管理されていない準軍事組織。

 《魔法使いソーサラー》は特殊な生まれゆえに、普通の生活など送ることは叶わない。そんな彼らが、普通の生活を送るための交換条件として用意された場。

 それがこの、総合生活支援部の正体だった。



 △▼△▼△▼△▼



『よーう。十路ぃー。今日遊ばないかー?』


 携帯電話のスピーカーから、クラスメイトたる高遠たかとお和真かずまの声が流れる。

 それにつつみ十路とおじはオートバイにまたがったまま、怠惰たいだな態度で返事する。


「無理だ」

『えー? じゃあ明日は?」

「やっぱり無理だ。今日だけでなく、秋休み中ずっとな。しかも携帯の圏外だから、連絡もつかなくなる」

『……お前、どんな秘境に行くんだよ?』

「まぁ、かなりの秘境だな。ついでに言っておくと、ナージャをデートに誘っても、同じ答えが返ってくるぞ」

『そっちは『お客様の都合』で繋がらなかった……着信拒否されてるのかと思った』

「違う…………と思う。部活で電源切ってるから…………じゃないか?」

『そこ言い切ってくれよ!?』


 同じくクラスメイトで、同じ部活動に所属するロシア人留学生、ナージャ・クニッペルに、和真は言い寄り笑顔で拒絶の地獄突きを叩き込まれる仲だ。学校内ではよく一緒なので、彼と友人でいることまで嫌っているとは思えないが、彼女の本心はわからない。あと自動音声アナウンスに違いがあるのか知らない。だから十路も断言はしづらい。


【トージ】 


 オートバイから理知的な印象の、女性の声による呼びかけに、十路は首を動かす。またがっている《バーゲスト》ではなく、進行方向の道路に。

 封鎖していたコンクリートブロックが重機でけられ、車列が順次、徐行運転で進んでいくところだった。


「悪い。そろそろ電話切る」

『しゃーねーなぁー……別の誰かを誘うか……』


 事情を察したのか、それ以上は和真もゴネることはなく、素直に通話を終えた。

 これから行く場所は、政令指定都市・神戸とは異なる。なのに同じ身支度をしていたことに、かかってきた電話で思い出した。万一落としたら探すこともできなくなるので、十路は携帯電話だけでなく、財布と家の鍵も一緒に、車体後部に積載した追加収納パニアケースへと収めた。


【動き出すまで、まだ時間かかりそうですけど】


 《バーゲスト》を体とする人工知能・イクセスはそう言うが、そう時間がかかるとは思えない。まだヘルメットを被らないが、ハンドルに肘を置いて待つ。

 目的地はわかっているのだから、車列の脇を通り抜け、先行することはできる。だが十路にその気はなく、前に並ぶ車輌が一台一台進んでいき、自分たちの番が来るのを大人しく待つ。


「橋が落ちたら元も子もないだろうしな」

【最低限の保守点検は行っているでしょうから、そう簡単に落ちるとは思えませんけど、人間心理とすれば、用心したくなるでしょうね。別に切羽詰ってるわけじゃないですし】


 並んでいるのは多種多様の自動車だが、一般道では見かけない型が多い。しかも迷彩色や暗色に塗られている。

 非装甲ばかりで、いかにも戦闘用といったものは少ないが、渋滞を作るほとんどは自衛隊の車輌だった。


「橋渡ってからも大変ですわよ……」


 真横で停車している高機動車HMVの、フレームにほろがかけられただけの後部座席で、コゼット・ドゥ=シャロンジェが出発前からウンザリした様子で話しかける。アイドリングストップしているとはいえ、燃費など度外視な軍用車輌たちの排気ガスに、顔をしかめているのもきっとある。


「三〇年間ロクに整備されていない道ですから、どこまで車で進めるものやら……土砂崩れが起こったり、建物が風化して崩れてるでしょうし、道自体もかなりデコボコでしょうね」


 大学生の彼女はいつも私服だが、王女の肩書きを裏切ることなく、体のラインを隠すゆったりした服装――特に長めのスカートが多い。だが今日はタイトなデニムパンツに、Tシャツの上から実習で使う作業服の上着を羽織り、ふんわりヘアな黄金髪ゴールドブロンドはワークキャップで半分隠れている。


 他の部員たちも、今日は学生服ではない。


「ぶちょー! ぶちょー! だったら巨大ロボット作って! 全高一八メートル二足歩行のヤツ! それ乗って行こうよ!」


 凛としていれば美人とも可愛いとも言える顔に、アホの子全開な笑顔を浮かべるつつみ南十星なとせは、オーバオールに薄手のジャケットを重ねている。いつもはややミリタリーに傾向した中性的な、けれども少女とわかる私服姿だが、今日は方針が違う。髪を横で束ねたお下げは作らず、キャスケット帽を被っているのは共通している。


 ちなみに巨大ロボットを《魔法》で製造して不整地を踏破するにしても、今回は支援部員だけでの行動ではない。《魔法使いソーサラー》ではない常人をそんな物に乗せたら、歩いただけで大惨事、コケたら死人が出る。


「ブルドーザーとか、軌道装甲車で進むとかじゃダメなんですか?」


 和真から電話があったことを気付いているのかいないのか不明なナージャは、女性らしく豊かに隆起する体に、明るい色のレインスーツにショートパンツ・レギンスに包み、リボンでまとめた長い白金髪プラチナブロンドをサファリハットで押さえた、山ガール風のファッションをしていた。


 ちなみに事前段階で、不整地も走れる車輌で進む案も検討されたのだが、やはり輸送の関係上却下された。無限軌道クローラーの輸送車もあるにはあるが、積載量やスピードはどうしても劣る。


部長ボスが《魔法》で道作りながら進むしかないであります」


 いつも通りな偽ブランドエビ茶ジャージな野依崎のいざきしずくが言う案になってしまった。

 最近までこの恰好で生活も登校もしていたが、一応は私服だ。赤茶けた髪が短くなって額縁眼鏡をかけなくなり、ネコミミ帽を被っているから、変化はしている。


 このに及んで駄々をこねるコゼットに、十路は事前の打ち合わせで、決め手になった言葉をもう一度出す。


「スケジュール的に、他に方法がありません」

「旅行中は《魔法》使いまくりなのは決定ですから、少しでも使いたくありませんのに……」

「じゃあ、戦略攻撃術式プログラムで一気に開拓しますか」

「ヤメロ。堤さんに真顔で言われると、冗談に聞こえんわ」


 高々出力のエネルギーを放射して道路を作り、爆風ですべて吹っ飛ばして更地にする案も出してはみたが、当然のように却下された。

 実行すれば、事後処理のほうが大変だから、同意されても十路も困ったに違いない。


「そろそろ行くよー」


 話している間に、前のグループが橋を渡り終えたようだ。なぜか自衛隊の車輌なのに運転席に座る長久手ながくてつばめが、高機動車HMVのエンジンをかけた。


「橋が落ちませんように……」

【だから、トージが言うと冗談に聞こえないんですよ】


 十路もヘルメットを被ろうとして。

 その前に視界の隅で、高機動車HMVの後部座席を、もう一度確認する。


 灰色のパーカーにデニムパンツという地味な恰好の木次きすき樹里じゅりは、意図してか、十路の位置から一番遠い席に座っている。枠に肘を突き、ポケーとした横顔を見せていた。


 やがて十路が見ていることに気づいたらしい。薄い肩がわずかに震え、さりげなく顔の向きが変わる。知らずに見れば本当にさりげない所作だが、知って見れば完全に十路から顔を背けたとしか思えない。


 彼女とは相変わらずだった。

 十路の側から関係にヒビを入れて以来、まともに言葉を交わしておらず、彼女も子犬のようにビクビクと顔色をうかがってくる。

 気にはなるが、なんとかしようという気には、まだなれない。

 結果論であったとしても、彼女の行為が、十路を人間以外のものに作り変えてしまったのは、彼自身もどう受け止めていいのか、よくわからない。

 小さく息を吐いて、十路はフルフェイスヘルメットを被った。


 ここは神戸市垂水たるみ区にある苔谷公園。本来ならば神戸淡路鳴門自動車道と同時に整備されるはずだった。

 今は検問所となっている。

 無人島となった淡路島へと上陸するため、普段は誰も通らない世界最長の吊り橋・明石海峡大橋を通過する車輌を規制している。

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