000_1320 そして彼は――Ⅲ ~エンジンレストア~


 人智を超えた狙撃手スナイパー同士の決闘は、やはり樹里には正確に理解できなかった。

 しかし十路とおじの背中から、細切れの肉片が噴出した瞬間を見れば、他はどうでもよくなった。


「堤さん!?」


 悲鳴を上げた樹里は、長杖を持ったまま、土手を駆け上がる。十路が発砲し、彼を撃った、姿の見えない襲撃者のことは、意識に欠片もなかった。


 足を止め、倒れて痙攣けいれんする十路を見下ろして、樹里は絶句した。

 暗い中でも樹里の目には、彼の胸に空いた大穴から、地面が見えた。


(どうしよう……!)


 心肺停止後三分から、蘇生しても脳機能障害が残る可能性が高まる。一〇分で、蘇生の可能性はゼロと見なされている。

 《治癒術士ヒーラー》らしくそんな知識が、樹里の脳裏に浮かんだ。

 しかし心臓・肺・脊髄せきずいが吹き飛ばされた人間が、何分後にどれほど蘇生の可能性が残っているか、論じる必要もないから、知るはずもない。



 △▼△▼△▼△▼



 身長よりも巨大なライフル銃をどかして、悠亜は起き上がった。


「痛たたた……久々に痛い目見たわね……」


 うめきに反し、彼女の体に銃創は見当たらない。しかしジャケットを脱ぐと、大穴が空いていた。胸を覆うチューブトップにも穴が空き、背中は血で盛大に汚れている。

 彼女は間違いなく撃たれた。しかし少なくとも見た目には、無傷で立ち上がっていた。


 そこで電磁波を感じた。同時に彼女が攻撃した場所で、《魔法》の青白い発光も発生した。

 悠亜は身を屈めて、IWS2000ライフルに装備されたスコープを外して覗いた。



 △▼△▼△▼△▼



 樹里は十路のそばで膝を突き、そのまま《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》を実行した。彼が体内に取り込んでいたものだけでなく、周囲の《マナ》へと呼びかける。飛び散った肉片の細胞を持って来させて、まだ機能が生きているものを選別する。多くは圧力と熱で使い物にならなくなっていたが、砂金を集めるような気持ちで、脳内に術式プログラムを走らせる。

 その様は、光の乱舞だった。粒子が彼女の周囲を飛び交い、十路の胸へと集まっていく。


(気管支、細気管支、肺大葉五つ分……なんとか……! 機能低下するだろうけど、これが精一杯……!)


 鍛えられている彼基準では、元通りとはいかない。しかし日常生活に支障を来たさないレベルはクリアしたので、呼吸器を再構築させた。微細な細胞が寄り集まることで、構造体を形成した。


(でも、心臓は……)

 

 そこまでで治療の見通しが止まる。面積からすれば、肺のほうが被害が大きそうなものだが、逆だった。四散しただけだった呼吸器に比べて、元心臓の細胞が、使い物にならないものが多かった。《魔法》でならば、細胞そのものの修復も不可能ではないが、余裕はなかった。

 だから樹里はジャケットを急いで脱ぎながら、己に対して弁明した。


「ごめん……お姉ちゃん……言いつけ破る……」


 輸血・移植はもちろんのこと。もっと大まかに、細胞組織が人の手に渡るようなことは、固く禁じられている。髪の毛は姉の手で整えられ、切った爪も普通の可燃ゴミとは別に処分するくらいなのだから。

 《ヘミテオス》である樹里の細胞が、普通のものであるはずがない。誰かの手に渡り、己が普通の人間ではないと明らかになるだけではなく、どんなことに利用されるかわからない。


 理解していたつもりだったが、この時の樹里は、そむいた。何故と問われれば、彼女自身も答えにきゅうす。

 《治癒術士ヒーラー》と呼ばれる者の使命感なのか。目の前で消えようとする命を見た、一種のパニックなのか。

 異能を目の当たりにして尚、態度を変えなかった――彼女を受け入れてくれるかもしれない者を失いたくなかったからなのか。


 とにかくその日初対面の、年上の青年を救わなければならないという、正体不明の義務感に駆られた。


「これしか、ない……!」


 唯一無二の手段であると己に言い聞かせ、同時に自分自身を鼓舞して。

 ブラウスのボタンを外し、樹里は己のみぞおちに、右手を突き入れた。

 細胞をリアルタイムに移動させながら、開腹することなく異物を侵入させる、超科学の心霊手術。横隔膜を避けて、肋骨の内側へと、手を入れる。


「ぐ……! が……! ああああぁぁぁぁっっ!!」


 そして掴み、引き千切り、咆哮しながら取り出した。

 少女の握り拳とほぼ同じ大きさを持つ、心臓を。

 それは切り離されても脈動し続け、心房内にまだ残っていた血液が吹き出し、十路の体を濡らした。


「この人を助けて……!」


 己の心臓に願う。

 十路は助けられる確信はなかった。普通の移植手術の条件は無視できたとしても、異なる不確定要素があった。

 暴走状態から正気に戻った時のように、彼女の体を形作る細胞は、指令ひとつで壊死アポトーシスする。

 移植するために体から切り離されて、臓器がちゃんと機能するか、それすらわからなかった。


 子犬の風情にはほど遠い、歯を食いしばった鬼気迫る表情で、樹里は胸の穴に差し込んだ心臓を、《魔法》で血管を接続させていく。


(上大静脈、下大静脈、下大動脈、上大動脈、左肺静脈 右肺静脈、左肺動脈、右肺動脈……オッケー!)


 汗が止まらない。温度によるものではない。《魔法使いソーサラー》の平均よりも大きい彼女の演算能力をもってしても、生体コンピュータの全力駆動が必要となる作業に、体調にまで異変を引き起こす。

 だが手術はまだ終えられない。空いた穴の補填が終わっていない。骨を、神経を、筋肉を、皮膚を、細胞単位でわずかずつ全身から寄せ集めて移植し、胸と背中を修復していった。同時に爆傷した他の臓器や器官も修復していく。


 そうして見た目には、十路の体は元通りになった。しかし観測するバイタルには反映されない。呼吸と呼べる反応はなく、脈打っていた心臓も痙攣以上の動作をしていなかった。


「お願い! 動いて! 私の心臓!」


 修復したばかりの肋骨の上から、体重をかけて心臓マッサージを行う。同時に手の平で《雷陣》を実行し、電気ショックも与えた。

 十路の体が機械仕掛けのように小さく跳ね上がる。何度か繰り返していると、安定した心拍を観測した。

 それでも呼吸はない。自発呼吸ができてない。なにかが気管を塞いでいた。

 加減ない腕力で、仰向けだった姿勢を横に変える。加減した腕力で、十路の背中を叩く。

 しかし呼吸を再開しない。


(仕方ない……!)


 救急箱ならば空間制御コンテナアイテムボックスに入っているが、吸引器までは持ち歩いてはいない。

 ならば方法はひとつしかなかった。十路の上体をかかえ上げた樹里は、意を決して唇を重ねた。口を完全に覆い隠すようにし、舌で舌を押さえて吸い出した。

 嫌悪感や羞恥心など、感じる余裕もなかった。反射的に吐き出したくなる味を我慢して吸引し、地面へと何度か吐き出すと。


「げほっ……! げほっ……!」


 やがて十路はせき込み、呼吸を再開した。


「やった……」


 意識を失ったままだったから、予断は許されない。しかし即死状態から、回復が見込めるまでに治療した。

 安堵から脱力した樹里は、尻餅をついた。



 △▼△▼△▼△▼



 治療終了を確認して、悠亜は盛大に嘆息ついた。


「は~ぁ……認めるしかないかぁ……」


 つばめの主張については、やはり納得しきれていなかった。

 だがここまで強攻策を取られて、しかも最後は自分の手で下しておいて、望む結果になかったからと、なかったことにはできはしない。

 しかも不完全とはいえ、彼は悠亜に一矢報いた。彼女が出した条件を、ある程度は満たしてしまっていた。


 ならばそれ以上は、普通の親子関係と同じだ。時間と共に自立していくであろう、『妹』の存在を認めるのであれば、保護者は子離れしていかなかればならない。

 一抹の寂しさがあろうと、彼女の成長であると、喜ばねばならない。

 決して思い通りに動く、分身であると錯覚してはならない。


「ねぇ? 『あの』もそうだったけど、その《騎士ナイト》くんになにかあるの? 単なる好みなの? 私には全然分からないけど……」


 巨大な狙撃銃二丁を、盛大なひとり言として疑問を口にした。

 返事が返ってくるはずもなかった。離れた場所にいる妹からも、今はもう存在しない『あの』からも。

 彼女自身も断片的にしか記憶にない、『彼女』からも。


「面倒なことになりそうだから、しばらくリヒトくんには内緒にしておこ……」


 だから最後に焼痍手榴弾サーメットを取り出し、地面に落ちた薬莢も蹴り転がして、血が飛び散った場所に投げ込んだ。鉄も溶かす瞬間的な高温で証拠隠滅を行って。

 パトカーが来る前に離れ、神戸に戻るために、悠亜は青いオートバイの元へとおもむいた。

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