050_1010 炭火に語りてⅡ~遺伝子工学時代における生命倫理と法~
「まず確認しなきゃならねーのは……大きく分けて三つですかしら?」
部室前に引き出したソファに座り、気だるそうに缶ビールを飲むコゼットが、金髪をいじっていた指を立てる。
「フォーさんと、敵の正体。襲撃された理由はイコール入部経緯ってとこでしょうし」
「それじゃ、まずは改めて、あの子を紹介しておこうか」
応じてつばめは、手で野依崎を示す。
彼女は少し離れた地面にダンボールを敷いて座り、《魔法》で装甲が分解された《ピクシィ》をいじっていた。バッテリーの交換だけだからか、《
「アメリカ軍が極秘に進めていた《ムーン・チャイルド》計画の成功例。電子戦闘を主にした空軍仕様、四四番 《
受精卵に遺伝子操作を行い、望むままの能力を持って生まれた子供。クローン同様、フィクション作品では珍しくないが、現実には大きな問題を持つバイオテクノロジーだ。
「ウソだなんて思いませんけど、正直、ちょっと信じられません……」
金網の食材をひっくり返す樹里が、半信半疑なのも当然だ。野依崎の出生を聞いた時の、コゼットの
きっと誰もが考える、生命を作る
「倫理よか、技術的な問題が大きいんじゃねーです?
「部長の
髪や瞳の色。体型や顔の作り。運動能力。それらの要素の大元は、設計図たる遺伝子の組み合わせで決まるが、ひとつの要素がひとつの組み合わせで作られるわけではない。複数によって形作られ、しかも別の要素と結びついている。
つまりカレー専門店で辛さや量やトッピングをチョイスするように、優良とされる遺伝子配列ばかり選んでいけば、完璧な人間が創造できるものではない。カレーの例で行くなら、行列店のラーメン餃子半チャーハンセットから引き上げた麺をライス替わりに、具の野菜を除いて話題店の海鮮丼に乗る刺身を混ぜ、トッピングに有名デパ地下スィーツのショートケーキを乗せるような行為だ。究極のカレーが生まれるかもしれないが、生ゴミと化す可能性の方が高く、そんなことを行えば料理人は多分怒る。
それを人間で行うことが、どれほどの禁忌で、どれほど非現実なのか。
だから優秀とされる人物の精子と卵子を掛け合わせるだけが、現状では関の山のはず。世間に公表された技術など氷山の一角だろうが、膨大な数になる遺伝子組み合わせの中から、
更に最初聞いた時、十路が感じたように、軍事的にも少々奇妙でもある。
(
『奇妙』で済む話で、技術的な問題が解決しない限りは見えない、小さな疑問だが。
ともあれ、野依崎は存在している。まだ実用にはほど遠い技術で、偶然を積み重ねた奇跡の結果だとしても、
だから《
「逆に言うと、技術問題をクリアできる
食材にソースを
「どこの国でも考えるでしょうけど、やっぱり倫理の問題で、二の足踏むと思いますけど……秘密裏とはいえ、アメリカさんも思い切ったことを」
なので野依崎の正体を知った驚きは、十路同様、納得の気配が強い。硬度の高い情報ではないだろうが、既に知っていたと思える。
《
《
「ロシアじゃ研究してなかったワケ?」
樹里とナージャの仕事を待たず、自分で焼肉育成に
「せいぜいサイボーグくらいじゃないですかねー? 冷戦時代にやってた研究を引き継いで、首から下を機械にしようとするんじゃ?」
「それもじゅーぶんリンリに反してると思う」
「いやー、それを言うなら、こっちもアメリカさんが本場ですよ? サイボーグの
「虫ばっかじゃん! てかサイボーグ・ゴキってなんかカッコいい!」
「むしろ気持ち悪さ倍増です。災害時の人命救助目的で開発されたらしいですけど、想像したらヤですね~。大地震で生き埋め。かろうじて
「ゴキで盛り上がんな!? トリハダ立つわ!?」
ナージャと南十星に会話させると、なにかと話が脱線するので、コゼットの怒号が飛んだ。とはいえ内容がアレだからで、脱線自体を
冷静に受け止めているが、野依崎の出生は重い話だ。支援部員は相応に過去を持っているが、段違いに濃い。
政治家や企業家や軍事家からは、《
だからハイテンション・コンビがいつも通りなのは、丁度いいガス抜きになる。二人が意図しているかは、かなり怪しいが。
「《
氷水を入れたクーラーボックスから、新たに缶ビールを取り出しながら、気を取り直したコゼットが新たな話題を振る。なにから聞けばいいのか手探りなのか、事態の核心とは程遠い内容だが。
「確かシェイクスピアは『ロミオとジュリエット』で、
「習合と古英語からの発展だよ。クィーンの語源は、女王よりも女性って意味だけど、時代と共に変化したんだ。ケルト神話の女王メイヴ。やっぱりシェイクスピアの『夏の夜の夢』に出てくる妖精タイターニア。その辺りと一体化して、クィーン・マブも妖精の女王ってパターンが多い」
「なるほど」
コゼットとつばめ、教え子と家庭教師でもあった成年二人で通じ合っているので、具体性まではわからない。《
「
コゼットが漏らす関心に、野依崎は興味なさそうな口を利く。十路が視界の隅で見ると、やはり彼女は手を止めずに視線も向けていない。
「単なる慣れであります」
「ンな問題じゃねーと思いますけど……同じことしろって言われたら、発狂する自信ありますわよ」
「実際には未経験でありますが、羊飼いみたいなものであります。普段は自律行動で放置し、必要な時に指示を出す。《ゴーレム》で似たようなことが可能な
「何年訓練させる気だっつーの」
「一〇年くらいでありますかね? 先天的な素質の有無は不明でありますが、自分の場合、物心ついた頃から訓練してた結果であります。時間をかければ可能な範囲であります」
いつもの口調なので、自覚はなさそうだが、十路には強がりに聞こえる言葉だった。
(特殊ではあっても、異常ではないって言いたいのか……)
勝手な憶測でしかないが、事実そうなのだろうと思う。
小学五年生としては、彼女の頭脳は優秀すぎる。《魔法》に必要な高等数学や物理学を理解し、ハッキングに必要な知識も備え、奇妙な癖はあるが
だが、突き抜けてるとは思えない。コンピュータに関しては、彼女は優れた
先ほどの弁からすれば、野依崎は生まれが特殊なだけでなく、育ち方も違う。社交的と言えない十路でも、小学校に上がるまでは、普通の人間と同じ幼少期を過ごしている。彼女の感受性の
常人とは呼べない。過去の天才たちが残したエピソードに近いことは行っている。
同時に決して超人ではない。でなければ今の野依崎が、普段より小さく見えるはずはない。
「それで、その《ピクシィ》とやらですけど。ひとつは山ン中に落ちてたみたいですし、集合する時も街中の、別々の場所から来ましたわよね? どういうことですの?」
コゼットも察したのか、単なる偶然か、話題を変える。
「《ピクシィ》は普段、神戸市内に分散させて配置し、監視装置やアンテナとして使用してるのであります。あとハッキング時には
「五キロ圏だとしても、普通そんな遠距離で《魔法》実行なんて無理なのに……」
「戦闘使用に耐える即応は不可能でありますが、前もって自律行動プログラムを入力し、時間をかければ、その距離でも可能であります」
「はぁ……原理的には可能なんでしょうけど」
吐息が気持ち大きく聞こえた。野依崎との性能差に対する感情を、コゼットは諦めたようにアルコール分に吐き出した。
規格外なのが《ムーンチャイルド》と呼ばれる人工の《
(……いや。わざと別プラン育成してるのか?)
ふと想像したが、十路にはそれ以上はわからない。
「野依崎さんが四四番、あの子が七三五番……そんなにいっぱい、その、《ムーンチャイルド》がいるんですか?」
『作られた』『人工』などという言葉を樹里は避けたが、野依崎はそのままズバリでも構わないといった態度だった。
「
『失敗作』は果たしてどうなったのか。十路の脳裏にふと疑問が
「知る限りは自分と、No.735――コードネーム《
その単語が出た。
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