050_0110 野良猫、消えたⅡ~心配事の9割は起こらない~


「野依崎さん、どこ行っちゃったんでしょうね……」

「さぁな。無責任かもしれないけど、こうなったら俺たちには、どうすることもできないしな」

「先輩、見当もつかないんですか?」

「わからんけど、なんで俺に聞く?」

「や……野依崎さんの考え方とか、一番近いのって、堤先輩のような気が」

「確かにそう言えるかもしれんが、アイツに一番詳しいの、部長だろ?」


 話し合いを終えた初等部校舎から、敷地隅の部室に向かう道中。学生鞄と赤い追加収納パニアケースを両手で持って並び歩く樹里に返しながら、十路とおじは思い出す。


 ボサボサで視界を侵食する赤茶けた髪。ピントがずれている眠そうな眼差しと無表情。目元に薄く浮いたソバカスを隠すような、まったく似合っていない額縁眼鏡。幼さを考慮しても小柄で細い体格。最近では地方の学校でも採用していなさそうな、エビ茶色のジャージを常時着用。

 小学生ながら、ヒキコモリ喪女典型例のような少女だ。


「そもそも野依崎アイツ、俺たちと違うからな」


 部員たちは、普通の学生生活を送るために、時には《魔法使いソーサラー》として戦わなければならない、矛盾した宿命を持つ。

 その時間の中で部員たちは、普通の学生であることを意識している。何事もなければ普通に登校し、普通に授業を受け、普通にクラスメイトたちと話す。


 だが野依崎は、半ば裏社会の住人である《魔法使いソーサラー》としての側面が強い。

 登校もあまりせず、人との関わりも最低限にし、二号館サーバーセンター地下の片隅に作られた部屋に、半ば引きこもった生活をしている。

 そもそも普段名乗っている『野依崎雫』という名前も、戸籍偽造によるものだ。よく使う名前として、他にも『アギー・ローネイン』『和泉クリスティーナ』と名乗っているらしく、部員たちは彼女の本名すらも知らない。一部の者から『フォー』と呼ばれているが、由来不明のためうかがい知ることができない。

 付け加えると、並外れた知識と技術でコンピュータを操って、ハッキングも行う。犯罪行為だが、表立つことのない彼女はこれで部活を支援してくれているため、あまり強くは言えないし、必要性と理解を示すことができる。

 それらは全て自衛の手段と結果だろう。身元を隠し、用心して隠遁いんとん生活を送るための。


 とはいえ、そう考えるにも不審がある。

 樹里が持っている赤い追加収納パニアケースは、《魔法使いの杖アビスツール》を入れた空間圧縮コンテナアイテムボックスだ。十路は諸般の事情と代用品の存在で持ち歩いていないが、他の部員たちも同様に不意の事態に備えて、常に装備を持ち歩いている。

 しかし野依崎は、《魔法使いの杖アビスツール》を持っている様子が見とれない。彼女が《魔法》を使うところを、少なくとも十路は見た事がない。

 それでは万一の時に危険すぎると十路は考えるし、普段の用心深さを考えれば、ありえないと思ってしまう。


「前の戦闘ぶかつで、私の秘密バレちゃったじゃないですか」

「それが?」


 樹里には秘密がある。能力行使に必須であるはずの《魔法使いの杖アビスツール》なしで《魔法》を使うだけでなく、自身の体を変異させる特異な能力を持っている。

 完全に人外の異能だ。体を変異させた彼女は、化け物とののしられても不思議ない。十路は以前から偶然知り、秘密を共有していたが、一月ほど前の部活動で、他の部員たちも知るところになった。

 そのことも十路は気になっているのだが、話の流れで出す話題としては変なので、ぶっきらぼうに先を促す。


「や、これから色々厄介そうだから、つばめ先生に相談したんですけど、でも『しばらくは大丈夫』って……『価値がわかりやすいの、他に見つけただろうから』とも言ってましたけど」

「価値……? わかりやすい……?」

「や~……説明なかったです。根拠ないですけど、いま考えると、それって野依崎さんのことかなって……?」


 一月前に戦った特殊部隊を通じて、樹里の秘密が広まっていても不思議はない。

 だとすれば、アクションがあって当然だろう。彼女を秘密裏に捕獲しようとするか、正面から協力要請を出すか、なにかが。あらゆる組織が部を注視し、散々監視しているだろうから、その強化は今更だ。

 しかし今のところ、なにもない。

 人智を超える能力に対し、社会の暗部は対応を迷わせているだけなのか。野依崎の失踪と、なにか関係があるのか。

 どう考えても超常の存在である樹里と比較し、一時的であれ価値が上回る存在なのか。

 あまりにもヒントが少なく、予想できない。


「野依崎さん、もうここから完全にいなくなったんでしょうか?」

「その可能性は充分あるが……でも、ひょっこり戻って来るんじゃないかって気がするけど」

「あはは……」


 樹里が愛想笑いを浮かべるのは、遠まわしな同意だろう。

 総合生活支援部は、肉体的はもちろん、社会的な危険が多い。ある日突然なんらかの事情で、部員が減っても不思議はない。

 しかし野依崎の場合、行方不明になっていても、どうしても拉致や死亡という発想と結びつかない。野良猫がしばらく顔を見せないからと、事故死の心配をしていても、何事もなく再び姿を見せるようなことが起こりそうで。


「あと、すみませんでした。テスト終わって早々、こんなことで先輩にまで付き合ってもらって」

「別にいいけどな。職員室なんて行きたい場所じゃないだろうし……俺もアイツのことで心配だったし」

「えと……心配って、なんだかさっきの発言と逆のこと言ってません?」

「アイツの公文書偽造は言い逃れできない犯罪だから、強制捜査にでもなったら、俺たちも無関係じゃいられないだろ」

「そういう心配ですか……」


 ともあれ、野依崎のことは、現状ではどうしようもない。

 だから十路は、別の不安要素に考えをめぐらせる。


「それはともかく、他の連中には頼みづらいのか?」

「あぅ……」


 樹里の異能の件で、十路が気になっていること・その一がこれだった。

 最近の部活動では、樹里と一緒に行動することが多い。転入したばかりで人数が今より少なかった頃、彼女が世話係的役目を担っていたので、元々行動を共にすることが多かったが、頻度が増えた。

 人手が必要な時や、今回のような場合、彼女は常に十路に同行を求める。先ほどでももうひとり部員がいたのだが、樹里はそちらではなく彼に頼んできた。


 それに樹里は、他の部員たちに一歩引き、あまり親しげな言葉を交わさなくなった。十路にだけは彼女からも話しかけはするが、感情的な面をあまり見せなくなった。

 どこかおびえるように、周囲の顔色をうかがう。

 元来彼女は大人しい性格だが、身内には激しい部分を見せる内弁慶だ。五月に転入して以来、行動を共にし本音をぶつける機会が増えると、十路にもそういう部分を見せていたが、逆戻りしてしまった。


「バレたこと、理事長には相談したって言ってたが、姉貴とその旦那には?」


 樹里の異能の件で、十路が気になっていること・その二がこれだった。どちらかといえば、間接的な内容だが。

 ゲイブルズ木次ユーア。国際結婚を示すであろう名が、樹里の姉のものだと以前聞いた。

 そしてゲイブルズという姓は、《魔法使いソーサラー》にとって特別なものだ。もしも樹里の義兄である人物が想像通りならば、樹里の体と無関係とは思えない。

 しかし深い部分を問うタイミングを、なんとなく逃し続けているため、確かめたことはない。今も話の流れで身元を確認するには妙なため、避けた。


「お姉ちゃんにはバレたことだけこっそり……だけど義兄にいさんには黙ってます」

「姉貴には話したのに?」

「や、バレた反応が怖くて……」

「部員全員、大阪湾にチンされても不思議ない秘密だしな……」

「や~、ちょっと違ってて……もしそうなるなら全員じゃなくて、堤先輩だけコンクリ詰めで沈められちゃう気が……」


 なぜ自分だけ、と考えて思い至った。十路は秘密を知っているだけの他の部員たちとは異なる。

 樹里の心臓を移植されて、生かされている身だ。証言だけでなく物的証拠を持っている上、返せるものではないので、抹殺の必要性は高い。


「でも、いつまでも隠せるはずないし……いつバレても不思議ないし……あぅ~、どうしよ……」


 しかし疲労感と悲壮感を溢れさせる樹里を見ると、予想は違う気がする。


「先輩、女の子になりませんか?」

「唐突すぎて意味わからんし、どのレベルで言ってるのか知らんが、断固拒否する」

「ですよねぇ……」


 当人には深刻なのかもしれないが、こんな提案をしてくるようでは、生命よりもっと小さいことで悩んでいるとしか思えない。


 ともかく、この後輩少女はここ最近、元気がない。元々静かで存在感の薄いタイプだが、こうも悪い意味で存在感を発揮されると、やはり気になる。

 あと悩みの末に性別を変えられたくない。女装だけでも充分嫌だが、《魔法》を医療分野に活用できる《治癒術士ヒーラー》の彼女なら、性転換手術も可能だろう。十路は本気の危機感を覚える。

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