雷光の悪魔

 雷神トール。多くの創作物の題材にも使われるその名は、むしろ現代人達の方が良く知っているくらいだった。


 いまいちピンと来ていないツクヨミや天神を余所に、避難民達の、特に少年世代は色めきだっている。大きな身体に雷撃を操るハンマー。ゲームや漫画でよく目にした名前が、今その本人が眼前にいるのだから。トールという存在は子供達が瞳を輝かせるには、充分すぎる有名神だった。


 信仰心が日本神からトールに移り変わってしまいそうな人々をツクヨミは遠ざけ、ここからは神同士の会話に入る。疲れている人々を、これ以上興奮させるわけにもいかないだろうと判断して。


「オーディン……北欧の神ですか」


「そうじゃあ! はるばる極東まで来たは良かったが、道に迷ってしまってのぅ! 小うるさい悪魔共に聞いても何も答えんで、全員ブッ潰してきてやったわ! ガッハッハ!!」


 見た目通り豪快なトールに、ツクヨミ達はやや顔が引きつる。しかし悪魔達を倒したということは、少なくとも『敵』ではない。

 まだトールの存在をどう判断するかは未定だが、ある程度の情報は開示しようと天神達は決めた。


「それならば、この列車に乗ったままで大丈夫です。我々は出雲大社に向かっている途中なのですから」


「何と!? これはラッキーじゃな!!」


「でも……アンタは一体、何しに出雲まで行くのよ?」


 核心に迫る。

 出雲丸がトールの目的地まで運ぶことを教え、道中の同行も許可したつもりだ。その代わりというわけではないが、トールには返答してもらう義理が生まれた。義務ではないが、答えてもらう。

 何故、北欧神が日本の神々の総本山に出向くのか。その理由を――。


「――悪いがそれは、答えられん」


 途端に、天神とツクヨミは内心で警戒を強める。疑惑と言っても良い。

 その感情を察知したのかしていないのか、トールは表情を変えず、続けて言葉を繋ぐ。


「『答えない』のではなく、本当に『答えられん』のじゃ。ワシ個人としてはココでお主らに目的を説明して、出雲大社に到着した際にはスムーズに仲介をして欲しいくらいなんじゃがな」


「では、何故……」


「オーディンから禁止されているんじゃ。この国の主神に伝えるまで、預かった言葉を他言するなと。それと、勝手な戦闘行為もじゃ。まぁ戦いに関しては既に破っちまったが……。ともかく、出雲に着くまで多くは語れん」


「……戦闘行動の禁を破っておきながら、特にペナルティは受けてないんでしょ? 言動はアンタの所の主神に筒抜けなのかもしれないけど、呪われたりする強力な盟約でもないんだったら、言っちゃいなさいよ」


「オーディンは怒ると怖いんじゃよ~」


 困ったように眉尻を下げるトールを見て、やはり何かはかりごとを画策している様子でないことは分かった。少なくとも、今すぐ日本勢にとって不利になるような行動は取らないだろう。

 『オーディンよりの言葉』の内容は気になるが、どちらにせよ、その情報はいずれ解禁される。今ここで聞くか、出雲大社で聞くかの違いでしかない。

 天神とツクヨミの両者は、トールという外来神をどう判断するかは、出雲大社に任せることにした。


「……それにお前さん、『混じりモン』じゃろう」


 トールが指さした方を見て、ツクヨミの表情は途端に険しくなる。

 しかし指差された『天神』は、困ったように笑うだけだった。


「お主らから見ればワシはよく分からん余所者かもしれんが、ワシからしてみれば、お主らの方が理解できん。何だってお主みたいなモンが、純然たる神や人間達と行動を共にしている? そんな奴が居るのに、信用して全部は喋れんわい」


「ちょっと、アンタ……!」


「いいんです、ツクヨミ様」


 トールに喰ってかかろうとするツクヨミを抑え、天神は床に座るトールと目線を合わせる。

 メガネの奥に見える穏やかな眼光を見ても、トールはやはり疑念が湧き起こっているようだった。


「確かに私は……やや複雑な事情を抱えています。しかし、この国の人々を守りたい気持ちは本物です。この国の神々と同じ決意です。……ですので、貴方にとって何か害を与えるようなことはしないと約束します。ご安心下さい」


 しゃがんだまま頭を下げる天神を見て、トールは何か考えつつ、自身の長い髭をなぞる。

 そしてややあってから――何か整理がついたのか、元のようにパッと表情を明るくした。


「まぁ、信頼してほしい立場なのはコッチの方なんじゃがな! 出雲に着くまで、ワシはどっかその辺で寝とるわい! この列車に酒は乗せてないのかのぅ?」


 立ち上がって、豪放磊落な笑みを浮かべるトール。細かいことは気にしない性格に見えて、恐らく色々と考え尽くした上での態度なのだろう。


「ふぅ……。やれやれですね」


 別の車両に移っていったトールの背中を見て、ようやくひと段落ついたと天神は胸を撫で下ろす。

 ともかく悪魔の襲撃でなくて良かった。緊張の糸が切れると、どっと疲れが押し寄せてくる。そういえばまだ、自身もツクヨミも食事を摂っていない。眠気も催している。すっかり遅くなった夕食を食べ、早く寝よう……。


 ――そう思っていた、矢先の出来事だった。


「ッ――!」


「あぁ、何てこと……!」


 天神とツクヨミは、その気配を同時に察した。そして、雷神トールもまた同じく。




***




 愛知県上空。


 星と月に照らされたその下で、白いフードに身を包んだ男が、宙に浮いていた。眼下には、西へと向かう長い線路。

 男は、顔を隠していたフードを脱ぐ。するとそこには眼光鋭い西洋人の顔と、鹿のような二本の角を頭部に有していた。尻からは燃え盛る尻尾を伸ばし、黒い翼が人間でないことを物語っている。


 ――出雲丸の固く重い天井ハッチを開け、天神はその車体に上る。

 突風に身を晒しながら、悪魔の瘴気を放ち暗雲を呼ぶ上空の者と対峙する。


「こんばんは、日本の神よ。……この国では、まず名前を名乗るが礼儀だったな」


 眼光を見開き、悪魔はサメのようなギザギザの歯を覗かせる。

 悪魔王サタンより遣わされた悪魔は、決して人間達を逃しはしない。


「ソロモン72柱、序列34番伯爵『フール・フール』だ。――悪いがお前達は、ここで皆殺しにする」

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