第七十六話:to be seized with fear

 最近のヤマゲンの様子は、特に変わった所もなく、いつも通りだった。

 いつもの様に、馬鹿な事を云い、お互いにからかい合って笑っていた。

 麗美香とのルームメイト生活も落ち着いている様である。

 最近は、ヤマゲンから愚痴が出る事が無くなった。この様子だと、手紙が盗み見られた事は知られていないのだろう。

 しかし、麗美香の奴も無茶しやがる。人の手紙を勝手に家探しして盗み読むとか。あいつは油断できないなあ。

 そして、肝心のユニーク枠については何も云って来ないし。やはり、あてにしたのは間違いだったか。とはいえ、他にあては無しだからなあ。彼女を頼るしかないというのが現状だった。


 憂鬱な気分を抱えて、帰宅の途に着く。ニーナは先に帰したので、独りっきりだ。放課後中庭で考え事をしていたからだいぶ遅くなった。陽が大分傾き、夕焼けで空が赤く染まっていた。遅くなったとはいえ、クラブ活動している学生はまだ活動中の時間であり、ランニングする女生徒の掛け声が遠くに聞こえていた。季節は秋。秋らしい爽やかな涼しい風が穏やかに頬を撫ぜていた。


 正門の外側で麗美香の奴がニヤニヤと笑いながら手を振っていた。なんかいたずらをする前のニヤニヤ感がその笑顔から漂っている。彼女の後ろには真っ黒なリムジンが停車しており、運転手が外で待機していた。

 あのリムジン、久しぶりに観るな。麗美香の奴、寮暮らしにしたのに、また実家に戻りやがったのか?落ち着きの無い奴だ。自由気ままで結構なこった。


 あのニヤけ顔からは嫌な予感しかしないので、無視を決め込んで麗美香の脇を素通りすることにしよう。そうしよう。君子危うきに近寄らずだ。

 まるで麗美香など知らないかの様に、スタスタと何食わぬ顔で彼女の脇を通り抜ける。


 ゴンッ


 後からハルバードの柄で頭を殴られた。痛みに目がチカチカする。殴られた後頭部を手で抱えてしゃがみ込んで呻き声を上げた。いきなりこいつ何しやがる。


 「いってーーーなぁ、おぃ! おまえのそれは洒落になんねえよ。」

 「なに無視してんの!」


 キリッっと目を釣り上げて怒り顔の麗美香。ぷんぷんという擬音が見えそうだ。むっちゃ痛いってーの。後頭部を手で擦り、涙目で訴えたが、こっちの状態には無関心の様だ。


 「いや、なんか企んでる顔してたから、関わらない方が良いと思ってな。」


 素直な気持ちを表明してみたが、彼女のお気に召さなかった様だ。

 麗美香は、企みとか失礼ね、と少し拗ねた素振りを見せながら、首根っこを掴むと、ひょいとリムジンの後部座席に放り投げやがった。突然の事に反応出来ず、頭から後部座席に突っ伏す。顔面がシートに擦れてヒリヒリ痛みを感じた。いつもながらこいつの馬鹿力には驚かされる。片手で放り投げるとか、どんだけなんだ。


 「おぃ、何しやがる!? 」


 四つん這いの状態で顔だけ後に向けて吠えるが、こっちの問い掛けには無言で、麗美香も後部座席に乗り込んで来た。


 「狭い。もっと奥に行ってよ。ポチ。」


 こっちが動くのを待ちきれず、麗美香は手で尻を押して奥へと押し込んできた。押されるままに、奥に滑る。

 相手が金太郎だといっても、一応女の子に尻触られるというシチュエーションなので、悔しいかな、ちょっと動揺してしまった。その動揺を悟られまいと顔を叛けていると、


 「いいわ。出して。」


 一瞬、何を云われたのかわからなかったが、リムジンが動き出したのを感じて、運転手に云った言葉だと理解した。


 「おい、何処に連れてくつもりだよ。」


 唐突にリムジンに連れ込まれたが、そのような仕打ちを受ける覚えは無い。怒気を孕んで麗美香を睨む。

 彼女は涼しい顔で、ほほ笑みながら、「爺様のところよ。」と、しれっと云った。


 「いやいや、意味わからんし。なんで、お前の爺様のところに行かないといけないんだよ?」

 「えー。そんなぁ。恥ずかしい事云えないわぁ。」


 こいつ・・・一体何考えてやがる。手で顔を隠し恥ずしがる仕草で白々しく身悶えしてやがる。


 「てめえ、いい加減にしろ!」


 と、怒鳴りつけたかったが、本気で喧嘩したらこっちが瞬殺されるので、云えなかった。我ながら情けない。げんなりしていると、さすがに悪いと思ったのか、麗美香から謝ってきた。


 「ごめんごめん。ちょーしに乗りすぎました。えーと、ほら、ポチから依頼されたアレの件。」

 「ユニーク枠の事か?」


 こいつ一応覚えていやがったのか。意外だった。もうすっかり忘れているもんだとばかり思ってたよ。


 「そうそう。それそれ。実は、爺様がやってる事なの。」


 は? 今こいつなんて云った? 爺様がユニーク枠をやっている?


 「どういう意味だ。それ?」


 咄嗟に頭が付いてこない。


 「んー? 爺様があの学校のユニーク枠支援してるみたい。あ、でも多分支援じゃなくて、本当は爺様がやらせてるんだと思う。」

 「それって、つまり、ユニーク枠を考えて実行してるのはお前の爺様って事?」

 「たぶん。」


 そうだった。そういえば、こいつの爺様って財閥とかなんとか云ってたよな。実は、学校の理事長はお飾りとか? 黒幕は爺様?


 「で、爺様のところに行ってどうするつもりなんだよ。お前?」


 nullさんがユニーク枠に何かあると睨んでる。そしてその中心人物が麗美香の爺様。その爺様と逢わせて麗美香の奴はどうするつもりなんだ。まさか地雷踏んだんじゃないだろうな。麗美香は爺様の味方だろうし、このまま口封じ・・・とか。まさかな。そんなことないよな。


 「直接訊けば話が早いと思って。」


 麗美香の奴は何も考えてなかった。こいつらしいといえばこいつらしいんだけどな。いい意味でも悪い意味でも素直な奴だ。


 「知りたいんでしょ?」


 ああ。知りたいとも。でも、直接聞いて教えてくれるのか? そんな極普通の事なら、nullさんも調べようとか思ってないだろう。あー、ちくしょう。ここは上手く、当り障りのない様に切り抜けないと、いろいろとやばい事になりそうだ。麗美香も爺様の事だしこっちの味方してくれるとは思いがたい。むしろ敵だと思っておいた方がいいだろうな。それに、無理やり逢わせようとするあたりも怪しすぎる。行かないと行っても聞き入れそうにないだろう。

 恐る恐る麗美香を観る。彼女は首を傾げて不思議そうに此方を観ていた。


 「ああ、知りたいねえ。」


 とりあえず、刺激しないように話を合わせてやり過ごすと、麗美香は満足そうに頷き、ぱぁっと明るい笑顔になって、「大丈夫。ポチの事は爺様に良いように云ってあげるから心配しないで。」と手をぎゅっと握りながら云った。

 その笑顔に、握られた手の強さに本能が恐怖を感じた。何か自分の全てを絡め取られる様な、そんな怖気がした。

 おいおい、なんかすげーやばい事になったんじゃないか。そんな思いに心が支配されていった。


 何か手立てを考えないと、無事に帰れないかもしれない。

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