異世界の姫さまが空から降ってきたとき

杉乃葵

第一章 ニーナ

プロローグ 『次元転移』

 平穏な日常が崩壊するのは一瞬だ。


 それは晴天の空に突然降り始めた豪雨のようなものだ。


 ついさっきまで、親友と笑い合い、語り合い、将来どんな風になりたいとか、冗談交じりに話していたはずなのに。


 いま目の前に映る世界は、それまでとはまったく異なる世界になっていた。


 私の身体を抱える近衛兵は、城の最上階へ向かって石造りの螺旋階段を大急ぎで駆け上がっていた。


 螺旋階段の窓からチラチラと見える光景は、人のような体躯をした四つん這いの怪物、私たちが『屍魔しいま』と呼ぶそれが城壁を越え、庭園内に雪崩込んでいる。中庭を埋め尽くす屍魔の姿は、蠢く蟲の様に視えておぞましかった。その光景は、この世の終わりを思わせるものだ。

 

 城を守る衛兵の躯が至る所に転がっている。喰われて残骸に成り果てた者や、押し潰されて血の押し花になったた者たち。血の臭いや死臭がここまで伝わってくるように錯覚を覚える。

 

 最上階に着くと、ジィ様に挨拶した近衛兵は私を丁寧に慎重に床に足から降ろした。

 脚が震え、いや、はじめからずっと震え続けていた脚は私を支えることが出来ずに、そのまま近衛兵に抱きつく形になった。彼は私をその両腕でしっかりと支え、ゆっくりと床に座らせてくれた。

 私を運んでくれたお礼の言葉をと、顔を上げようとするが、自分が観てきた光景に恐怖のあまり体が固まっていて動かず、俯いたまま声も出ず口だけが動き、何も伝える事が出来なかった。


 「入口を固めよ。決して奴らを此処へ入れてはならぬ。術式が完成するまで持ち堪えよ」


 後ろの方でジィ様の声がする。

 俯いたままかろうじて動かすことが出来る瞳を使って、周りを見渡すと、最上階の広場にたくさんの人々が避難してきていた。町の人達が多くその中に居た。彼らは城下町から逃げてきたんだろう。恐らくもう無事な場所はここだけなんだ。

 彼らは青ざめた顔で所在なさ気に周りをきょろきょろと見渡している。逃げては来たもののどうすることも出来ない事がわかっているんだ。みんな此処で最後の時を迎えるのだろうか?

 

 「次元転移の魔法・・・・・・?」

 「そんな事出来るのか?」

 「まだ実証されてないんじゃ?」


 周囲のざわめきが聞こえる。


 突然、広場の空気が変わった。少し温度が下がった気がする。そして体が軽くなるような、浮き上がっていくような感覚がした。全体的に視界が青味がかってくる。

 恐怖に慣れてきたのか、ようやく動くようになってきた身体でジィ様の方をそっと窺う。

 ジィ様は、掌よりも大きい碧い『魔法石』を右手に掴んで呪文を詠唱しているところだった。

 ジィ様は何をするつもりなのだろうか?

 ジィ様がどんな魔法を使えるのか私はよく知らない。

 王位をお父さまに譲った後、ジィ様は魔法の研究に没頭していたと聞いている。次元転移魔法の研究者として有名らしいけど、私はその辺はよく知らなかった。


 ドーンという、大砲の様な轟音が振動と共に広場中に響き渡り、入り口を護っていた近衛兵たちが壁石と共に宙を舞った。

 木の葉のように宙を舞う近衛兵を眼で追ってしまったが故に、彼らを突き飛ばした原因、『屍魔』の群れの侵入に気づくのが遅れてしまった。それは、広場に居る人々や近衛兵、そしてジィ様も同じだった。


 数十匹にもおよぶ屍魔の群れが広場の人々に襲いかかるのを、スローモーションの様に私はぼんやりと眺めていた。その視線がジィ様と重なる。ジィ様は、右手に持っていた碧い『魔法石』を私の足許に向かって投げつけた。

 投げつけられたその石は、床で砕け散ると閃光した。あまりの眩しさに眼が眩んだ。その光は瞼を閉じても私の周囲を真っ白にした。

 身構えているうちに、身体をそのまま真横に吹き飛ばされるような感覚が襲った。まるで濁流に飲まれたかのように、身体があちこちの方向に回転した。自分の身体がどの方向に向いているのか、どっちに向かって飛ばされているのかすら判別できなかった。

 しばらくその状態が続いていたが強い耳鳴りとともに、壁にぶつかるような衝撃が全身を走り抜け、反動で眼を見開いた。


 そして、私は視た。

 

 青い空と白い雲。そして海。

 

 私の身体は落下していた。

 

 私が落ちていく先には、観たことの無い四角い建物があり、人が独り、此方を見上げていた。

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