第五十九話:accident

「とりあえず、これ、返すわ。」


 昼休みになってすぐに、赤部の教室に向かい赤部のハンカチを差し出した。お昼休みになってすぐに来たのは移動されたら見つけるのが面倒だからだ。

 赤部は、差し出されたハンカチをぽかんと見詰めていた。どうやら、事情が飲み込めないらしい。その表情からは、これは何? と考えている事が伝わって来る。こうなる事も、想定の内だ。仕方が無い、説明してやろうと口を開こうとしたその時、


 「新しいナンパの手口?」


 とんでもない事を言いやがる。ここは、昼休みの教室の中だぞ。

 案の定、周りからヒソヒソ声が聴こえてきた。また、なんか、変な噂が拡がりそうだった。失敗だ。早く要件を済ましてしまおうと思ったのが……

「昨日、おまえが忘れてったハンカチだよ。覚えてねえのか?」

 赤部は、小首を傾げながら、しばしう〜んと唸り思い出そうとしている様だった。まあ、ハンカチだしな。そんなに重要な物でも無いだろうから、覚えていない事もあるか。

「おまえが、尻に敷いてたやつだよ。」

 思い出せるように、助け舟を出してやった。これでさすがに、思い出すだろう。


 ぱしっ


 赤部は、ハンカチをボクサーのパンチの様な速さで掴み取ると、顔を真っ赤にして、教室から飛び出して行った。

 去り際に

「ヘンタイ! 死ねえええ!」

 と、叫びながら……


 取り残された教室内では、ひそひそ声があちこちから聴こえていた。



※※※



 いつもの屋上へ出るドア手前の階段へ向かう。

 昼休みも半ば頃。

 ニーナが既に来ていた。


「あ、今日は来たんだ。」

「ああ、まあな。」

 何となく、来ない訳にはいかない、そんな雰囲気になっていたからな。ニーナの寂しさの、きっと片鱗に過ぎないのだろうけど、そんな寂しさを少し理解してしまった以上、自分としては無視することは出来なくなっていた。ニーナは天涯孤独。一番近い存在は自分だ。ならば、少なくとも今は、ニーナの側で支えてやらないと。そう思った。

ニーナは、こちらを不思議そうな瞳で見詰めていた。大きく見開かれたその碧い瞳は、くりんっとしていて可愛かった。その瞳は、こちらの言葉を待っている様に感じられた。が、見つめ合ったまま言葉を発する事が出来なかった。もしかすると、見惚れていたのかもしれない。今までにだって、ニーナの瞳を何度も見ているはずなのに、今日は、何故かいつもと違う。身体が熱くなるのを感じた。

 と、ニーナが突然その手を伸ばしてこちらの顔をぐぃっと後ろに押しやった。

「何すんだよ。」

 とっさに口をついて言葉が出たが、ニーナも見詰め合いに照れたのだろう。その後、くるりと後ろを向いてしまった。

 顔に触れたニーナの柔らかく少しひんやりとした手の感触が気持ち良かった。

 だめだ。昨日の帰りに、何だかニーナと気持ちが通じ合ったと感じたせいか、今、妙にニーナの事を意識し過ぎる。冷静になれ、自分。

 冷静になるため、一度大きく深呼吸をした。すぅはぁっと、少し大袈裟目に。これは意外に効果がある。おかげで大分落ち着く事が出来た。

 ニーナの方を見ると、まだ後ろ向きだった。まだ動揺しているのかなっと思って、どう声をかけるか思案していたら、ニーナから声をかけてきた。


「コーイチ。ごめんなさい。観季さんってだれ?」

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