プロローグ
「さすが松井君だね。このプロジェクトを君に任せてよかったよ」
「ありがとうございます」
2030年1月19日。テラスカンパニーと言う小さな企画会社のあるプロジェクト会議にて、リーダーの松井一馬は、上司たちをうならせていた。
従業員100名近く抱える企画会社。その中のプロジェクトチームの一員である松井一馬は今回の企画に絶対の自信を持っていた。
はっきり言って、松井一馬はこの会社のほかの社員と比べたら、あまりにエリートコースをたどってきた。県内随一の進学校から東大の経済学部に進学、それも難なくトップクラスの成績で卒業したのだが、大手企業からの引き合いを全て無視して地元で働きたいの一言でこの会社に就職したのである。それから5年、いまやプロジェクトチームのリーダーで来年度にはいよいよ昇進するのではと言う噂がたったりたたなかったり・・・。
上司、クライアント全ての人間がうなずき、一発で通ると思ってならなかったが、企画部長の一言がそんな気持ちを一蹴させた。
「いいんだよ、この企画はとても素晴らしい。唯一つ残念なのは、もう少し遊び心があってもいいのではないかなってところだな」
「遊び心ですか?」
企画部長は、一馬の企画を見て少しだけ難癖をつけてきた。
「いや、完璧なんだよ、君の企画は。ただ、いつもながら優等生と言うか硬いって言うか、もうちょっとほら」
「まぁいいではないですか、今回は。クライアントの方もどちらかと言うと硬いのを好む方ですし」
「そうですね・・・」
一馬は歯切れの悪い返事をした。無理もない。完璧と思っていた企画に難癖をつけられてしまったからだ。とはいえ、クライアントの方には納得してもらいこの企画は通ることができた。
「気にするな、松井」
「私は大丈夫です。いつもすいません柊部長」
最後に助け舟を出してくれたのは、一馬の直属の上司である柊部長であった。元々、一馬の近所に住んでいて、一馬の過去も把握している。一馬にとって最大の理解者である。
「君が小学校の時に体験してきた出来事。あんな経験したら誰だって硬くなるさ。ただ、それを逆に利用するってコトもできるんだし・・・。」
柊部長は一呼吸を置いた。
「すまなかった、どちらかと言えば黒歴史だったな。小学校のことは」
「いいんですよ、部長。クラスメートが変質者に殺された経験を持つ人間なんて、めったにいるわけじゃないんですから」
一馬の企画が硬いのは理由があった。一馬が小学6年の時、クラスメートと隣のクラスの女子が変質者に拉致され数日後に遺体で見つかるという事件を経験したのだ。当時のクラスメートはそのことが大きく影響し、どこか暗い影を残しているのである。だがしかし、一馬がどこか暗いのはそのことだけが起因しているわけではない。
クラスメートが殺害された数ヵ月後、隣のクラスのある女子が病死したのだ。彼女は物静かな子で、友達がそれほど多くなかったと言う。しかも、その子の親友が先ほど述べた殺害された女子である。クラスメートが殺されたことよりその子の病死の方が一馬にとってショックが大きかったのだ。
その理由は簡単である。一馬は彼女のことが好きだったのである。もっとも、彼女とは遠巻きに見てるだけで会話も殆どなかった。そのことが一馬の性格を暗くした最大の要因でもあった。
「松井!どうだ、今夜一杯」
「スイマセン、今夜はちょっと。実は久しぶりに幸助と美香と呑みに行くので」
「久しぶりだな、その二人の名前聞くのは。元気なんか」
「はい、実はもうすぐ二人とも結婚するらしいので」
「そうなんだ、じゃあこれは餞別だ」
柊部長はそういうと一馬に一万円を手渡した。
「いいですよ、部長」
「いいてことよ、久しぶりに楽しんでこい」
そういうと柊部長が去っていった。一馬はそんな部長に深々と一礼した。
「それで、今度の仕事の状況は?」
「余裕だよ」
駅前の居酒屋『からすま』で、松井一馬、市川幸助、西野美香の三人は酒を交わしていた。
「余裕って、相変わらずね。来年は課長って噂、ホントみたいね」
「誰だよ、そんなこと言ってるの」
「フミちゃんよ。彼女前の職場で知り合った呑み仲間なの」
「ああ、あの子か」
たわいのない会話が続く。三人は小学校の時からの幼馴染である。幸助とは、6年間すべて同じクラス。美香も3,4年以外はずっと同じクラスであった。中学校も幸助か美香のどちらかが同じクラスになっていた。そして、中学3年の時に幸助と美香は付き合い始めた。二人は来年結婚を控えているのである。
一馬は、そんな二人と少し距離を置くべきではと考えていたが、二人がそれを拒み今でも月に一、二度呑み明かすのである。
「それで、一馬はめぼしい子いたりするんか?」
「いねえよ。探す気もないさ」
「相変わらずそっけないね」
幸助と美香にはその理由が判っていた。なので、一馬がそっけない反応を示すのもわかっていた。
「もう15年くらいね。あれから」
「そうだな」
「一馬はさ、まだ好きなのか?その、桃園茜のこと」
「さぁ」
一馬はわからなかった。彼女の死から15年。片時も忘れたことはない。だが、彼女との思い出は殆どない。しいて言えば彼女の所属していたクラスと一馬のクラスとで、クラスメート全員を巻き込んだ大喧嘩をした時に泣かせたことくらいである。
もしも過去にいけるとあれば、当時の自分に絶対言うだろう。
「告白しろ、絶対後悔する」と。
が亡くなった日、一馬は全身の力が抜ける感覚に襲われ、数日間、身動きがまったく取れなかった。通夜・葬式の時は一日中泣いた。悲しいからではない。行動しなかった自分への悔しさと怒りからである。そんな事もあってか、一馬は中学に上がってからは、他者、特に女子とは関わらないようにした。
中学は幸助と美香がいたから何かと関わっていたが、高校は二人がいないところを選び、その後の人生では仲間と言える存在を殆ど作らなかった。大学の時も、軽音楽部に助っ人で所属した時期もあったが、どこかよそよそしい感じで過ごしていた。群れを好まない一匹狼。そう形容されたことも何度かあった。
今の会社でもそう。プロジェクトチームでは仕事上の付き合いはするが、プライベートや仕事終わりの飲み会等は殆ど顔を出さないのである。誰ともつるまない一馬。そんなミステリアスな面が逆に人気につながっていったのであるが・・・。
「そろそろ時間だ」
一馬は腕時計を確認していった。
「もうそんな時間か」
「すまない。二人とも」
「いいよ別に、気にしないで」
一馬は二人に軽く挨拶を済ませ、早歩きで駅前のバスターミナルに向かった。バスターミナルへはほんの数分で着き、そこには最終バスがすでに停車していた。
一馬は乗車待ちの列の一番後ろに並ぶとそのまま人並みに流されるがまま、バスに乗り込んだ。座席は半分ほど埋まっていたが、一馬は何とか後ろの方の進行方向に向かって右側の座席に座ることが出来た。
一馬の家はこのバスの終点から徒歩数分の場所にあるのである。普段は車で通勤しているのだが、今日は呑みなのでバスにしたのである。いつもなら20分ほどの何気ない時間なのであるが・・・。
―――もう15年か。俺は今までの人生何してきたんだろう―――
定刻になりバスは満員の乗客を乗せて出発した。最初は雑居ビルやマンションが立ち並ぶ都市部を走っていたが、5分もしないうちに住宅街に入っていった。
そんなバスの中から夜の町並みを眺めながら不意に一馬は思った。今までの人生を振り替ええたが、特に何もない人生である。戻れるものなら戻ってみたいものだ。あの時に。
バスは、大通りとの交差点に差し掛かかった。信号は青。運転手は青信号を確認してからゆっくりと交差点に進入した。いつもなら1秒程度で通り過ぎるこの交差点。しかしこの日は違った。大通りから大型のトラックが赤信号を無視して交差点に突っ込んできたのである。いや、正確に言うとこのトラックの運転手は、交差点の手前でクモ膜下出血を起こし、この時すでに絶命していたのである。右足をアクセルにかけたまま。
猛スピードで走る暴走トラックは、スピードを落とすことなく、一馬の乗る路線バスの右側面に突っ込んだ。一馬は何が起こったのかわからなかった。覚えているのはトラックが突っ込んできた時の強い衝撃とそれにより吹き飛ばされ、窓を突き破って車外に放り出されたこと。おそらく頭から地面に叩きつけられたと思うがそこから先のことは一切分からなかった。
―――なんだろう、すごく心地いい。死ぬってこういうことなんかな―――
程よい硬さ地面に何かが覆いかぶさっている。程よいぬくもりでとても心地いい。どこか遠くでがさごそと何かが動いている気配は感じるのだが、それが何なのかはまったくわからない。目をつむったまま動かない方が心地意のである。なので、一馬はそのまま動かずにいた。
「一馬ーー!起きなさい!!もう9時よ」
遠くのほうから聴き覚えがある、どこか懐かしい声が聞こえた。
「ううぅ、あと5分だけ」
一馬は条件反射的に呟いた。そのまま目を開けることなく顔をやわらかいものにこすり付けた。それはおそらく枕であろう。一馬はふとその感触で思った。
しかしその直後、一馬は一瞬で頭が冴えわたり、その場から飛ぶがごとく立ち上がった。。
―――どういうことだ、俺今一人暮らしだぞ!ここはどこなんだ!―――
一馬は飛び起きて辺りを見回した。そこにはベッド(と言っても板を張ってその上に布団を敷いた簡易のものだが)、勉強机(その上には携帯や教科書、算数のドリルが無造作に置かれている)、本棚(殆どが漫画である)どれも見覚えがありどこか懐かしい。
―――どういうことだ。ここ、俺の部屋じゃないか―――
一馬は立ち上がってしばらくして違和感を覚えた。立ち上がったとき、視界が明らかに低いのである。立ち上がって背伸びしているのに、中腰状態くらいの高さにしかなれないのである。
それに、目の前にある自分の手。今までつけてきた生傷が殆どない上、明らかにさっきの自分の手と比べてすべすべでみずみずしい。
―――そういえば、クローゼットの中に鏡あったよな―――
一馬は今の状況を確認すべく、部屋のクローゼットを開き、その中の鏡で自分の顔を見つめた。
―――鏡を見ればどういう状況かわかるはず―――
クローゼットの中には、全身を映し出せるほどの大きな鏡がある。一馬はそれに映し出された自分の姿を確認したのだが、最初そこに映し出されたものが本物かどうかわからなかった。
そこに立っていたのはさっきまでの自分ではなく、一人の少年であった。身長140センチ程度のやや刈り上げた頭。明らかに小学生である。
一馬は両手で自分のほほを触った。そしてその手でほほをつねった。鏡に写っている人物もまったく同じ動きをしている。
―――痛い―――
続いて一馬は爪を立てそのほほをおもいっきり引っかいた。あまりに力いっぱい引っかいたのでそこからわずかながら出血し始めた。その血は自分の爪にはっきりとついていた。
―――ちょっと待て、これ、俺なのか―――
一馬はふと机の上に携帯があるのを思い出し、その携帯を手に取り待ち受け画面を確認した。そこには、はっきりと2015年4月1日と記されていた。
―――うそだろ。2015年って15年前じゃないか。じゃあ俺、今小学生なのか??――
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