第23話

日本語講習はワンタームが1ヶ月。1ヶ月間土日以外、祝祭日を含む月〜金9時5時を拘束される。よって、その間は事実上、他と掛け持ちすることはほぼ不可能だ。年に約半年間はこの仕事が入る。二胡関係の収入も僅かながらある。

日本語講師の職を辞す思いは何度も脳裏をかすめた。残り半年間は無収入状態になるからだ。それでも、台湾から帰国後3年間、その基本的なビジネスリズムを崩せなかったのは、自宅から通勤可能、でもって、興味が向く仕事がなかったのと、講師の報酬が、一般的なパートよりはるかに良かったからだ。


そんな中、週に数回通っていたカフェ(某ファストフード店)がパート・アルバイトを募集しているのを知り、気になり始めた。ファストフード店ながら、新築されて日が浅く清潔感溢れ、モノトーンで統一されて、好物のカフェラテの味もお気に入りだった。客席の配置がゆったりしていて落ち着き、読書や執筆、事務作業に非常に適していた。

自分でカフェ(喫茶店でもよい)に出入りするようになったのは、大学生以来で、カフェ好きが確定というか、それを自覚したのは台湾時代だ。台湾は多くの分野に於いて、日本より物価が安い。そして、日本の実家と異なり、住んでいた台北都市圏は人口約7百万人の大都会で、スターバックスから個人経営の喫茶店がそこここに点在している。

ジャックが自主退職し、在宅夫になり、娘たちが幼稚園に行ってしまうと彼と2人きりでいると文字通り息が詰まり、自然と足は外で家のようにくつろげる場を求めるようになった。生来、アウトドア派と一線を画し、ひとり静かに語学の勉強をしたり、文章を書いたり読んだりするのが好きだった。家庭を持ち、子供ができると、日常空間を離れた場所でないと、十分思考出来なくもなっていた。カフェはいわば、書斎なのだ。台湾には、こよなく愛する名物タピオカミルクティーもある。そして、何を飲むにせよ、日本よりずっと安価だ。

台湾時代に、1日一度はカフェで過ごす習慣がついた。日本語を教えていたので、予習の場でもあった。


帰国して、田舎生活になると、カフェ通いは車でしか叶わなくなったが、行かないと何とも寂しく、能率も上がらないため、唯一の息抜きと割り切って通った。

最も頻繁に使わせてもらっていたカフェ(そのファストフード店)の就業形態が、私のような掛け持ちで働きたい者に持って来いなのを知り、面接を受けることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る