国際離婚シングルマザー緑翠の生きる術
乾 緑翠
第1話
国際離婚して3年とまもなく6ヶ月になる。
中国語留学して、台湾が居心地良くなり、言葉にまあまあ不自由
しなくなった頃、知人の紹介(元大家さん)で現地企業の面接試験
を受けられることになった。東京支社を持つその会社の日本語事
務関係担当者として採用され、学生とOL、二足の草鞋を履いて
2年弱過ごした。午前中は学校、急いでバスと電車を乗り継いで
昼の休憩中の会社に滑り込む日々だった。ワンルームのアパート
も自分で不動産屋と交渉して決めた、小さいながらもわが“城”で
あった。
羽振りの良いIT企業の同僚が、2012年6月に別れた夫である。
台北生まれの台北育ちで、父親は中国大陸出身者、母親は客家人。
長男の彼の最終学歴は米国の修士課程(MBA)だった。
彼、呂賢成(英語名ジャック。台湾では多くの人がイングリッシュ
ネームを持つ)が香港支社長で赴任中に同居し始め、婚姻届は次回
台湾へ帰った時に…と相談していた矢先に、妊娠が判明。
そして、約1年半経ち、ジャックが今度はソウル支社長に、との打
診を社長から受けて数日後、私は第二子を台湾で出産した。
年子は姉妹。日本名、蘭と桂と命名した。台湾でも日本の市役所
にも出生届を提出。彼女らは18歳まで、二重国籍を有する者とな
った。
結婚生活9年目の夏ー日本人の感覚だと、台北の夏は4月から10月
くらいの長きに及ぶー離婚が確定した時、夫は次女・桂の親権を
要求し、蘭は私にくれてやる、これで公平だろう、と言った。
当時、娘たちは7歳と8歳。仲の良い姉妹だった。
親交があった日本人シスターの勧めと紹介で、私は弁護士を訪ね
ることを決意。ジャックが作成した離婚協議書の正当性と、桂の
親権が取れないものか、確かめることにした。
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