第二章:カミサマ編

7/20(水)深夜

◆10: この世ならざるもの

 平素、この時刻人通りが絶えひっそりと石畳が月明かりを跳ね返すのみである川見不神社かみずじんしゃに、煌々と明かりが灯り人影がいくつもうごめいていた。


 大人だけではなく、小学二、三年生ほどの子どももおり、設営されたテントではお茶の支給が行われ、高さだけはある簡素なやぐらの上で大太鼓の位置が調整されている。並ぶであろう出店とそれに誘導される人の流れの作り方や演目を行う神楽のライトアップ方法について、活気盛んな指示と応答が交わされる。子どもたちは境内を、数ヶ月かけて練習した盆踊りで練り歩く。



 来たる祭日に向けての予行練習と、調整が行われていた。



 宮司の竹辻たけつじ敦規あつのりは前持って参拝をする氏子の人々と挨拶をしたり、公で行う祭事を最大限に楽しく心地よいものにするために普段は公開していない本殿を念入りに掃除し、客人を招き入れるための敷き布やパイプ椅子を並べる。


 参道には来訪する人々に涼をとってもらうためのミストを噴霧する冷却器具を取り付けてもらったため、午後からはかなり辺りが涼しくなった。そのせいか日が陰ったからか、今は胸元を流れ落ちる滝のような汗にも若干の弱まりが見受けられる。


 竹辻家は一応代々この川見不神社かみずじんじゃ、通称上水八杜かみずやしろの宮司ではあるが、神職を受け継いでいるのは単に慣例的形式的なもので、ここに収まったのは室町の時代にこの村で一番の長老だったからだと竹辻家系図の冒頭に書き伝えられている。村人から選ばれて与えられた地位であり、村人ありきの人生なのだと。


 実質毎年の祭も町内に住む有志が宮座で運営する。確かに上水八社を頂点に商店や民家が広がっていることは否めないが、地域の村社会に土着した小さな小さな神の社だから栃木県の日光東照宮や京都の八坂神社のような仰々しさも規模もない。地方に数多点在する小さな名も無き社と比較すればまだ社会的考察がやりやすいというだけの話だ。


 本来は村民が病気をせず健康に過ごすことを祈ったものだったらしいが、現在は地域の交流に一役買うシンボルとして機能している。元々からなのか近代に入ってからなのか、森羅万象の神々を祀り詣でる場所としての神聖さはすっかりカジュアルダウンしていた。山間部にある上水八杜へは気ままに緑を楽しみに来る人が多く、町内会議の末山中に東屋を設けたほどだ。



 日頃から上水八杜に親しんでいる付近の住民や、商売繁盛を願う商店の人々、近所の子どもたちが遊び場として、あるいは学校授業の一環として集い祭事のない時でも日々そこそこ賑わっている。


 上水八社の夏祭りにおいて宮司としての仕事は、当日の神事の執行や対外的に必要になる所持の連絡手配における代表窓口としての責任を背負うこと、参拝経路の整備など宮司でなければ把握していない些事諸々のとりまとめを行うことだ。


「竹辻さん、おにぎりですけど、夜食を準備しましたから、食べにいらしてください」


 引きもきらない氏子、主に信心深い老女や年配の女性ばかりだったが、による来訪の合間をあくせくと縫って、日中行われた各種手続きの内容を確認し追認作業に追われていた竹辻は、折りたたみ式の簡易テーブルから顔を上げ盆に乗せたお茶を差し出す女性に顔を向けた。ひっつめた髪に淡い黄色のエプロンをした、どことなく目元にはかなさを漂わせる女性だ。


「ありがとうございます」


 竹辻はお茶を受け取る。ぎっちりと脂肪を蓄えた重たそうな腹が窮屈げに伸縮する。ティーシャツにデニムパンツ姿でパイプ椅子に座す彼の姿はぼってりと中央に重心を集めた独楽のようだ。その首にはどこかの粗品でもらったタオル。朝から何本取り替えたかわからない。竹辻は何らかの愛玩動物のようにすら感じられるユニークな体型だが、堀の深い顔に蓄えた長い髭は彼が衣冠をまとえばかなり清涼な神聖さを漂わせ見栄えするであろうと思わせた。


 女性は他の実行役のもとへお茶を配りに戻る。出されたお茶を飲んでみると、すうっと冷えた液体が喉を滑り落ちた。ほんのりとさらつく甘みが鼻へ抜ける。

 竹辻は、給仕を買って出てくれた人の中にお茶好きが混じっているのだろうかと考えた。格別良いお茶ではないが、多人数に出す水分補給用のお茶としては品がある。


 つるつると紙カップの中のお茶を回しつつ、つかの間の休憩を取っていると、ふと斜め後ろに人の気配を感じた。斜め後ろはおみくじを結びつけるための神木があり絵馬掛所が背の低い常緑樹に挟まれていて、さらに向こう側は山奥へ入るための鳥居へ続く参道で現在誰も作業をしておらず、物置の空間となっている。


 朝には片付けねば邪魔になるだろう。そちら側の境内にはどこも街灯などを据え付けていない上、仮設テントが作る昼のような明かりの中に居るのもあって、いつもはなんと言うことのない闇も見通しの悪い暗黒の空間に感じられる。



 そこにぼんやりと白いシャツを着た人影があった。仮設テントの明かりを受けて額も白く浮かび上がっている。履いているズボンは黒く、裾が地面に溶け込んで見えない。少年のようだった。中学生くらいだろうか。じっとこちらを見つめる瞳には理知の色があった。



 なぜか、同じ位相に生きている子には感じられなかった。竹辻はくるりとお茶を回して飲み、その違和感について思案する。散布されるミストからは離れているため、この辺りは扇風機でもないと苦しいのだが、彼の方からは冷気が漂ってくるようだ。


 いままでぬるく風をかき回す仕事をだるそうにしていた扇風機が、途端にモーター音を大きくしたのか、嫌に耳に付いた。手の甲があわ立つ。この世ならざるもの。



 ああ、そう言えば、あちら側は神山へ入るための、神様がこちらへいらっしゃるための鳥居であったなあ。



 ここは神の奉られる場であるし、そもそもどんな形であれ霊力の集まる地場を持つ場所に神社は建立されるものであるから、こういう碑と鳴らざる気配を持つものに出会うことは稀ではない。だから竹辻は特別驚かなかったし、ああ、今夜も新しくこちらの世界に来たのだなあと迎え入れる気持ちでいる。


 彼らは特別人に悪さをする存在ではなく、ふらりと人々の生活にまるで今まで居た者であるかのように溶け込んで消えて行くだけだからだ。ただ夜中とはいえ、こうも人が多いときにふらりと現れるのは珍しく、意外さはあった。現れた直後は気がこの世になじんでいないため、”どこから現れたかわからない”というヒズミも大きく正体を言い当てられてしまう危険が高まる。


 そのためこの世ならざるものたちは来訪のときを深夜の丑三つ時に選ぶことが多いのだ。だから、夏祭りと偶然重なってしまっただけかも知れず、それだけであれば特に気にすることもなかったかも知れない。



 それなのにぞっとしたのは、彼があえてその場に立ち気づかれることを待っていたように感じられたからだった。彼は竹辻に正体を言い当てられることも、異端のものとして排除されることも恐れてはいないように感じられた。



「飲むかい?」



 竹辻は紙コップをかざして尋ねた。


 少年はにこり、と笑んで応じる。絵に描いたような優等生のそれに快活さと親しさを混ぜ込んだような、距離感のつかめない笑い方だった。



「いただきます」



 嬉しさを滲ませた明瞭に透き通る瑞々しい声で、心地良さすらある。手招きすると、軸がしっかりとして均整の取れた歩き方で近寄って来た。ザクザクと砂利が鳴り、彼の足が闇から明かりのある空間に出る。



「あっちのおばさん達が用意してくれるから、もらっておいで」



 人の集まるやぐらの方を示すと、彼は祭り前の熱気ににぎやかな人々の姿を見て、目を丸くしいよいよ楽しそうにした。透き通るように白い頬に朱が差し、興味深そうに瞳をきらめかせる。優等生らしさはどこかに消え去り、幼い子どもの持つ爛漫さが口元からこぼれる。



「楽しそうですね。なにをしていらっしゃるんですか?」

「明後日の夏祭りの準備だよ。みんな毎年楽しみにしていてくれて、こうして準備にも集まってくれる。子どもたちは学区で盆踊りを練習してくれて、当日は有志の方々が能も披露してくれるんだよ。君も見に来るといい」

「いいんですか?」

「もちろん。着物でも着ておいで」

「ありがとうございます」



 腰をほとんど直角に折って礼を言ったが、仰々しさやたいそうな感じは微塵も無い。折り目正しい優等生だなあと竹辻は好感を持った。



 そのまま設営作業を行う人たちに向かう少年の背中を追う。大勢の人に混じれと指図すれば多少なりともたじろぐかと思ったのだが、彼はそれどころか逆に嬉しそうにして、お茶を飲んだ後子どもたちから盆踊りの踊り方を教えてもらっている。


 子どもの扱いが上手いのかもしれない。

 今集まる人の中では珍しい少し年上のお兄さんに、小学生たちはわらわらと集い始め、最終的に子守りを頼まれてしまっていた。



 人になじむのが早いのか。



 用意された夜食、白米の握り飯をかじりながら考える。じわり、と染みた甘味が塩と混じって喉を下る。


 いや、それは違うのではないだろうか。なじむのが早いと言うようなものではない。最初から子どもたちの中に彼に対する警戒心や、知らないお兄さんを迎えてやろうと言う構えた調子が無いのだ。子どもは元来頭ではなく本能で警戒する生き物で愛らしいウサギに対してすら恐怖を示す場合もある。


 子どもが彼に微塵も恐怖心を抱かないと言うのであれば可能性はひとつ、彼が相手の恐怖心を吸い取ってしまうものを持っている、ということになる。いや、彼が警戒心をもって居ないと言うべきか。互いにガードが無い非常にオープンな状態を瞬時に作り、周囲の意識を無条件に受け入れる。


 それは草食動物で例えるならばサバンナを一頭で闊歩するように不用心で危険極まりない行為である。

 他者をまるごと受け入れると言うことは大自然にある無辺の大地に似て能動的なことではない。


 だからこそ彼は竹辻が気づくまでそこで待っていたのだ。竹辻が能動的に彼の手中に飛び込むまで、ずっとそこで待っていたのだ。


 それは人間らしからぬ執念と所業とも思えた。



「この世ならざるもの、か」

「何か言いましたか竹辻さん」



 いつの間にやら酒が入ってしまったらしい赤ら顔の男性が耳ざとく拾って振り返った。



「ああ、いや、あれは物の怪か妖怪か神かどれだろうと考えましてね」

「この世ならざるものが、ですか」

「そうです」

「この世ならざるものですから死者なんじゃないですか。彼岸と此岸って言うじゃあないですか」

「そうですねえ」



 それは仏教の話だと思ったが、本値垂迹説や反本値垂迹説がまことしやかに論じられたこの国のことである。この世ならざるものに神道も仏教もあるのだろうかと首をひねった。日本人は神も仏も別のない混濁した信仰形態に慣れすぎて宗教的な概念の境界があいまいになっしまい、日常においてその概念の個別化にあまり重きを置かない。



「死者ですから、わしらを見守ってくれる神様じゃあないですか」


 なるほどと頷く竹辻の紙コップに、彼は新しく開けた酒をなみなみとついだ。


「今日はもう、そろそろお開きですなあ」



 竹辻は酒を喉に流し込んだ男性のしみじみとした声に紙コップを掲げ、彼に酒を注ぐためノンアルコールのビールへ手を伸ばした。

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