(4)  憧れの視線

  木曜日と言えば週の始まりでも終わりでもない中途半端な日なのだが、この日は朝からニュース番組が普段と異なりいろいろな街へ中継を出して騒がしかった。

 土崎駅から近い飯島家では、スウェット姿で絶賛女子力低下中の美咲がぼけーっとしながらトーストをかじっていた。


 公共放送局のニュース番組は、ちょうど全国ニュースから飛び降りて秋田駅を俯瞰するカメラの映像を映していた。東京へ向かう新幹線と在来線が入線していたが、ホームに混雑する様子は写ってなかった。画面にテロップがかぶさるのを、美咲はまだボーっとしたまま眺めていた。


 『それでは、交通機関の状況です。東京から秋田に向かう秋田新幹線は午前中はすでに満席、午後の座席もほぼ満席となっています。また、飛行機は本日分すべての便ですでに満席となっています。高速道路は順調に流れていますが、午後は東北道と秋田道を結ぶ北上ジャンクション付近から渋滞が予想され……』


 妹が降りてきて「おねーちゃん、おはよー」と半分寝ぼけながら挨拶した時、ニュースは県内の予定を伝える場面になっていた。

 

 『秋田駅前のアゴラ広場では、帰省する人々や観光客に秋田の魅力を再確認してもらおうと、商店街の有志が企画したイベントが行われる予定です。午後には秋田市内のテーマパークからキャラクターが登場するステージなどが予定され……』

 

 妹が画面を指差しながら、瞳をまん丸にした。

 

 「おねーちゃん、これでるんでしょー!?」

 「そーだよー」


 母親が美咲のカップにコーヒーを足してやりながら、リビングのテーブルの上に置いたカバンをと持ち上げ、制帽を脇に抱えた父親に話しかけた。運悪く、といっていいのか、美咲の父親は今年のお盆は休みが後半にずれていて今日は出勤なのだ。

 


 「写真でも撮りに行こうかしら」

 「そうだな。母さん、いってきたら?」


 美咲は少し照れくさそうにしながら、「えー別にいいよ」とまたトーストを一口齧った。妹が「見に行ってもいい? ねぇねぇ!」と聞いてくるので「すきにしなー」と答えながら、美咲はこの後の予定を頭の中で考え始めた。




 それから少し時間を挟んだ井川家のダイニングでは、さくらが食事をとっていた。レース柄のテーブルマットを敷いたダイニングテーブルには焼いたウィンナーとスクランブルエッグ、レタスとトマトが載せられた朝食プレートが二人分。そのうち一人分をさくらはフォークでつついていた。


 壁のホワイトボードには「大学救急:当直」と書かれていて、昨日の夜から母親が大学病院に手伝いにいっていることが予定に書かれていた。もうすぐ家に帰ってくるはずで、母親はたぶん朝食は取ってないだろうからと、さくらが気を利かせて作っておいたのだ。当直のある日、さくらはよくそうしていた。


 そのホワイトボードには、以前みんなで撮影したフローラの写真が貼ってあった。その写真に写る3人は笑顔を弾かせていて、さくらはこのあと会う美咲といずみのことを考えて表情を緩ませた。


 もう一人の家族である猫は、さくらがお皿に盛ってあげたカリカリを平らげると、さくらの足元までやってきて頭をスリスリした。さくらが、少し椅子を弾いて「ん?」と声をかけると、さくらの膝に飛び乗った。

 ご飯を食べた後の"おいしい顔"でペロペロと口の周りを舐めていた猫に、さくらは頭をなでながら話しかけた。


 「今日、パークの外でステージ、するよ? 見に来る?」


 猫は特に興味はないということなのか、プイッと体を翻して床に降りると自分の寝床のある方へ歩いて行った。さくらは、おかしそうに「もう!」とつれない返事の同居人の後姿に声をかけた。



          **




 午前10時を過ぎたころには、東京からの新幹線や各地からの飛行機で来県した帰省客や観光客で秋田駅前は混雑し始めた。大手系列のデパートの隣にある広場の小さなステージの周辺には簡易的なテントと何台かのマイクロバスやワゴン車、そして、お決まりのAMBの衛星中継車が並んでいた。


 現地集合ということで、同じ電車でやってきた美咲とさくらは、前日に衣装を運び込んでおいたマイクロバスを見つけた。中に入ろうとする美咲の背中を指でつんつんした。美咲が気が付いてさくらが見ている方を見ると、そこには大きなアシンメトリーのベレー帽をかぶり、長い髪を後ろでまとめたスタイルのいい女性がいた。


 その女性は、大学生くらいの男性から渡されたCDにサインをしていた。

 男性がお礼をいってその場を離れると、それを(あざとい)モデルスマイルで手を振って見送った。


 やがてさくらたちの視線に気が付くと、片手をあげて反応した。そのいずみはマイクロバスの中で美咲とさくらに合流すると、苦虫を半分噛み砕いたような顔をしていた。


 「……まさか顔バレするとは。サングラスすればよかった」


 美咲が珍しくいずみをフォローした。


 「まあまあ、たまにそんな日もあるって」

 「本日2回目」

 「え? まじで? 私たちそんなことなかったのに。ね?」

 「え…と」

 「ええ!? 何その反応?」

 「さっき、駅の売店入ったでしょ? その時、女の子に……」


 美咲が二人の顔を見て、えー!? と驚いていた。


 「わたしだけそんな事ないよー? なんでなんでー?」

 「美咲ちゃんも、パークの中だと、よく声かけられる、でしょ?」

 「むー、なにかオーラ的ななんかが足りないのかなぁ?」

 

 さくらがいずみの顔を、感心したような表情を浮かべながら眺めた。


 「いずみちゃん、やっぱり、わかっちゃうのかな? 立ち振る舞い、とか、話し方、とか……」

 「んんー? そうかな? そういうもんかなー」


 そういうと、急に ふふふんっと得意げな笑顔をいずみは浮かべた。


 「まあ、姿勢とか話し方とか、それなりに自信はあるかんねー。それに、このスタイルの良さはどうしてもめだっちゃうしねー」


 美咲がその様子をみて、ニターっと笑みを浮かべた。


 「さっきの男の子も、まさかいずみんが正体が腹黒キャラだとは思うまい」

 「お褒めいただいて恐縮ですわー。美咲のファンもまさか美咲がヘッポコでハラペコなキャラだとは思うまい」


 お互いにわざとらしい笑顔を交わしあっていた。どちらの表情も、さくら以外の友人がそれを見たら驚くに違いない。美咲もいずみもこんな表情はアウローラ・ユニットのメンバー以外にはめったに見せないのだ。それを知っているさくらは、二人を見て、同じように他では見せないような楽しそうな表情を浮かべていた。


 「仲良しだね、ふたりとも」


 さくらの後ろで、ドア側のカーテンがシャーっと開く音が聞こえた。

 スマホを片手に城野が入ってきた。

 

 「はいはい、着替えて着替えて。この後、SVさんと一緒に運営さんにごあいさつよ」


 はーい、と3人の元気な声が車内に響いた。





 美咲たちがマイクロバスの中で着替えている間、外でスマホを使い久保田と連絡を取っていたSVの耳に、隣のワゴン車のスライドドアの開く音が聞こえた。 


 男性が降りてきて、ドアにかかる大きなカーテンに顔を突っ込んで、中にいる人に何か指示を出していた。そして、SVに気が付くとスマホの画面をスワイプするSVに「あの?」と声をかけてきた。


 メガネをかけた真面目そうな男性がSVの前に立っていた。

 

 「失礼ですが、フローラさんのプロデューサーさんですか?」

 「プロ……ええ、まあ似たようなものです」

 「やはりそうでしたか。私は白井プロのFigureフィギュア!担当プロデューサーです」

 「ああ、あなたが……」


 プロデューサーはSVに頭を下げた。


 「この前のステージは、フォローしていただいてありがとうございました! おかげ様でうちの子も支障なくステージに立つことができました!」

 「あー、いや、そんな、ああいうのはお互い様ですもの。それより、最後に間に合ってよかったですね」

 「ありがとうございます。今日はこの前の挽回というわけではありませんが、私もフィギュアも一生懸命努めますので、よろしくお願いします!」


 そういってまた頭を下げたプロデューサーに、SVは逆に恐縮して両手を少し振って答えた。


 「いえいえ、こちらこそ。うちの子たちも新人ですし、いろいろ足りない部分もあると思いますがよろしくおねがいします」


 お互い様、というにはSVの本心でもあった。監督と猫実部長にあの後挨拶に来ているのは知っていたし、その際にフローラたちに東京土産のお菓子の差し入れをしてもらったことも覚えていた。そのうえでわざわざ頭を下げたこの白井プロのプロデューサーにSVは好印象を持った。


 そこにマイクロバスのスライドドアが開く電子音が聞こえ、中からフローラの3人が出てきた。コスチュームを着替え左胸には小さな造花の飾りが付けて、白のフレアミニスカートとステージ仕様の白いブーツを履いたその姿は、なるほどアイドルと同じと言われれば確かにそうだろう。


 とはいえ、夏用に半そでのブラウス、そしてマリンブルーのネクタイを着用しているので真面目さのような空気も出していて、プロデューサーはすぐにこの子たちがアンバサダーだなと気が付いた。


 SVが少し姿勢を直して紹介した。


 「こちらが、白井プロのフィギュア!担当プロデューサーさんよ」


 それを聞いた3人はそろってお辞儀をして自己紹介した。


 「はじめまして。パーク・アンバサダーのフローラです。よろしくおねがいします」

 「あ、こちちこそよろしくお願いします。何かと縁があるみたいですし、うちの子たちとも仲良くしてやってください」


 はい! という3人の返事が準備中の舞台裏に響いた。




 ワゴンの窓のカーテンを少し開けて、わかばたちはその様子を見ていた。

 わかばは少しそわそわしていた。


 「挨拶言いに行ったらだめですか?」

 「だめだよぉ~ プロデューサーさんが、あっちのプロデューサーさんとぉ、お話してるでしょ~?」


 さつきがそう諭していた。佐竹もうなずいていた。


 「そうだよ。わかば、もうちょっと待とうね?」

 「は、はい……」


 さつきがふんふん、とフローラの3人を観察していた。

 そして、同じようにじーっと観察していたわかばに面白そうに話しかけた。


 「わかばの王子様はぁ、なるほどなるほど、モデルさんみたいだねぇ」

 「ホントに元モデルさん、て、お姉ちゃんがいってました」

 「なるほどなるほどぉー それじゃあ、わかばが憧れるのもしょうがないなぁ」


 佐竹も少し意地悪そうな顔をして、その話に乗っかった。


 「そういうお年頃だもんねぇ。かっこいい人に憧れるもんだよ」


 わかばが顔を赤くしてわやわやと照れていた。


 「お二人とも私とそんなに違わないじゃないですかーっ」


 さつきも佐竹もそれには答えず、二人ともわかばの頭に手を添えた。


 「な、なんで頭をなでるんですかぁ~?」




 運営委員への顔合わせと挨拶をするために、さくらと美咲を先頭に4人で本部のテントへ向かおうと物産コーナーのテント裏を歩きはじた。

 アーニメントの社有マイクロバスの隣にあるワゴン車のスライドドアが開き、エアコンで冷えた空気とともに、中から女の子が3人降りてきた。


 3人ともTシャツとハーフパンツという姿で衣装には着替えてなかったが、その3人がフィギュアの3人だという事はいずみたちにはすぐにわかった。


 わかばが先頭をきって「お、おはようございます!」と挨拶すると、さつきと佐竹も同じように声を揃えて挨拶した。フローラの3人も同じく声を揃えておはようございます、と挨拶を返した。


 フィギュアのリーダーでもある佐竹が神妙な顔で口を開いた。


 「この前は、ありがとうございました!」


 その声に続けてさつきとわかばも「ありがとうございました!」と頭をさげた。SVと話していたプロデューサーが、わかばたちの隣に立った。


 「改めてご紹介します。フィギュアのわかば、佐竹、さつきです」


 わかばたちが「よろしくおねがいします」と頭を下げたので、いずみたちも同じように「よろしくおねがいします」と頭をさげた。まあ、ここまではアイドルとかタレント同士の顔合わせとしてはよくある流れだった。


 いずみが得意なモデルスマイルを作り、同じリーダーということなのか、ことさらに明るい声で話しかけた。


 「まあまあ、ああいうのは、お互い様じゃない。それに、歳もそんなに変わらないし仲良くしましょう? ね?」


 最後の一言は、この前の事を気にしていたさくらに向けたものだった。

 さくらはいずみの意図を理解したのか、「あの、やっぱり本当は、みんなが2曲、歌いたかったのかな? て、私……」


 これには、さつきがウインクして答えた。


 「でもぉ、フローラのみんながぁ、お客さんをあっためておいてくれたからぁ、すごぉーく歌いやすかったよぉー さくらちゃんのぉ、あのアドリブのおかげだよぉ?」

 「はい! ファンの人からも、よかったね、てお手紙いただいてました。さくらさんのおかげです!」


 それを聞いてさくらは、胸のささくれが取れたような安心した表情を浮かべた。


 さつきは、最初にフローラの3人が恩着せがましいとは言わないものの、なにか、上から目線でいってくるのではないか、と心配していた。それはいずみの大人びた印象による先入観によるものなのだが、こうして会ってみて、逆にさくらを心配させていたことに気が付いて、さつきはさくらたちに好印象を抱いた。


 いずみは、陽射しから頭を守ろうと被った私物のベレー帽がビル風にあおられたので急いで右手で抑えた。コスチュームにはマリンキャップがあるのだが、今はバックステージ扱いなのと、紛失防止の意味もあってマイクロバスに置いてきていた。

 

 その仕草をじーっとわかばが見ていた。

 

 いずみはそれに気が付いて、少し腰をかがめてわかばに視線を合わせた。

 モデルスマイルに少し優しさを含んで、にっこりとほほ笑んで見せた。


 「なにかな? どうかした?」

 「い、いえ、あの……その帽子すてきですね」

 「そう? ありがとう、わかばちゃん」

 「え!? わ、わたしの事やっぱり知ってるんですか?」

 「ふふ、お姉さんからいろいろ聞いてるよ」

 「わ、わたしもお姉ちゃんからいずみさんのこと、いろいろ聞いてます~!」

 「それじゃあ、みそのさんつながりで、さくらと美咲とも仲良くしてね?」

 「は、はい!」


 プロデューサーとSVの顔を見つけた運営委員の若い男性が声をかけてきた。


 「すみません、アーニメントさんと白井プロさん、運営委員のみなさんまだちょっと時間かかりそうなので、よかったらテントで休んでいていただけますか? お茶をお出ししますので」


 プロデューサーが「はい、わかりました」と答えていた。

 そして、佐竹たちにプロデューサーが顔を向けて声をかけた。


 「それじゃあ、もう衣装に着替えておこうか。ブーツはまだはかなくていいから」

 

 わかばたちが返事をすると、SVが「では、私たちは先にテントにいますので、のちほど……」とプロデューサーに一声かけていた。





 仮設のテントの中はエアコンは無いものの扇風機が回っていて、周囲の溜まった熱い空気をビル風が吹き飛ばしていることもあって比較的涼しかった。


 運営委員の若い男性が折り畳み机の上に麦茶とお菓子を出してくれてフローラたちはそれをいただきながら並んだパイプ椅子に並んで座っていた。美咲は、いずみがわかばと話していたのを思い出した。いずみがどうやらわかばの事をしっているっぽい、と思ってそのことをいずみに尋ねてみた。


 「いずみん、わかばちゃんのこと知ってたんだ」

 「直接話したのは初めてだけどね」

 「じゃあ、さつきちゃんと佐竹ちゃんのことも?」

 「話だけなら聞いてるけど、あったことはないよ」

 「そうなのかー いずみん、アイドルとか詳しいのかと思った」

 「いやいや。あのね、私一応芸能事務所にいたわけで、それなりに情報はね。それに、白井プロの子とはレッスンとかで何度か一緒になって……」

 「わかばちゃんと仲良さそうだったけど」

 「みそのさんからよろしくってメールが……」

 「なんでみそのさん?」


 いずみは一瞬考えたが、別に秘密にするようなことでもないと思った。


 「わかばちゃん、みそのさんの妹だよ?」


 さくらと美咲が「ええ!?」と声を上げた。

 

 みそのとアウローラ・メンバーはレッスンやステージで何度も一緒になっているし、いずみとみそのはすでに先輩後輩の関係になっていていた。だが、さくらと美咲はそこまでの関係にはまだなっていなかったので妹がいること自体知らなかった。


 「みそのさん、妹さん、いたんだ、ね?」

 「うん、知らなかったー。アイドル姉妹かぁ すごいなぁ」

 「みそのさんはアイドルじゃないでしょ?」

 「人気すごいから実質アイドルじゃん!」

 「実質認定ガバガバじゃない」


 そんな雑談が続いていたが、すぐに運営委員の若い子たちがテントにやってきた。

 気配で気が付いて、さくらたちは立ち上がって頭を下げて「こんにちはー」と挨拶すると、その中の大学生ぐらいの若い委員の女の子が感動したようで声をかけてきた。


 「このまえ、テレビの中継見ました! あのステージ感動しましたよぉ! あ、さくらさんですね! あのアドリブ感動しましたー!」


 その熱意に押されて、さくらは多少気圧されたようだったが、すぐに笑顔を作って対応した。2か月前のさくらには想像もつかないようなことだった。


 やがて、フィギュアの3人もプロデューサーに連れられてテントに入り、MCを務めるローカルタレントの男性二人組もやってきて顔合わせと打ち合わせが始まった。


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