(5) いずみと舞

 全員の顔に玉のような汗が浮かび、髪が額に貼りつき始めたころ。

 トレーナーは手を叩いてみんなを注目させた。


 「はい、これからブレイクにします。水分しっかり取りなさいね」


 みんなが「はいっ」と返事して一礼した後、トレーニングルームをぞろぞろと後にした。だが、舞はそのままトレーナーに向かって歩いて行った。その顔は頑張っているというよりは切迫しているといった方がよさそうなものだった。

 少なくとも、トレーナーにはそう見えた。


 「もう一度だけ、最後のところをやらせてください」


 そう舞が何かを焦っているような表情でお願いしてきた。おそらくはそれを予期していたトレーナーは、舞の肩に置いて少し厳しい口調で諭し始めた。


 「気合入ってるのはいいことだ。だけど、休む時は休んだ方がいい。それも上達の道のひとつだぞ」

 「でも……」

 「いいから、休んで来い。な?」


 舞の後ろに複数の足音が聞こえた。なかなか来ない舞を心配してか、藤森が広森とともに舞を呼びに来た。


 「安浦浜さん、自主トレからずっと休んでないですよ? 少し休みましょう?」

 「そうだよ。休む時は休みましょう。ね?」


 広森がしぶる舞の肩に手を置いてブレイクエリアに誘導していった。

 





 ブレイクエリアにみんな集まって休憩していたが、こまちとつばさが何かを取りにオフィスに戻り、残りのメンバーは顔を洗いに行っていた。結果、いずみと舞はたいして広くもないブレイクエリアで2人きりになった。

 いずみは慣れているのかあまり汗はかいていない。ただ、開いた窓から入る多少涼しい風で火照った体を冷ましていた。楽屋の洗面台にはいかずに、家から持ってきたアルミのドリンクボトルに入れたスポーツドリンクを飲みながら体を休める。


 一方で、汗は拭いたもののやはり疲れたのだうか、舞は自動販売機でリフレッシュドリンクを買ってかぶのみしていた。舞は無意識に深いため息をついていたようだった。


 いずみは、その舞の様子を観察した後、窓の外に視線を動かしてしばらく何かを考えていた。そして誰にも聞こえないような小さな声で「私のお人よし……」とつぶやいた。ボトルを持って舞の座っているテーブル席の向かい側に移動して腰を下ろした。


 舞? と声をかけたが一回目は反応がなく、2回目に少し大きな声で呼びかけたら、ようやく「ふぇ!?」と返事が返ってきた。


 笑顔で

 「ごめん、考え事してて……えへへ」

 と舞はごまかした。


 いずみは周りに誰もいないことを確認した。舞はいずみが注意深く見回すのを不思議そうに見ていた。やがて、誰もいないとわかるといずみは舞に顔を向けなおした。


 「あのさ、舞? なんか無理してない?」

 「ええ!? む、無理なんかしてないよ! 元気だよぉ~」


 ぱっと両手を広げ、いずみに向かって笑顔を作ってみせた。



  ……そして、そのままの姿勢でしばらく時間が流れた。



 いずみが乗ってこなかったからだ。

 舞は、ちょっとその反応に戸惑っているようだった。


 「あ……あれ?」


 いずみは何も言わずに頬杖をついた。視線は天井に向けられていて、ほんの少しの間だけ頭の中で言葉を探していた。


 「空元気も元気っていうから、いいんだろうけどね。まあ、どこかの漫画の受け売りなんだけど」

 「……」

 「舞はがんばるねぇ。舞のそういうとこ、好きだけど。でも、頑張りすぎると燃え尽きるのも早いよ?」


 いずみが何を言いたいのか理解したのだろう。舞は空元気の演技をやめて、視線をテーブルに降ろした。


 「……頑張るしかないから」

 「ん?」


 いずみにギリギリ聞こえる声で舞が答えた。顔を上げたとき、舞の目はうるんでいて、少し涙目になっていた。


 「私、取り柄もないし、ダンスも下手だし、歌だってうまくないし……」


 太ももの上に置かれた両手のこぶしを、すこしだけ力を込めてきゅっと握りなおした。


 「頑張らないと……迷惑かけちゃう。だから、早くみんなに追いつかないと……」


 今度はいずみがため息をついた。それは、舞に向けたものではなく、何を話せばいいのか思案しているゆえだった。ドリンクを一口飲み、考えをまとめるために自然といずみは目を閉じた。考えがある程度まとまると、やがていずみは口を開いた。


 「私さ、昔は演技力がないとか、替え玉は替え玉とか、向いてないとか、そんな風に言われてたんだよね」

 「……そうなの?」

 「まあね。最初にダンス踊った時、あまりに下手すぎて先生に笑われてたし」

 「でも、モデルさんになれたんだよね? やっぱり一生懸命頑張って練習して、それで今のいずみさん上手なんでしょ?」


 いずみは左手で頬杖をついて、右手でひらひらと否定した。


 舞は「え? 」と疑問に感じたようで、それが表情に出ていた。

 いずみは頬杖をついたまま話し始めた。


 「いや、私、頑張ってなんかないけどね」

 「でも、モデルさん続けてたんでしょ?」

 「そうだよ。楽しかったからね、結局」


 きょとんとしている舞に、いずみは汗でべとつく前髪をかきあげながら続けた。


 「何かを続けること、夢中になることって、そんな理由で十分なんじゃないかな?」

 「そうかな……?」

 「うん。そうだよ。だからさ、上手にならないととか、足を引っ張るとかさ、そんなことはどうでもいいとおもうんだよね、私はさ。楽しんでみたら? みんなに甘えるのもいいと思うしね」 


 いずみの話を聞いた舞の表情からは、さっきの涙目は消えていた。

 さっきまでの空元気は一旦脇において、舞は感心するような表情でいずみの顔をマジマジと眺めていた。


 「いずみさん、なんかすごいね。大人なんだね」

 「そうかなぁ……自分じゃまだまだ子供な気がしてるんだけどね」


 それはいずみの本心だった。

 いずみの背後でドアが開く音がして、美咲の騒がしい声が聞こえた。美咲はふたりを見つけると、興味深そうな視線を送ってきた。何話してたの~という美咲に舞が顔を向けた。だが、舞が口を開くより先にいずみが意地悪そうな顔を美咲に向けて話し始めた。


 「さっきの美咲の盆踊りについて語ってたの」

 「ひどぉーい! 未経験者なんだからしょうがないじゃんかぁ!」

 「舞も未経験だったけど盆踊りではなかったしょ?」

 「もお、トレーナーさんが盆踊りとかいうからぁ」


 美咲が珍しくむくれてみせた。


 「まあまあ、私より上手だったでしょー?」

 と舞は少し困ったような表情でなだめていた。


 いずみが舞に話したことは、あまり人前で聞かせたくないらしい。

 なんとなくいずみのそんな心情を理解したのだろう。舞は美咲にはこの件については何も話さず、ただ、いずみと視線をあわせるとお互いに小さく笑って見せただけだった。



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