第参幕・鬼譚怪力乱神

 結論から言ってしまおう。俺たちは敗北した。




 俺たちがそこに到着したとき、既に局長たちは到着して雑魚狩りを始めていた。

 そこは金町唯一の超大型量販店の駐車場であった。

 まだ夜に入って浅いから、多くの買い物客でごった返していただろうそこは、今では鬼たちの集会場と化して、彼らがもともと曳いていたであろう車の残骸がその名残を示すばかりだ。

 駐車場の地面がところどころ赤く染まっているのを見て、一瞬目の前が真っ赤になりかけるが自制する。犠牲は最初からわかりきっていたことだ。

 許容できるわけではないが、受け入れなければならないことではある。


「ここからの指揮は自身に近い方の指示を聞け。容赦はするな。ここにいるのは人喰いの悪鬼ども。躊躇う必要はない。全て薙ぎ払う。急々に律令のごとくに行え」

「さぁ、みんな自身の安全最優先で今回の一件も片付けよう。助かる人はもう助かった。助からなかった人は……今から僕たちが仇を討つ」


「開戦!」


 合図とともに鬨の声をあげるようではまだ二流。ここにいるものたちはその領域は超えているものばかり。

 開戦の合図に合わせて、各自自慢の術式をどんどん鬼の大群にぶつけていく。


 もちろん、俺らが最初に口上を述べたのは局長たちが退避する時間を作るためだ。一旦俺らの傍まで下がってきた彼らは、辺りに広がる鬼の群れが順調に退治されていくのを静かに見守る。

 ここから敵の親玉を倒そうというのだから、ここで余計な力を使われては困る。そのためにも俺らだけでそれ以外の鬼を殲滅しきり、それから悠々と彼らには活躍してもらわねばならない。


 いつもは使えないような大規模な術式をもって辺り一帯を焼き払わんとする者、細かく小規模な術式を鬼の弱点に精密に当てて的確にその撃ち漏らしを処理していくやつ、燃え盛るその術式を足がかりに更に強力な五行相生を企てる者たち。


 中級局員というのは退魔師の基準点だ。練度はともかくすべてのことが一通りできるようになって初めて認定される。

 式のかけ方や簡易な封印術。陰陽術を規範とした符術、偶像理論などその内容は多岐にわたるが、それらすべてを一定に修めなければ中級にはなれない。

 だから、退魔師見習いを卒業したばかりの下級局員たちは都市外へと出ることを禁止されている。

 本来都市外に出てもあやかしたちに対応できるのは中級以上の局員だけだからだ。下級の知識範囲ではあやかしに一人で相対することはできない。


 そして、そうやって一通りのことを修め終わったものから専門分野を定めていく。

 俺で言うならば偶像理論を利用した特殊術式、晴天で言うならば陰陽術を規範とした符術の簡略化だな。局長の専門分野なんかはそのもの対鬼戦闘の極意だ。

 これを一定以上に深度を深め、実用圏内まで昇華させることに成功したものが上級局員と言われる。


 ところで、この実用圏内というのが曲者だ。どんなに研究が甘かったとしても、本人の戦闘センスがずば抜けていればそれを実用化できる。反対に、どんなに素晴らしい術式を開発しようとそれを活用することができないならば、一生上級局員になれることはない。

 別に戦闘に限った話ではなく、生活水準を引き上げるたぐいの術式でも実用化すれば上級にはなれるが、そういうやつらはえてして後方勤務になりがちだ。晴天なんかはどちらもこなすが。


 つまり、何が言いたいかというと、前線に出てくる上級局員というのは中級とはまた一線を画す実力者揃いなのだ。

 当然だろう。中級から一つの専門分野をある程度極めるまでに積んだ研鑽、そして大成させた研究結果から得られた新技術、それらはただの中級とは比べ物にならない戦力を示唆する。

 上級というだけで、今回の件で言えばあの手練の鬼一匹に相当するのだ。いや、俺の戦い方があんまりだっただけであいつらは事実強かったのだ。久咲を二対一とはいえ追い詰めかけたというのはそれだけの実力者だ。

 俺も実際やつに一度は殺されかけている。最後が呆気なかっただけで彼らは油断できるような相手ではなかった。


 ちなみに、この場にいる上級は俺と晴天と局長を除けば5人。いや、6人だな。鬼の囲みの奥に今気に入らない目を見つけた。これで確定、今回の黒幕はあいつだ。

 飯野明吉。

 都市に残る上級最後の一人であり、その専門分野は式の効率的な運用について。

 式神を自身の下僕のように扱い、しかし戦闘においてはその性能を最大限活かす式を開発したことで上級に居座る教育に悪い野郎だな。


「飯野ぉ! てめぇなんてことしてくれやがった!?」


 叫ぶ俺に、次々と飛んでくる術式の嵐にてんてこ舞いで対応しようとしていた鬼どもが静かになって退いていく。

 それを訝しんで晴天が攻撃中止の合図を出した。睨み合いが始まる。


「これはこれは蘆屋さぁん。お早い到着で。おや、もしかして下級の方々以外は全員お揃いかな?」


 と、唐突に鬼がある一角から退いていく。そこから進み出てきたのは、何を隠そう飯野本人だ。

 ねばついたいやらしい笑みをその顔に浮かべている。これだけの数の鬼を従えていることでなにか勘違いしきっているようだ。自分が上位なのだとのぼせ上がっている。

 今までの俺らの動きを見ていなかったのだろうか? ここに残っているのは全体から見ればほんの少し。しかも質がいいわけでもなく、その三割ほどは今の一斉掃射で退治されてしまっている。

 余裕ぶれる材料がどこにも見当たらない。

 いや、一つだけあるか。これらすべてを前座にしてしまえるが。


「あぁ、全員でもってお前を討伐しに来てやったよ。簡単には殺してやらん。お前の魂、地獄に縛り付けてやる」

「呵っ呵っ呵っ呵っ、弱い奴ほどよく吠える! この状況でよくそんな文句を吐けたものだなぁ! 馬鹿なお前でもこの期に及んで俺が何を従えているかわからないわけがあるまい!」


 僧服を着込んだ飯野が、両手を広げて演説をかます。


「俺はなぁ! 力を手に入れたんだよ! この世で上から数えたほうが早い力をな! こいつを超える存在なんて現存する西洋竜か、中華の応龍くらいなもんだろうよ! 一度でも滅んだことのある存在の中で、これほどの力を持った化外はいない! 俺は、この世で一番強い式使いになったんだよぉ!!」


 それはやつが手に入れたものの強大さを喧伝する言葉であり、逆に言ってしまえばその限界を吐露する言葉でもあった。だが、その限界のなんと無意味なことか。何代の術師が挑み麾下に置くことに失敗してきた正真正銘の化物と比べられたって、こちらとしては困るというものだ。

 ただ、だからこそ突破口が開ける。やつが配下に置いた鬼はその領域には立っていない。俺たちが力を合わせれば討伐することもできなくない領域の存在でしかない。なんせ術者本人がそう言っているのだから、そうなのだろう。


「だからなぁ! まずはお前たちをひれ伏させようかと思って、都市内で今回の騒動を起こしたってわけだ! それにここ金町はこいつの召喚には丁度良かった。いろいろな工程を短縮できたおかげで、お前たちにばれる前に召喚まで漕ぎ着けたってわけだ」

「ふむ、それで。そこまでやったとして俺たちに敵うとでも思っているのか? お前自身の力は所詮上級一人分。周りの鬼たちだってそこまでの実力者ではあるまい。俺と蘆屋と安倍が揃ったこの状況で、どうにかできると本当に思っているのか?」


 眼光鋭く威圧を返す局長。その視線に鼻白んだ飯野は、その失態を誤魔化すように声を張り上げる。

 実際やつも必死なのだろう。余裕ぶってはいるが、そこまで余裕のある状況じゃないはずだ。都市内の全戦力を相手に戦争を仕掛けられるほどの戦力など、そう簡単に集められてたまるものか。

 上級ってのは、一人ひとりが起こそうと思えば妖害を起こせるやつらばっかりなんだぞ? その最たる例が今目の前にいる飯野自身だ。時間をかければ誰もがこの規模の大妖害を起こせる生粋の術師ばかり。

 そんなやつらを8人相手にして生き残れるやつがいたら、それこそ世界最上位のあやかしだろうよ。


「できるとも! お前たちはお前たちの常識で俺のことを測ろうとしている。だが、俺自身は確かにその常識の外に出ることはできなくても、確かにこの世界にはその外の領域に住む者たちがいるということをお前たちは忘れている。見せてやろうじゃないか! これがお前たちを今から滅ぼす者の姿だ!」


 そう叫んで後ろを振り返った飯野は、その陰に隠れていた人間大のなにかを見せつけてくる。

 

 それはぱっと見、ただの人間の少女でしかなかった。

 だが、違う。その正体をなんとなくでも察したものは、その肌の鳥肌を隠さんと必死にならざるをえなかった。

 尋常ではない妖気。鬼気だけではない。妖気すらも発するその鬼が、並大抵の存在であろうはずがない。

 呑気に口に手を当てながら欠伸する様は十四五の少女にしか見えないが、その頭に抱く二本の捻れた角は発達し、圧倒的なまでの存在感を示している。


 そして、一番の特徴は、その姿が人間の少女と角以外は何の違いも見出せないことだ。


 この世界において、人間の姿というのは特別なものである。これは神々が人間にしか力を貸さないのと似た何かを感じる。

 これについての研究論文は難解なものが多く、ついでに確たることが何一つ分かっていないものばかりなので断言することはできないのだが、おそらくあやかしや神々の現出過程に人間が何らかの形で関わっているのではないか、という趣旨のものが主流だ。

 これは西洋では大批判もので、というか創世神話があるたぐいの神話大系からはめたくそに叩かれるものなのだが、人間ありきでこの世界が存在しているというのはどうやら状況証拠からはほぼ確定で、神々はその質問に対してだけは口を閉ざすらしい。


 ぶっちゃけて言ってしまえば、クトゥルフ神話の神々すら存在するこの世界で人間がその現出過程に関わっていないわけがないのだが、熱心な基督教徒の方々には信じられないことのようだ。

 俺は割と肯定的なんだけどな。その出自にかかわらず神は超然として存在するのだから、別にそこにこだわらなくたってなぁ。

 実際問題その聖書やら神話通りの力を有してるわけでもないんだから、創作が混じってることだって事実だろうに。


 俺は、うちの神様が割とそういうところにだらしないから、神というものにあまり幻想を抱いていない。というかあの神様に諸々の幻想をぶっ壊されたというのが実情だ。

 女にも神にも幻想を抱くのが間違いだと知ったあの日、俺は悲しみを背負ったのだ……。


 話は逸れてしまったが、何が言いたいのかといえば異形が人型を取っているというそれだけで、この世界では特別視されるべきだということだ。

 人型を取れる存在というのは特別な事情がなければ、それ単体の力が大きいがゆえにその形態を取っていることが多い。

 なぜかその本来の姿よりも人型の方が力を増すらしいのだ。趣味で伝承そのままの姿でいる神々のような変なやつらもいるが、そうでなければ大抵の強力なあやかしは人型になる。


 だが、人型になると今度は違和感がなくなるらしい。元来の種としての特徴がどこかに出ることが多いらしいが、それを除けば基本的に人に交じっていても気づけないということだ。

 そうやって人に紛れて生活するあやかしがいるという報告はたまに聞く。異類婚姻譚のたぐいが一番多いな。

 人とあやかしの共生の一番の形と言えるだろう。あやかしが強大な力を持ちながらも人を襲わず、人とあやかしが仲睦まじく暮らす。これ以上はないな。


 だが逆説的に言えば、あの鬼は人型ですらありえないほどの存在感を醸し出している。それがどれだけの力の発露なのか、俺には計り知れない。

 気の抜けた態度を示してはいるが、それだって俺たちに本気を出すまでもないという態度の表れかも知れない。これは本格的に俺たちでは討伐できない可能性が浮上してきたか?

 いや、第一印象に騙されすぎだ。あんな無垢な少女を騙る鬼だ。相応に強かだろう。見た目でこちらを油断させようと小細工まで練ってくるのだから、力だけではなく相応の知恵もあると見たほうがいい。


 俺たちはなかなかに相手を評価していたが、局長と俺と晴天が揃えば退治できないものなどいないと高を括っていたなかっただろうか。それを超える存在の到来を無意識のうちに否定していなかっただろうか。

 それは、ありえないほどの慢心と油断だったのではないだろうか。


 その小柄な影が欠伸を殺してこちらを見やる。やる気のないそのたれた目からは、想像もできないほどの威圧感がこちらに襲いかかる。

 後ろにいた中級の局員がばたばたと倒れていく音が聞こえてくる。仕方ないだろう。熟練の局員でもなければ、中級が耐えられるものではない。俺だって意識を保つのに精一杯だった。


 その鬼とは思えない可憐なかんばせがほころぶ。

 無邪気そのものとも言えるその調子からは鬼の残虐さが欠片も感じ取れない。

 童女のごとく彼女は口を開く。


「あれ、なんかよくわかんないけど大半は倒れちゃったよ。明吉、あとは寝てていい?」




 ……緊迫した空気がまた違った意味で凍った。

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