第壱幕・鬼譚怪力乱神

 俺が再び立ち上がる頃には久咲の羞恥心も落ち着いていたようで、少しふてくされながらも、八つ当たりに俺を殴ったことを謝ってくるのであった。

 いや謝るくらいならば照れ隠しに殴るなんて、旧時代の愛情表現しないでいただきたいところなのだが。


「まぁ、それも女性なりの可愛気というやつなのだ。受け入れてやるのが男というものだろう」


 そう言ってきたのはいつの間にやら隣に立っていた局長。

 鍵も開いていないだろう高層建築の屋上から、どうやってこの人はこの短時間でここまで来たのだろうか。

 今回の件の始末の時に、人間大の足跡二つが道路に深く刻み込まれているのを発見する図を想像して憂鬱になる。あんな高さから飛び降りて浮遊術なしに生きていられるのは局長くらいなもんだ。


「そうですね、油断した俺が原因で心配かけたんです。そのくらいの駄賃は払わなければ」

「うむ、その潔さはいざよし。だが、お前ほどの男が油断して鬼に捕まるとは情けない。あの鬼以外は大戦果だったこともあって余計評価は低いな」

「本当に面目ない……努めて反省します」

「それがいいだろう。さて、安倍から先に聞いてはいるだろうがここに至るまでの鬼どもの封印は完了した。封印できずに討伐した例もいくらかはあるが、あれだけの量からすれば誤差の範囲内だろう。今現在お前が地獄に叩き込んだ以外の鬼だけで、都市中から逃げ出した式どもの補填ができる程度には収集できている」


 思わずぴゅーと口笛を吹く俺。

 あの鬼どもの行進は百鬼夜行さながらだと思っていたが、どうやら百鬼夜行そのものであったらしい。

 本当にそれほどの数を彼らだけで捕らえたというのならば、総数は一体どれだけにのぼったというのか。


 そして、俺が地獄に落とした鬼どもに一々式をかけるという面倒な作業が省略されたことが、何よりも嬉しい。

 これで都市中に残った鬼どもが暴れた爪痕を消せば、そのまま式生産の死の行軍をするだけで元通りの遠野の生活が戻ってくるというわけだ。

 多少市民の間に不安と畏れが残るだろうが、あれほどの騒ぎを一夜で鎮めたと退魔局の威光を示せば住民感情も落ち着くだろうよ。


「なるほど、ということはこの先に進んでいった鬼が少し残っているだけであとはもう残っていない、と」

「都市内部に散っている下級上級局員からの報告でも、もう鬼の姿はしばらく前から認められないそうだ。おそらく既に元凶のところに集結済みなのだろうな」


 そう言ってこの大通りの先を見据える局長。

 今回の妖害の中心地とみられている金町。そこは貨幣の生産だけではなく、鍛冶屋たちが色々な物を生産する一大金物屋街でもある。

 久咲に持たせている小太刀なんかも、ここで特注したものを呪的に処理したものになる。退魔局員たちが呪的処理を施す武器のもとになることが多いこともあって、俺らにとっても重要な商区となっている。


「避難が完了し次第、下級局員には一帯の封鎖を命じる。中級局員はこのまま蘆屋と安倍とともに集結した鬼どもの退治だ。封印数は十分だから、生死は問わん。そして、上級局員は俺とともに元凶の排除。報告を聞く限り現在動いている上級局員の中に怪しい者はいないな」


 これからの方針をすらすらと決めていく局長。この人は武芸者だが、決して脳筋などではない。深い知性も同様に秘め、退魔局の局長として政治までこなすとても有能な人物だ。

 こういう文武両道の傑物が上にいてくれると本当に楽で助かる。ただ顔が滅茶苦茶怖いこと以外に欠点がないから、実にいい男である。女にはなかなかもてなかったらしいが。


「ただ、気になることがある。ここ数日一人の上級局員と連絡が取れていない。お前を先行させる前に聞いた情報でまっさきに疑ったのはこやつだな。実際この大事だというのにこちらからの通信に返答を寄越さない。どうやら黒幕は見えたようだ」

「……もしかしてですが、飯野ですか?」

「その通り、飯野だ。なんだお前も見当がついていたのか」

「いえ、あの野郎はもともと嫌いだったんですが、ここ最近姿を見ないな、と。局ではあまり噂話も聞きませんから、くたばったのを俺が知らないだけかと思っていたんですが……あの野郎とことん迷惑かけやがる」

「まぁ、やつの価値観はお前とは正反対だ。あやかしを式神を道具として扱うやつの姿勢は今回の事件の引き金に相応しい。酒呑童子本体か、はたまたその四天王でも式神に加えた上で遠野から離反するつもりなのだろう。それだけの力を持った式があれば、正規の退魔師でなくともやっていけるに違いないからな」


 本当に、いやなやつが相手になったものだ。その式神を道具として扱う姿勢も、道具だから好き勝手に使うのだ、と下劣なことも辞さないその屑の精神も。嫌悪の情しか抱かない。

 挙句の果てには人の識にまで粉をかけやがって、ぶん殴ってやったが。

 なんでまた好事家やらああいう屑やらにこの娘は好かれやすいのやら。ああいう輩に限って眼がいいということなのだろうか。複雑である。


「ということは、この騒ぎは副次的なもの? いや、しかし先ほどの鬼どもは頭からの命令を受けている、と言っていました。飯野が意図的にこの百鬼夜行を起こしたのでなければ、飯野本人にも何かしらの問題が起こっている可能性があります。例えば、召喚した酒呑童子が予想をはるかに超えて強かったために抑えきれなかった、とか」


 そう、ただ酒呑童子あるいはその配下の四天王を自身の式神にしたかっただけならば、ここまでの被害を出す必要はなかった。

 もとは所詮俺たちの想定でしかなかったが、ここまでの百鬼夜行を起こせるほどの力を持った鬼ならば伝承に記されていないはずがなく、そしてそれほどの力を持って今回の件に合致するのは酒呑童子だったのだ。

 今回の黒幕である飯野が、何を目的として酒呑童子を喚ぼうとしたのかはわからない。やつのことだから式神にしたかったというのももっともらしい。

 だが、ただそれだけでこれほどの被害を生み出すだろうか?


 余波だけで式が緩んでいるという俺と空の推理は正しかった。そうでなければこの百鬼夜行は説明できない。だが、それに違和感を感じる俺もいる。

 なんだろう。何かを見落としている。

 いや、少ないどころかほとんどない情報からの推測しかないのだ。場当たり的な対応しかできないし、断定できることもない。

 だが、確かに何かがおかしいのだ。こういう時の俺の勘は当たる。当たって欲しくない時だけ冴え渡るあたりがなんとも俺らしくて皮肉だ。


「まず今の情報では確たることは言えん。先の方針に従ってここから先は行動する。中級局員と安倍に周知、そして先行を頼む。俺は上級局員を束ねてから向かおう」

「下級局員にはどう指示を出しますか? 中級局員をいくらか伝令に出しても余裕はあると思いますが」

「ふむ、ならばその指示もお前に任せた」


 そう言い残して颯爽と袴を揺らして立ち去る局長。

 例え酒呑童子といえど、あの局長と上級局員たちにかかれば手こずりはすれども討滅できないことはないだろう。

 特に今回は弱点もわかっている。なにせその局長の刀こそが彼の鬼を討った刀そのものであり、その逸話だけで切り捨てられるのではないかというくらいの特攻武器だ。

 ついでに言えばたとえ飲ませなかったとしても、おそらく酒気を漂わせるだけで弱体化するだろう。敗北の逸話というものはそうやってある種誇張されて世界へと浸透していくのだ。


「よし、なんとか今回の件もこれで片が付くかなー。とりあえずここにいる全員聞け! 局長たちが酒呑童子本体を討ちに行く! 俺たちはその周りにいるだろう鬼たちの殲滅! 場合によっては追加の指示を出すかもしれないが、基本的にはそれで今回の妖害は片付くはずだ! もう少ししたら出発するから、最後の持ち物確認と休憩を済ませておけ! 指揮は俺と晴天で執る、が。俺の言うことなんて誰も聞きたくないだろうから基本的には晴天の言う事を聞け! 以上!」


 くるりと振り返り、そこらにたむろする局員に向けて周知を行う。

 正直言って本当はこういうのは全部晴天に任せてしまった方が楽なのだが、局長は晴天より俺の方を気に入っているらしく、現場での指揮はしばしば俺を主として回ることがある。

 まぁ晴天はどちらかというと、こういう荒れた現場よりも平穏な日常業務の方が得意ではある。だが、極東一の術師のあだ名は伊達じゃなく、実力だって指揮能力だってきちんと相応のものを持っている。

 だから、晴天に回して欲しいのだが。他の局員の覚えもいいし。


 俺が指揮を執る時は大抵不平不満を漏らすやつが出てきて、しかもそういうやつに限って実力不足なのに人の言うことを無視して危機に陥ったりする。

 俺は確かに遅刻はするし仕事もさぼる。昼寝は好きだし、久咲の尻尾が枕ならいくらだって寝ていられる自信はある。

 だが、だからといって仕事をしていないわけではないし、俺の実力に陰りがあるわけでもない。

 ただ俺の立場に沿った行動を取っていたらこうなっただけだ。それが万人受けしないのも承知の上だからこそ、部下以外は俺のことが気に入らないのだろうけど。


 そう、うちの部下はこんな俺が上司でも慕ってくれる……とびっきりの変人揃いだ。こんなのがてっぺんにいる部署で好き勝手やるのが仕事だというのだから、そりゃ変人しか集まるわけがない。

 退魔局のあぶれ者たちが最後にうちに流れ着いてくるのだ。


「せんぱーい! 今日もお疲れ様です! 先輩の下で戦えるなんて……滅多にないことですから興奮しちゃいます。あ、この件が片付いたら布団の上でも下に組み敷いてくれていいんですよ? きゃっ」


 例えば、こいつとかな?

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