征下、退魔師調伏披露

 振り下ろされる斧は重く、鋭い圧迫感を伴っている。後ろの方で飼い主たちが悲鳴をあげているのがここまで聞こえてくるが、何の問題もない。

 右手に持った札を掲げ、


「オン」


言霊を零せば、凄まじい勢いで迫っていた二匹の動きは、見えない壁にぶつかったかのように弾かれた。


 今零したのは一番基本であり一番尊いと言われている真言である。だからこそ汎用性が高く、今回はその加護の意を強調して使わせてもらった。

 真言系統の術は、誰にはばかることなく自由に名前を借りられるので実に便利だ。たちが博愛主義なのもあるが、そうでもしなけりゃ信仰が集まらないのだろう。不憫だ。

 そう、すべての真言は遥か昔に存在していた仏教に由来するらしいが、現代ではその教えも失われて久しいのだ。

確かに仏教の真言には神通力を授け、超常の力を操る効果はあったが、結局それは使い手の才能いかんなのだ。それが一般の人々から信仰を奪い取る形となった。

 才あるものが望めば、地獄への道すらその場で開くことができるというのだから、信心も吹き飛ぶというものである。


 だが、逆に言えば才あるものが扱うならば真言である必要もなく、神道由来の術や古文書に記される呪法なども彼らは行使することができる。

 つまり、才あるものたちは既存の宗教色に関わらず力を振るえるのだ。

 これがどれだけ宗教家たちを悩ませてきたことか。なぜなら宗教に頼らずとも救われるものは存在するという、宗教に対する強力な反駁材料でしかないのだから。

 さてそんな話の後でもって、ついでにこれはあまり民衆に広められるような話ではないのが、実はこの世界には神が実在する。

 これについて話は変わるが、力ある者たちの影響であらゆる宗教がことごとく不人気になり、神の存在が偶像化して長い時が流れ、世間的に見て一番浸透している宗教は多神教であるのだが、これが外国に行くとまだ事情が変わってくる。

 なぜなら、彼らお得意の唯一神様が実在していらっしゃるのだ。聖書に記されるほどの全知全能さはさすがに持ち合わせていないようだが、それでも世界一の知名度を誇る神である。その実力は伊達ではない。

 そして、唯一神様ですら聖書通りの力を有していないのに、他の神話の神々が原典通りのとんでも能力を持っているかといえば、それはもちろん否となる。神というのは確かに実在し、相応の力を有し人の手に余るような存在ではあるが、全知全能対応不可能な化物ではないのだ。対応するのすら並大抵ではできないが。

 つまり何が言いたいかといえば、この世界はとっくの昔から摩訶不思議だったということだ。

 あやかしがいて神がいて、力持つ者たちは何憚ることなくその力を振るえる。


 さて、ここまでつらつらと流してきたが、これはただの前座にすぎない。

 神々について興味深い話がある。これらの神々にはある一つの面白い特性があるのだ。

 それは、自らを信じる者にその力を分け与えるという特性だ。

これはなぜかどの神話の神にも一致する特性で、これを俗に眷属化と言ったりもする。眷属化をおこなえるものたちを神と呼称するのが主流になるくらいには普遍的な性質なのだ。

 この眷属化だが、面白いもので、なんと複数の神の眷属に同時になることも可能で、色々な力を振るうこともできたりする。その分、神ごとに眷属になるための条件が設けられていることが多く、誓約として奇異な習慣を要求されることもあり、あまり人気ではなかったりするのだが。

 ちなみに、複数の神の眷属となるにはさらに誓約がきつく、世間からまともな目で見られなくなる覚悟が必要な水準であったりする。

 かくいう俺もいくつかの神と契約し、眷属となっている身だ。というより、退魔師や魔物ハンターなんて連中は大概は一柱、二柱くらいの神の眷属になってるようなやつらばかりだ。

 あやかしや魔物と戦うにあたって、本来自分の持っていた力だけでは不足と皆が判断していることがよくわかる。それだけあやかしや魔物というのは脅威なのだ。たまにそこに邪神や悪神がまぎれてくることもあるが。


 ここまで言えばわかると思うが、これらの眷属化についての話は俺らの業界で言えば常識中の常識だが、世間一般から見ればただの奇特な文化でしかない。多神教が主流ではあるものの、さすがに一柱の神に狂信的に祈りを捧げるものたちを冷ややかには見れずにいられないといったところか。

 神の実在を知っているものが限られるのだから無理もないことだ。だから、普段の俺の行動が昼行灯だの遅刻魔だのと噂されてしまうのは、この誓約のせいであり、それを知らないものたちが誤解しただけなのである。そういうことにしておこう。



 さて、目の前のやつらの相手に戻ろう。

 俺に殴りかかったと思ったらいつの間にか弾かれていた彼らは、何が起きたのか理解できなかったらしく、動揺を隠しきれず固まっている。

 そこで柔軟に動けるだけの頭があればもう少し善戦できただろうに。いや、そんな頭を持っていれば俺にもう一度歯向かうなんて馬鹿な真似はしないか。

 そんな馬鹿どもにけりをつけてやるために、


「オン・キリキリ」


呪を唱えながら左手で縦横に略式ながら九字を切る。やつらも慌ててもう一度俺に向かってはくるが、動揺が抜けきっていないのかその動作は緩慢だ。だから余裕を持って右手に持った札を掲げ、


「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン」


不動明王の小呪を唱えてやればあら不思議。牛頭馬頭の不動金縛りの完成だ。

 もう少し抵抗されると踏んでいたのだが、予想以上に手早く片付いた。これではの性能試験としては物足りない。

たかが術もどきと術一つで片付いてしまうほどの霊格ではなかったはずなのだが……。最初に調伏した時にその力を縛りすぎてしまっただろうか。いや、民間用の式としては妥当な水準ではある。俺が高望みをしすぎているだけだろう。

 がなくても今までやってこれていたのだから、今まで以上に歯ごたえのある相手でなければ本領を発揮することもあるまい。


「まぁ、いいか。お前らも一応ひと暴れできたし、これで満足したか?」

「ぐぅ、この程度の縛りに屈するような……」

「くそぉ、くそぉ、こんなはずじゃあ……」

「満足できたみたいだな。じゃ、このまま詰所行くから。久咲! そっちの二人縛って連れてきて!」


 俺が叫んだ途端、ぎょっとして逃げようとした二人に久咲が呪力でできた縄を結びつける。胴体を縛られた二人は仲良く潰れた蛙のような声を出しながら、こちらに引っ張られてくる。

 あの細腕に大人の男二人を引きずる力があることに驚いてるみたいだが、頭を見りゃわかんだろ冷静になれ。


「よーし、そっちの二人は馬鈴薯さんの車、こっちの二匹は牛蒡さんの車な。車は俺が動かすから、久咲は監視の方頼んだ」

「わかりました。ですが詰所に寄って行って大丈夫なのですか? 参内の方は……」

「もう諦めた! 時間的にも今から最速で行っても時間ぎりぎりで四刻越えだから、どうせおしまいだ。だったらきちんと遅れた理由を用意したほうが心象は良くなるはず。というわけでこいつらをさっさとしょっぴいて宮に行くぞ」

「そういうことでしたらいいのですが、それでどうにかなるものなのでしょうか……不安で仕方ありません」


 久咲の不安ももっともだが、今更どうしようもないだろう。今回の一件に関しては、なぜかいつもの喧嘩騒ぎどころではなく、最悪式が解けていたかもしれない重大事件だ。

 俺がこの場にいなかったならば、通報されて駆けつけてきた退魔師では間に合わなかったかもしれないし、もしかしたら手に負えなかった可能性すらある。

 あいつらが退魔師が目の前にいない状況で解放されたとしたら、街中でどんな悪さをするかなんて考えたくもない。俺が寝坊して、結果おーらいってやつだ。


 式というのはそういう衝動を押し殺し、あやかしを人々の役に立てるための枷だ。式、あるいは識とも呼ばれるそれは、ある種の制限術式であることが多い。

 在野に散らばるあやかしを調伏し、この式を打ち込むことでそのあやかしを式神とし、人に尽くすようにするものだ。うちの久咲なんかもその識である。

 その用途は幅広く、車を曳かせることから建物を掃除させることから、なにからなにまで式に頼りきっているのがこの遠野という都市だ。

 だからこそ人間たちは景気よく変な方向に情熱を燃やす余裕があるし、その結果が、旧時代の機械化文明の中途半端な復活という意味のわからない成果なのである。雑事を式に任せることで能率を上げ、さらに先へ先へと進む。そんな方針を持っているのが摩天楼都市遠野の連中だ。

 俺ら遠野の住人でありながら摩天楼から離れたところに住む者たちは、それとは逆に式を家族とし、一緒に共生しているものたちが多い。極東の多くの村々がそうだといっても過言ではないだろう。

 どちらにしてもあやかしを式として使っていることになんの違いもない。ただ、式の開放事件の発生率は都心部での方が圧倒的に高いので、あやかしたちへ過負荷を考えても共生の方がいいだろう。


 俺たち退魔師は己の識や式神を相棒としていることがあるが、その式を道具として使い潰すような使い方をする退魔師は、式に裏切られて凄惨な最後を迎えることが多い。

 しかもそういうやつに限って厄介な事件のときほど裏切られやすいもんだから、事件の元凶にその裏切ったあやかしにと、しわ寄せが一気にこちらに来るので切実にやめてほしい。毎度毎度最後に片付けるのは俺か局長か晴天なんだぞ。


 そんなことをつらつらと考えながら、二台の車を曳いて詰所へとやってきた俺を待っていたのは、俺の背と同じくらい長い大刀を担いだ男だった。

 頭に角を生やした、鬼瓦の方がまだ愛嬌のある顔立ちをしていると断言のできる筋骨隆々の大男である。

 もう纏っている呪力が鬼気にしか見えず、それが頭に角を形作っていて近寄りたくないことこの上ない。だが、近づかないわけにはいかないのだ。俺はすべてを諦め、彼のもとへと歩み寄っていく。

 俺の姿を認めた彼は一つ頷くと、


「よし、そこの馬鹿者。もちろんこの場で首を切られる覚悟はあるんだろうなぁ?」

「まさかの物理的切断ですか!?」


次の瞬間にはその大刀を俺の首に突きつけていた。



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