5

「あ、いたいた! 在原ちゃーん!」

 翌日、一時間目終了のチャイムと共に一年三組の教室にやってきたのは薫だった。身を乗り出すようにして大きく手を振っている。その様子に圧倒されながら望美が小さく手を振り返すと、薫は満面の笑みを浮かべて手招きした。

「フラグメーカーの次はマドンナだと!?」

 呼ばれるがままに廊下へと向かう望美を見やり、クラスメイトが思わずと言った様子で叫ぶ。おそるべし、転入生、奴もまたフラグ建築士だというのか?

「何かご用でしょうか、渡瀬先輩」

 下級生の教室までわざわざ足を運んだのだから当然用事があってのことだとはわかっていたが、肝心の用件に思い当たらずに望美はそう問いかけた。

「うん。あのね、悪いんだけど、今日の昼休みも生徒会室に来てくれないかな?」

 両手を合わせ、どこか申し訳なさそうな表情で首を傾ける様子から、これは昨日と同じく昼休みに入ってすぐだろうと察した。わかりましたと望美がうなずくと、薫は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「ホント!? ありがと、助かっちゃう。じゃあ、昼休みになったら迎えに来るから待っててね」

 ハートマークを振りまきながらウィンクし、じゃあね、と言って薫は廊下を駆けていった。その背が見えなくなるまで手を振ったあと、教室へと戻る。

 己の席の前で待ち構えている友人らの姿を認め、やっぱり、と内心でうなずいた。最近こんなことばっかりだ。

「申し訳ないのですが、今日のお昼もご一緒できません」

 開口一番告げられた言葉に、了解、と小百合はうなずいた。

「生徒会室ね?」

 疑問の形を取ってはいるが、その言葉はほぼ断定だ。だから素直にうなずく。

「転入生だからってのもあるけど、これで望美ちゃんも有名人の仲間入りだね」

 笑顔で告げられた言葉の意味が理解できずに首を傾げる。そういえば、昨日といい今日といい、クラスメイトたちはひどく落ち着かない様子である。上級生やほかのクラスの人間が来たから、という理由では説明がつかない。

「あの人たちはそんなに有名なのですか?」

 そう問いかければ、もちろんとうなずかれた。

「生徒会長の都筑詩織さん。彼女は財閥のお嬢様なんだけど、それを鼻にかけない性格の良さ! 学年トップと成績も優秀だし、おっとりとした言動に反して運動神経も抜群。加えてあの美貌だから、あこがれる者は数知れず!」

 握り拳で熱弁を振るうあたり、もしかしたら小百合もファンの一人なのかもしれない。陶酔したような表情の彼女に苦笑しながら、千恵が口を開く。

「副会長の黒崎先輩も男女問わずに人気があるんだよ。面倒見のいい性格だし、結構顔立ちも整ってるからね。二年の渡瀬先輩は書記でね。男の人なんだけど女の子以上にかわいいから、一部の生徒の間ですごい人気なの。マドンナって呼ばれてるみたい」

「渡瀬先輩のファン層はだいぶ独特っていうか、ね……。魅了の呪いにでもかかってるんじゃないかってもっぱらのウワサよ。学園七不思議の一つにも数えられてるし」

 ひどく微妙な顔つきで小百合がそう補足を入れた。ようやく我に返ったらしい。

「あとは四組の中須悠ね。あいつは悪い奴じゃないんだけど、なんていうか……」

 どう説明したものかで悩んだのか、小百合は眉を寄せてため息をついた。千恵も困ったように笑っている。

「女の子を巻き込んでの階段落ちとか、出会い頭に正面衝突とか……いわゆる恋愛フラグ? それが立ちそうなことを日に一度はかならずやるんだよね」

 だから、と二人は声を揃えて言った。ついたあだ名が【フラグメーカー】。

「中須は結構派手な見た目だからね。口さがない連中はわざとやってるんじゃないか、とか言い出す始末よ」

 ま、あくまでウワサだけどね、と小百合は一蹴した。バカバカしいと言いたげな顔つきだ。千恵も苦笑を浮かべているところを見ると、このウワサには懐疑的なのだろう。

 二人の話に望美はため息しかでてこない。生徒会に入ると言って難色を示されたのは、もしかしてこれが原因なのだろうかと考える。

 たしかに、こんな有名人たちのいる組織に加わると言えば驚かれるだろう。自分が逆の立場であれば、その人間に本気かと問いかけるかもしれない。

「まぁ、それぞれ多かれ少なかれファンは存在するけど、嫌がらせされるとかはさすがにないと思うわよ?」

 黙り込んでしまった望美に、何か勘違いしたのか安心させるように小百合はそう告げた。

「ただまあ、あれだ……マドンナのファンにはちょっと気をつけた方がいいかもしれないわね」

 眉を寄せた小百合に、千恵も苦笑しながらうなずく。

「そうだね。あの人たちはちょっと思い込みの激しいところがあるから」

 悪気があるわけじゃないんだろうけど、とため息をつくあたり、もしかしたら相当なのかもしれないと望美は考えた。



 昼休みにふたたび教室へとやってきた薫に、やはりクラスメイトたちは驚きを隠せないようだった。一部の羨むような視線を背中に感じながら望美は教室をあとにした。

「わざわざ来ていただいてすみません」

 二年生の教室は北棟にある。一年生の教室と同じ階とはいえ、授業が終わってから来るのは手間だろう。そう思って声をかけたのだが、隣を歩く薫は笑顔でかぶりを振った。

「ううん、そんなこと在原ちゃんは気にしなくってもいいの」

「ですが、やはりご迷惑をおかけしているのは事実ですから」

 謝罪と礼を告げて軽く会釈すると、なぜだかキラキラした瞳で見つめられた。

「いやーん、在原ちゃんてばホントにかわいいんだから!」

 感極まった様子で叫んだ薫が望美に抱きついた。突然のことに驚きながら、通行の邪魔ではなかろうか、と望美は考える。

 しばらく望美を抱きしめたまま頬ずりしていた薫だったが、急に動きを止めた。小さく舌打ちする音が聞こえたので見上げると、薫は険しい表情で一点を睨みつけている。視線を追ってそちらに目をやると、そこには一人の生徒の姿があった。

 凛々りりしい顔つきのその生徒がまとうえんじ色の制服は男子用の物だが、胸や腰の丸みからその性別は女性であるとうかがえる。彼女もまた険のある顔で薫を睨んでいた。

 実際に火花が散る様が見えるかのような睨み合いに、周囲の生徒までもが息を呑んで動きを止める。

「下級生相手にセクハラとはな。みっともないまねはやめたらどうだ?」

 ハッとあざけるように鼻で笑い、女子生徒はそう吐き捨てた。

「セクハラじゃないもーん。これはただのスキンシップですぅー!」

 べー、と舌を出し、薫は望美を抱き寄せる腕に力を込めた。急なことに望美は戸惑ったように瞳を揺らす。ほう? とつぶやき、女子生徒は望美へと視線を向けた。

「君も、相手が上級生だからといって遠慮する必要などないのだぞ。嫌なものは嫌だとハッキリ言ってやるがいい」

小林こばやしには関係ないじゃん、ほっといてよ! ていうか、何でわざわざ男子の制服とか着てるわけ? 宝塚気取り? きもいんですけどー」

 完全に自分のことは棚に上げた薫の発言に、小林と呼ばれた女子生徒は口元をひきつらせた。ゆらり、とその背後に怒りのオーラが立ち上るのが見えた気がした。

「貴様にだけは言われたくないな、渡瀬! 男のくせに女子の制服を着てかわいこぶるなど気色が悪い!」

 当然といえば当然の切り返しに薫の肩が跳ねる。猫が一斉に逃げていく気配がした。

「だってほら、あたしってばカワイイし~? 誰かさんよりも女子の制服似合っちゃうもんねー」

 しかし意外なことに薫は作った口調のままそう返した。だがその声は怒りで震えている。表情もギリギリ取り繕えているかといった感じで、ひどくひきつっていた。

 息を漏らすように笑い、両者は真っ正面から睨み合った。バチリと音を立てて視線がぶつかる。

「やはり貴様とは決着をつけねばならんようだな、渡瀬!」

「何よ、やる気? 受けて立つからね!」

 互いに相手に人差し指を突きつけて叫ぶ。それを見た周囲の生徒が一斉に頭を抱えてうめいた。

「うわ、とうとう始まったよ~」

「何でヤツらは顔を合わせる度にこうなるわけ?」

「てゆーか、巻き込まれた子かわいそー」

 嘆く声がほとんどだが、いくつかは望美へ寄せられた同情だ。

「相変わらず派手にやってますね……」

 どうしたものかと目を白黒させていると、すぐそばでため息混じりの声が聞こえた。そちらに視線を向けると、やれやれと言いたげな表情の悠が立っていた。

「止めなくてよろしいのですか?」

「僕には無理です」

 望美の問いかけにきっぱりと答えると、彼は巻き込まれることを恐れたのか望美の手を引いて廊下の端へと身を寄せた。

 意味を問うように見上げてくる望美に気づき、小さくため息をつく。

「あの二人が揃うともめるのはいつものことです」

 だから今度からは巻き込まれる前に早々に逃げろと悠は忠告した。

「あと、止めなくていいのかという話ですが、あの二人のケンカを仲裁できる人間は一人しかいません。下手に手を出せばこちらが痛い目を見るだけです」

「ではその方を呼びに行くべきでは?」

 至極もっともな望美の指摘にうなずき、

「ええ、賢明な誰かがすでに呼びに走っているでしょう」

 自信に満ちた声で悠はそう断言した。

 どこか慣れた様子で事態を見守る悠に、本当に大丈夫なのだろうかと思いながら望美は舌戦を繰り広げる二人へと目をやった。応酬はだんだんとヒートアップしていっている。今はまだ互いに手を出す気配はないが、それも時間の問題のように思えた。

 やはり止めるべきだ。そう思った時、不意に渡り廊下の側の人垣が不自然に割れた。その間を走ってきたのは一人の少年だ。えんじ色のブレザーを着たその男子生徒は、面倒くさそうな顔で、けれども迷うことなく争う二人の元へと走っていく。小脇に抱えていたタブレット端末を操作すると、それを半ば強引に二人の視界に入れた。一瞬見えた画面には何かの文章が表示されているようだった。

 少年は再度端末を操作し、それを二人へと向けた。そこに何が書かれていたのか、二人は不満そうな顔つきながらも矛を収めたようだった。ふんっ、とほぼ同時にそっぽを向く。

 事態が収束したらしいと知り、周囲の生徒たちが各々の目的地へと向かって歩き出す。少年もまた、端で様子をうかがっている望美たちの方へと歩いてきた。

“ごめんね、大丈夫だった?”

 掲げられた端末にはそう表示されていた。うかがうように少年は望美を見て首を傾げる。

「あ、はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 望美がそう答えると、少年は安心したようにうなずいた。端末を自分の方へ向け、操作する。

“次からは一目散に逃げるの推奨”

「えっと……努力します」

 大まじめな少年の顔つきに、そうやって答えるのが精一杯だった。だがその答えに満足したのか、少年は大きくうなずいた。

“じゃあ、そういうことで。お騒がせしました”

 その文章を示し、少年はぺこりとお辞儀した。廊下の中央で仁王立ちする少女の元へと向かうと、また何か文章を書いて見せる。なだめるように彼女の肩を叩くと歩きだした。

 残された少女は小さくため息をつくと、かぶりを振りながらこちらへと歩いてきた。望美の前に立つと頭を下げる。

「さっきはすまなかったな。不快な思いをさせただろう」

「いえ、大丈夫です。お気になさらないでください」

 首を横に振った望美に、彼女はそうかと言って笑みを浮かべた。

「私は二年二組の小林麻衣まいだ。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ、力になろう」

 そう言うと、彼女はくるりときびすを返した。足音も高く歩いていく。薫の横を通り過ぎる瞬間、わざとらしく顔を背ける。

「なーにが困ったことがあったら、よ! 相っ変わらずカッコつけなんだから」

 鼻息荒く叫び、薫は腕組みして顔を横に向けた。

「……で? 結局何で中須ちゃんまでいるわけ?」

 高みの見物? との皮肉げな薫の問いかけに悠は嘆息した。

「ただの通りすがりです」

 生徒会室に行くにはここを通るしかないでしょう、との言葉に薫は納得したようだった。

 実際のところは生徒会役員が騒いでいるからどうにかしろと担ぎ出されたのだが、それを言うと薫の機嫌を損ねるだけだとわかっているので黙っておく。

「早く行かないと時間がなくなりますよ」

 そう言って悠は時計を示す。昼休みに入ってから十分近くが経過していた。急ぎましょうとの悠の言葉に、二人もうなずいて階段を駆け上った。

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