1

 あの電話からおよそ一ヶ月後、望美は遼平の家がある志貴しき市へとやってきていた。電車を乗り継ぎ、最寄り駅だという志貴山下しきさんした駅で待つことおよそ三十分。約束の時間はとうに過ぎているというのに、未だ叔父が現れる気配はなかった。

 ため息をついて周囲に目を向ける。私物のほとんどは家に置いてきたし、必要なものは遼平に車で運んでもらったために手荷物はあまりない。とはいえ、何だかんだでボストンバッグ一つ分には荷物が膨らんだあたり、自分はやっぱり女子なのだなぁと思い知らされた。

 だが、その肥大化した荷物がいらぬ注目を集めている気がした。道行く人の視線が痛い。学生らしき風貌の少女が大荷物片手に改札付近に立っているのだ。家出か何かだと思われているのは間違いなさそうだった。

 改札出口から直結したバスロータリーを見やるが、遼平の車は見あたらない。電話すべきかとも考えたが、何か用事があって遅れているのかもしれない。これから迷惑をかけるのに、催促するようなまねは気が引けた。

 もう一度ため息をつき、望美は視線を改札内へと向けた。線路を挟んで向かい合わせになったホームは地下道で連結されている。地下道の出入り口近辺の壁際にはガラスケースがあり、中には大きな鋼鉄製のロープが鎮座していた。その上に設置された看板には、昔ケーブルカーが走っていた頃に使われていたロープだと説明書きがされていた。

 三度みたび視線を移動する。バスロータリーの向こうには、なかなかにきつそうな坂道が続いていた。見上げる頂上は遠い。なるほど、あの坂の上まで鉄の塊を引っ張り上げるのであれば、あれだけの太さのロープも必要だろう。

 そんなことを考えながら坂道を見上げていた時だった。すみません、と横合いから声をかけられ、望美はそちらに顔を向けた。

 同い年くらいだろうか、えんじ色のブレザーを来た少年がすぐ脇に立っていた。少年は息を弾ませながら、手にしたスマートフォンと望美とを見比べている。小さくうなずいてスマートフォンをブレザーのポケットにしまうと、

「在原望美さんですか?」

 まっすぐに望美を見つめてそう尋ねた。

「そうですが……あなたは?」

 見知らぬ少年にフルネームを呼ばれて少々警戒した。彼にそんなつもりはないのだろうが、最初の観察するような視線も少しばかり不愉快だった。鞄を盾にするように身を引いた望美に、少年があわてて口を開く。

「あの、オレは時任みなとっていいます! 父さん……時任遼平が急用で来られなくなったので、代わりに迎えにいくように言われて……!」

 わたわたしながら訴える言葉に少しだけ警戒を解いた。叔父の代理ならば名前を知っているのも当然だった。おそらく代理を頼んだ時に望美の写真を転送したのだろう、最初のスマートフォンと見比べる動作にも納得がいった。

「わざわざすみません、ありがとうございます」

 丁寧に頭を下げた望美に、湊がさらにあわてた。

「いや、だいぶ待たせたみたいで、こっちこそごめん!」

 言いながら、湊はごく自然に望美の荷物に手を伸ばした。学校帰りだろう、自分も荷物を抱えながら彼は平気な顔でボストンバッグを空いた方の肩にかける。

「荷物はこれだけ? じゃあ行こうか」

 先導して歩きだした湊の背中を追い、望美は駅をあとにしたのだった。



 駅から十分ほど歩くと、あたりの風景は閑静な住宅街へと変わった。元々駅前もにぎやかとは言い難かったが、このあたりはそれ以上に田舎といった印象を受けた。マンションなどの大きな建物は見あたらず、一軒家ばかりだ。

 よく似たおもむきの洋風家屋が並ぶ中、そのうちの一軒の前で湊は足を止めた。かけられた表札には時任と書かれている。門扉を押し開けると、どうぞと言って望美を先に中に入れた。

 勧められるままドアをくぐったところで、湊があれ、と声を上げた。

「父さん、帰ってきてるのか?」

 彼の視線を追えば、脱ぎ散らされた男物のスニーカーが一足。首を傾げながら、ただいまと湊が声を上げると、おかえりと応える声が奥から聞こえた。

 湊についてリビングへと向かうと、ソファーにどっかりと座り込む男の姿が目に映った。男はテレビに向けていた視線を二人へと移し、よお、と片手を上げる。それを見て、湊は深々と息を吐き出した。

「父さん……会議があるって言ってなかったっけ?」

 急な会議が入ったから代わりに迎えに行けとのメールが入り、部活を途中で抜けて駅まで走ったのだ。それなのに、代理を命じた本人が家でくつろいでいるとは何事か。

「ああ、あれな」

 恨みのこもった湊の視線を意にも介せずうなずくと、男は目を細めてため息をついた。やれやれとかぶりを振り、テーブルに置かれたグラスに手を伸ばす。中身をあおり、

「もう片づいた」

 不機嫌そうに告げて、叩きつけるようにテーブルへとグラスを戻す。

「至急っつーからよっぽどの大事かと思えば、わりとどうでもいいことでな。ならいちいち会議なんか開くなっつーの」

 まるで酔っぱらいのようにくだを巻いた。ペットボトルから中身をグラスに注ぎ移し、また一息にあおる。ラベルから推測するにお茶のはずたが、態度はどう見ても酔っぱらいのそれだった。

 吐き出すことで落ち着いたのか、彼はグラスを置くと湊のうしろに立つ望美に目を向けた。人の良さそうな笑顔を浮かべる。

「迎えに行けなくて悪かったな。自分の家だと思ってくれていいから」

 その言葉に、我に返ってあわてて頭を下げた。

「これからお世話になります。ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」

「ああ、そんなにかしこまらなくていいから」

 望美の様子に目元を和ませ、遼平はひらひらと手を振った。

「急に環境が変わって落ち着かないかもしれないが、湊も同じ学校だし、俺も教師をしているから何かあれば遠慮なく声をかけろ」

 その言葉に頭を上げた望美は、今度は湊に向かって深々とお辞儀した。

「ご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします、時任くん」

「イトコなんだから、名前で呼べばいいだろうがよ」

 呆れたようにつぶやいた遼平に、望美は顔を上げた。首を傾げ、ためらうように湊を見やる。視線の意味を察した湊がうなずいた。

「オレはかまわないぜ」

「では改めて、よろしくお願いします、湊くん。わたしのことも名前で呼んでいただいてかまいませんので」

「ああ、こっちこそよろしく、望美」

 そう言って互いに握手を交わす二人をほほえましそうに見つめると、遼平は立ち上がった。

「とりあえず、お前の部屋に案内しよう」

 そう言うと湊から望美の荷物を受け取って歩き出す。置いていかれないようにと、望美はあわててそのあとを追いかけた。

 望美の部屋は二階の突き当たりに用意されていた。落ち着いた雰囲気のその和室は、おそらく元は客間だったのだろう。畳の色は青々としており、あまり使われていなかったことがうかがえる。和室であるからか、それとも部屋を整えた人物の趣味か、あつらえられた家具は全体的に渋い趣で、女子高生には少々不似合いにも見えた。

 一つ一つを確認するようにもう一度部屋を見回すと、箪笥たんすの前に預けた荷物が、窓際の文机の上には教科書が並べて置かれているのに気がついた。

「何か必要なものがあったら用意するから言ってくれ」

 背後からかけられた声に、我に返った望美は振り返って頭を下げた。

「いえ、充分すぎるほどです。ありがとうございます」

 そうかと答えると、遼平は畳の上にボストンバッグを置いた。

「週明けから新しい学校に通ってもらうことになる。制服と生徒手帳はあとで交付されることになるから、しばらくは前の制服を使ってくれ」

 わかりましたとうなずいて、ふと望美はまだ叔母に挨拶をしていないことに気がついた。これから共に暮らすのだから、挨拶をするのは当然の礼儀だろう。そう思って問いかけると、なぜか遼平は眉を寄せた。階下に向けて声を上げる。

「なあ、アイツ、今どこに行ってるんだっけ?」

「……母さん? 岐阜にいるみたいだよ」

 絵はがきが届いていた、と階下から湊が答える声が聞こえた。

「岐阜って……京都に行くっつってなかったか、アイツ……」

 相変わらずだな、とつぶやいた遼平に、望美はさらに首を傾げる。どういう意味だろうか。

「ああ……。ゆかり――お前にとっては叔母なんだが、アイツは筋金入りの方向音痴でな。北海道を目指して、なぜか沖縄に辿り着くような奴なんだよ」

 正直どうしてそうなるのか理解できん、と遼平はうめいた。あれでなぜ仕事にあぶれないんだ、アイツ。

「とにかく、ゆかりは今留守にしているから、挨拶は帰ってからでかまわない」

 もっとも、いつ帰ってくるかはわからないがな、と遠い目をして遼平はつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る