18

 夏休みのある日、暑さも真っ盛りの昼過ぎに携帯電話が着信を告げた。数秒流れた音楽はメールの着信を報せるもの。はて、誰からだろうかと首を傾げつつ、望美は取り組んでいた宿題を中断して携帯電話へと手を伸ばした。

 新着メールを開くと、それは恭二からのものだった。内容は集まって遊ばないかというもの。とある筋からテーマパークの入場券を手に入れたのだという。予定として示された日にちはいくつかあったが、幸いというべきか残念にもというべきか、どの日も予定は組まれていなかったのでどこでも大丈夫だと返信を送り、ふたたび宿題へと向かった。

 数時間ほどして、またもや携帯電話がメールの着信を報せる。おそらくさっきの返信だろうとあたりをつけてメールを開くと、予想通りだった。どうやら日取りの調整がうまくいったらしく、待ち合わせの日時と場所とが書かれていた。了解した旨の返信を送るのとほぼ同時に、またもや恭二からのメールが着信する。追伸、と題されたそのメールには一言こう書かれていた。

『動きやすい服装で来ること。スニーカー推奨』

 意味がわからず、文面を二度見する。やはり意味が理解できない。かと言ってメールで問い返すほどの疑問ではない。

 しばらく首をひねって導き出した可能性は、よほど広いテーマパークなのだろうということだった。

 問題は、スニーカーはあるがそれに合わせる服がないということである。彼女が所持する洋服は母親の趣味でレースやフリルなどがたっぷりと使われた、ひらひらふわふわした少女趣味なものが多いのだ。スニーカーに合わせれば間違いなく浮くだろう。

 どうしたものかと思案しながら、再度メールを見やる。動きやすい服装、スニーカー推奨。そして行先はテーマパーク。これらを鍵に思考する。動きやすい――逆説的だが、動きにくくなければオーケーということではなかろうか? つまり、ヒールやサンダルなどを避ければいいのである。ならば、きっとローファーはセーフに違いない、と勝手に結論づけてうなずくと、望美はスケジュール帳を取り出して予定を書き入れた。



 そして当日、電車を乗り継いで待ち合わせのテーマパークへと向かうと、入場ゲートの前には生徒会のメンバーとはまた別の一団がいた。どこか見覚えのあるその一団は科学部のメンバーだった。

 なぜ彼らがここにいるのだろうかと首を傾げつつ、そちらへと近づく。お待たせしました、と言おうとしたところで背後からあわただしい足音が近づいてきた。

「すみません、遅れました!」

 望美の横を駆け抜け、科学部のメンバーの前で頭を下げているのは望美よりも早くに家を出た湊だった。偶然もあるものだと思いながら、生徒会メンバーの元へと向かう。

 望美が声をかける前から気づいていたのだろう、それぞれが思い思いにこちらに向けて手を振っている。

「黒崎、こちらは揃ったよ」

 小さく手を挙げて恭二に話しかけたのは、科学部の部長の浩明だった。それに応えるように恭二も片手を挙げる。

「おう、うちも今揃った」

 その言葉に、望美はきょとんして首を傾げる。

「生徒会だけでの集まりではなかったのですか?」

「あれ、科学部だけじゃなかったんですか?」

 問いかける声は湊と同時だった。あまりの息の合いように、上級生たちが一斉に吹き出す。

「ああ、言ってなかったか。生徒会と科学部と合同なんだよ」

 今日のは人数が多い方が好都合だからな、と恭二が告げる。

「とは言え、黒崎殿。あまりに大人数で行動するのもほかの来場者の迷惑になるのではないかの?」

 直人の問いかけももっともだったので、全員が大きくうなずく。だがそれに問題ない、と恭二は笑みを浮かべた。

「実際には二人ずつペアで行動してもらうから」

 その言葉にさらに疑問が深まった。大人数が都合がいいと言いながら、実際に行動するのは二人ずつ?

「副会長、いい加減どういうことかネタ明かさない~?」

 もう全員揃ったからいいじゃん、と薫が声を上げる。

「そうだな、全員揃ったし説明するか。とりあえず、今日ここの入場チケットを手配したのは瑞貴ちゃんでな。このテーマパークで行っているイベントのモニターをやってこいとのオーダーだ」

「イベントって言うと、あれだっけ? スタンプラリー。五個以上集めるとナイトパレードに参加できるってヤツだよね?」

 あれ、クリア条件がものすごく難しいって聞いたよ、と薫。それに恭二がうなずく。

「おう、だからクリアできるかどうかのモニターってことだな」

 それに、でもさぁ、と薫が首を傾げた。

「そのイベント、クリアしてもあんまり利点がないよね? まあ、今回はタダで遊べるのが参加する利点と言えるけど……」

 パレードに参加できると言っても、要するにパレードの乗り物に乗れると言うだけである。そもそもパレード自体に興味がなければどうでもいいと言えるだろう。

「安心しろ、瑞貴ちゃんは太っ腹だからクリア報酬が用意されています。クリアしたペアには一人当たり一万円分の図書カード、三組以上のクリアで瑞貴ちゃん引率の元泊りがけで海に行けるとのことだ」

 恭二の言葉に、ざわりと一同はどよめいた。何という破格の対応であろうか。普通ならば入場チケットが報酬とされかねないのに、イベントクリアでさらに報酬が出るのである。しかも条件付きで二段階の報酬と来た。

 目の色が変わった一同に、ニヤリと恭二が笑う。

「というわけで、ペア決めるぞ、くじ引け!」

 言葉と共に差し出されたのはお菓子の空き箱だった。振るとかすかにカサカサと音がすることから、紙片か何かが入っていると思われた。上級生から順に向けられた箱からくじを引いていく。

 くじ引きの結果、詩織と浩明、直人と鈴村、恭二と湊、薫と小林、望美と悠の組み合わせに決まった。

「よし、それじゃ全力で遊べかかれ、野郎ども!」

 煽るような恭二の言葉に、おおー! と拳を突き上げて全員が応えた。



 受付で各ペア入場登録をし、同時にスタンプラリーのイベント参加登録も済ませる。渡されたのは定期券ほどの大きさの磁気カードで、これでスタンプラリーの管理をするとのことだった。アトラクション入場時にカードを提示し、登録された人数と参加人数が合っているかを確認するらしい。詳しくはパンフレットをご覧ください、との見事なまでの丸投げであった。

 パンフレットによるとこのテーマパークは四つのエリアに分かれており、上から見れば入口を頂点とした五芒星のような形となっているようだった。左下に西洋童話、右下に東洋神話、左上に大航海時代、右上にSFをモチーフとしたエリアが存在し、それらの中央には湖とそこに浮かぶように大きな城がある。それぞれエリアごとにモチーフを表したアトラクションが用意されているらしい。

 エリアマップを見ると、アトラクションの一部に印がされていた。おそらくこの印がスタンプラリー対応のアトラクションということなのだろう。

「十八時に中央の城のところにあるオープンカフェで待ち合わせ、でしたね」

「場所の確認だけ先に行きますか?」

 確認するような悠のつぶやきを拾い、エリアマップを横からのぞき込みながら望美がそう問いかけた。マップで見る限り、このテーマパークはかなりの広さがありそうだった。迷子になる心配はさすがにないだろうが、待ち合わせ場所を見つけられずに待たせてしまう可能性は否定できないだろう。

「そうですね。ついでに、この城でのアトラクションのチケットも取っておきましょうか」

 パンフレットによればこのアトラクションは入場制限がかけられており、予約して入場チケットを取ることが可能らしい。

 互いに顔を見合わせてうなずき合うと、二人は中央にそびえる城を目指して歩き出した。



 無事に待ち合わせ場所のカフェを確認し、十六時半開始のチケットも押さえた二人は邪魔にならない場所でふたたび頭を突き合わせてパンフレットをのぞき込んだ。

「どこから回ります?」

「城が最後と考えると、左下か右下から順に回っていくのが理想的でしょうね」

 言いながら、望美は手を伸ばしてエリアマップをたどってみせた。西洋童話か東洋神話をスタート地点に、時計回りか反時計回りにぐるりと一周するルート。

 行きたいところは、と問われて望美はエリアマップに目を凝らす。正直、名前だけを見てもそれがどんなアトラクションなのかよくわからない。なので、素直にそう言ってお任せしますと告げた。

 しばらく思案するように首をひねっていた悠だったが、やがてうなずいた。

「では、西洋童話のエリアから回ることにしましょうか?」

「了解しました」



 西洋童話のエリアにたどり着くと、ふたたびパンフレットを取り出してエリアマップを見やる。

「しかし、本当にどんなアトラクションなのか推測できない名前ですね……」

 ため息と共に悠がそう言葉をこぼす。迷宮庭園、鏡の館、ワルプルギスの夜、と名前だけではさっぱり内容が推測できない。

「近くのものから行ってみますか? テーマパークですし、楽しまなければ損でしょう?」

 こうやって考えている時間がもったいないとの望美の言葉に、そうですね、と悠もうなずいた。

 そんなわけで二人がまず向かったのは迷宮庭園だった。一番近くにあったスタンプラリー関係アトラクションだから、というのがその理由である。運よくそのまま入れるらしく、入口でもらった磁気カードを渡して入場登録を行う。

 中に入ると、そこは生垣で作られた迷路になっていた。二メートルほどはあろうか、背の高い木々の合間から降ってくる日差しに照らされてどこか幻想的な雰囲気だった。

 あたりを見回しながらゆったりと迷路を抜けていくと、不意に目の前に開けた空間が広がった。庭園となっているらしくあちらこちらにテーブルセットが置かれており、休憩する人々の姿が見受けられた。花壇のバラには手を触れないでください、という注意書きがしてあるところを見ると、あのバラは作り物ではなく生木なのであろう。

 周囲に目を向けると、庭園の端にログハウスのようなものが見えた。そこにいた人が軽食を手にテーブルに向かったところから、あれが売店なのだろうと察せられた。

 そうやって庭園を観察していると、いつの間にかすぐそばにいたはずの望美の姿が見当たらないことに悠は気づいた。あわてて周囲へと目を向けると、花壇の前でしゃがみこんで猫と戯れている望美を見つけてほっと胸を撫で下ろす。

 悠が近づいても逃げる様子のない猫に、よほど人に馴らされているのだろうと思われた。

「少し休憩していきますか?」

 猫と戯れている様子があまりにも楽しそうで、ついそう声をかけた。だが望美はかぶりを振ると猫を解放した。猫は名残惜しそうにしばらく望美の足にすり寄っていたが、やがて日当りのいい場所を求めて駆けていった。

 猫を追いかけて視線を向けた先に妙なものを見つけ、悠は思わず目をこすった。なんだ、アレ。首を傾げながら目を凝らす。

 ソレはピンク色のバットのようなものだった。いや、バットと言っていいのかためらう物体だ。上部には鳥の頭のようなものがついていて、持ち手の部分は足のようになっており、そして真ん中の胴のあたりにやたらと丸いものがついている。少々、というか、かなりグロテスクだ。

「どうしました?」

 動きを止めた悠の視線を追った望美もバットのようなソレを見つけた。

「何でしょうね? これ」

 そう言いながら近寄ると、望美は何のためらいも見せずにソレをひょいと拾い上げる。そのまま悠の方へと持ってきた。

「あの、もしかしてソレ持っていくつもりですか?」

「ええ、何かの役に立つかもしれません」

 あっさりと言い放った望美に、そうですか、とうなずいて悠は迷宮の後半部分へと足を向けた。

 庭園を抜けると、またもや周りの光景は背の高い生垣に囲まれた迷宮へと姿を変えた。

 しばらく進むと、不意に話し声のようなものが聞こえてきた。

「……何でしょう?」

 二人して首を傾げ、声のした方へと足を向ける。やがて二人の行く手に現れた影は、やたらと四角かった。見たままを言うならば、トランプの着ぐるみを着た人間。手には大きなハケとバケツのような物を持っている。

「ああ、大変だ大変だ」

「女王様にバレる前にバラを赤く塗らなければ」

 そんなことを話している彼らが、不意に二人の方を振り向いた。視線が思い切りかち合う。あ、とどちらからともなく声が漏れた。

「「怪しいヤツだーっ!」」

 唐突にトランプの着ぐるみが大声を上げ、二人の方へと走ってくる。

「な……っ!?」

 ぎょっとして立ちすくむ悠をよそに、望美が一歩前に踏み出した。手にしているのは先ほど拾った怪しい鳥バット。それを構えると彼女は迷いなくスイングした。狙うは下段、着ぐるみの足元だ。

 ぱかーん、という軽い音に続いてドサリと重い物が落ちるような音が辺りに響いた。ぎゃっと声を上げて倒れ伏した着ぐるみには見向きもせず、望美はもう一体の着ぐるみへと向かう。ふたたび迷いのないフルスイング。すねのあたりを盛大に叩かれた着ぐるみは、悶絶しながら地面に倒れた。そのまま起き上がれなくなったのか、じたばたともがいている。

「行きましょう」

 何事もなかったかのように着ぐるみに背を向けて言い放つ望美に、悠は無言でうなずくしかなかった。



「いたぞー、怪しいヤツだー!」

 背後から聞こえたそんな叫び声に、望美が足を止めて振り返る。鳥バットを握りしめて見つめる先には、わらわらと駆けてくるトランプの着ぐるみ一団。先ほど遭遇したのとは違い、今度の彼らは槍のような長い棒状の物を手にしている。

「在原さん!?」

 何をするつもり、と悠が問いかけるよりも先に望美は駆け出していた。振り下ろされる槍をかいくぐり、一番手前の着ぐるみの足をバットで叩く。もんどりうって倒れる着ぐるみに巻き込まれないように一歩横に移動すると、次の着ぐるみへと向かう。それぞれ足元を狙った的確な一撃で無力化すると、ふぅ、とため息と共に汗を拭うような仕草をした。

「制圧完了です、行きましょう」

 言ってすたすたと歩きだす。伸ばした手の所在を問うようにわきわきと握りながら、悠があいまいにうなずく。

 先ほどからこの調子で、トランプの着ぐるみと遭遇するたびに望美が一撃で撃退しているのである。変わろうか、と言うにはあのバットがグロテスクで言い出すことができずにいた。本当に、なぜ彼女は平然とあれを振り回せるのだろうか。

 てくてくと数歩先を歩いていた望美が不意に小さく声を上げて駆け出した。木々にさえぎられてその姿が見えなくなる。悠もあわててあとを追って駆けだす。

 追いかけた先は行き止まりとなっているようだった。望美は生垣の前でしゃがみこんでいる。

「在原さん? どうしました?」

 もしや気分でも悪くなったのだろうかと心配になり、あわてて駆け寄る。だが、想像に反して顔を上げた彼女は笑顔だった。

「見てください、これ」

 そう言って差し出されたのは、トゲトゲしたボール状の何かだった。顔のようなものが描かれている。

「かわいくないですか?」

 どこが、と言いそうになってあわてて口を押さえる。そうですね、とどうにか相槌を打つと、彼女は本当に嬉しそうに笑った。ボールを手にしたまま立ち上がる。

「えっと、もしかして、ソレ持っていくつもりですか……?」

 さっきも似たようなことを聞いたな、と思いながら悠が問いかけると、満面の笑みでうなずかれた。

「あ、じゃあソレは僕が持っておきますよ」

 さすがにボールを持ったまま大立ち回りは無理だろうと思ってそう提案する。正直言うと大立ち回りをやめてほしいのだが、きっとそれは言うだけ無駄だろうと思った。なぜならば、着ぐるみ相手にバットを振り回す彼女は大変に生き生きしていたのだから。ものすごく、この状況を楽しんでいると思われた。

「ではお願いします」

 言葉と共に差し出されたボールを受け取ると、二人はゴールを目指して歩き出した。



「このアトラクション、おそらく不思議の国のアリスをモチーフにしているんでしょうね」

 出口を探して迷路を歩きながら、望美がそう口にした。確信のあるような口振りに、どうしてです、と悠は首を傾げる。

「ご存じないですか? 不思議の国のアリス」

「ええと、名前くらいは知っています」

 タイトルにもあるアリスという名の少女が主人公、というレベルの知識だと正直に告げる。

「さっきのトランプの兵隊ですとか、フラミンゴのバットとハリネズミのボールですとかが作中で出てくるんですよ」

「ええと……もしかして、バットやボールを持って行こうと言ったのはそれでですか?」

 このアトラクションに関係しそうなものだからなのかと問いかけた悠に、しかし望美はかぶりを振った。

「いえ、面白そうだったので」

 あっさりと言い切られ、そうですか、としか言うことのできない悠であった。

 その後もトランプ兵に遭遇するたびに望美が撃退し、悠が出口を探して先導するというコンビプレイで迷宮を進み続けた。

 何度目かの曲がり角を曲がると、不意に目の前が開けた。ずっと続いていた生け垣が途切れ、広場のような場所に出る。スタッフだろうか、シルクハットをかぶり、スーツを着た人々がお疲れさまです、と声をかけてくる。

「このアイテムを持ってこられた理由は?」

 スタッフの一人が、望美たちの持つバットとボールを指して問いかける。

「不思議の国のアリスに出てくる小道具だったと記憶しています。ハートの女王に言われて参加したクリケットで使用する、フラミンゴのバットとハリネズミのボール」

 望美の答えにスタッフは満足そうに笑みを浮かべた。正解です、と言って二人の手からバットとボールを受け取る。スタンプラリーの参加カードの提示を求められたので差し出すと、スタッフはカードを機械に通した。返されたカードを見ると、カードの表面に描かれたマスの一つにスタンプらしきものが印字されていた。

「クリアおめでとうございます。ほかのアトラクションもどうぞお楽しみください」

 どこか大仰な仕草で一礼したスタッフに礼を返すと、二人は示された出口から外へと向かった。

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