勇気を下さい
けまタン@下手くそな物書き
勇気を下さい
『これは、私が実際に経験した話です。皆さんに伝えるためにまとめました。ご感想等がありましたら話し終わってから発言お願いします。あと、最初にお断りをしておきます。基本的に私のことは『私』と言いますが、感情が高ぶってしまうとつい『俺』と言ってしまうことがあります。ご了承ください。』
楽しいはずの修学旅行だった。それがこんな地獄絵図になるとは誰も思っていなかったはずだ。私は気が付くと極寒の吹雪の中に放り投げられていた。私達が乗っていたバスががけから落ちたのである。周りからはうめき声が聞こえてくるが動ける人は誰もいない。
寒い。私はなんとか立ち上がろうとしたが、全身が痛く身動き一つとれなかった。辺りのうめき声もだんだん小さくなっていく。もうダメかもしれない。そう頭の中によぎった。
私は天を仰いだ。すると、崖の上からこっちを見下ろす人影が見えた。私はこれで助かったと思った。これでみんなが助かると。しかし、その男はしばらくそこで立っていると突然姿を消し、それ以後二度と姿を見せることはなかった。
気がつくと病院のベッドの上で横たわっていた。「奇跡だ」そう医者は、私が目覚めた時に言ったことを後から聞いた。生存者は私以外誰もいなかった。言い換えれば、私だけが生き残ってしまったのである。生きている安堵感よりも悔しさの方がにじみ出てきた。
「自分はなぜ生きているんだ・・・。」
救助隊が来たのはあれから数時間後だったそうだ。つまり、あの時上にいた男がその場で救助していれば、もしそれが物理的に無理でも救助を呼びに言っていれば、何人かは助かっていたはずだ。あの男がみなを見殺しにした。生きている悔しさはやがて、その男への憎悪と変わっていった。
退院してからすぐに家族と共に転居した。周りの視線があまりに冷たすぎるからである。クラスメートだった子の母親には、「なぜお前が生きている。私の子どもが死んでなんであんたが生きているのよ」と向きようのない悔しさ、悲しみがいっぺんに私に向けられた。はたから見れば、八つ当たりかもしれない。
しかし、それは当時、ガキだった私にとっていたたまれないものであった。学校では、一人だけ生き残ったということもあり、後ろ指を指され、気味悪がられて誰も近づかない。いじめよりもきつい苦痛に耐えなければならない毎日が私を襲った。なぜこんな目に合うのだ。私が何かしたのか。行きようのない悔しさは、憎悪を増幅させていった。全てあの男が悪いんだ。そう、呪うことで毎日を耐えていった。
あれから十五年ほどが過ぎた。私は今、中学の教師になった。あの時の憎悪は今なお収まっていない。だからであろうか。修学旅行の行き先があの時行ったスキー場になった時、どれだけ反対したことか。ただ、私があの事故の唯一の生存者であることを誰にも言ってないので、私の反対は根拠がないとしっぺ返しにあったのだが。
私が受け持っているクラスの生徒達は、殆どがスキー初体験とあって呑気にはしゃぎ廻っている。こっちの気も知らないくせに・・・。
学校を出発し、途中何度か休憩を織り交ぜながら、バスは目的地へと向かって行った。そして、あの時の事故現場に近づいた。側には慰霊碑が建立され、今でも献花台には花が一杯に供えられている。事故以来、私は、ここには一度も近づかなかった。恐いわけではない。ここに来たらあの時の行き場のない憎悪が暴走して、何を起こすかわからなくなってしまうからだ。とにかく、目をつむり形だけの平静を装い、通り過ぎるのを待つだけであった。
スキー場に到着するやいなや、生徒達は大はしゃぎだ。無理もない。都会暮しの子ども達にとって、白銀の世界など生まれて初めて立つ子が殆どなのだから。しかし、なぜだろう。私には楽しいというより虚しいといったほうが正しかった。この心の奥底から湧き出る空虚感は一体・・・。
「先生、顔合わせの時間ですよ」
そう呼ばれて私は我に帰った。インストラクターの方々と顔合わせをしなければならないので、私は他の先生方と共にインストラクターの詰所に向かった。詰所にはすでにインストラクターの方々が集合していて、我々教師人も急いで集まり、教頭が代表して挨拶をした。
しかし、私はそこで見てはならないものを見てしまった。それを見た時、全身から血の気がなくなり、その直後、心臓が弾きれんばかりに高鳴りを始め、忘れていた憎しみが一気にこみ上げてきた。そこに立っていたのは、あの時事故を目撃しておきながら何もせずに立ち去ったあの男が立っていたのだから・・・。
生徒達がインストラクターに教わっている間、教師陣は適当に生徒達の様子を見ながらスキーを楽しんでいた。しかし、私はそんな感情は消え去っていた。この男にどう復讐するか。それだけを考えていた。
今でもはっきりと覚えている。容姿こそ十五年という年月のせいか、若干老け込んでいるが、あの時見た男に間違えない。間違えるはずがなかった。そして、どうやってこいつに復讐するか。それだけを考えていた。崖から突き落とすか。後から絞殺するか。はたまた、夜の雪山に放置して凍死させるか。頭の中は、暴走を始めた憎悪によって、コントロールを失っていた。何度後ろに行き、スティックで突き刺してやろうかと思ったことか・・・。
夜、生徒達から聞いたあの男の評判は、意外なことに好評であった。滑れない生徒達に手取り足取り、丁寧に教えてまわっていたのである。それを聞いて私の中の憎悪は再び燃え上がっていくのを確認した。今すぐにでも殺してやりたい。それを表情に出さないようにすることの方が苦労した。
生徒達の就寝時間が過ぎた後、インストラクターの方々と混じって今日の反省会が行われた。反省内容は、生徒達の体調管理や向上度などで他の先生方と共にいろいろと今後についての注文や反省が飛び交った。
私は、あの男の様子を悟られないように窺うかがった。反省会の発言などのメモを取ったり、積極的に発言をしたりとインストラクター達のリーダー的存在に見える。そこだけを見ると、あの時の男とは、別人ではないか。そう思ってしまう。
しかしだ。あの時見たあの顔を見間違えるはずがない。この男に間違えないんだ。こいつがあの時助けを呼んでくれれば、俺はこんな惨めな人生を送ることはなかったんだ。私は自分にそう言い聞かせた。復讐する。その一念しかなかった。
反省会が散会となり、私は近くにあった自動販売機に赴き、紙コップのコーヒーを買いそれを飲んでいた。
「先生、ちょっとよろしいですか」
私は心臓が一瞬外に飛び出した。あの男が突然私の元に歩み寄り、話しかけてきたのである。心臓の高鳴りが止められない。両手が今にも動きそうだ。どうしよう・・・。
「実は、あなたのクラスの子のことで相談したいことがありまして」
「私のクラスですか。ここではなんですからそこに掛けて話しましょう」
聞くと、私のクラスの女子のことの相談であった。今日の講習でその子一人だけが課題をこなせなかったのである。そのことで相談を持ちかけられたのである。私は何とか平静さを保ち、教育者としての簡単なアドバイスを二、三語った。
「解りました。どうもありがとうございます。あの子達の言うとおりですね。先生はとてもやさしくて頼りがいがあるって言ってるんですよ」
「当然のことをしているだけですから。明日もよろしくお願いします」
私はそう言うと逃げるようにその場を離れ、部屋に飛び込んだ。
「何やってるんだ、俺は。あいつは憎むべき相手なんだぞ」
私は、部屋に入った瞬間、鏡に映る自分に怒鳴り散らしてしまった。幸い両隣の部屋の先生はまだ戻っていなかったのでその声を聞いたものは誰もいなかった。
翌日、あの男は私のアドバイスが利いたのか、生徒全員が課題を難無くこなしていた。私は、それを遠目で見ながら唇を噛み締めた。私の中で何かが揺らいでいる。それが何なのか全く解らない。一体何が・・・。
午後からは、生徒達が考えたレクリエーション大会が行われた。私は、あの男と共にハシャギまくる生徒達と二人三脚や雪合戦をして表面上だけ楽しんでいた。
その後は、インストラクターの方々によるデモンストレーションが行われ、簡易のジャンプ台から見せるアクロバチックなすべりに、生徒達は歓声をあげっぱなしであった。
それが終了後は、再びスキー講習が行われた。今回は、初級コースを下るということもあり、あの男の誘いで私も同行することになった。コースはそんなに傾斜もなく、林間を緩やかに下るものであった。生徒達が前を行き、私とあの男が後から滑っていた。
「うまいですね、スキー」あの男が生徒達に注意をむけながら私に話しかけた。
「スキーは、毎年行っていますから。ここに来るのは、初めてですが」
嘘を言った。ここには、あの事故の時に一度来ている。忘れもしないあの時に。この男のせいで・・・。
林間コースを下り終わって、上のスキー場に戻るリフト乗り場に到着した。私は、ある生徒の隣に座った。その子は、あの男が相談してきた、例の女子生徒であった。
「先生、お兄さんと何話していたの」生徒たちからはあの男はお兄さんと呼ばれているのだ。私は一瞬だれの事かわからなかった。
「世間話だよ。お兄さんってどんな人なんだい」
「すっごくやさしいんだよ。教え方も上手だし」
「そうなんだ・・・。」
上に戻り、一休みしてる時に他の生徒達に聞いてもあの男の評判はすこぶるよかった。それが再び迷いを生んだ。そこで、私はある手に出ることにした。
「クラス・・ミーティングですか」
「そうです。生徒達もぜひ出てもらいたいと」
クラスミーティングとは、我が校の伝統行事的モノで、自分の過去の行いや過ちをみんなの前で告白するというものであった。過去の例で言えば、いじめをしていた、もしくはされていたとか。そこで告白することで互いに理解を深め合おうという趣旨である。
無論、言いたくないことは言わなくていい。毎年生徒数人から言うべきかどうかという相談をよく受けるものである。私は、ここであの男を試そうと思ったのである。
理由はいくつかある。彼は分け隔てなく優しく指導しているのだが、どこか、本当にぼんやりとしたことだが、暗いと何人から聞いたのである。それと、子どもと出会った時の態度である。さっきも何度かあったのだが、小学生くらいの子どもには、異常なまでに親切に接しているのである。
とにもかくも、このクラスミーティングの後に彼に心境を垣間見れるのではないかと勝手に想像しているのである。無論その答え次第では・・・。
各クラス共に夕食を済ませ、小一時間ほどの自由時間の後、各クラスそれぞれにクラスミーティングの会場へと集まり出した。私は、机の上に資料を置き、その下にあの時の新聞記事を置いた。あの事件以来、必ずかばんの中に入れるようにしているのである。なぜだか解らない。多分、あの時の恨みを忘れないためだと思うのだが・・・。
「俺の十五年。今夜でけりがつくぜ。見ててくれ、みんな」
新聞と共に肌身離さず持っているもの。あの時のクラスメートとの集合写真にそっと語り、部屋を出た。
クラスミーティングは、静かに始まった。生徒達は、司会はクラス委員に任せ、私はただ聞いているだけという状態。あくまで生徒達主導で進められていた。一人一人の発言が重く、中には、泣きながら発言する生徒もいた。あの男は、そんな生徒達の発言を真剣な表情で見つめていた。そして、生徒全員が発言し終わった時、重い口を開けた。
「・・・みなさん、若いのにいろんな経験をしているんですね。私が皆さんくらいの年齢の時は、ただあっけらかんと生きていたのに。ここに来たのも何かの縁です。私が犯した罪を皆さんにお話します。聞いたところでどうなるかは、解りません。けど、私みたいな大人には、なってもらいたくない。その思いで皆さんにお話します」
あの男は、そう言うと静かに立ち上がり、語り始めた。
「あれは、私が大学生のころです。あの当時私は、この近くの旅館に住み込みのアルバイトに来ていました。今から十五年くらい前です。あの日もこんな寒い日でした。私は、旅館の人に頼まれて、町まで買出しに行くことになりました。ただ、あの時私は旅館の人に車の免許を持っていないのに持っていると嘘をついて働かせてもらってたんです。どうしてそうまでして働いていたかというと、私の母が、ガンになりその手術費がどうしても必要だったのです。ですから、私はどうしてもお金が欲しかったのです」
男は一呼吸置き、辺りを見回した。生徒全員が真剣な眼差しで見つめている。それを確認すると再び語りだした。
「車を運転するのはたいした苦労はありませんでした。何度か友達の車を運転させてもらっていましたし。それに、こんな所だから警察の取り調べもないと高を括っていたんです。町で買い物を済ませ、帰り道の途中のことです。このスキー場に来られる時に慰霊碑を見かけた方もいると思いますが、あそこで小学生が乗った観光バスががけから転落したんです。私は、あそこに差し掛かったとき、バスは転倒し、下からはうめき声が聞こえてました。私は、すぐに助けようと思いました。けど、そしたら、警察に私が無免許で運転してることがばれてしまう。それどころかそうすれば、バイト先にも迷惑がかかりますし、何より母の手術費が・・・。元々母子家庭で育ったのでどうしても母を助けたかった。だから私は、その場を見捨てて旅館に帰ってしまったんです。後で聞いたんですけど、そのバスには修学旅行に行く小学生が乗っていたこと。そして、助かったのは一人だけと聞いてます。他の生徒さんや先生方は・・・」
あの男は目に涙を浮かべながら立っていた。その涙は、生徒達の一部にも波及していた。
「・・・母は、一昨年亡くなりました。私は、今でもそのことに囚われています。だから、このスキー場で働きながら、あの時の慰霊碑の管理をしています。みなさんも、よろしかったらお参りをしてください。そして、私のような馬鹿な大人には、けっしてならないでください」
あの男はそう言うとその場に座った。クラス委員の子は、私に顔をやった。無理もない。このような発言があったのだから子どもに収集着けられるわけがない。ここからは、私の仕事だ。
「・・・少し質問させてください。その事故の生存者には何かされたんですか」何もしていない。その生存者が心の中でそう言った。
「いいえ、事故の後引っ越されたらしくどこにおられるかわかりません。関係各所もプライバシーに関わることといって結局教えてもらえませんでした」
「もし、その生存者に会えたなら、何をしますか」
「・・・解りません。もし、その子が死ねと言いましたら死にます。その子に、言葉に出来ない苦しみを味あわせてしまったんですから・・・」
半年後、春。私は、あの慰霊碑の前に立っていた。こうやって、正式のお参りに来るのは、事故後初めてである。
「結局、何も出来なかったよ。俺。あの男は自分の侵した罪を償っている。無論それで許されるとも、許すつもりもない。忘れることなどもってのほかだ。けど・・・」
修学旅行から帰った後、私はあの男に手紙を送った。そこで初めて私があの事故の生存者であることを語った。案の定、彼は私の学校に電話を掛け、正式に謝罪したいと言ってきた。しかし、私はそれを断った。その時私は、彼に電話越しにこう言った。
「今謝罪されても私の十五年間味わった苦しみは晴れません。けど、あなたは、十五年間罪を償うことだけを考え、罰を受けてきた。それは、とても勇気がいることです。今私は、あなたを正直恨んでます。この前は生徒の前だったのでかろうじて理性を保てましたが、二人で会ったら憎悪に駆られ殺してしまうかもしれません。けど、帰る時、クラスのみんなとあなたと共に慰霊碑にお参りした時、私はあの時のクラスメートに事故後、初めて、ちゃんと向き合うことが出来たように思えます。あなたが罪と向き合う勇気を持っているとすれば、私はあなたを許す勇気をもらったような気がします。けど、今の私にはそれがまだ十分持ちきれていません。けど、あなたを許す勇気を持つことが出来たならば、その時再びあなたにお会いしましょう」と。
慰霊碑には、今でも献花に訪れる人が後を立たない。私は決してあの事故を風化させてはならない。そして、私自身も動き出さなくてはならない。そう思えてならない。
「この勇気をもてない大人たちよ、今こそ鼓舞しろ」そう自分に言い聞かせて帰路についた。
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