第13話

 東京ヘブンズゲイトから帰って以来、何度か戦場へ出るたび、ゼロシキはかすかな異変を感じていた。どうも、《機械》がしっくりこないのだ、死神と戦う上で、そこまで支障が出ているわけではない、ただ、ときどき《機械》に重みを感じたり、イメージが具現化されるまでの時間が、今までよりほんの一瞬だけ遅くなっている気がする。相変わらず他を圧倒する戦闘能力を見せつけながら戦うゼロシキだったが、かすかな違和感がどうにも気持ち悪く、いら立ちを隠せなかった。群がる死神を倒しながら、ずっと考えている。ゼロシキはその原因になんとなく勘づいていた。しかし、すぐにはふんぎりがつかず、ずっと迷いながらこの三日間ほど戦いを続けているのだ。大げさな気もする、だが、今まで感じたことのない違和感を放置すれば、良からぬ結果を招くような、とてつもなく嫌な予感がしていた。《機械》を変形させ、振り回しながら死神たちをなぎ倒し、ゼロシキはとうとう決意を固めていく。


 ――俺は、そもそも虚無でしかないんだ。


 はじめから自分には何もなかったし、これから先も、何かを得ることなどないのだ。そう考えれば、自分がこんなささいなことを躊躇している理由になるものなど何もないと思えるようになった。






 「具合はどうだ?」


 部屋で寝ているタチバナを見舞いにきたゼロシキが、どっかりとベッドの横のイスに腰掛けて尋ねる。起きてから今までしばらく一人のままでいたタチバナは、まだ目覚めきってはいないような顔をきょとんとさせて、何度かまばたきをしながら、戦いから戻ったばかりのゼロシキを見つめていた。


 「大丈夫。あのときは何が起きてるのか分からなくて混乱してたけど、今は何ともないよ」


 「急に倒れたからな」


 「……あはは。恥ずかしいとこ見せちゃったかな」


 タチバナは本当に恥ずかしそうにしながら、フトンの端を指先でぐりぐりイジりながら照れ隠しで笑ってみせる。


 「いったいどうしたんだ? 俺も何かが頭の中に入り込んでくるような気がしたけど平気だった。あれはたぶん、強烈に濃縮された、その人間の心を満たすような記憶の弾丸みたいなものだろ? でも俺はそういう記憶を持たないから、ほとんど影響は受けなかったってことだと思うんだけど」


 タチバナはじっと考えこむようにしながらゼロシキの話を聞き、何度かうなずいていた。


 「たぶんその通りだと思う。ホントに濃縮された記憶の弾丸が、何発も何発も頭の中に撃ち込まれて、しかもそれが炸裂して、その閃光が頭の中を埋め尽くしてしまうっていうか……」


 「どういうことなんだろうな。……虚無を満たしてしまうため?」


 「満たすっていうか、強制的に消去しようとする感じだった」


 「消去……《機械》を操る人間を近づけないようにするためなんだろうか」


 「もしホントにそうだとすると、やっぱりあそこには何かあるんだろうね。秘密にしておきたい何かが」


 「でも、いったい誰が何を隠しているっていうんだ?」


 「それは分かんないけど。だけど死神はあそこからやってくるわけだし、何もないってことはないんじゃない?」


 「もちろん」


 「だから、それだけでもあそこに近づけたくない理由にはなるでしょ? 死神の発生源を隠しておきたいから。あるいは、私たちが期待する以上のものが、あそこには隠してあるのかもしれないね」


 「ってことは、死神は、まるでゴキブリみたいに自然に湧いてくるわけではなくて、何らかの意図で『製造』されているということなんだろうか。それを隠そうとする人間がいるってことは、それを見られると困る人間がどこかにいるってことになる」


 「もしかして、あの死神は人間が作り出したってこと?」


 「可能性はあるな。でも、全て憶測の域を出ない。死神が本当にゴキブリみたいに東京ヘブンズゲイトから湧いてるのかもしれないしな」


 「だけどさ、それだとあの歌が聞こえるってことの説明がつかないよ」


 「まあ待てよ。あの歌が、《機械》を操る人間を遠ざけるために流れているとは限らない。それに、死神も歌もそれぞれ全く別の現象かもしれないしな」


 「関係はあると思うけどな……。あんな得体の知れない現象が東京ヘブンズゲイトに集中して起こるっていうのは考えにくいんじゃないかな」


 「その通りだ。確かに関係があるという可能性のほうが高いと俺も思う。ただ、情報が少なすぎて妥当な結論を導くのが難しい」


 二人は考えあぐねてしばらく黙ったままでいる。あんまり沈黙が続いたので気まずく思ったのか、タチバナがなんだかよく分からない笑いをもらす。


 「どうなの最近は? しばらく見なかったけど」


 苦しまぎれにタチバナが話題を切り替える。ゼロシキはこの三日間ほど、タチバナに会いに来なかったのだった。


 「いや、特に何もない。今までと同じ様に、戦場に行って帰って寝る、それだけだ」


 「まあ、そうだけど」


 ゼロシキの態度は妙にそっけなくて、だからタチバナはつまらなそうな顔でうつむく。ゼロシキの表情は固く、親しい人間の見舞いに来たというわりには、ずいぶん重苦しい雰囲気をまとっている。


 「何度か戦場には出たよ。けど、あんまり調子は良くないな」


 「調子が良くない? ゼロシキがそんなこと言うなんて珍しいね」


 《機械》が何となく重いんだ、と言いかけて、ゼロシキはその言葉を呑み込んでしまう。自分の弱みを見せるようなことはしたくなかったし、それに、今ここで、タチバナにそれを言うべきではないのだ。


 「ちょっと疲れてるのかもしれないな」


 そう言って、ゼロシキは適当に取りつくろう。


 「ずっと戦ってばっかりだしね、たまにはゆっくり休んだら?」


 ゼロシキはうなずく、休んだくらいで解決すればそんなに簡単なことはないと思いながら。ただ、原因は、だいたい見当がついていた。だから、実は解決しようと思えばできることなのだ。


 「逆に、私はもうそろそろ戦場に戻らないといけないなあ……。あーあ、早く戦いが終わればいいのに」


 「それには、死神の発生源を絶つ必要があるだろうな」


 「単純に死神を倒し続けるだけじゃだめなんだろうね。また東京ヘブンズゲイトに行くつもり? 残念だけど、私には難しそう」


 「……そうだな、いずれ、また行かないといけないと思ってる」


 そう言いつつ、ゼロシキにはそれがいつなのかは定かでない。あの時は確かにほとんど影響はなかった、しかし、自分でも気付かないうちに亀裂を入れられたような気がしている。東京ヘブンズゲイトから帰ってきて以来、頭の片隅にやたらとあの直線的な月、自分の虚無を拡大する記憶が浮かんでくる。その一方で、《機械》が徐々に重くなってきている。まるで虚無がさらに拡大しつつも、同時に拘束具をはめられているような感覚だった。少なくとも、いったい自分に何が起きているのか突き止めるまでは東京ヘブンズゲイトに行きたくはなかった。


 「時間、大丈夫?」


 気をきかせてタチバナが聞く。


 「ああ、そろそろ、だな」


 そう言いつつ、ゼロシキはしばらく座ったままでいた。何か考え、ためらっている様子で、タチバナの顔を見たり、それでいて、目が合うと視線をふいとそらしたりする。


 「どうかしたの?」


 タチバナは不思議そうな顔をして、大きな目をぱちくりとさせながら、首をかしげている。


 「いや、何ていうか、今日は単に見舞いに来たわけじゃないんだ」


 ゼロシキは妙に緊張した面持ちになる、それを見て、やはり落ち着かない気分にさせられたのか、タチバナはまたフトンの端を指先でぐりぐりイジる。


 「……何だろ、何か話でもあるの?」


 「話っていうほどのものでもないんだが……」


 「やだな、何かもったいつけちゃって。今から告白でもするみたいじゃん」


 タチバナは、緊張した空気をほんの少しでも柔らかくしようと無理に笑顔を作る。


 「いや、そんなんじゃない」


 冗談っぽく言ったタチバナの口調とはあまりに不釣合で真面目なトーンで、ゼロシキは答えた。タチバナは口を尖らせてリアクションし、普段とは違うゼロシキの様子に困惑し始める。


 「変なの、何か妙なプレッシャー与えないでよ」


 「悪いな、単刀直入に言うよ」


 タチバナがうなずく、それでもゼロシキはためらいがちで、一瞬、不自然な間が開いてしまう。


 「いや、何ていうか」


 「何ていうか?」


 「……もう、話さないようにしたいんだ」


 「え?」


 驚きで、タチバナは目を見開いてしまう。眼の奥で揺れていた困惑がはっきりと浮かび上がり、それを直視するのに耐えかねたようにゼロシキは目をそらした。


 「これからは、こんなふうに会話するの、やめにしたいんだ」


 「で、でも……何で?」


 ゼロシキは何も答えられない、軽く唇を噛んで、ためらいを振り切るように立ち上がる。


 「悪いな、別にタチバナが悪いわけじゃないんだ」


 くるりと背を向け、ゼロシキは逃げるように部屋を出て行く。タチバナが自分の名前を呼ぶ声を聞きながらも、振り返ることはせず、歩みを止めることもなかった。これが良い結果になるのか、それとも悪い結果になるのか、それは分からない。ただ、少しずつ生じ始めた異変をどうにかするには、こうすることは避けられないような気がしていた。まだ、唇を噛みしめている、ゼロシキは混乱していた、いろんなことが、理解できなくなり始めている。確かなのは、噛みしめた唇の痛みだけだった。痛みだけが真実だという感覚が、ずっと、ゼロシキにはあった。あらゆる迷いや空虚が、自分が自分でいられるという感覚を奪い去ろうとするとき、体を突き刺す痛みに身をさらすことだけが、唯一の救いとなるのだ。






 「ゼロシキ」


 呼び止める声がして振り返る、そこにはクロガネが立っていた。白衣をひるがすようにつかつかと歩き、そしてゼロシキの目の前で止まる。


 「久しぶりだな、ドクター。何か用でもあるのか?」


 クロガネはかすかに目を細め、頷きなのかどうか定かでない程度に首を動かした。ゼロシキは、あまり良い話ではないか、何か考えがあると察知して、身構えるような心持ちでクロガネに向き合う。


 「調子はどうだ?」


 クロガネが尋ねる、その言葉には重い緊張感が乗っかっている。クロガネが気軽に、少年たちに対してそんなことを聞くはずがないのだ、だから、それはつまり言葉通り、調子はどうなのかということについて、説明的な答えを求めて質問をしているということだった。


 「……別に」


 何と答えようか迷っていたが結局上手い言葉が浮かんでこず、ゼロシキはその場しのぎでしかないようなことを言ってしまう。


 「別に、か。私にはそうは見えないんだが」


 冷徹な目つきでゼロシキの頭の中を見透かしたように、クロガネがつぶやく。


 「俺に、何か変な所でもあるのか?」


 ゼロシキはシラを切って肩をすくめる。《機械》が重くなってきている、そのことを、はたしてクロガネが感づいているのかどうか考えながら。


 「お前も、自分で気づいているはずだが」


 クロガネは、話を長引かせるような無駄な言い訳をあからさまに嫌悪するような言い方をした。ゼロシキも、回り道をしても何もいいことはないなと思い、観念したような小さいため息をゆっくり吐く。


 「まあ、確かに、《機械》が本調子じゃないのは認める」


 「本調子じゃない、とは具体的にどういうことだ」


 クロガネは、切れ味鋭い頭脳を持つ人間らしく、直裁的な、最短で結論を導くような、そんな答えを求めてくる。


 「具体的に、《機械》がちょっと重いような感じがするということさ」


 クロガネはその答えに二、三度うなずいてから、またゼロシキを見る。


 「いつからだ?」


 「ここ最近だよ、ほんの数日」


 「その数日前か、それ以前に、何か変わったことはあったか?」


 ほとんど尋問するような聞き方に、ゼロシキは不快感を感じて眉間にしわを寄せた。


 「特にないね」


 「本当か?」


 「本当だ。まあ、何か思い出したら話すよ」


 「原因の特定は早いほうがいい。そんな答え方では解決に向けた具体的な対策が立てにくい」


 「変なプレッシャー与えてくんなよ、ドクター」


 「好んでそうしているわけじゃない。君の能力は貴重だからな、常に最大限の可能性を発揮できるようにしておかなければならない。これは君自身だけの問題ではないんだよ」


 また、ゼロシキがため息をつく。一瞬うんざりした顔になるが、すぐに取り繕うように顔を無表情に戻した。


 「心配いらない」


 「心配いらない、とはどういうことだ。何か具体的な解決策があるということか?」


 つめ寄るクロガネの態度を受け流すような、余裕を誇示するような、そんな薄笑いを浮ゼロシキが浮かべる。


 「解決策、というか、もう解決した」


 「何?」


 「もう大丈夫だってことだ。別に心配しなくていいんだよ」


 「どう解決したのか説明して欲しいところだが」


 「すでに解決済みのことだし、説明は不要さ。まあ、見といてくれ、今度の戦場では本調子の俺をアピールしてやるから」


 クロガネは納得いかない様子のままだったが、ゼロシキは先を急ぐように向き直り、背中越しに手を振りながらそそくさとその場を去ってしまう。




 「よく分からんな……」


 歩いて行くゼロシキを見送り、クロガネはじっと周囲をうかがい、そして、さっきゼロシキが出てきた部屋のほうに視線を止める。


 「あの部屋は……」


 確か、ゼロシキと一緒に戦場から帰ってくるなり不調をうったえ、しばらく休養していた少女の部屋だ。クロガネは二度三度首をひねりながら、何かを思案し、今度は二度三度うなずき、そして結局最後にはまた首をひねり、その部屋の入口を見ていた。何か関係あるのかもしれない、あるいは、何も関係ないのかもしれない、しかし、少なくとも、あまりゼロシキらしくない行動をしていたのは間違いない。


 ――少し、注意して見ておく必要がありそうだ。




 誰にも聞こえない声でぼそり呟くと、クロガネはひっそりとした廊下を歩き始める。無人の洞窟のような透明の静けさをたたき割るように、黒く重い革靴が床を進む音が不気味に響いていた。

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