第23話 彼女にイイトコ見せてみたい②

 それからしばらくの間、ティアラは真剣な目で貧民街を見学していた。


 これが貧民街でなかったら「二人きりのデート」という感じで、俺の方も有頂天になっていたのかもしれない。

 しかし場所が場所なだけに、ティアラに注がれる淫猥いんわいな男共の視線を、俺は鋭い眼光で一蹴するのが手一杯だった。


「やっぱり私、ここの人間じゃないから目立つのかな……。何だかさっきから、凄く見られているような……」


 それは十中八九、ティアラが可愛いからだと思うのだが。貧民街では、まず見かけないタイプだろうし。

 ここの連中にしてみれば、獅子を閉じ込めた檻の中に、極上の兎が放り込まれたのと同義だろう。


 でも確かに、この視線の雨はかなりウザイ。

 この際思い切って、彼女の手を握って俺の恋人アピールしてやろうかな……。


 それはそれで絡まれそうな気がしないでもないが、今よりはマシになるだろう。


 そんな無い勇気を捻り出してみようかと俺が考えた時、俺達を呼び止める声が聞こえた。


「ちょっと待て。そこのカップル」


 上から降ってきた声に視線を跳ね上げると、一軒の民家の屋根上に、腰に手を当て仁王立ちする女性が一人。


 そいつの姿を認識した瞬間、俺もティアラも、口をポカンと開けたまま、ただ呆けることしかできなかった。


 その人物は、口と鼻を白い布で覆い隠していた。

 それだけなら『怪しい覆面女だなぁ』という感想で済んだのかもしれないが、そいつはなんと、黒色のマイクロビキニの上に白いマントを羽織るという、トンデモない格好をしていたのだ。


 へ、変態だーーーーッ!


 じゃなかった。

 何やってんですかああああっ、アレクさーーーーんッ!?

 口元だけでなく頭も隠さないと、その黒い髪と紅い目でバレバレですぞおおおおっ!?


 っつーかまさかお前が悪漢の方になるとは、完全に想定していなかったわ!

 悪漢というか、その格好はもう痴漢な気もするけど! いや、女だから痴女か!?


 俺達に好奇の眼差しを送っていた貧民街のチンピラ共も、突然屋根の上に現れたビキニマント女に呆気にとられている。


「な、何だあの女……」

「あんな格好で屋根の上で仁王立ちとか、頭イカレてやがるぜ」

「でもでけぇな。揉みてぇ」

「確かに」


 チンピラ達の馬鹿正直な感想は、俺の耳を素通りしていく。

 本当にアレクの奴、何を考えているのかわからん……。


 自分の正体がバレバレだと気付いているのかいないのか、アレクはティアラを真っ直ぐと指差しながら、ノリノリな感じで続けた。


「そのピンク髪の女は、非常に可愛いな。お前には勿体無い。ということでここに置いていけ」


 おいいいいぃぃッ!? せめてもうちょっと声色使うとかしろや!? アレクの声そのままじゃん!

 これじゃあ後で、ティアラに変態のレッテルを貼られるだけだぞ!?

 

「あ、あの、え、えっと……」


 ティアラはかなり刺激的なアレクの格好に、真っ赤になったままアワアワと狼狽ろうばいしている。

 しかし何かを決心したように一歩前へ出ると、アレクの紅色の目を真っ直ぐと見据えながら、彼女は言った。


「わ、私達、カップルではありません……」


 えっ、そこ!?

 真っ先にそこに反応しちゃうの!?


 俺ちょっと泣きそう! そんなに即効否定しなくてもいいじゃん!?

 そこまで俺とカップルに見られるのが嫌ってことなのかうわああああぁぁんッ!


 と真上の太陽に向かって泣きながらダッシュしたいところだったが、辛うじてそれは堪えた。


 っつーかティアラのこの様子からして、あれがアレクだと全く気付いてない模様!

 一国のお姫様がそんなに簡単に騙されちゃダメですッ!


 いや、でもこの場合、信じてくれていた方が俺にとっては都合がいいのか?


「それにその……。そんな格好、お、お腹冷えちゃいますよ?」


 確かに彼女の言うとおり、アレクのあの格好はちょっと寒そうだ。

 ていうか、何でビキニの上にマントなのだ。嗜好がマニアックすぎるだろお前。


 でも、この状況でわざわざ怪しい奴の体調を心配してやるなんて、相変わらずティアラは優しいなぁ……。

 とほんわかしている場合ではなかった。


 ティアラがうろたえないので、アレクも少し困っている様子。

 アレクは『この際お前がさっさと突っ掛かってこい』という趣旨の視線を俺に送ってきた。


 仕方ねーな……。

 あまりこういう芝居は得意ではないのだが、背に腹は変えられん。

 ティアラのためなら俺の恥など、そこらの野良犬に喜んで食べさせてやろう。


 腹を括った俺は、ティアラをアレクから隠すように、ずずいっ、と前に出た。

 そしてアレクをビシリと指差して決め台詞を――。


「おい、今の聞いたか? あいつらカップルじゃないんだとよ」


 なりゆきを見守っていたチンピラAが、突然その隣にいたチンピラBに大きな声で話し掛ける。


 せっかく一芝居打とうと決心をしたのに水をさされた形になり、俺は思わず口の端をヒクリと上げてしまった。


 ちなみにチンピラAはツルッパゲ、チンピラBは金色のモヒカンなので、今からはその頭髪の特徴を差した呼称で呼ぶことにする。


 ツルッパゲに話し掛けられたモヒカンは、ふところから折り畳み式のナイフを取り出しながらニタリと下卑た笑みを浮かべ、ティアラへと視線を送る。


「それじゃあ、あの可愛いお嬢ちゃんは、あの野郎の女じゃないわけだな? 俺達のモノにしちゃってもいいわけだな?」

「そういうことだろ」


 ハゲの方も同様に、ギザギザした形状の、切れ味の悪そうなナイフを取り出して俺に向ける。


 俺の背後で、ティアラが小さく息を呑むのがわかった。

 さすがにあそこまで言われたら、鈍いティアラでも自分が狙われていることに気付くか。


 いつの間にやらハゲとモヒカン以外にも、無職な感じの男達がわらわらと俺達の周りに集まっていて、魔獣のようにギラギラした目をこちらに向けていた。


 いくらティアラが天使のように可愛いからって、お前ら飢えすぎだろ。

 こんな昼間っからたむろしていないで働け。

 と心の中で説教をしつつ、俺は剣の柄に手をかける。


「やっちまえ!」


 誰が言ったのかはわからないが、いかにもチンピラっぽいその号令で、好機をうかがっていた男達は一斉に俺へと襲い――。


「あ?」

「ぐっ!?」

「へ?」


 襲い――。


「なっ!?」

「ぎ!?」

「う……」


 襲いかかってくることなく、次々と地に倒れ伏す。


 当然、俺がやったわけではない。

 俺は手を剣の柄に置いたポーズのまま、動くことができないでいた。

 今無闇に抜刀したら彼女・・に当たってしまう可能性があるからだ。


 そう。

 屋根から飛び降りてきたアレクが、拳と蹴りのみで、チンピラ達を次々とのしているのだ……。


 あっという間に最後の一人のチンピラも殴り倒したところで、アレクは小さく鼻を鳴らし、パンパンと軽く手を払った。


「まったく……。よりによって姫様を狙うとは何たる無礼者……。あ」


 いや、「あ」じゃねーよ。

 俺の活躍の場を奪っておきながら、気付くの遅ぇよ。


 ティアラのピンチに護衛として身体が勝手に動いたんだろうが、これでもう、完全にティアラに正体はばれて――。


「で、ではさらばだ!」


 ええええっ!?

 この期に及んでまだ続けるつもりのかお前!?

 役者でもないのに、何その無駄なプロ根性!?


 と俺が心の中でツッコんでいる間に、アレクは屋根まで一気に跳躍すると、その向こうへと姿を消してしまった。


 後に残された俺達と地に転がるチンピラ共の間に、冷たい風がヒュウウゥと音を鳴らしながら吹き抜けていく。


 アレクが去った屋根を見つめながら、ティアラは一度喉をコクリと鳴らし、呆然としたまま呟いた。


「い、一体何者なんだろう? あの黒ビキニさん……」


 思わず俺は芸人よろしくずっこけてしまうところだった。


 あれだけヒントを見せられておきながら気付いていないとかーッ!? 何という天然! でもその鈍さが恋愛には超天敵!


 あと、最後に叫んでもいいですか……?


 俺、何もやってねええええええぇぇッ!


 ピエロどころか、ただの観客の一人となり果ててしまった自分。

 舞台裏を知っている喜劇ショーほど白けるものはない。

 誰でもいいから慰めてほしいと、俺は切に願うのだった。






 その後、そ知らぬ顔で俺達に合流したアレク。

 俺はアレクの隣を歩きながら、彼女にだけ聞こえる声で、心情そのままのセリフを吐きだした。


「俺の好感度を上げてくれるんじゃなかったのかよ?」


「そのつもりだったのだがな。すまん。やはり慣れないことはするものではないな。次はタニヤに教えをうてからにする」

「いや、それは絶対にやめてくれ……」


 アレクとタニヤの善意と悪意の混ざった共同作業は、俺にとってロクデモナイものになるであろうと断言できる。絶対にやめていただきたい。


 そこで前を歩いていたティアラが、くるりとこちらに振り返った。


「今日は黙って付き合ってくれてありがとう。ちょっと怖かったけれど、自分の目で見ることができて良かったと思う。また行くと思うから、その時はよろしくね」


 来た道を戻りながら、ティアラは何か吹っ切れたような、晴れ晴れとした笑顔を俺達に向けた。


 やはり彼女の満天スマイルは、俺にとって破壊力抜群だ。

 瞬時に首から上の温度が上昇するのがわかったので、俺は慌てて顔を横に向けて誤魔化した。


「それにしてもあの黒ビキニさん、強かったなぁ。格好はちょっと変だったけど、素敵だったかも」


 ほんのりと顔を赤らませながら言うティアラに、俺は言いようのない不安を覚えてしまった。


 もしかして彼女は、強い同性が好みなのだろうか……。

 いや、単にアレクが彼女の好みのタイプなのかもしれないが――ってそれってヤバくね!?

 アレクがティアラの護衛である限り、俺に勝ち目はないってことじゃん!?


 ちくしょおおぉぉ! やっぱりこいつは、俺のライバルに認定した方がいいのか!? 打倒、アレクの展開に持ち込むべきなのか!?


 と思わず拳を握っていると、不意にティアラが俺に向けて口を開いた。


「あの、マティウス。さっきは私を守ろうとしてくれてたでしょ? お礼を言うのが遅くなってしまったけれど、今言わせて。……ありがとう」

「ど、ドウイタシマシテ」


 いや、あれが俺の仕事なわけだからわざわざ礼を言わなくてもいい――と彼女に言うつもりだったのに、口から出てきたのは俺の意思に反したものだった。

 彼女のこういう小さな心遣いに、いちいち俺の心は掴まれてしまう。


「それにしてもびっくりしちゃったな。貧民街にも、ちゃんと治安を守ってくれる人はいたんだね」

「はは……」

「…………」


 ティアラ、違う……。あれは違うんだ……。

 

 しかし彼女の勘違いを訂正すると、芋蔓いもづる式に俺達の(というよりアレクの)作戦まで明るみになってしまう。

 アレクと俺の名誉のためにも、ここは何も言うべきではないだろう。


 俺は彼女に乾いた笑いを返すことしかできず、アレクもまた、無言を貫くのだった。

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