護衛、変身する
「うーん」
それは、ある日の午後。
部屋の掃除を終えたタニヤが突然腕を組み、何やら唸り声を上げた。
「どうしたの、タニヤ?」
「もったいないなぁと思いまして」
タニヤはアレクの顔を見据えたまま、ティアラに答える。
「何が?」
「ねぇアレク。どうしてそんな男っぽい格好をしているの?」
俺の疑問の声は無視し、アレクに質問するタニヤ。
無視されたのはちょっと腹が立つが、確かに俺もそれは気になることではあるので、あえて何も言わないでおく。
「護衛の仕事に女っぽさは無用だろう」
「確かにそうだけどさー。アレクって見た目カッコイイけど顔は整っているから、お洒落をしたらきっと凄くキレイになると思うのよ」
「あ……確かに」
「そうかぁ?」
正直、アレクは俺よりイケメンだ。こいつがお洒落をしたところで、女らしくはならないと思うのだが……。
この前シチューを作った時にフリフリの可愛らしいエプロンを着ていたが、罰ゲームで女装しているようにしか見えなかったし。女なのに。
「ということでアレク。ちょっと私にいじらせて?」
「……断ると言っても、お前は強引にやるつもりだろう」
ある種の
「それじゃあ姫様、私達はちょっと席を外しますねー」
「うん。いってらっしゃい」
ティアラは二人を笑顔で見送る。
そんな彼女に手をひらひらと振りながら、タニヤはわずかに目を細め、俺を見つめてきた。
その目は「この機会に姫様との仲を少しでも進展させときなさい」と語っていた。
そんな勇気があったらとっくにやっとるわ。ほっとけ。
『ティアラ。実は俺、お前に言いたいことが――』
『あの、私も、実は――』
『え?』
『私、マティウスのことが、ずっと好きだったの。大好き……なの……』
『ティアラ……! 俺も――!』
『私もう、我慢できないの。お願い。優しくし――』
「お待たせ!」
せっかく頭の中でティアラとの仲を進展させていたのに、
くそっ。もう少しだったのに!
「ほら早く」
タニヤは後ろに振り返り、おそらく姿を見せるのを渋っているのだろう、アレクを急かした。
しばらく間が空いた後、ゆっくりとした足取りで部屋の中に入ってきたのは……絶世の美女だった。
キラキラとした圧倒的オーラを出す彼女を前に、俺は呆けることしかできない。
短かったアレクの黒髪は、腰にまで届こうかという長さになっていた。
その質感は、まるで高級な絹のような滑らかさ。
身にまとっているのは、肩が大きく出た青い細身のドレス。
腰から脚までのほっそりとしたラインが、彼女の胸の大きさをより強調させている。
そして太腿まで入ったスリットが、大人の女性の魅力を主張していた。
耳元には、アレクの目と同じ色の赤い宝石をあしらったイヤリングが、控えめに煌めいている。
不覚にも、少しときめきかけてしまった……。
いや、騙されるな俺。あれはアレクだ。
俺を投げ飛ばすアレクだぞ。
俺はティアラ一筋十八年(ただし十七年分は誇張)。
馬鹿力の同僚にときめくなんてもってのほか。
「うわぁ。すごい……。アレク、とてもきれいだよ! 本当にきれい!」
「ありがとうございます……」
手放しで称賛するティアラに、アレクはやや照れたように指で頬を掻いた。
その様子を、タニヤはうんうんと満足そうに見つめていた。
それにしても、えらく変わったもんだよな……。
だが見たところ、化粧はほとんどしていない。
髪の長さと着る物だけで、ここまで印象が変わるとは。
「それ、カツラか?」
「ウィッグと言って欲しいわね」
「要するに付け毛か」
「……デリカシーないわよね。マティウス君て」
「うるせー」
そんなことだとモテないぞー、と嬉しそうに言うタニヤは無視。
モテないのは今に始まったことではない。それに、俺は間違ったことは言っていないはずだ。付け毛は付け毛だろ?
「ねえねえ。ちょっと町に出てみましょうよ」
「何を言っているんだ」
タニヤの大胆な提案に、アレクは大きく眉をしかめながら答える。
しかし好奇心の塊であるこの侍女に、アレクのその表情の変化も効果はない。
「だってこんなに綺麗な子、皆に見せびらかしたいじゃない」
「オレはお前の私物じゃないんだぞ」
「私も一緒に行ってみたいな……」
タニヤを援護する声は、意外なところから上がった。
さすがにアレクも、ティアラの言うことには強く出られないらしい。
諦めたように嘆息しながら小さく肩をすくめた。
「少しだけだからな」
「さっすがアレク。話がわかるぅ!」
タニヤに誉められても、アレクの眉間にできた小さな皺は消えそうになかった。
大変だな、お前も……。
城下町に出るや否や、俺達は注目の的となってしまった。
特にイベントもないのに、着飾った美女が突然現れたら当然そうなるだろう。
それに可愛らしいティアラと(王女だとバレないように地味な格好をしている)見た目だけは無駄に良いタニヤまで一緒なのだ。
はっきり言って、俺の場違い感が凄い。
『あの冴えない男は何で一緒にいるんだ』という、他の野郎共の嫉妬と羨望の混じった視線が突き刺さり、居心地が悪いったらない。
皆からの注目を浴び、タニヤは鼻高々だ。「私がプロデュースしたんですよ」と嬉しそうに野次馬のおばちゃんに吹聴していた。
プロデュースって何だよ……。
招かれざる客が現れたのは、俺がそんなことを考えた時だった。
「うおおおおおお!」
群衆をかき分け、雄叫びを上げながらこちらに突進してくる一人の男。
その声を聞いただけで、俺はげんなりとしてしまった。
「アレクうううう! 何て綺麗なんだー! 世界一の美女! もうこのまま兄ちゃんと結こ――」
最後まで言い切る前に、アーレントの顔面にアレクのハイヒールがめり込んでいた。
ドレス姿で飛び蹴りを綺麗に決めたアレク。
こんな格好で、いつも通りのキレのある蹴りを繰り出すとは。
やはり彼女の体術はスゲーな……と、俺は感心しきりだ。
「なになに? もしかしてこれがアレクのお兄さん?」
石畳の上に仰向けに倒れたアーレントを、興味津々といった様子で覗き込むタニヤ。
まずい。ついに二人が出会ってしまった。
このままでは確実に騒ぎが大きくなる。
二人が会話するだけで爆発が起こるかもしれない。俺の頭の中で!
とりあえず、アーレントにはもう少し寝ていてもらおう。
俺は伸びていたアーレントを、ついうっかり踏んでしまった。
そう、ついうっかり。
「ぷぎゅ!?」
「ああ! スンマセン!」
わざとらしく謝った俺に、アレクが「良くやった」という眼差しを向けてきた。
どうやら今、アレクと俺の考えていることは同じらしい。
初めて彼女との間に生まれる一体感。同僚として俺はお前を全力で応援する。
アーレントは今ので完全に再起不能になったらしい。
口から泡を出しながら、死体のように横たわるばかりだ。
アレクはそんな兄を軽く
「戻るぞ」
「えっ? アレク、ちょっと!」
タニヤの静止の声を振り切り、アレクは一人でスタスタと城へと戻り始めてしまった。
「お騒がせしましたっ!」
観衆に一言放ってから、俺達も彼女に続く。
「あのままでいいのかな? お兄さん……」
心配そうにチラリと振り返るティアラ。
まあアーレントは放っておいても大丈夫だろう。無駄に頑丈そうだし。
タニヤは名残惜しそうに何度もアーレントに振り返っていた。
彼と話をしたいのなら、俺のいない時にしてくれ。頼むから。
「次はキュートな感じを試してみたいわね」
城に帰って早々、アレクはいつもの格好に戻ってしまった。
タニヤは既に二回目もヤル気でいるらしい。本人の意思は置き去りで、次のコンセプトをワクワクしながら考えていた。
ちなみに、帰ってから一度もアレクの口からはアーレントのことは出てこない。
どうやら彼女、あの兄が少し苦手らしい。アレクの意外な弱点発覚。
「それにしても、アレクのお兄さんもっと見たかったなぁ」
タニヤの言葉にアレクは眉をピクリと動かし、若干顔を強ばらせた。
「タニヤとお兄さんがお話すると、とても賑やかになりそうだね」
ティアラが小声で俺に話しかけてきた。
その顔は心なしかイタズラっぽい。
こんな表情は初めて見る。可愛いなちくしょう!
タニヤは勘弁だが、ティアラにならイタズラされたい……と俺は心から思うのだった。
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