流浪の興国ー託しきれない夢を、相棒と呼んでくれる君とー

水戸けい

決起

 粗末で手狭な山小屋の中、若い男がふたり、炉を囲んで酒を酌み交わしている。

「俺らだってよぉ。別に好きこのんで、山賊なんざ、やってるわけじゃねぇんだよ」

 烏有うゆうは向かいに座っている男、蕪雑ぶざつの、なめした革のように、つややかな褐色の肌が、だいだいの炎に照らされているのをながめた。太い髪はクセが強く、筋骨のたくましい大柄な体躯は、見るものによっては畏怖いふを感じてしまうだろう。

 だが、烏有はすこしも蕪雑を怖がらなかった。彼もまた偉丈夫だから、というわけではない。烏有は細身で、抜けるように色が白く、女の着物を身につけていれば、そのように見えそうなほど華奢きゃしゃ艶麗えんれいな、力強さとは縁遠い容姿の男だった。

「人を襲う、なんてことをしなくても生きていけるんなら、そうするさ。けどよぉ、烏有と言ったか? 俺ぁアイツらを放り出して、自分だけがそうなろうとは、思えねぇんだ」

 わかるだろう、と言いたげに蕪雑が烏有を見る。その目は木の実のように丸く大きく、端が吊りあがっている。無垢な子どものように、透き通った輝きをしている瞳に、烏有は切れ長のすずやかな目を合わせた。

「全員でどこかへ移住すれば、いいだけだろう」

「それができりゃあ、こんな面白くもねぇ境遇に、ちちゃいねぇさ」

 蕪雑が酒をあおる。烏有は杯に唇を当て、香りを楽しむように、わずかに舌を湿らせた。

「この酒は、盗んだものではないんだね」

「ああ。こいつぁ、この山で採れる果実で作ったもんだ。猿酒を知っている奴がいてな。そいつを真似まねたんだよ」

「そうか。……猿酒」

 烏有は杯に目を落とした。ドロリと重く濁りのある酒は、花のような香りがする。

「知っているか? 猿酒ってのは、木の洞なんかに猿が貯めた果物が、勝手に酒になっちまうもんなんだ」

「それを真似て人工的に発酵させ、作ったというんだね」

 さらりと烏有に受け止められて、蕪雑はつまらなさそうに口をつぐんだ。烏有は彼に好意的な視線を向ける。

「僕が知らないと思ったのかい」

「……まあ、各地を渡り歩く楽士なら、知っていても不思議じゃねぇさ」

「知らないふりでもすれば、よかったかな」

「やめてくれ。こっちの無知をひけらかしているみてぇで、こっぱずかしい」

 軽く手を振った蕪雑は、そうだと膝を叩いた。

「いろんな土地を見て回ったんだろう? そんなら、俺らが落ち着けそうな府も、知っているんじゃねぇのか」

「それを聞いて、山賊をやめて移り住もうという腹か」

 そうだと蕪雑が首を動かす。

「さっきアンタが言っただろう。移住すりゃあ、いいってよぉ。そういうアテがあって、言ったんじゃあねぇのか」

 期待を放つ蕪雑の顔をながめつつ、烏有は杯に口をつけた。

「不思議だな」

「何がだ」

「いやいや山賊をしている、というところがだよ。この山を通る荷駄を襲って、いろいろなものを手に入れるほうが、楽だと思ったりはしないのかい」

「しねぇよ。誰かがあくせく働いて手に入れたモンを、ちょろまかして威張いばるなんざ、格好悪いじゃねぇか」

「クッ……」

 烏有が口元に手を当てる。クックと喉を鳴らす烏有の姿に、蕪雑はてれくさそうに頭をいた。

「まあ、その……なんだ。できるなら、山賊から足を洗いてぇのよ。けど、どうすりゃいいのか、さっぱりわからねぇんだ。わけのわかんねぇうちに頭目になっちまったから、どっかで落ち着けるまでは、俺はあいつらの面倒を見なきゃならねぇだろう」

「はじめから、蕪雑が首魁しゅかいと決まっていたわけじゃないのかい」

「違ぇよ。なんかしんねぇけど、いつの間にか俺が兄貴分になってたんだ。たぶん、ここに一番、長く住んでいるからじゃねぇかな」

「いったい、どういう集まりなのか、教えてもらえるかな」

 烏有の問いに、蕪雑は首をかしげた。

「どういうって。俺はそこの府、甲柄こうえの隅っこで、貧乏やってるガキどもと、日銭働きをしていたんだよ」

「それがどうして、府の外で山賊をすることになったんだい」

「商売人が山越えをするってんで、その護衛に雇われたんだよ。そんで襲われて、無我夢中で戦っていたら、雇い主は荷物を置いて逃げちまうし、気づいたら襲ってきた連中は全滅してるしで、そっからどうすりゃいいか、わかんなくなっちまった」

 興味深そうに、烏有はわずかに前にのめって、杯をかたむけた。

「しばらく待ってみたんだが、雇い主は帰ってこねぇ。どうしようかって悩んでいたら、府に引きかえそうって言った奴がいてな。そうするしかねぇかって戻ったら、そいつがいきなり、俺に縄をかけて山賊の仲間をつかまえたとか、ほざきやがった。ちょっと調べりゃあ、そうじゃねぇってわかっただろうに、俺ぁそのまま牢にぶち込まれたんだよ。アイツぁ、よっぽど報奨金が欲しかったんだろうなぁ」

「それは、災難だったね」

「まあ、俺がそんなことをする奴じゃねぇってのを、知っている奴等が牢破りの手伝いをしてくれてさ。けど、そんなことをすりゃあ、ただじゃすまねぇ。そんで、ひとまず山に隠れておこうってなったんだが……」

 やれやれとため息を吐いて、蕪雑は心底から不本意だと声音に乗せて言った。

「いつの間にか、本物の山賊になっちまったんだよ」

「はは」

「笑いごとじゃねぇよ」

「ああ、すまない。……つまり、ここに住んでいる仲間は、濡れ衣を着せられた蕪雑を救った者たち、ということか」

「そういうのもいるけどな。なんか、府を追ン出された奴とか、妙な嫌疑をかけられて逃げ出して、ここに身を寄せるようになった奴だとか、そういうのもいてよぉ。どんどん人数がふくれちまって、そうこうしているうちに俺が頭目になっちまってたんだよなぁ。俺より頭がいい奴も、年上の奴もいるのによぉ」

 わけがわからねぇとぼやく蕪雑に、烏有はうなずいた。

「自然と中心になったということは、人徳があるのだろうね」

「へっ?」

 蕪雑が目を丸くする。

「そういうことだろう」

 烏有が薄くほほえむと、いやいやと顔の前で手を振りつつ、蕪雑は照れた。

「そんなに、偉かぁねぇよ。もしそんなふうなら、アイツらをひきつれて、まっとうな仕事のできる府に、落ち着いているさ。甲柄のほかに行けば、甲柄の法は届かねぇからな」

 うんうんと、蕪雑は自分の言葉に相づちを打つ。

「そうすりゃあ、年のいった連中も安心だろう。まったく、かわいそうな連中ばっかなんだぜ? ちょっとばかし無礼を働いたとかなんかで、簡単に牢にぶちこまれて辛い目に遭わされてよぉ。領主や豪族なんかは、俺たちを家畜みてぇに考えてやがんだ」

「そう思うのなら、ほかの土地に行ってもおなじとは、考えないのか」

「豪族とか領主とかの考えひとつで、法は決まるんだろう? そんなら、甲柄よりも人を大切に扱う府が、あるかもしれねぇじゃねぇか。……もしかして、烏有の見てきた府はどれも、工夫こうふや農夫なんかを、家畜みてぇに扱ってんのか?」

 蕪雑が眉をひそめる。烏有はゆるくかぶりを振った。

「生産者がいなければ、品物はできないからね。重要だと考えている府も、あるにはあったよ」

「そんなら、その府を教えてくれよ。そこに移住すりゃあ、わけのわかんねえ罪状を突きつけられる心配もなくなるだろ」

 子どものように目を輝かせる蕪雑を、烏有はじっと見た。

「……なんだよ」

「蕪雑。府を造らないか」

「は?」

「君の望む府を探すより、造るほうが確実だろう」

 蕪雑は目をしばたたかせ、炎にあぶられ輝く烏有の白い顔を見た。

「正気で言ってんのか」

「もちろんだ」

 ふたりはしばし見つめ合うと、互いに顔を寄せて、声を低めた。

「府なんて、どこに、どうやって造るんだよ。府は、この国を治める申皇しんこうが定めて、領主と決めた者を据えてできるもんだろう?」

「申皇に許しを乞えばいい」

「どうやって」

「申皇のおわすに、文を書くんだ。府を造る許可をいただきたい、と」

 蕪雑がポカンとする。

「どの府もはじめは、ちいさな村だった。それが大きくなり力を持つと、国になる。そうなった国を府と定めるべく、申皇からの使いであり、連絡役となる領主が派遣される」

「そうなのか」

「ああ」

 感心したように、蕪雑がうめいた。

「俺ぁ、はじめっから府があるモンだと思っていたぜ。そんなら、どっかの府に属している離れ村が、でっかくなって新しい府になるってことも、ありうるのか」

「ある。もともと各地の府は、そのようにしてできたんだ。小さな村が力をつけて、豪族が生まれ、それらが協力したり駆逐しあって村を大きくした結果、神領としての府に任じられ、領主が据えられる」

「へぇー。そんなら、俺らが村を造って、そいつがでっかくなっていったら、府になれるってことか」

「そうだよ」

「けどよぉ、烏有」

 蕪雑は干し肉を烏有に差し出しながら、疑問を述べた。

「府になるには、岐から領主がやってこなきゃ、いけねぇんだろ? だったら、村を造っても、領主が横暴な奴だったら、おんなじことになるんじゃねぇか」

「それは心配ないよ。実質的な統治をするのは、豪族だからね」

 よくわからないと、蕪雑が首をかしげる。

「領主はあくまでも、土地を治める豪族と岐の橋渡し。というか、申皇の定められし法の監視役と言ったほうがいいかな。だから、府を造ると届け出て、先に恭順をおこなうと伝えておけばいい。そうして下地を作っておけば、好意的な領主を迎えられるはずだよ」

「そんなんで、承知されるのか? もともと大地は申皇のモンだろう。恭順を示すもなにも、はなっから申皇のモンなんだから、村ができようが豪族がおころうが、一緒じゃねぇか」

「それならどうして、岐に任命された領主が据えられる必要があるんだい。豪族がそのまま、大きくなった村を府にせず、運営をすればいいはずだろう」

 蕪雑は眉間にシワを寄せ、腕を組んで唇をとがらせた。

「さっぱり、わからねぇな」

「天領だと示さなければ、悪心の徒とみなされるからだよ。だから国と呼ばれるほどに大きくなった村の豪族は、領主を迎えようとする。中枢も、恭順を示さない国は不穏だとして、府や中枢との交易などに制限を設けたり、災厄に見舞われた場合にも救出をしないよう、各所の府に定めていたりする。そうならないために、これから造る村が、豪族が興るほどの国と育っても、府とするつもりであると先に伝えておけばいい。そして中枢の法に沿った統治をすれば、建設中でも府の持つ権利を受けられるはずだよ」

 ふうんと、わかったような、わからないような鼻息を漏らした蕪雑が、天井に視線を投げる。

「そんな方法があるんなら、なんで豪族はそうしねぇで、たまに領主とああだこうだ言い争ってたりするんだ? 甲柄だけがそうで、ほかの府はそうじゃねぇのか」

「どこも似たり寄ったりだよ。領主は申皇の定められた法を基準に、豪族の治世を正そうとする。豪族は己の法律で府を統治しようとする。その折り合いがうまくいかなければ、争いとなる。あるいは、まいない欲しさに、わざと文句を言ったりもする。……はじめから、中枢の法を基準としていれば、そんなことはなくなるさ」

「てこたぁ、豪族はその法律を知らねぇってことかよ」

「そういうことになるね。あるいは、知っていて知らぬふりをしているか、かな」

「なんで烏有は、そんなことを知ってんだ」

「僕は腕のいい楽士だからね。岐の官僚の宴に呼ばれ、褒美と滞在のちょうを受けることもあるのさ」

 謎めいた微笑を浮かべた烏有は、杯を目の高さまで持ち上げて、乾杯をするようにそれを揺らすと、一気に飲み干した。美麗な所作に、蕪雑が居心地悪そうに目を泳がせる。

「ねえ、蕪雑。あたらしい府となる国を造り、人々を安堵せしめようじゃないか」

「俺ぁただ、山賊をやめて、どっかに落ち着きたいって言っただけだぞ。それが、こんな大掛かりな話になるたぁなぁ」

「なら、やめておくかい?」

 烏有の切れ長の目が、炉の炎を映して怪しくきらめく。蕪雑は酒の入った革袋を持ち、烏有に差し出した。

「本当に、そんなことができるんなら、試してみてぇな。俺たちみてぇなのが、大事にされる府を造れるんなら、最高だからよぉ」

「決まりだね。これから、僕等の理想とする国を造ろう。――興国のはじまりだ」

「興国?」

「民のことを第一に考える府を、興すんだ。府にするためには、国にならなければならない。だから、興国だよ」

 烏有は蕪雑の酌を受け、蕪雑は手酌で杯を満たした。

「でっけぇことをはじめるってのは、なんだかこう、腹のあたりがムズムズするな」

 ニッと蕪雑が歯を見せる。

「それを引きしめ抑えなければ、足元をすくわれるよ」

「わあってるって。そのために、よろしくたのむぜ、烏有。これからアンタは、俺の相棒だ」

「……相棒?」

「おうよ」

 力強い蕪雑の声に、烏有はかすかに照れのようなものを目元に浮かべた。

「興国の成功を祈って、今夜はぞんぶんに飲み明かそうぜ」

「ああ。蕪雑の興国に、持てるすべてで協力しよう」

「違ぇよ。言い出しだのはソッチだし、相棒なんだから、一緒に、だろ」

 屈託のない蕪雑に、烏有はためらいつつも、うなずいた。

「ああ。一緒に、国を興そう」

 赤々と燃える炉の上で、ふたりは杯を打ち鳴らし、交わした誓いを飲み干した。

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